「えっと……す、座る?」

ドアを開けたまま立ち尽くしているホークスに先程まで医師が座っていた椅子を勧めた。何かを言おうとして口を閉じた彼は大人しく椅子へ座ったけれど、こんな様子を見るのは初めてで私も何を話せばいいのかわからずすぐには言葉が出てこなかった。

「電話ごめんね、掛け直せなくて」
「……いや、ヒーロー殺しに刺されたって聞いてたから」
「聞いたって……誰に?」

私の知名度の低さからして全国ネットで名前が放送されたとは思い難い。それに連絡が取れる電子機器は壊れているし、私がヒーローだとわかる物など何一つなかったはずだ。何故ホークスがそんなことを知っているのか。そもそもどうしてここにいるのか。

「先月別件で東京に来てた時沙耶ちゃんと会って聞いたんだ、まどかさんが入院したって」
「沙耶と……」
「先週も連絡もらったよ。一瞬目が覚めたんだって?今はどう?」
「先週のことは何も覚えてないけど……今はもう大丈夫。気分もいいし、意識もはっきりしてるからもう昏睡にはならないだろうってお医者さんが」
「……よかった」

ホークスが緊張した面持ちで息を吐いた。今まで一緒に仕事していた時だって食事をしていた時だって、彼はどちらが年上かわからない程に落ち着いていつでも冷静であったのに。今の彼からは想像もできない。
確かに顔見知りが重体と聞けばそれなりに心配はするだろうけど、同じ事務所で働いているわけでもない、年に数回会うだけの仕事相手にそこまで気を遣わせてしまったことに申し訳なさを覚えた。ただでさえ彼は多忙を極めていて、ろくに休日もないと前にサイドキックから聞いていたのに。

「でも今日は?私目が覚めてからまだ……三時間くらいしか経ってないのに」

身の回りには時間のわかるものが存在せず、引き出しの上にあった時計をよく見ようと体を動かすと腕に刺さっている点滴がずれそうになったのか鋭い痛みが腕に広がり、その拍子に置きっぱなしにしていた携帯が床に落ちガラスが割れる嫌な音がした。もう壊れているとはいえデータ復旧できないか試さなければいけないというのにこれでは直せる物も直せなくなってしまう。身を乗り出して携帯を取ろうと試みたが「俺が取るよ」ホークスが数秒足らずで事を終えてくれた。

「今日は東京で仕事があったんだ。先週目が覚めたって聞いてたからどうかなと思って」
「そっか……その、ごめんね」
「……なんで?」
「ホークスは忙しいのに、私なんかに時間割かせちゃって」

東京での仕事ということはまたメディア対応だろうか。CMを撮ったり、テレビ番組に出ていたのかもしれない。昨今の人気プロヒーローはそういう対応も求められる職業だ。私は経験がないからわからないけれど、普段の仕事よりもよっぽど大変なのだろうと思う。でなければ彼がここまで疲れた様子を見せることはないはずだ。
どういう流れでホークスに私のことを伝えたのかはわからないが、きっと沙耶も気が動転していたのだろう。無理もない、USJ襲撃で敵と対峙したかと思えば翌月には親戚が昏睡状態だったのだから。

「沙耶にも言っておくね、私のことなんて別に伝えなくて──」
「俺が頼んだんだ」
「……ホークスが?」
「まどかさんに何かあれば連絡して欲しいって。俺がお願いした」

彼の目には人を固まらせる個性でも備わっているのか、はたまた神話のメデューサよろしく目で射抜くことができるのか。睨まれているわけでもない。敵と対峙した時のような鋭い視線というわけでもない。ただ彼は私をまっすぐ見ているだけなのに、何かを言うどころか呼吸さえ満足にできやしなかった。

「俺は……心配もさせてもらえんと?」

右手の甲に何かが触れた。私の視界に映っているものが正しければ、私に触れているのはホークスの手だろう。私の手を覆うようにして握るそれは私よりずっと大きかった。そんなに背丈は変わらないはずなのに。男女の差もあるだろうが一ヶ月以上寝ていたことで手の筋肉も落ちているのだ。そんなことを考えなければならないほど、私の頭は混乱状態に陥っていた。
もし今も心電図がついていたら、きっと緊急事態を知らせるエラー音が鳴り響いて看護師が駆けつけていたことだろう。医師が外してくれていたことに感謝したが、これ程までに喧しく鳴り続ける心拍数にホークスが気づかないわけもない。彼に触れられている点に加え、急上昇している鼓動に気づかれているだろう恥ずかしさが相まって右手から全身に熱が広がっていく。

「ごめん。そういう意味じゃなくて……心配してくれたのも、来てくれたのも嬉しい」

どうにでもなれと半ば自棄になってホークスの指を握った。握ると言っても握力も子供レベルに落ちたのかほぼ触れているだけのような感覚しかない。それでも触覚はまともに働いているせいで彼の指が思っていたより太いだとか、皮膚がゴツゴツしているだとか、私より少し体温が低いのか指先が冷たく感じるだとか、そんな情報が一気に脳へ伝わってくる。

「こんなみっともない状態だけど」

仰々しい機械達は軒並み外されたけれど今日一日は食事もできないから点滴は刺さったままだし、お世辞にも健康的とは言えない四肢や顔を見られたくはなかった。
確かにヒーロー殺しの個性は厄介極まりなく、私とて油断や驕りがあったわけでもない。しかしプロとしては目の前の彼より長い経験があるはずなのにこんな見るも耐えない姿を晒すことになろうとは。

「……生きててくれるだけでいいよ」

ホークスの目はあまりにも真摯で相槌も返事も話題を変えることもできず、目も逸らせないし指も動かせない。私の手を覆っているホークスの手に力が入っていやでも意識してしまう。お互い何も言わないまま沈黙が続き、ドアの向こうから聞こえる誰かの声が薄らとBGMのように流れていた。

「起きてると思わなかったから……何か飲み物買ってくる」

ホークスは部屋を出て行ったのに、右手が火傷をしたかのように熱い。あのまま触れ続けていようものなら心拍数の日本記録を叩き出すか、再び医師の世話になるところだったに違いない。絶え間なく鳴り続ける鼓動を抑えようと何度も何度も深く呼吸をした。

「退院は?」

戻ってくるなりペットボトルの蓋を開け、プラスチックのコップに注いで渡してくれた。ヒーローになるまでの救助演習で皆やることなのに、意識している人にされると一つ一つの気遣いにときめいてしまうなんて今時安い恋愛ドラマでも見ない光景だ。

「明日経過観察して、問題なければ明後日にって。リハビリは静岡帰ってから通院できるところ探すつもり」
「リハビリ?歩行訓練ってこと?」
「うん、それもあるけど──」

つい数時間前に受けた説明をそのまま繰り返した。暫くはヒーロー業を再開できないことも。
プロヒーローは怪我が付き物の職業ということもあって入院費の保険や怪我による休業中の補償もある。完治する前に現場に戻って足を引っ張っては民間人の危険につながるからだ。
だから私もまずは骨折を完治させ、最低限動ける体に戻すことが最優先。今は六月下旬と聞いているから恐らく夏が終わる前に再開できるかどうかだろう。

「大人のくせに夏休みもらっちゃうなんて」
「別にいいと思うよ、今までたくさん働いてきたんだから」
「ホークスに言われるとなんだか……」
「本当だって。この一ヶ月だってほぼ休み無しで仕事入れてたんじゃなかったっけ?」
「……なんで知ってるの?」

スケジュール張は派遣先には持ってきていない。出先では携帯の機能を使って管理していたし、その携帯は意識がなくなる前から壊れていたのを私自身確認している。それなのに何故ホークスが私のスケジュールを知っているのか不思議に思い、コップから口を離して首を傾げると「あー……」彼はなんと言い訳しようか考えているように見えた。

「怒らないでほしいんだけどさ」
「うん」
「俺、割と早くまどかさんのこと知ったから……ちょっと調べて今後派遣で行く事務所に連絡したんだ。仕事に穴あけたくないだろうなって」
「……えっ?」

派遣を受け入れる事務所が何か手続きをしていてそれを調べてくれたのだろうか。どうやったらそんなこと調べられるのかはわからないが、ホークスほどの有名な事務所なら横のつながりも多そうだしそんなことができても不思議ではない。疑問なのは、なぜ私のためにそこまでしてくれるのかということくらいだ。いや、私のためというよりは行く予定だったヒーロー事務所のためか。

「ストーカーみたいなことしてごめん」
「あ、そうじゃなくて……むしろお礼言わなきゃいけないのに。ありがとね、でも大変だったでしょ?調べて連絡してって」
「いや、まあ……」

何かを誤魔化すようにホークスがお茶を飲んでいる。自分一人がお礼を言われるべきではないとでも思っているのだろうか。となるとサイドキック達に手伝ってもらった、ということも考えられるし今度事務所に伺った時はお礼とお詫びをしなくては。

「夏休みって言えば」
「うん」
「沙耶ちゃんにまどかさんと博多行ってもいいかって聞かれたんだよね。まどかさんが旅行大丈夫そうなら夏休み中においでよ」

私のこの足も腕も、旅行といった人並みの活動レベルでいいなら二週間そこらで回復はするだろう。今の鶏ガラのような細さは食事と多少の運動で治せるはずだ。

「そういえば博多って私観光したことなかったな。今度おすすめの場所教えてくれる?」
「いいけど……観光ってよりヒーローの勉強しに来るとか言ってたよ」
「沙耶が?」
「まどかさんがヒーローの勉強になる街だって言ったんじゃなかった?」

確かに言った。USJ襲撃事件の当日沙耶に会って、それとなしに勧めたのは覚えている。目の前にいる彼の仕事ぶりを思い出し、体育祭の後に控えているであろう職場体験の参考になればと。

「どう勉強になるのか俺にも教えてほしい」

静岡にも近郊の都市にも有名なプロヒーローはたくさんいるし、いくらだって参考になりそうな事務所はある中で私が博多を勧めた理由なんて一つしかない。その張本人は楽しそうに笑っている。まるで答えなんて全て知っていて、私がどう返答するのかを面白がっているかのようだ。

「……鏡でも見れば?」

ホークスはすっかり元通りになったらしく前と同じように私を揶揄って遊んでいる。人の気持ちも知らないで──と軽口の一つも言いたいところだが、私はこういうホークスの表情が好きなのだ。もしそれすらもわかっている上でやっているとしたら白旗を振る他になす術はない。




back / top