『事件のこととか、それ以外のことでも誰かに何か話したいってなったら聞くから遠慮しないでね。とりあえずゆっくり休んで』
『ありがとう。今のところは大丈夫。お仕事気をつけてね』

従姉妹であるまどかからのメールにお礼の返信をした。仕事で全国を飛び回っているのに母が知らせたせいで煩わせてしまったなと申し訳なく思ったが、母からすれば身近なプロヒーローである従姉妹に頼りたくなるのもわかる。私もいつかはそうやって人の力になれるようなプロヒーローになるのだと心に強く誓った。

「もう学校に行くの?」
「うん。今日からいつも通り」
「そう……気をつけてね。轟くんにもよろしく伝えてね」

母に行ってきますと告げて家を出た。駅で待ち合わせている幼馴染の焦凍と合流して学校に向かっている中、雄英の制服を着ているからか至る所で視線を感じた。皆あの襲撃事件のニュースを知っているのだ。事件に立ち会ったのはヒーロー科の一年生だとは報道されていない。にも関わらず私達が──正確には雄英の制服が──注目を集めているのは、雄英襲撃がそれだけの衝撃を伴う事件だったから。

「焦凍くんおはよう」
「おはよう。……元気そう、だな」
「焦凍くんも広場に行ってたのに……怪我してなくて良かった」
「オールマイトが守ってくれたから……つっても緑谷は怪我したみてえだが」

あの日は一人一人事情聴取を行った関係で彼とは別々に帰ることになりろくに会話もできなかった。休みの間にメールを送ることも考えたけれど何かあったって彼がメールで知らせてくれるとは思えず、顔を合わせる今日この日を待っていた。

「そうだ、学校から家に連絡あったみたいだけど大丈夫だった?」
「……特に何も言ってこねえから聞いてもねえな。沙耶の家の方が大変だったんじゃねえか」

彼の家はプロヒーローやその家族として生活しているから敵の襲撃自体にはそこまで過敏に反応しないのかもしれない。私の母は学校に行くことを不安そうにしていたから恐らくあれが普通の反応だと思う。

「うん、まあ……お母さんが従姉妹に連絡しちゃって」
「従姉妹ってプロヒーローだったよな?」
「そうそう。家近いから夕食の支度の途中で来てくれたんだ」

私に何かある度に従姉妹に連絡されるのは少し困るなと考えながら事件の後のことを話すと彼も少し表情を緩めた気がした。

「……すごく見られてるね」
「悪いことしてるわけじゃねえ、気にしなくていい」

結局雄英の最寄りについてからも人々の視線は背中に突き刺さっていた。これがマスメディアの力ということか。
彼は私とは違うと入学以来何度も感じていたけれど、個性やヒーローとしての立ち回り以外でも感じることになるとは思わなかった。私は周りの声や目が気になって俯きがちだったのに、彼は背筋を正して常に凛としている。
「そうだよね」注目されるのは仕方ない。そういう学校に通うと決めたのだからこんな事件が起きなくたって体育祭を始めとしたイベント事の後は同じように視線を浴びるはず。プロヒーローになれば例外を除いたほとんどはマスコミへの対応を求められる。こういうことにも慣れておかなければ。

「沙耶、轟もおはよー」
「おはよう、三奈早いね」
「昨日休みだったしなんかそわそわしちゃった。皆もそうなんじゃない?」

教室にはいつももっとゆっくり来ている面々も揃っている。あのココアのおかげで事件当日は心も落ち着いていたが一日、二日経って日常が本当に戻ってくるのだろうかと私も考えていた。私の場合は彼との通学や会話で日常を取り戻すきっかけになったけれど、他の人が教室に来たくなる気持ちもわかる。

「あ、緑谷くん。おはよう」
「おっ、おはよう秦野さん」
「私あの時隠れてたから広場でのこと何も知らなかったんだけど、さっき焦凍くんから聞いたんだ。怪我大丈夫?」

座っている様子を見た感じ松葉杖もないしましてや車椅子もない。あの時三奈はリカバリーガールがいるから大丈夫と言っていたけれど、不安要素は直接聞いておきたかった。
クラスで唯一怪我をした生徒、緑谷出久は頭に手をやって照れ臭そうに「心配かけてごめんね」と笑っていた。

「何もできないくせに怪我ばっかりしててもどうしようもないから……もっと頑張るよ」
「……うん。私も」

彼があの時どこで何をしていたのかは知らない。個性把握テストで見せたあの超人的なパワーがあれば私達に割り当てられた敵なんてどうってことないだろうけど、彼はまだ個性自体をうまく扱えていないようで個性を使うことと怪我を負うことはほぼ同意義だ。つまるところ、彼も私と同じであの日あまり多くのことはできなかったはず。私と同じだなんて言うのは失礼かもしれないがそういう話ではなくて──と何故か自分の思考に弁解しようとした時。

「てめえなんかが頑張って何が変わんだあ?」

同じクラスになって二週間、まだ一度として会話したことのなかった爆豪勝己の声は不機嫌そうな低いそれだった。

「何って……そんなのわかんないけど」
「自分だけが飛び出したからって調子乗ってんじゃねえぞこら!」
「の、乗ってないよ!」
「緑谷くんが飛び出したって?どこに?」
「ああ?」
「……なんでもないです……」

こんな調子で私は敵に立ち向かうヒーローとなれるのだろうか。下から睨みあげる一般入試トップ通過の彼に気迫で押されて何も言うことができなかった。「やめなよかっちゃん!」緑谷出久は嗜めるように声を上げてくれたけど逆効果だと思い、これ以上関わるまいと口を閉じて席についた。
彼も爆破という強力な個性を有し、個性把握テストでも三位と輝かしい成績を収めている。三奈にメールで聞いた話では切島と同じ場所に転送され、そこにいた敵を全員取り押さえたのだそうだ。幼馴染以外にそんなすぐ場に適応できた人がいるとは思わず、自分がいかに皆と離れた場所で足踏みしているかを思い知らされてしまう。

「お早う」

週五回、毎朝聞いていた低い声。俯いていた顔を思い切りあげれば包帯まみれの先生がそこには立っていた。

「俺の安否はどうでもいい。何よりまだ戦いは終わってねえ──雄英体育祭が迫ってる!」

ぎくり、と一瞬肩が揺れるのは自分でもわかった。私達が生まれるよりもずっと前、世界で四年に一度だけ開催されていた五輪の代わりを務めるほどに注目度の高い雄英高校の体育祭。中学までの単なる運動神経を競うそれとは違う、学科を超えて個性を使用し順位を競うこの体育祭はヒーロー科としては年に一度、高校在籍中三回しかない自分の売り込み場だ。
ただでさえ私の個性は目に見えることがなく、皆よりも個人戦闘というところでは一歩も二歩も遅れを取っている。同じ一年生だというのに多くのクラスメイトは敵を倒していたが、そんな中私がしたことと言えば幼馴染の焦凍へ行ったサポートと隠れていたことだけ。サポートだって、実際は要らなかったんじゃないだろうか。

「なんだか難しい顔してるわね」
「梅雨ちゃん……」

あの後の授業には全く身が入らずにいつの間にか四限すらも終わり、クラスメイトは体育祭への意気込みを語り合っている。
私はと言えば、家を出る前にはプロヒーローになってみせると心に誓いを立てたはずなのに体育祭という所謂オーディションを目の前にすると緊張や不安、焦燥感が一気に押し寄せてきて未来の自分が思い描けそうになかった。

「あの日何かあったの?轟ちゃんと一緒だったのよね?」
「……何も。焦凍くんが全部倒してくれたし私は……」

何かあったなら、何かできていたなら、ここまで悩んでいないのだ。とはいえ優しい彼女に要らぬ心配をかけたくなくて「お腹すいちゃったな、梅雨ちゃん学食行こ!」大きな声を出して自分を奮い立たせてみたけど何かが変わるようには思えない。
最後列に座る彼はさぞ自信に満ち溢れているだろうと思ってちらりと後ろを見てみたけれど、彼は今までに見たことないほどに淀んだ顔色だった。

「……」

ああ、そうか。何となく理由はわかる。彼は父親を憎んでいて、父親の個性を継いだ自分の半身のことも嫌っている。日本にある全てのプロヒーロー事務所が注目するこの体育祭に彼がどんな気持ちで臨むかは、恐らく私の想像と相違ないだろう。
彼に何か言葉をかけるべきだとは思った。彼の肩にのしかかっている重荷を少しでも軽くできるような何かを。

「……どうした?」
「あ、ううん!焦凍くんもお昼行く?」
「ああ……そうだな」

何も言えなかった。いや、私に何が言えるのだ。私は彼の幼馴染で、彼に内緒で母親のお見舞いにも通っている。でもそれだけだ。彼のことが好きなだけで、支えたいと思っているだけで、この十年何一つできていない私が一体彼に何を言えるだろう。

「体育祭ワクワクしちゃうよね!大活躍してさ、スカウトたくさん来ちゃったらどうする?」
「三奈ちゃんの個性なら目立てそうだものね。私はプールとか水が関わる種目があるなら何とかなるかしら」
「そうだよねえ。でもやっぱ迫力には欠けるからさ、轟みたいなこう……ドン!ってデカイ何かほしいな」
「確かに焦凍くんは迫力ある個性だもんね、スカウトも多そうだなあ」
「……たくさんあればいいってもんでもねえだろ。入る事務所はどの道一つだけなんだ。今の自分の力を見せりゃいい」
「ヒュー、轟は今日も冷静だねえ」

きっと体育祭では彼や爆豪のような人が普段通りに動いて、注目を集めて、そして全国の事務所からスカウトが来るに違いない。それに比べて私はどうすれば爪痕を残せるかを考えるところからだ。
焦っても自信がなくても体育祭まではあと二週間。二週間しかないのか、二週間もあるのか。私は二週間もあるのだと信じて、緑谷の前向きな姿勢を見習って、体育祭への準備をするしかない。




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