可哀想だと思った。裕福な家庭に生まれて親から愛情を注がれて育ち、何もなければ平穏に暮らしていただろうに。
雄英に来たのは自分の意思だと言っていて、確かにそれは嘘ではないのだろうがきっかけを作ったのは間違いなく自分で。あの日、沙耶と関わりさえしていなければ彼女は雄英に来ることもなく、USJでの襲撃を経験することもなかった。もっと普通の高校生活を送れていたはずなのに。

「……焦凍くん」
「俺の後ろにいろ。でも念のため力を借りてもいいか」
「う、うん」

入学から僅か二週間とはいえ幼少期から虐待にも近い特訓を受けた身としてはこんなチンピラ風情の敵、なんて事はないと感じていたせいで気づかなかった。普通は敵意を向けられれば恐怖を感じるのだと。
念のためにと繋いだ沙耶の手は明らかに震えていて、その震えを止めるため自分に何ができるのか、どう言葉をかければいいかもわからない。怯える幼馴染を安心させることすらできないなんて所詮俺はヒーローとしての器ではないのかもしれないとも感じた。

「沙耶」
「なに?」

平和の象徴であるオールマイトを殺そうとしている敵がいる。そんな相手に自分一人で立ち向かえると思うほど自分を過信しているわけではないし無謀なつもりもない。どうしたって相澤先生の協力は必要になるし、沙耶の個性は誰と組ませても汎用性が高いのだから連れていくべきなのは理解していた。

「周りに敵もいねえ。この辺りで隠れてろ」
「え、な……なんで?」

だけど、沙耶の目を見た瞬間その考えは消え失せていた。恐怖で染まりながらそれでも何とか自分を奮い立たせている必死な目は小さい頃に何度も見てきた恐怖の色と全く変わらないものだった。母親も、鏡の中の自分も似たような表情だったなと過去が甦る。もう同じことは繰り返したくない。沙耶までこんな経験をする必要はないし、させたくない。

「広場は危険だ。相澤先生にオールマイトの事を伝えるまで二人とも捕まるわけにはいかない」
「そうだけど……」

このまま連れていけばきっと沙耶の個性は役に立つ。相澤先生の個性の持続時間を伸ばしたり爆豪や俺の個性の範囲を広げたりもできる。他にも緑谷のような超パワーも威力を増幅させることで怪我なく使えるようになるかもしれない。

「話し合う時間はねえ。いいな」

沙耶に二の句を継がせず隠れるよう指示を出したのは俺のエゴだった。傷つけさせたくない、怖い目に遭わせたくない、その目に映るものはもっと平和なものであってほしい。独りよがりな感情で何かを言おうとする彼女に背を向けた。
隠れさせることが正解だったのか確証はなかった。確かに見える範囲に敵はおらず、USJの造りを利用して隠れていれば広場に行くよりは結果として安全ではあった。ただそれはあくまでも結果論であり、目を離した後の沙耶が無事でいられる保証などどこにもなかったのだ。本当に万全を期すのであれば繋いだ手を離さず広場へ向かい、何があっても自分が守ればよかったのに、そうできる自信がなかった。彼女の恐怖を打ち消すこともできず、震える手を握ることしかできない自分には。

「焦凍くんおはよう」
「おはよう。……元気そう、だな」
「焦凍くんも広場に行ってたのに……怪我してなくて良かった」

襲撃の後、休校日を挟んで顔を合わせた時はほっとした。穏やかに笑う沙耶がそこにいたから。
メールや電話をすることも考えたがそんなものはどうだって取り繕える。だから顔を合わせて、あの日の体験が彼女の心に陰を落としていないと分かった時は心底安堵したのだ。それが雄英に連れてきてしまった負い目からなのか、別の何かによるところなのかはわからなかったが。
今回はオールマイトを狙った事件にたまたま一年A組が巻き込まれたわけだが、そんな事はそうそう続くものではない。だからもう大丈夫だろうと思ってしまった。沙耶がヒーローになった後のことはともかく、少なからず雄英に通っている間は安全に人並みの高校生活を送れるのだと勘違いしてしまった。

「焦凍をヒーローとしても支える気があるのなら──」

体育祭の最終種目は個性を使った一対一での戦闘。正にこの種目こそが今までの成果をぶつけるに相応しく、父の力など使わずとも雄英でトップを取り、プロヒーローとしても名を馳せることで父親を否定してみせる。そう決心して控室を出た時、聞きたくもない声が耳に届いた。

「無論焦凍と同じまでとは言わんが、だが雄英に来たからには常に向上心を持ち他の奴らを踏みつけてでも」
「……おい」

廊下にいたのは沙耶と俺の父親。出場予定もなく、観客席にいるはずの彼女がここにいるのはこいつに呼び出されたからであることは疑いようもなかった。
一瞬目が合った時の沙耶はひどく怯えていた。俺の父親が、俺がそうさせているのは火を見るよりも明らかで口では言い表せないほどの嫌悪が込み上げてくる。
涙ぐむ彼女を笑顔にしたくてあの雪の日に俺が個性を使い、それがきっかけでこの個性婚奨励派に狙われるようになってしまった。どれだけ俺がそれを拒んでも受け入れなくても関係ない。俺に沙耶の個性が必要だと思われている限りは彼女が解放されることはないのだ。

「俺は沙耶と結婚するつもりはねえって言ってんだろ。無関係のやつを巻き込むな」
「またその話か。同い年でサポートに適した個性で、しかもヒーロー志望だ。何を不満に思うことがある」

不満などあろうはずもないが沙耶には沙耶の人生がある。それに俺が少しでも関わればこいつはその隙を逃すことはないとわかっていた。

「USJでも二人で敵を捕獲したと聞いたぞ」

それなのに俺は居心地のいい空気に甘えて中学も高校でも同じ時間を過ごし、挙げ句の果てに俺が沙耶の力を使ったという既成事実を作ってしまった。やはり自分の考えは正しかったのだとこいつに思わせてしまったことが恥ずかしくて情けない。

「雄英を卒業してプロになればわかる。この個性がどれほど貴重か……」

個性がどうという話は聞き飽きるほどに耳にしていたのに聞き流すことができなかった。火に当てられたかのように頭の中が熱くなるのは生まれ持った個性のせいだろうか。母親を個性を遺伝させるための駒として扱い、沙耶までその道に引き摺り込もうとするのがどうしても許せなかった。
沙耶は自分の意思でヒーローを目指しているのだ、俺のサポートをするために雄英に来たわけではない。

「今も、これからも沙耶の力はいらない。お母さんの力だけで十分だ」

沙耶の父親はエンデヴァーに救けられたことがあるとかで強く願われれば俺との将来を許してしまうかもしれない。
それなら、もう二度と俺は沙耶の力を使わない。体育祭では母親の力だけで勝ち抜いて父親を完全に否定してやると心に決めていたがそれだけではダメだ。
今後どんな事態に陥ろうと沙耶の力を使わない。そうすればこいつも少なくとも俺達をどうこうしようとは思わなくなるだろうし、沙耶は俺や一家との繋がりを断ち切ることができるはずだ。そして普通の高校生活を送り、夢を叶えて幸せに生きていくのだ。

「焦凍くん、私は……」
「悪い。もう行かねえと」

初戦は散々だった。どれだけの力を持っているのか父親に見せつける気持ちがなかったわけではないのだが、流石に勢いあまってやり過ぎたなとも思う。クラスメイトを氷漬けにした挙句、観客席にまで氷壁を作ってしまって結局父親の力を使う羽目になってしまった。
もっと冷静にならなくては、そう思って望んだ二回戦は思いもよらない結果になった。

「まーじですごかったね!爆豪はちょっとアレだけどさ……三位まで全員うちらのクラスだよ!」

たった一日での出来事とは思えないほどに色んなことが起きた。オールマイトに掛けてもらったメダルは銀色で、体育祭で優勝するどころか父親の力も使ってしまった。使うなら使うで優勝を目指すべきだったのだろうが最後の最後で一歩を踏み出すことができなくて、何をやっているんだと呆れながら結局母親のことも、そして沙耶のことも自分の都合よく扱ってきたのかもしれないと自戒した。

「ベストエイトだってほとんど俺らA組で独占じゃん?つーか尾白と秦野が棄権してなきゃ普通科とサポート科一人ずつだったよなあ」
「ご、ごめんね……上鳴くんB組の人と当たってたもんね」
「気にすることないよ沙耶。沙耶と当たってたってこいつじゃベストエイトは無理だっただろうし」

沙耶はクラスメイト達と楽しそうに話しながら歩いている。「沙耶の力はいらない」数時間前にそう告げてから何も話せていないままだ。俺や俺の父親に振り回され、力がいるだのいらないだの言われ、さぞや混乱したことだろう。要らぬ重圧に晒されたせいで傷つけもしたと思う。

「なあ……」
「あっねえねえみんなで打ち上げしよーよ!明日休校だしさ、体育祭の反省も兼ねて!」

話したくて伸ばした手は芦戸三奈の発した大きな声で気づかれることはなかった。

「何を打ち上げますの?」
「出たピュアセレブ……どっかお店行ってご飯食べながらみんなで色々話そうぜってこと」

打ち上げというものに参加したことはない。中学時代にも文化祭や体育祭でそういった誘いがあったが二回連続で断ったあたりから誘われることはなくなった。

「色々話す……」

自分も行っていいのかわからないが、その時間を使って会話をすることは可能だろうか。力はいらないと突き放したくせに虫のいい話ではあるけれどどうしても話しておきたかった。

「駅の方行けば大っきいお店も多いから二十人くらい今からでもいけるんじゃないかな?……あれ?まどかちゃん?」
「沙耶?」

どの店で打ち上げをしようかとクラスメイトたちが盛り上がる最中、沙耶は校門の近くにいるヒーロー二人に駆け寄っていた。一人はビルボードチャートの常連であるプロヒーローのホークスで、もう一人は見たことないが沙耶の知り合いであるヒーローということは前話していた従姉妹ということだろうか。

「ねえねえ沙耶、プロと知り合いなの?」
「あ、まどかちゃんは私の従姉妹。でもこちらはホークス……ですよね?」
「そう。九州から呼ばれてね。君の従姉妹のまどかさんに協力してもらったんだ。チームアップってわかる?」

打ち上げに行くという先程までの話は霧散してしまったらしく、プロヒーロー二人にひたすら質問を投げかけるクラスメイトをぼんやりと見つめた。この後本当にクラスで集まるなら沙耶と話をしたいと思っていたし、そうでないのならまた日を改めてでも。少なくとも俺にこのまま何もしないという選択肢は存在しなかった。
しかし話すと言っても俺は彼女に何を言えばいいのだろう。褒められる言い方ではなかったことも五歳の時から振り回してしまっていることも、どう言えば謝罪の意思が伝わるのか何度考えても答えが見つからない。
プロヒーロー二人との青空教室にクラスメイトが夢中になる間、それを聴きながら考え事が頭から離れなかった。




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