プロヒーロー二人による野外教室は、橙色に染まった空が寒色のグラデーションになった頃に一度終わりを迎えた。私達の体育祭の打ち上げとホークスとまどかの食事をまとめてまどかの家でしようという提案は確かに有難いものではあったのだが、仕事終わりのヒーローにここまでさせてしまっていいものかと今になっても尚、考えあぐねている。

「本当に良かったのかな?お家に押しかけるなんて」
「そうだよね……でも鍵預かっちゃったし」

銀色の鍵を差し込んで扉を開けた。私の家に来ることはあっても私からこちらへ来ることはあまりなくて、「散らかしてもいいから準備しておいてくれる?」従姉妹の言葉を思い出してリビングをぐるりと見渡してみるものの二十人が食事できる環境ではなさそうに思えるし、この家に何が揃っているのかも詳しくは知らない。

「二十人いるもんね……どうしよっか?」
「お庭あるしさ、机出したらみんなで座れるんじゃないかな?ただ私どこに何があるかわかってなくて……ヤオモモごめんだけどお願いできるかな?」
「ええ、勿論構いませんけど……個性を使用してもよろしいのでしょうか?」

基本的に個性は免許を持っているプロヒーローへ勤務時間中のみ使用許可が出ているだけで、本来は使用することが許されていない。そうしなければ皆好き勝手に個性を使って秩序が失せてしまうからだ。
とはいっても監視されているわけではないし皆多かれ少なかれ使っているのだが、ここはプロヒーローであるまどかの家であり、この後合流するホークスもまたプロヒーローだ。私達が個性を使うことをよく思わない可能性もある。

「そんな固いこと言うなって。状況に応じてさ、臨機応変に行こうぜ臨機応変!」
「あんたは緩すぎんのよ……」

上鳴の言葉を聞いて八百万と顔を見合わせた。「皆さんがそう仰るなら……」八百万はくるりと後ろを向いて机や座布団、庭に出す用の椅子まで創ってくれた。やはりすごい個性だなと思うと同時に、騎馬戦でのことを思い出してしまう。考えたくもないことに限って頭から離れないこの現象はなんと呼ぶのだろうか。

「あっデクくんは持たんでええよ!そんな怪我やのに」
「でも僕だけ何もしないのは悪いっていうか……」
「緑谷は座ってろって。怪我が悪化したら流石に轟が気にしちまうだろ」

八百万が出した机も椅子も男子達が自発的に運んでくれて手持ち無沙汰になった私達は適当に場所を決めて座り、誰が言うまでもなく自然と席が男女で別れたことに安心した。隣には三奈と八百万、その向かいにもお茶子や梅雨が座っている。これで今日はもう話さなくて済むはずだ。
いつもなら事あるごとに声をかけていたくせに不思議なものだが、今日は、今日だけは彼と会話をなるべくしたくない。『沙耶の力はいらない』私にとっては未来を断つ死刑宣告にも近いそれを聞いたというのに今まで通りに接するなんて不可能だ。あの場で泣き出さなかった自分に驚いたほどなのだから。

「ヤオモモの個性って余計お腹空くんじゃない?大丈夫?」
「問題ありませんわ。今日はろくに個性を使っておりませんでしたし……」

隣に座る八百万の声は今までにないほど沈んでいる。障害物競走では二十位以内に入り騎馬戦では一位通過したのだが最終戦の常闇との対決でなす術なく負けてしまったと聞いた。聞いた、というのはあの後すぐに席へ戻ることができず一回戦は緑谷以外誰も見れなかったからだ。
彼にチームを組もうと声をかけられるほどの力量がある彼女でさえ、ここまで落ち込んでいるのだ。やはり昼食の私は大変に失礼な言い方をしてしまったのだと改めて反省した。

「この後まどかさん達はお肉を買ってきてくださるんでしょう?でしたら鉄板もご用意すべきでしょうか?」
「鉄板……?」
「ヤオモモと私らが普段食べてるお肉って相当厚さ違うんやろうなあ……」
「ホットプレートでいいんじゃないかしら、その方が皆扱いやすいと思うわ」
「では各テーブルにご用意しますわね」

お茶子や三奈が八百万のセレブ観に圧倒されている最中も梅雨は極めて冷静だった。八百万もイヤミを言っているわけではない。純粋な気持ちから言ったのだろうし、梅雨の提案もにこやかに受け入れていた。
個性把握テストの時は除籍になるかもしれないと思ったけれど、やはり私はこのクラスに居続けることができてよかった。彼のことを抜きにしたって友人は皆優しくて面白くていつだってひたむきで。まだ一ヶ月しか一緒にいないはずなのに、クラス替えなく三年間終えたいとすら思わせてくれるほどだ。
なのにこんな友人のことを妬ましく思うなんて、私ときたら。

「あっそうそう、沙耶ちゃん轟くんのお父さんに呼ばれてたんやってね?デクくんに聞いたよ」
「そっか沙耶のとこもプロ一家なんだもんね。やっぱ轟ともそういう繋がりなの?」
「ううん、焦凍くんとは幼馴染だけど特にそういうんじゃないよ。私の家は私以外無個性だし、まどかちゃんと焦凍くんのお家は関係ないし」

じゃあA組の女子はみんな一般家庭なんだ、という話からお互いの家族の話に移っていった。お茶子の両親は三重で建設業をやってるだとか、梅雨は三人姉弟で長女なのだとか。ホットプレートの用意で離席している八百万の家はどんな感じなんだろうね、と盛り上がっている時に背中を突かれて振り向いた。

「沙耶、多分だけどまどかさん達帰ってきたと思う」

響香が耳を指さしてそう言った。「重そうな音してる」床を見ながらそう呟く彼女はうまく個性を扱っているのだなと感心してしまう。

「まどかちゃんお帰り」
「よく帰ってきたってわかったね?」
「すごく耳のいい子がいてね、その子が」

従姉妹の家にいて従姉妹とプロヒーローであるホークスを出迎えるなどなんとも奇妙な感覚だ。確かホークスの個性は剛翼で、羽根一つ一つを指のように操ると昔テレビか何かで見たことがある。そんな人が両手に荷物を持っているのだからやはり個性は使うべきではなかったのかもしれない。

「沙耶」
「焦凍くん?どうしたの」
「荷物なら俺が。八百万が呼んでたぞ」
「えっなんだろ……」

ホークスから荷物を受け取ろうとした時に今最も聞きたくない声に呼ばれ、目も合わせることもできない。彼は何も悪くないのに。競技場へ向かう廊下で言われたことを思い出さないよう、駆け足でリビングへ戻った。

「ヤオモモ呼んだ?」
「まどかさん、お皿やお箸はどうしましょう?流石に二十人分はないと思いましたがお二人が帰ってきたようですし……」
「でももう机とか出しちゃったしね……まどかちゃんには私から言うし、お願いしていい?」

結局、私有地内での個性使用は目を瞑ってくれるそうで私達の心配は杞憂に終わった。今まで私は個性を授業以外で使おうとは思ってこなかったから気づかなかったけど、皆は些細な場面で使ってきたのだろうな。きっとその積み重ねは体育祭での大きな差を生んだ原因の一つだ。

「次学校行ったらスカウト来てるんだよね?」
「相澤先生がそう言っていたわね」
「緊張するなあ、一件もスカウト来てなかったら流石に凹む……」

『プロに注目される機会を自ら捨てるとはな。そんな覚悟でプロはやっていけんぞ』エンデヴァーの言葉が胸に傷を抉る。最終戦を辞退した経緯も決断も、プロから見れば甘すぎたのだろう。ヒーロー免許を取ることがゴールではないのだから。
しかし今の私にはゴールがない。ヒーローを志すきっかけとなった人の支えになることが私のゴールだったけれど、もうそんな未来は訪れない。

「表彰台組にはたくさん来るんだろうなあ」

お茶子がそう呟いて別の机にいる上位三人を横目で見ていた。「私ももっと頑張らんと……」すごく小さな声だった。ホットプレートの油が弾ける音で掻き消されてしまってもおかしくない程に。
最終戦まで出た人達でさえこんなにも悔しさを抱き次に繋げようとしているのを目の当たりにして居心地の悪さを感じ、何も言えなくなって焦げかけた肉を口に詰め込んだ。

「でもさ、上鳴じゃないけど沙耶と尾白も勿体無かったよね。あれ出てたら絶対スカウト増えたと思うもん」
「わかる!沙耶ちゃんてサポートスキル高いやん、どんな個性にも対応できるし魅力的だよねえ」
「そんなことはないけど……でも一対一の戦闘だし余計私じゃ無理だったと思うな、私は誰かのサポートしかできないし」

三奈やお茶子が話を振ってくれるけど、あそこで最終戦に出る覚悟を決めていたとしても目も当てられない状況になっていただろうことは想像に難くない。B組のどちらと変わっていたとしても相手は上鳴か切島だ、初戦敗退は免れなかっただろう。

「そうか?」
「え?」
「俺は沙耶をそんな風に思ったことねえけどな」

お茶子の後ろを歩いていた彼が呟いた。思わず顔を上げてしまって視線がぶつかる。私達のテーブルにいる皆が彼を見上げたが、特に気にする様子もなく去っていった。手に何枚もお皿を持っていたところからして、使い終わったそれをキッチンに運ぶ途中だったのだろう。

「すごいナチュラルに話入ってきたね轟」
「び、びっくりしたあ……」
「わかる、後ろからいきなりイケメンの声が聞こえるのって心臓に悪そう」
「やっぱり轟ちゃんは沙耶ちゃんのことよく見てるのね」
「よ、よく見てるっていうか幼馴染だからだと思うけど……」

よく見てる、なんてそんなことはない。それでもそう評されることに喜んでしまう自分が情けない。彼への想いはもう捨てなければと思っているのに。
ただ好きでいるだけならまだしも、何も悪くない八百万に嫉妬して酷いことを言ってしまったし、そもそも私が彼の近くにいれば父親からあれこれ言われて迷惑をかけてしまうだろうから。スイッチを切り替えるようにこの気持ちと訣別することは難しいけれど、まず努力をしなくては。彼の言葉に一喜一憂したり、行動に感情が揺さぶられないように。

「ところでさあ」
「どしたん三奈ちゃん、めっちゃ真面目な顔しとる」
「私達同じクラスになって一ヶ月経ったじゃん?だからそろそろ良いかなと思ってるんだけど……」
「?」
「沙耶って轟のこと好きだよね?」
「…………え?」
「いくらなんでも直球過ぎるわ三奈ちゃん」
「えー、でも皆気になってたでしょ?」

三奈の爆弾投下にすぐ反応することはできなかった。うまく切り抜けられやしないかとあちこちに目を走らせていると庭に繋がる窓の側に響香と上鳴や峰田、そして八百万もそこにいた。珍しい組み合わせだなと思いながら窓の外に目を向ければそこにいたのはプロヒーロー二人。

「あっ私、まどかちゃんに話あったんだった!」
「逃げてもいいけど学校始まったらちゃんと聞くからねー」

何を聞かれても今まともに答えることができないだろうと判断した私は立ち上がってテーブルから離れることにした。後ろから聞こえてきた三奈の声は聞こえないフリをするしかない。
従姉妹に用だなんて特にないがどうしようか。そう考えていた後ろでは誰かがテレビをつけたらしく、ホークスがインタビューを受けている映像が映っている。体育祭についての所感や二週間前の襲撃をふまえての警備ということでその話もしていた。

『本日は雄英の警護だそうですが先日の襲撃事件はどうご覧になりました?』
『雄英史上初の襲撃だったそうですけど、そんな中でも生徒の怪我はほぼなかったと聞いてます。逆に雄英の、というか雄英の先生方は危機管理能力に長けているとも思いますね』

体育祭が終わった後、教室で配られたお菓子を思い出した。怪我をしている生徒は今日寝る前にこれを食べておくようにと確か先生は言っていた。治癒効果があるお菓子で副作用は睡眠だとかなんとか。
スクールバッグを開けてお菓子の入った袋を取り出した。プロといえども毎回無傷で済むわけじゃないことを知っている。むしろプロだからこそ、危険とは隣り合わせだと二週間前に肌で感じた。

「沙耶」
「……?」
「まどかさん達に渡すんだろ」

皆がテレビに夢中になっている中、彼は水色の袋を持って私のすぐそばまで来ていた。なんで気づいたんだろう。そう考えた時「沙耶ちゃんのことよく見てるのね」梅雨の言葉を思い出す。

「あ、ありがとう。でもいいの?」
「俺は別に怪我してねえから」
「そっか。あの……二位すごいね、おめでとう」
「……ああ。ありがとう」

会話をしたくないといいながら、彼に話しかけられれば少しでも時間を引き延ばそうとする自分が女々しくして仕方ない。
卒業しなければ、この気持ちから。幼馴染でありクラスメイト。私達の関係はそれ以上でもそれ以下でもなく、その他の関係性を望むことなどあってはならないのだ。




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