「まどかちゃん達もう少しゆっくりしていったら?焦凍くんと一緒だから迷わないと思うし」

年下の従姉妹が食後のお茶を飲み終えてそう言った。確かに時間はまだ九時を過ぎたくらいで普段の休日ならば二軒目に行くか、もう少しこの店で過ごしているだろう。しかし十五歳の高校生二人で帰らせるというのはあまりよろしくはない選択だ。

「うーん……」

ちらりと前にいるホークスに視線を送って意見を仰いだ。博多の治安や、ここから事務所までがどんな道であるとかを誰よりもよく知っているだろうと踏んで。「大通り歩けば着くから二人でも大丈夫だと思うよ」一瞬考える素振りを見せたホークスは問題ないと判断したらしい。彼がそう言うのなら私も不安がることもないか。

「明るい道だけ歩いてね。あと、事務所に着いたら絶対連絡してね」

今日はずっと私達がいてろくに話もできていなかっただろうし、二人からすれば朝から晩まで私と一緒というのも気が詰まってしまう。そもそも轟を呼んだのは沙耶との気まずそうな空気を少しでも解消できればと思ってのことだったのだし、二人で話す時間を作ってあげるべきだろう。
高校生二人が「ごちそうさまでした、おやすみなさい」屋台のビニールカーテン越しに頭を下げるのを私とホークスとで見送る。心配していたよりは二人とも普通に話していたし、私の杞憂だったのかもしれないなと思いながら湯呑みに残ったお茶を飲んだ。

「あの二人、俺には普通に見える」
「だよね。静岡で待ち合わせた時からあんな感じ。先週はもっとぎくしゃくしてたんだけど……」
「仲直りしたとか?」

カラン、とホークスの前に置かれたグラスの中で氷が落ちる音がした。

「かな?沙耶は轟くんのこと気になってるみたいだからなんだかこう、もどかしくて」
「でもあの二人許婚って言ってなかったっけ?」
「うん。それはそうなんだけど沙耶が言うにはそんなちゃんとしたものじゃないって……私も詳しくは」

従姉妹と言っても家庭の内情までは知らない。何かの折に叔母から沙耶と轟が許婚だと聞いたくらいで。何でも叔父が轟家に支援していたことから色々繋がったらしいのだが、沙耶本人が嫌がっているわけでもないようだし私から詳細を聞き出すような真似はしなかった。

「まああの二人なら大丈夫なんじゃない?」
「……もしかして聞こえてる?」

やけに明るい顔のホークスが気になった。
私もだが、あの二人はまだ彼の羽根を持っている。どの程度の距離を範囲とするのかは知らないが彼は羽根を通じて音の振動から多少離れていても声や物音を聞けるのだという。最初聞いた時はなんてすごい個性なのだと感心し、若干二十二歳で──この話を聞いた時は二十歳だか二十一歳だったけれど──そこまで個性を使いこなせるまでに鍛えてきたことに感銘を受けた。しかし緊急事態ならともかく今は従姉妹のプライバシーの問題がある。

「さっきはね。今はもう聞いてない」

悪戯がみつかった子供のように、しかし悪びれることなくホークスは笑っている。まったく、とため息を吐いてみたら「あの二人なら心配いらないよ」とあまりにも強く言い切るのでそれ以上追求するのはやめた。

「もう一軒行かない?さっきお酒飲みたいって言ってたし一杯飲もうよ」

支払いを済ませてビニールカーテンから出ると屋台街は更に賑わいを見せていた。何でも私達のような二軒目に向かう人用にこの時間から始める屋台もあるのだとか。時間は九時半。そろそろ沙耶から電話が来るかと思い、すぐ気づけるようにバッグから携帯を出してポケットにしまった。

「よかった、あいてた」

辿り着いたのは赤い屋根が印象的な屋台。先程のテーブルが一つしかない店とは違ってLの字にカウンターが並べられた十人程度は座れそうな店だった。店主に断って椅子に手を乗せたホークスに続いて座ろうとした時にふと気づいた。この店には私達以外にも客がいることに。

「あ、ねえ」
「ん?」
「さっきは二人もいたからよかったけど……いいの?」
「何が?」

座りなよと言わんばかりに引かれた椅子に腰を下ろすも周りの目が気になる。「一杯目生でいい?」そう聞くホークスに頷いたものの本当にここにいていいのだろうかと考えてしまう。何せここはホークスのお膝元、彼を知らぬ人などそういるわけがない。

「こんな人多いところで私と二人って、ホークス的にまずいんじゃない?人の目とか写真とか……」

いくら私服では声をかけてくる人が少ないからといっても酒が入れば気は大きくなるものだし、あれやこれやと言ってくる人も多いだろう。邪魔にならないように羽根は屋台の屋根へ乗せていたけれど、彼は毎日地元ニュースでその活躍を報道されているほどの人気がある。こんな場所では民間人に偽装することなど不可能に近い。実際、奥の席に座る男性から「ホークスがおるぞ」と今も言われている。私はともかく彼が勘違いされてしまえば今後面倒なことにならないだろうか。

「撮られるならまどかさんとがよかったって言わなかったっけ?」

何を聞いているのかと言わんばかりにホークスは笑った。三ヶ月と少し前、お互いに週刊誌に撮られた後に確かに彼はそう言っていた。でもそれはあんなジュースバーで盗み撮りされるくらいなら、私と行った敷居の高そうなお店の方がいいという意味ではなかったか。少なくともあの時はそう言っていたくせに。
こんな一言に、何気ない彼の笑顔に心を動かされている自分が情けない。『どうせ撮られるならホークスとが良かった』私が三ヶ月前にそう願った理由と彼のそれとはまるで違うのに。気持ちを抑えようと右の手のひらを爪で刺した。

「……私とじゃなくて、あのお店で撮られたかったんでしょ」

期待はしないと決めたのだ。思わせぶりな態度も言葉も全て何のことはない、彼にとっては私を揶揄う遊びにしかすぎないのだと。「さあ、どうかな」彼はそう言いながら、屋台の店主が差し出したなみなみとビールが注がれたジョッキを受け取った。
彼の横顔は何度も見ているのに一度としてその真意を読み取れたことはない。とはいえ、人の心を読む個性があったとしても今の私になくてよかったとは思う。彼が私に何の気もないなどという現実はわかっていてもわざわざ確認したくはないからだ。

「じゃ、お疲れ様ということで。今日はありがとう」
「こちらこそありがと。お疲れ様」

グラス同士のぶつかる軽やかな音。ひんやりと冷たい液体が内外から熱を持っている私の身体を冷やしてくれることを願って一口、また一口と流し込んだ。

「ホークス見とったぞ今日の火事!」
「おー、どもども」
「こんなとこで飯なんて初めてやないか?今まで働いとったん?」
「まあね。夏は開放的な人が多いから」

私に端の席を譲ってくれたおかげでホークスは民間人とより近くなってしまっていた。見たところそれなりに飲んでいるようで次々にホークスへ質問を投げかけている。せめて私がそっちに座っていればと思ったものの、ここで席を変わっても悪い印象を与えるだけ。どうしたものかと考えながらホークスと民間人との話に入ることもできず、お通しとして出された酢の物を食べようと箸を手に取った。

「あんま邪魔しやんな、ホークスにも連れがおるっちゃろ」

店主が新しいグラスを客に出すついでに言ってくれたおかげで客も私をようやく認識したようで「悪いことしたなあ」と手を合わせて謝られた。滅多に話せないホークスと話したい気持ちもわかる分、お気になさらずと軽く会釈をするに留める。明日以降彼に変な噂が立たないといいけれど。

「そうだ、忘れない内に聞いておきたいんだけど」
「うん」
「まどかさんって明日二人と一緒に帰る?」
「うーん、もう一日くらいせっかくだから観光しようかなって悩んでるけど……なんで?」
「その後予定ないなら事務所の手伝いしてもらえないかなって」

事務所の手伝いと言われても今の私はヒーロー活動を休止しているし保険の申請もしてしまっている身だ。今日のような緊急事態ならともかくとして、あまり大っぴらに仕事をするようなら申請を取り消さねばならない。歩く分には問題のないこの足もヒーロー活動の負担を考えるとどうなのだろうと答えに困っていると「あ、ヒーロー活動じゃなくて」ホークスがジョッキを置いて付け加えた。

「事務仕事の方。まどかさん一人事務所みたいなもんだし色々申請とかやったことあるよね」
「うん、ある」
「夏休み中は人手ほしいからさ、普段事務処理してる人を外に出してその間まどかさんがやってくれたら……って思ったんだけどどう?勿論給料は出すし」

確かに夏はどこの事務所も忙しなく動いているのは事実だ。大人はともかく子供が外で過ごす時間が多くなるとどうしても小さな問題が多発しがちになる。

「わかった、いいよ」
「ありがと。助かる」

ホークスにも事務所のサイドキックにも私は世話になっているのだからこれくらいはして然るべきだろう。彼らのおかげで私は仕事に穴を開けずに済んだのだから。決してもう少し彼と一緒にいる時間が欲しいだとか、そんな邪な気持ちからではない。

「……あっ」

スケジュールに入れておこうと携帯を取り出すと待ち受け画面の表示は十時を過ぎている。この間に着信があった様子もメールを受信した記録もない。

「どうかした?」
「ここから事務所ってどれくらい?」
「十五分もかからないんじゃないかな、まともに歩けば」
「……ちょっとごめん、電話かけるね」

携帯の履歴から沙耶の番号をタップした。私に電話するのを忘れているか、二人で寄り道でもしているのだろうとは思うけれど万が一ということもある。呼び出し音が鳴り続けて十秒ほどだろうか、通話開始のプツッという音が聞こえた。

「沙耶?」
『も、もしもしまどかちゃん?ごめんなさいちょっと二人で話してて……』

予想は当たったようで、沙耶の気まずそうな声が聞こえてくる。

「はあ……もう、何もなくてよかったけど……」

とはいえ、私もこの時間まで確認を怠っていたわけだし強く叱れるわけもなく。何事もないならそれで良かったと済ませるしかない。

『すみません、俺が連れ回しました。沙耶と話したくて』
「轟くん?」
『はい』
「沙耶と……轟くんはまだ事務所じゃないんだよね?」
『はい、そうです。もう帰ります』
「じゃあ気をつけてね」

仲直りしたのか、と聞こうとしてやめた。沙耶だけならともかく二人のことをよく知っているわけでもない私に首を突っ込まれて沙耶が喜ぶとは思えない。だけど轟の方から話したいと誘ったのなら沙耶にとってはいい時間になったのではないだろうか。

「もう帰り始めたよ」
「また盗み聞き?」
「まさか。大体どこにあるのかがわかるだけ」

本当だって、と言い訳するホークスを横目で睨んでジョッキに口をつけた。やはり彼の考えていることなんてわかりはしない。いや、本当の意味ではわかりたくはないのだけど。
もう二人と連絡は取らないしと携帯をバッグにしまっているとカウンターの奥の客が帰るようでホークスの隣を通りがかった。

「ホークスもそっちの人もごめんなあ」
「いえ別に私は……」

随分と飲んだのだろうか、男性二人は緩んだネクタイの隙間から覗いている首元も赤くなっている。九州の人は酒に強いと聞いているが皆が皆ザルというわけでもないらしい。

「やけどなあホークス、女の人ば落とすんやったらこげん屋台より福岡タワーのがよかよ。まだライトアップしよるよな?」
「やっぱり?まどかさん今から福岡タワー行く?」
「……行きません」
「じゃ、次はそうするよ。ありがとお二人さん」
「いやいや。応援しとうよ!」

店を出て行く客に手を振るホークスを見ることができない。酔った客の戯言とそれに付き合っているだけだと分かりきっているのに。身体中が急速に熱を帯びていくのは久しぶりに摂取したアルコールのせいだ。それ以外には考えられないし、それのせいにするしかない。ジョッキの三分の一ほど残っていたビールを一気に煽った。

「お酒弱いなら無理しなくていいよ」

言葉だけ聞けば私を心配しているかのように思えるけれど、その声音は明らかに喉の奥で笑うのを堪えているそれだ。本当に酒に弱いと思っているのではないことくらい、心を読む個性がなくともわかる。

「すみません、おかわりください」

ホークスを無視して店主に声を掛けた。普段なら絶対飲まないけれど今はヒーロー活動も休止中なのだ、少しくらい飲んだって構わないだろう。他に理由などはない。隣に座る彼の言動に一喜一憂したくないからだなんて、そんなことはない。




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