『重ーーーーッ!おいおいワーストサマーちゃん、番組間違えてねえか?!』

ラジオを通して聞こえてきたパワフルボイスに止まることを知らなかったはずの私の涙も流石にブレーキがかかっていた。ぽろ、と最後に一粒零れた涙の粒が顎から膝に落ちる。
テンション高くリスナーからの相談に答えているこのラジオ番組を聞き始めたのは数週間前のこと。同じ大学で同じ教育学部の彼氏にフラれてから学校から足が遠のき、すっかり夜型人間になってしまった私は深夜に友人へ連絡をできるわけもなく、ただただ時間を持て余していた。
そんな時、適当にネットサーフィンをしていて見つけたのがこの番組だった。

『プレゼント・マイクのぷちょへんざレディオ!深夜だろうが気にすんな!テンションぶち上げてくぜ!』

確かにこの夜が明ければ一般的には休日とされている土曜日なのだが、やけに元気なラジオ番組である。普通深夜にはヒーリングミュージックだとかそういう物が定番だと思っていたから度肝を抜かれた。
毎日毎日思い出に泣き耽っていた私とは真逆の番組のように感じたが、直後に始まったリスナーからのお悩み相談コーナーとやらに軽快ながらも真摯に向き合って答えている姿勢に毎週少しずつ勇気をもらえて、気づいた時には公式ホームページからお悩み相談フォームのリンクをタップしていたのだ。

『彼氏にフられて、もう何もできなくなりました。私は教員志望なのですが、今年行くはずだった教育実習もドタキャンしてしまい、お先真っ暗です。こんなネガティヴな人間が教鞭を取ってはいけないということなのかな。彼氏も夢も失ってしまい、最近家から出るのも怖くて、マイクさんのラジオだけが楽しみです。マイクさんおすすめの元気が出るナンバーをお願いします!ラジオネーム・ワーストサマーエバーより』

そして今日、ついさっき、私のメールが読み上げられ、それに対する反応がこれである。これだけだったらただショックを受けただけで終わりそうなものだが、プレゼントマイクはそういう人ではない。ラジオを聴き始めたのは数週間前でも、今までの配信はポッドキャストを漁ってたくさん聞いたのだ。

『ま、それはそれとして、ネガティブだから教師には向いてないのかな……なーんて悩んでるってことは教師になる夢はまだ捨ててねえんだろ!?なろうぜ教師!』

こんな私でもなれるのだろうか。止まっていたはずの涙が頬を伝う。
私が憧れた教師は彼のように生徒の背中を押し、励ますことができる存在で。こんな理由でここまで落ち込むようでは教育免許を取得できるかという心配よりもまず教職へ就く資格などないのではと負のループに囚われていた私に、まるでラジオ越しにプレゼントマイクが手を差し出してくれているかのようだった。

『ネガティブならそういう視点から生徒にアドバイスもできんだろ?それに同じような経験した生徒とうまく話し合うことだってできる。いいかワーストサマーエバー、お先真っ暗なんてことはねえ、まずはこの曲聞いて明日の朝目が覚めたら外出てみようぜ!』

もうキャンセルしてしまった教育実習はどうしようもない。必修の授業も一ヶ月以上行っていないから出席率が足りなくて留年は免れないだろう。だけど、こんな私でもまだ夢を持っていてもいいのなら。気がつけば抱えていた膝の周りには大きな涙の染みができていた。

『クヨクヨワーストサマーちゃんにはこの曲をプレゼント!泣いていいのは今日までだ!明日からはストロングウーマン!』

プレゼントマイクの掛け声と共に力強い女性アーティストの歌声が流れ始めた。泣くのは今日までにしよう。
もう夏休みになってしまったけれど、後期からは授業にも出る。もしかしたら学内であの人に会うかもしれないし、今の私では耐えられるかどうか自信なんてカケラもない。でも少しずつでいい、勇気を出して前を向こう。

『プレゼント・マイクのぷちょへんざレディオ!今日は公開生放送!深夜だってのに思ったより集まってて俺も感動!今日もテンションぶちあげで土曜に乗り込むぜ!』

あれから半年が経ったか経たないか、私はついにプレゼントマイクの公開生放送に押し掛けるまでのファンになっていた。とはいえマイクのサインが欲しいとかそういう類の気持ちはない。単に直接お礼を伝えたかった。
彼がラジオをやってくれていたから、あの時メールを読んでくれたから、私の背中を押してくれたから今がある。どのみち留年が決まっているとはいえ後期の授業は単位を一つも落とすことはなかったし、残りの懸念は教育実習先を決めることくらいで他の必修単位は普通に出席すれば問題はない。
外に出るのが怖くて、家族とも顔を合わせづらい日々が続いていたことを思えば信じられないほどの復調ぶりだった。そしてそれは全て、今もこうしてリスナーの悩みに正面から向き合い続けている彼のおかげ。

「あの!」
「ん?」

ラジオが終わったのは始発が動き出した頃。四時間もの長丁場を聞き続けていた人は流石に少なくて開始時から残っていたのは私も含めて十人くらいしかいなかった。
だから、とそれを理由にするわけではないがラジオ局の出入り口で彼を待つことにしたのだ。勿論ラジオ局の公式ガイドも読み込んだ。出待ち行為を禁止するとは書いていなかった。グレーゾーンの扱いなのだろうなとわかっていながら出待ちをする私は教員を目指す者として正しくはないのだが、今日だけはそれを考えないようにした。

「マイクさんに救われました!ありがとうございます!」
「お、おお……ドウイタシマシテ?公開生放送見てた子だよな?もしかしてリスナー?」

唐突な物言いに彼は不審がりながら私を見ていた。いざ本人を前にすると考えていた言葉がろくに出てこない。半年前のことをちゃんと説明しなければ、経緯を言わなければマイクとて困るだろうに。

「あっはい、そうです。半年くらい前から聞き始めて……人生どん底だった時にワーストサマーエバーって名前でメール出したらマイクさんに読んでもらえて──」
「あー!ワーストサマーエバー!」

四時間も深夜にハイテンションでラジオをしていたのにどこにそんな元気が残っているのだろうか。流石は最高峰のヒーロー科を有する高校での教師とプロヒーローとを兼務しているだけのことはあるのだなと瞬きを繰り返しながら実感していた。

「覚えてる覚えてる!っつーかそうそう忘れられる内容でもなかったしな……どうだあの後?」
「あ、後期は全部単位も取れました。前期で必修落としてるので留年は決まってるんですけど、でもマイクさんのおかげで夏休みの内に元気もらえて秋から学校行けるようになって、本当に感謝してます。ありがとうございます」
「いいっていいって。いやもしかしてこれ言うために四時間待ってたのか?」
「え、まあ、はい」

お礼を伝えるだけなら別に他の手段もあった。またメールを送ってもよかったし手紙を出すとか方法はあったのに会いに来たのはそれだけ伝えたい気持ちが強かったから。外に出れるようになった姿を見せたかったと言うのもあるけれど。
うーん、と少し考える素振りを見せた後マイクは「よし、行くか!」と歩き出した。

「え?」
「早朝から予定はねえだろ?少し飲もうぜ。教師になったら朝から飲むなんてほぼ無理だからな」
「プレゼントマイクって雄英の先生ですよね?」
「細けえことは気にすんな!」

バンバンと背中を叩かれよろけながら前に進んだ。夏休み辺りから外に出始めたとはいえこんな時間にアルコールを飲みに行くのは初めてのことだった。しかも相手は友人ではなくプロヒーロー兼雄英教師のプレゼントマイク。部屋で泣いているばかりだった半年前の私に今のこの朝焼けを見せてあげたい。

「あーっやっぱいいね!仕事終わりの一杯!ワーストサマーも試験終わりとかだろ、この時期」
「先週終わりました。ただ、あの……ワーストサマーはちょっと恥ずかしいので……」

ピールジョッキを置きながら「そりゃそうか」プレゼントマイクは笑っていた。自分でラジオネームにそう書いたとはいえ呼ばれ続けていると中学生の時に書いていたブログを読まれているかのような、そんな羞恥心が沸き起こってしまう。

「渡瀬夏海と言います。今更ですけど」
「夏海……ワーストサマーって名前もかけてたとか?ヒーロー名考えてるうちのバカ達にも見習ってほしいセンスだな」

そういうわけじゃないが少なくとも褒められているようだから否定するのはやめて曖昧に笑っておいた。ヒーロー名なんて子供の頃に友達とヒーローごっこをする時に考えたくらいだな。もし私がヒーローを志していたらどんな名前にしていただろう。

「じゃああれか、個性も夏にちなんだやつとか?」
「いえ全然」

期待には添えないけれど、そもそも夏にちなんだ個性とはなんなのだろう。花火を出せたり氷を出せるとかそういうものくらいしか私には思いつかないが、雄英の教師ともあれば多種多様な個性を目にしてきたはずだ。
職業柄気になるのだろうか、それとも会話のネタにするのか、プレゼントマイクはビールのお代わりを頼みながら「ま、そんなうまくいかねえよな。どんな個性だ?」私に質問を投げかけていた。

「雄英の人達みたいにすごい個性じゃないですよ」

私の個性は半径約四メートルにいる任意の人に私の言葉を復唱させるもの。広大な範囲があるわけでもないし、特に何に使えるわけでもない。精々教室で騒いでいる子供を静かにさせるくらいだ。
あとは『いつ、どこで、誰が、どうして、何を、どのように』で作られた質問に嘘偽りなく答えさせるというのもあるけれど、これだって日常生活ではまるきり役に立たない。警察の取り調べでは使えるかもと昔言われたけれどこのヒーロー社会では警察の出番などないに等しい。だから個性を活かす方向ではなく、小さな頃からの夢である教職を目指した。

「なるほどな。でも教員でも使えそうだろその個性。あ、いやなれつってるわけじゃねえぞ?」
「いえ、教師の夢は捨ててません。でも教育実習ドタキャンしちゃったから……」
「実習先他にねえの?」
「……これから探してみます」

もう一度母校に教育実習を受け入れてもらえないか聞こうと思わなかったわけじゃない。しかし実習受け入れの準備を整えてくれていた恩師や、私が行くからと教育実習を断られた人もいることを考えるとそれはあくまでも最終手段にすべきだと覚悟を決めていた。
二杯目で頼んでいたレモンサワーの氷が溶け、グラスの中身が少し揺れた。これから探すと言っても今年度も終わろうというのに今更受け入れてくれるところはあるのだろうかと不安になる。

「じゃあウチ来れば?」

「多分いけると思うんだよなあ」なんてプレゼントマイクは携帯を操作しながら呟いていた。彼のいう『ウチ』というのはヒーロー科の最高峰であり、その他の学科も高い水準を誇る雄英高校のことだ。そんな所の教育実習に、私が。

「俺英語なんだけどナツは?」
「あ、英語です……」
「マジか!なら問題ねえな!」

携帯から顔を上げたプレゼントマイクは楽しそうに笑っていた。問題はあると思う。教育実習というのは学校同士であれこれと手続きが必要なものなのだ。彼自身それはわかっているはずなのに、こんな簡単に私を受け入れると言ってしまっていいのか。そう心配する私がいる一方で、もしかしたら雄英で教育実習できるかもしれないと徐々に心拍が上がっている自分もいる。

「で、でも……ウチって雄英ですよね?皆さんお忙しいのに迷惑なんじゃ……」
「ナツの個性面白ぇし、ウチは万年人手不足だからよ。実習生と言いつつ一丁前に働く覚悟はしとけよ?俺が抱えてる英作文全部見ろよ?仕事振ったら文句言うなよ?ってことで校長には話しておくぜ」

何だか教育実習生を受け入れるという話からプレゼントマイク専用の雑務引き受け係に仕事内容がスライドしていた気もするけれど、最早そんなことは気にするまい。ラジオからもこうして顔を合わせてからも私に道を示してくれるプレゼントマイクに、数時間前は感じていなかったような気持ちが湧き上がってくる。久しぶりのときめき、というやつなのかも。

「じゃあそろそろ──おっと悪い、電話出てもいいか?」
「あ、はい。どうぞ」

店を出るべく荷物をまとめていたその時、机の上に置かれていたマイクの携帯が振動して机から私にもその揺れが届いた。朝とはいえまだ七時にもなっていないのに電話だなんてヒーロー業というのは私が思っているよりもよっぽど多忙なのだろうな。

「当直終わったのか?お疲れいのり先生」

正面で電話をするプレゼントマイクは机に目をやりながら優しく笑っていた。氷が溶けて結露だらけのグラス、添え物が残されたおつまみのお皿、使い終わったおしぼりが並ぶ到底綺麗とはいえない机を見て優しく笑う姿にピンと来た。

「俺?俺はリスナーの人生相談乗ってたとこ。この前まで夢諦めかけてたんだとよ。いつかの誰かさんみたいじゃねえか?……あーはいはい、恩着せがましくて悪かったよ。もう帰るから迎えに行っていいか?」

常にテンション高く私のような人の悩みを聞いたり励ましたり、真剣に考えて背中を押す姿はまさしく教師とヒーローの姿だった。しかし今はどうだ、全身から電話の向こうに愛を届けているようなこの雰囲気。さっきとはまったくの別人のようだ。恋人か、夫婦か。素敵な関係なのだろう。私があの人とそうなりたかったのと同じような。

「待たせて悪かったな、行くか」
「はい、ごちそうさまです」
「おいおいちゃっかりしてんなあ」

携帯をしまって財布を取り出すプレゼントマイクに頭を下げると彼は笑っていた。電話の向こうの人に向けていたものとは似ても似つかぬ笑顔。私もまたいつか、ああいう気持ちを抱けるような人と出会えたらいいな。

「じゃ、学校から連絡来たらよろしく頼むぜ」
「はい!こちらこそよろしくお願いします」

ヒーローになりたいと願ったことはないけれど、それでも雄英高校に憧れがなかったわけではないのだ。現代のオリンピックと評される行事があるほどの華やかさ、そして偏差値は最低でも七十は求められるという教育水準の高さ。そんな高校で、その教育を行なっている人のもとで学ぶことができる。

「皆さん初めまして、教育実習生の渡瀬夏海です。愛読書はアメリカのヒーロー雑誌、Justiceです!よろしくお願いします!」

半年前の私では想像もできなかった。雄英の教壇に立ち、二十数名の生徒を前に自己紹介するなんて、こんな未来がやってくるなんて。




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