「夏海先生メリークリスマス!」

職員室の近くで声をかけてきたのは制服姿の彼だった。半年前の教育実習が始まった時に『愛読書はアメリカのヒーロー雑誌Justice』と自己紹介をした私に興味を持ってくれたヒーロー科の二年生、通形ミリオ。彼との出会いは二年B組での初授業を無事に終えたと一息つく間もなく教壇に駆け寄ってきた時のこと。

『先月号の新旧ハリケーンヒーロー対談読みました!?』

雄英高校ヒーロー科ともなればさぞ優秀な生徒が集まっているのだろうという私の予想を上回る程に学習意欲が高くて驚いていたのだが、それと同じくらいの衝撃を受けたのが今では懐かしく思える。

『俺、ずっとミスターハリケーンは後継者育成なんて興味ないと思ってたんですよね。生涯現役!ってスタイルかと思ってたからもうビックリしちゃって!』
『あ、う、うん……?』

授業中はやたらとこの子と目が合うなくらいの認識しかなかったのに、彼は授業が終わった途端人が変わったように話し続けていた。新旧ハリケーンヒーロー対談というキーワードからしてきっとアメリカのヒーロー雑誌Justiceのことなのだろうとあたりはついていたのだが、私の口を挟む隙など一切なくて聞き役に徹することしかできず、どうしたものかと悩んでいると彼の表情が瞬時に切り替わった。

『あっ!』
『え?何?』
『もしかして先生まだ読んでなかったですか?俺もしかしてネタバレ……?』
『ううん先月のだよね?もう読んでるよ。通形くんが楽しそうだったから聞いてただけ』

プレゼントマイクからはヒーロー科としてなら下から数えた方が早い成績だが、何故か彼の周りには人が絶えないのだと聞いていた。それは成績どうこうでは測れない彼の人柄によるものなのだろうと今ならわかる。

「メリークリスマス通形くん。冬休みなのに学校きたの?」
「夏海先生に会いたくてね!」
「嬉しいなー。……で、本当は何しに来たの?」
「期末の演習試験がね……」
「なるほど赤点だったわけだ」

職員室への引き戸を開けると残っている人はほとんどおらず、その数人も私がデスクに向かうまでの間に出て行ってしまった。通形と同じように期末試験の座学や演習試験で赤点を取った生徒は冬休み返上で補習があるからそれの対応なのだろう。

「通形くん補習何時から?」
「十時から。夏海先生にはこれ渡しに来たんだ」

はい、と渡されたのはレポート用紙。教育実習が終わった後、こうして雄英で校務補助員のバイトを始めた頃に彼の英作文の添削をするようになった。二、三週間に一度私からお題を出して、通形がそれに沿って英作文を仕上げ、私がそれを見るという英語の授業の延長線みたいなもの。
通形が特別に英語を苦手としているというわけではない。彼は座学でなら赤点は取らないし、二年生を担当している先生方からそんな評価は一度も聞いたことがない。このやり取りをするようになったのは教育実習を終えた後だったけれど、きっかけ自体は教育実習中だったはずだ。

『Justiceって全部英語で書いてあるのに通形くん読めるんだ?』
『いやー、それが全然なんですよね!』
『えっ?』
『自分なりに調べながら読んでるんですけど、合ってるかは……はは』

眉を下げて苦笑いを浮かべる彼に私から提案した。「じゃあ次、わからないところがあったら空き時間に教えてあげるね」と。
それがきっかけで彼はヒーロー雑誌のバックナンバーを片手に昼休みや放課後に話しかけにくるようになった。あのヒーローが州を跨ぐ活躍をしている行動力を尊敬するだとか、このヒーローがプライベートでもボランティア活動をしていることに感銘を受けただとか。彼はいつでもアメリカンヒーローの活躍を嬉々として話していたのだ。私が誤訳の指摘を躊躇ってしまうほどに。
私も愛読書と自己紹介で言うくらいには読み込んでいるのだが、やはりヒーロー志望の子と一般人の私とでは着目するポイントも異なるようで、気づけば私達は週に何度も顔を突き合わせてヒーロー談義をする仲となっていた。

『夏海先生!今日はこれ、見てほしいんだよね!』

度々職員室に顔を出す彼はその性格から先生方にも好印象を持たれているらしく、プレゼントマイク以外からもその評判を聞くことは多かった。朗らか且つ人を笑顔にさせる魅力を持った子で、とてもヒーロー向きの性格なのだと。他の子達と比べると個性の扱いには数段遅れをとっているとも聞いているけれど、私も救けてもらうなら通形のようなヒーローがいいなと思う。

『そういえば通形くんって動画は見たりしないの?』
『動画?』
『アメリカのヒーローインタビューとかそういうの』
『字幕付きなら見るんですけどね……あんまり多くはないんで』
『あー、そっか。でもほら留学とか短期でも行く気があるなら見ておいた方がいいよ?書き言葉と話し言葉って日本語でも結構違うでしょ?』

日本にヒーロー文化が根付いて久しいとはいえヒーローの本場はあくまでアメリカにあり、勿論公用語は英語だ。現代日本におけるトップヒーローことオールマイトも一時はアメリカで活動していたらしいし、ヒーローを目指すのなら一年だろうが一週間だろうが見ておくべきとも聞いたことがある。
通形自身がどんなヒーローを目指しているかは聞いたことがないけれど、彼のヒーロー名はルミリオン、全てとは言わずとも百万の人を助けられるようにという考えからついたものなのだと、いつだったか本人が照れ臭そうに話してくれた。それならば、最低限の語学力を身につけて本場を体感すべき。今はまだ同じ学年の子達に遅れをとっていても彼の努力が報われる日は必ず来る。その日のために私も何か尽力したいという気持ちから始まったのが、この英作文の添削だった。

「結構ボリュームあるね、読み応えありそう」
「本当はもっと色々書くつもりだったんですけどね。今日出しに来たかったから昨日終わらせなきゃいけなくて」
「今日?別に今日じゃなくてもいいけど……年明けの始業の時にする?」

私が今回出していたお題は『今年ハッピーだったこと』。課題というわけでもないからいつも提出期限など明確に設けてはいなかったのだが、確かにこのお題では年を越す前に提出しなければと思わせてしまったかもしれない。演習試験の補習で余裕がなかっただろうに悪いことをしてしまったなとレポート用紙を教材の上に置き、私のデスクの隣に立つ通形を見上げた。

「あ、そういう意味じゃないんですよね」
「じゃあどういう?」
「今日が何の日か知ってます?」
「クリスマス……?」
「そうクリスマス!というわけでいつものお礼を夏海先生に」

教材の上に置いたレポート用紙の更にその上に置かれた小さな白い紙袋。控えめに書かれた店名は数駅先に新しくできた商業施設のものだ。白い紙袋から彼に視線を戻すと、ヒーロー名とその由来を話してくれた時のようにほんのりと顔を赤らめながら笑っていた。

「お礼ってそんな」

気持ちは嬉しい。けれどバイトとはいえ私は今後この雄英で教鞭を取ることも決まっている身であり、教師側の立場であることは間違いなく、一生徒から指導の見返りを貰うのはどうかと逡巡してしまった。

「夏海先生だけなんだ」
「何が?」
「授業以外でヒーローになるための勉強を手伝ってくれた先生」

口元の両端を上げて彼は笑った。『通形は決して悪い生徒じゃないんですけどね』そう言っていた先生方の声が頭を過ぎる。雄英の教師陣は教育熱心で指導方針もしっかりしていて、決して彼を放ったらかしにしていただとかそういうことではないのだろう。
しかしながら彼の個性である透過は、一歩間違えれば身体が切断されるような危険と隣り合わせのもの。雄英の歴史を辿れども身体強化型などとは全く違うこの個性の持ち主が少なかったことも、その少なさから中々指導できなかったことも想像に難くない。
そして私もまた、個性という面では彼に何もしてあげられていない。いつか彼がその力を自分の手足を動かすように扱えた時、より広い世界で活躍できるように後押しをしているだけで。だけどそれに対して彼がこんなにも喜んでいることを嬉しく思う私がいる。これが教育者としての第一歩なのかもしれない。

「だからですね、なんていうか夏海先生には受け取ってほしくて!これ夏海先生好きだと思うんですよね!俺結構自信あるんで見てみてください!」

先程よりも更に頬の赤みが濃くなった通形は捲し立てて私の目線を自分から逸らそうと必死だった。そんな彼が面白くて、可愛らしくて、思わず笑いそうになった口を閉じる。彼は私のことを考えてくれたのにそれを笑ってはあまりに失礼だろう。そう思いながらも口元の緩みはそのままに紙袋を手に取った。

「マカロン?」

真四角の箱を開けるとカラフルなお菓子が花畑のように並べられていた。

「そうです夏海先生こういうの好きかなと思ってですね!」
「……うん、よくわかったね?私マカロン好きなの」

友人にマカロンを好きかと問われていたら悩んだだろうし、嫌いかと聞かれれば首を横に振っていた。特別好きと言うほどではないし、嫌いなわけでもない。私にとってはそんなお菓子の一つがマカロン。だけどそれを馬鹿正直に彼に伝えてどうなるというのだ。彼は好意から贈り物を選び、持ってきてくれたのだから。正論が全て正しいわけではない。
箱を閉じて紙袋に戻す。本来は生徒から贈り物など貰うべきではないのかもしれないけれど、今日はクリスマスで他に見ている人もいない。おまけに食べたらなくなってしまうお菓子なら──言い訳がましい結論に至った私は改めて通形に向き直った。

「今日仕事終わったら食べようかな。ありがとうね通形くん」

「補習頑張ってね」付け加えた言葉には顔が引き攣っていたけれど、彼なら補習など問題はないだろう。そこ学びを来年以降にも活かせるはずだ。

「じゃあいってきます!」

元気よく職員室を出ていく通形の背中を見送って自分のデスクに戻ると色々やらねばならないことは目についたが、せっかく彼が学校にいるのだから今日中に添削して返してあげた方がいいだろうと思い、紙袋を持ち上げてレポート用紙を手に取った。

「今年ハッピーだったのは……文化祭でステージ部門最優秀賞を取ったこと」

先月開催された雄英高校の文化祭で二年B組が躍動していたのは記憶に新しい。私も学生時代の文化祭には力を入れた方だったから気持ちはよくわかる。とても楽しい思い出だったのだなと読みながら赤いペンで文法や単語の誤りを訂正していく。

「サーが俺のジョークを褒めてくれたこと……サー?」

ああ、インターン先のナイトアイのことか。通形から聞いている話では非常にストイックな性格ながら、元気とユーモアを兼ね備えてこそヒーローという持論からインターン生である通形にもそれを求めているらしい。
元気はともかくユーモアとなると彼は少し斜め上というか、少しばかり場を白けさせたりもすることがあるから、それを踏まえるとジョークを褒めてもらえたということは大変に喜ばしい出来事であったのだろう。『今度聞かせてね』そうコメントを付け加えた。

「夏海先生が……雄英に帰ってきてくれたこと」

胸が一瞬弾んだような音を立てる。夏海先生、というのは間違いなく私のことで、教育実習終了後に一度雄英から去った私が一ヶ月後に校務補助員として戻ってきたことを指しているのだろうことも、疑いようがなかった。
学生時代の輝かしい文化祭の思い出や尊敬するプロヒーローに褒めてもらったことと、私が雄英に戻ってきたことが同列だなんて。動揺からか英作文を読む目が滑る。
先程の頬を赤らめた彼の顔を思い出し、白い紙袋が目に入り、自分の中に生じた感情に戸惑いを覚えた。相手は生徒だ。ヒーローとして一人前になれるのだろうかと将来に不安を感じている子が、教師に心を開いてプレゼントをくれただけ。ただそれだけなのに、私は今、彼に対してなんて感情を抱いたのか。

「……来年も勉強がんばろうね」

ふう、と一息吐いて心の波が落ち着くのを待ち、赤字で添削を続けた。英語に、業務に集中していないと余計なことを考えしまいそうだった。




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