二週間という時間がこんなにもあっさりと過ぎてしまうのは人生で初めてのことだったように思う。

「皆準備はできてるか?!もうすぐ入場だ!」

学級委員である飯田の掛け声は毎朝着席を促すそれと同じように聞こえて少しばかり緊張がほぐれた気もしたが、誤差の範囲内だった。
「沙耶ちゃん緊張しとる?」私の横でお茶子が水を飲み終わってそう聞いてきた。頷かずとも私の心境はお茶子に伝わっていたようだ。「私も落ち着かへんねん」頭に手をやる仕草はなんとなく緑谷を思わせたがいらぬ事を言うべきではないなと心にしまう。

「でもここでアピールせんとね。男子には負けてられへん」
「うん……うん」

さっきまでは後ろでこのクラスの総合的トップと言っても過言ではない焦凍と、その逆である緑谷が何やら言い争いをしていた。
緑谷はともかく、あれではまるで他の人間は眼中にないかのような言い方だった。彼が何を見据えているのか私はわかっているし不快に思うこともないが、事情を知らぬ人からすればクラスの最下位的扱いを受ける彼以下だと言われたようなものだ。普段穏やかなお茶子でさえも闘志を見せている。

「選手宣誓!」

入場後に信じられないほど多くの人の歓声を身に受けた。鳴り止まないその音に喉が締め付けられたかのように、鳩尾を殴られでもしたかのように、とにかく息苦しさを感じてしまう。プロヒーローになるには注目を浴び、且つそれに見合った実力を出さねばならないと頭では分かっているのだが、行動に移せるかはまた別の問題だ。よくミッドナイトはあのコスチュームでこんな観衆の前に出れるなとまた違う意味での尊敬の念を抱きつつ爆豪勝己の選手宣誓を聞き流した。

「俺が一位になる」

ブーイングが起きる選手宣誓なんて人生で経験できるのは今回だけかもしれない。起きるどころかそれを向けられているのは爆豪だけでなく私も含めたA組全員なのだが。
でも私があの場に立ったとして、同じように自分に自信を持って発言できたとは思えない。クラスの皆の前であなたには負けないと宣戦布告することもできないだろうし、それに対して負けないと力強く答えることもできない。二週間では到底埋まらない差を種目が始まる前から実感した。爆豪達だけでなく、個性の制御すらままならないはずの緑谷でさえも私のもっと先を行っている。

「さて運命の第一種目!今年は……コレ!」

早鐘のように鳴り続ける鼓動を鎮める間もなく第一種目が発表された。障害物競走という名前だけを聞けば去年までと何ら変わらない体育祭のように思えるが、ここでは全員が個性の使用を許されている。明らかな攻撃行為さえなければ何をしてもいい。つまりは体育祭というよりも入学当初の個性把握テストや最初の戦闘訓練のようなものだ。

「……」

あの時の悲惨な成績を思い出してしまって慌てて頭を振って追い出したが、そのせいでスタート地点に並ぶのが遅れてしまった。「スタート!」ミッドナイトの掛け声と共に先頭から順々に走り出しているのだろうがこんな後方では様子もよく分からない。
前方の人達を追い越す術があればよかったのだがいかんせんそんなものは持ち合わせていない。しかし何故こんなにも不公平なのだろう。一学年十一クラス全員が参加するのだからスタートの時くらいは公平にしてくれたらいいのに。これではあからさまに先頭にいる人が有利。

「うわあ!」
「なんだこれっ」

騒がしくなる前方の様子にピンと来て膝を曲げ、ジャンプ力を上げるためにアキレス腱への負荷に個性を使った。前にいる人達の叫び声を聞きながら思い切り飛び上がると地面は瞬く間に氷土へと変化していた。他の人の個性かもしれないけれど私にはわかる。これは彼があの戦闘訓練やUSJでの戦闘で見せたあの氷だ。

「……わっ」

ビュウと風が耳を掠める。想定していたよりも飛び過ぎてしまって人の頭を踏まないように寸前のところで体を捩って着地した。しかし平衡感覚は増幅できなかったようでそのまま走り出すことはできず、よろめいた足がもつれてしまい、気づいた時には顔面から氷に突っ込んでいた。

「いったた……」

幸いここにいる人のほとんどは氷で足を張り付けられているから抜かされる心配はない。つまりそれはこのどうしようもなく間の抜けた行動を見られたということだけど。

「……つめた」

重力に引っ張られるがままにぶつけた頬からも、身体を起こそうとついた手からも絶対零度の冷たさが伝わってくる。スタート地点で顔から転けるなんて褒められたものではないが、私にはこれでよかった。
氷の冷たさとぶつけた衝撃が功を奏したのか狭まっていた視界が急にクリアになる。最初から先頭など見えていない方が私にはちょうどいい。あとは精一杯力を出し切って少しでも差を縮めるだけだ。
『今の自分の力を見せりゃいい』彼はそう言っていた。とりわけ私に向けて言ったわけでもないけれど、その言葉は今の私になんと当てはまることか。

「……入試のロボット?」

既にもう何体も壊れているが地面に倒れているのも、今道を塞いでいるのも二ヶ月前に山ほど見たあのロボット達だ。ヒーロー科志望以外はあの入試を受けていないせいでまごついている人ばかり。
──いける。そう感じたのは勘違いではなかった。
脚力には個性を使わずに追尾してきたロボットの大振りを掻い潜って、動きのない胴体部分に触れて電気信号を『増幅』させる。こんなロボットなら単調な動きしかできないと入試で学び、入学後はクラスメイトとの演習で人間特有の滑らかな動きを散々見てきた。そう速くもない単純な動きくらいは見切れて当然だと思う一方、考えていた通りに動ける自分の成長に驚いた。

「今回もロボット相手のポイント制にしてくれたらいいのに……」

ロボットをやり過ごして息を整えながら手のひらを見た。一ヶ月と何も変わってないように思えたけれど、周りだけがすごいスピードでヒーローの道を進んでいると思っていたけれど、私も私なりに成長できているのだ。具体的に何がどうとはわからずとも、一歩か二歩か、それとも三歩くらいは前に進んでいる。「──……よしっ」たかだか第一関門を突破したというだけなのににやけてしまいそうになる顔を引き締めようと、開いた手をギュッと握りしめた。

『そして早くも最終関門!』

スピーカーから実況しているプレゼントマイクは基本的にトップ争いを見ているはず。一体何人がこの予選を通過できるのかとか、今のトップは誰だとか、気にならないなんて嘘だ。でもそれを知ったところで第二関門を前にした私にできることは変わらない。
最後の障害物に個性は取っておこうと素の身体能力だけで綱渡りを終えた。純粋な運動神経勝負というよりは精神面も試される綱渡りは前方の人達との距離を詰められるありがたい競技である。
怖くないわけじゃない。手を離したら、足が離れたら穴に真っ逆さまなんて怖いに決まってる。必要以上に怖がらなくて済んだのは、二週間前に感じたあの恐怖によるところが大きいのだろう。

「はあ……はっ、疲れた……」

さっきプレゼントマイクが言っていた最終関門まで辿り着いた。体感ではあと一キロくらいという感じだ。体育祭は年に一度だ。来年のために個性を使わずに四キロを平均よりも速く走れるようにならなければと考えながら数秒の休憩を終えて地雷原へ目を向けた。

「……」

ありがたいことに前にいた人達も慎重にこの場を歩くなり走るなりしたらしく、地面にはたくさんの足跡が残っている。残っているということは、これをなぞって進めば地雷を踏まないというわけだ。
言うは易し行うは難し──と思っていたが、これが中々どうしてうまくいく。人の後をついていくのが得意という理由だったら嬉しいような悲しいような。なんとか一つも地雷を踏むことなく最後の一本道に突入した。

「このっ、いい加減になさい!」
「ヤオモモ……?」

私の少し前を走るのは同じクラスの八百万。背中に何かついていると思ったが声を聞くにそれもまた、同じクラスの峰田だったらしい。結局彼女を──もちろん彼女にへばりついている彼さえも──この直線で抜くことも叶わなず、私は十九位だとモニターが教えてくれた。

「そして次からいよいよ本戦よ!」

プルスウルトラの標語をいいように扱っているとしか思えない程のスパルタ。休む間も与えてくれないのか。体育祭とは名ばかりで就職試験の方が相応しいんじゃないだろうか。乱れた呼吸と使い切った体力を少しでも取り戻そうとモニターを見ながらゆっくりと息を吸い込んだ。

「それじゃこれより十五分!チーム決めの交渉スタートよ!」
「チーム戦……かあ」

先程まで争っていた人たちと手を組まなければならないのに制限時間は十五分。誰が残っているのか、何の個性があるのか。その辺りを把握してうまくチームを作らなければいけない。といっても私が把握している人は同じクラスしかいないのだが、と慌てて周りを見た時彼と目が合った。

「……」
「焦凍くん、あの……」

私の個性と組んで開始直後氷結を展開すれば半分以上の騎馬は停止できるし、他の人の強みも倍増できる。そう悪くないと思い声をかけようとしたが、彼の目は私の後ろを見ていた。

「八百万、ちょっといいか」
「え?ええ……」

彼が求めたのは私ではなかった。私が声をかけようとしたことくらい流石にわかっただろうに、返事をするどころか一瞥すらくれずに私の後ろにいた八百万の方へと歩み寄っていく。
自分の力だけで予選を勝ち抜いた。
四十二人中の十九位という結果は私にしてはよくやったと思っていたし、一ヶ月前からの成長を自分でも感じていてほんの僅かな自信が芽生えていたところだったのに。自分で自分を褒められるくらい、頑張って成果を出したけどダメだった。

「……」

人一人抱えている彼女でさえ抜かせなかった程度の身体能力は彼の求めるところではなく、私の個性は今の彼に必要ないのだ。彼は論理的に判断を下したまでのこと。
だって彼は、このプロヒーローの目が集まるこの場所で勝ち抜かなければならないのだから。
私はちゃんとわかってる。彼の背負ってる重荷も、辛さも、サポート役として個性を増幅することしかできない私ではなく多方面からアプローチできる彼女を選ぶことが正しいのだと全部わかってる。わかっているのに、何故こうも喉が腫れ上がるような熱さを感じ、目の奥まで熱を帯びていくのだろう。




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