「俺の個人的な意見だけどさ」
「うん」

アクセサリーショップへ入っていく轟の背中を見ながらホークスが呟いた。あの店には沙耶もいる。静岡に戻る従姉妹とは当分会えなくなってしまうから誕生日を早めに祝おうとプレゼントを提案したのだが、イヤリングの種類で迷っているようだったから沙耶が想いを寄せているらしい轟に選ばせようと思って私が店に行くよう指示をしたのだ。

「焦凍くんってああいうの選べるタイプには見えないな」
「……それは否定しないけど」

轟焦凍という少年をよく知っているわけではない。エンデヴァーの息子であり雄英の体育祭では二位を勝ち取り、USJでの敵襲撃の際に沙耶を守りながら戦ったりだとか、ヒーローとしての情報はある。とはいえ、彼自身の性格だとかそういうものはこの博多で共に過ごした間に見た印象しかわからないし、恐らくそれはホークスも同じだろう。そんな中でこんな評価を下すのは轟に大変失礼とわかってはいるが、何もそれに期待して彼を店に向かわせたわけではない。

「よっぽど変なのじゃなければ好きな人からもらえるものなんて何だって嬉しいでしょ」
「買うのはまどかさんなのに?」
「轟くんが選ぶってことが大事なの」

あの場で私が悩んでいるイヤリングを二つ買ったって良かったし、こっちの方がいいと思うなんて口を出すこともできた。だけどプレゼントで重要なのは『誰が選んだか』だろう。そして沙耶にとって重要度が高そうなのは私ではなく轟であることは火を見るよりも明らかだ。
「まあ、そっか」納得したような、していないような声が隣から聞こえる。男性の心理が私達のそれと同じであるならばホークスにも似たような経験はあるはず。学生時代か、あるいはプロヒーローになった後か。もしかしたら既に彼には付き合ってる人とか好きな人がいて、その人に貰った物でも思い起こしているのかも。そんな想像をするだけで鉛でも持たされたかのように気が重くなる。

「誕生日プレゼントか」
「?」
「……俺にもくれる?」

こちらを向いたホークスと視線が絡む。彼はそれ以上何も言わなかった。いつもみたいに笑ってみせたり私を揶揄ったりそういう冗談染みたことは一切なくて。問い掛けられたのは『はい』か『いいえ』で答えられる質問のはずなのに、私はそのどちらも口にすることができなかった。その二択の答えを返すことよりも、彼の目が気になってしまったから。
屋台で飲んでいた時みたいにふざけた口調で言ってくれたなら、私だって仕方ないなってため息でもついてみせながら喜んで頷くのに。何故そんな目で私を見るのだろう。これではまるで、彼が本心を告げているようだ。

「……」

そういえばこの表情は前にも見たことがある。私の家の庭で話していた時や、病室へ見舞いに来てくれた時に。ああ、そういえば子供の個性事故に巻き込まれて変な部屋に閉じ込められた時も──確かそれは部屋を出るためのあの言葉を口にする瞬間だったはずだ──こんな表情で、真っ直ぐな瞳で私を見ていた気がする。
いつだってホークスは思わせぶりな言動をするけれど、それらには何の意味もなかったはずなのに。思い上がりそうになる度に心へ釘を刺し、勘違いも期待もしないと言い聞かせているのに浅はかな私はすぐに想像してしまう。もしかしたら彼も私のことを気になってるんじゃないか、なんてくだらない仮定を。何度も考えては消してきた妄想とも言えるこれが不意に脳裏に浮かんでは消える。

「……何が欲しいの?毎年たくさん届くんでしょ?」

素直に頷けばいいと本当はわかっている。この会話の流れで私からの贈り物を欲しいと言われることが何を意味するかも、頷きさえすれば私と彼との間にある形容し難い関係性に名前がつきそうなことも理解しているつもりだ。
しかしその一方でこの現状を受け入れられない自分もいる。確かに私は身の程知らずな願いを抱いていた。ホークスも私と同じような気持ちだったらいいのにと。そんな期待をしなかったか、と言われると答えは否だ。だけど、いやだからこそ、いざ希望が見えてくると怖くなる。彼が私のことを好きになる、そんなことはあり得ないとずっと自分に言い聞かせてきたから。

「よく知ってるね」
「サイドキック達に聞いたの。毎年仕分けが大変だって」
「じゃあ今年まどかさんに他の仕事が入らなかったら仕分けも手伝ってもらおうかな」

それはつまり誕生日に博多に来いということか。お互い直接的な言葉にはしないまま徐々に外堀から埋められているような感覚。それをどうこういうつもりはない。私だって『誕生日にプレゼントをあげる』という意味を込めて頷けばよかっただけなのに、どうしてもその一言を口に出すことはできなかったのだから。

「いいけど……」
「……けど?」
「あ、出てきた」

私にもくれるかと言うか言うまいか迷っている間にアクセサリーショップから轟が出てきた。「決まった?」沙耶の様子を尋ねると轟は頷きながら「はい」と返事をした。それなりに時間がかかったということは、やはり轟が意見を出したのだろうか。

「じゃあ買ってくるね」

好きな人に選んでもらったプレゼント。ホークスに言った通り、やはり沙耶はそれが嬉しいようでアクセサリーショップに入る前よりもずっと幸せそうに表情を緩めていた。
従姉妹とはいえ一回りも歳が離れていると従姉妹というよりは妹にも近しい存在なはずなのに、何故私は素直に喜んであげられないのだろう。焦燥感のような虚しさのような何かが顔を出しそうになって慌てて笑顔を作った。

「よかったね」
「……うん。ありがとう、まどかちゃん」

プレゼントを買ってあげると言い出したのも轟の背中を押したのも、それどころか轟を博多に連れてきたのだって私がしたことで、こうなることを望んでいたはずなのにどうしてだか重苦しい影がのしかかっているような気分だった。
いい大人が可愛らしい高校生の恋愛を妬むなんて正気の沙汰ではない。しっかりしよう。せめて二人が帰るその時までは大人として振る舞わなければ。

「二日間ありがとうございました」
「どういたしまして。また来たくなったらいつでもおいで」
「まどかちゃんもありがとうね、誕生日プレゼントまで……」
「ううん、ちょっと早いけど。二人とも林間合宿頑張ってね」

博多駅の改札で高校生二人に手を振ると礼儀正しく頭を下げていた。雄英高校は成績に関わらず夏休み返上で課外授業を組み込むなんて流石だな、と思いながらエスカレーターに乗る二人の背中を見送る。
行きの四時間半もほぼ二人で話していたし二人だけでも問題はない。それどころか、問題があるのはむしろ私の方だ。夏休みが終わるまでホークスの事務所での事務仕事を引き受けたのだから今後一ヶ月は顔を合わすわけで。さっき無理矢理話を打ち切ってしまった分、私から蒸し返すのも変に思われるだろう──なんてのはただの言い訳で、私はただ怖いのだ。
今ならまだ致命傷を負うことなく曖昧な距離を保つことができるけれど、たとえ直接的でないにしても気持ちが伝わってしまえばもう後には退けない。生きるか死ぬかの一発勝負。負けたらもう二度と土俵に上がることはできない。そんな賭けに出るのが、怖い。

「この後まどかさんどこか行きたいところある?」
「どこかって?」
「二人が帰った後観光しようかなって言ってたから」
「んー、そう思ってたけど暫くこっちにいるなら休みの時でいいかな。もし今日色々買い出しに行ってもいいならありがたいんだけど……」

改札に背を向けて出口へと歩き出す。お互いにさっきまでの話には触れなかった。本当に仕事の依頼があるなら後日またスケジュールの確認で連絡が来るだろうし、彼の誕生日まではあと五ヶ月もある。その間に私がなけなしの勇気を振り絞れていて、且つ賭けに勝てていたならその時の私が何とかするだろう。今はまだ、距離を保っていたい。

「俺も荷物持ちで行こうか?」
「ありがたいけど流石にホークスと二人で買い物は目立つから──」

昨夜の屋台街とはわけが違う。日中の日用品売り場にホークスがいたら人だかりが生まれることは想像に難くない。そうなれば店にも迷惑がかかるし、いくら民間人への対応を欠かさないヒーローとはいえ目に見えて大変そうな事態にわざわざ巻き込む必要もない。何も今日全てを買い集めなければいけないわけでもないし。そう思って笑いながら首を横に振った。

「迅くん!」
「私一人で少しずつ……ホークス?」

駅から出る階段の手すりを持つようホークスに誘導され、負担がかからぬよう片足ずつゆっくりと踏み出した時、隣にいたはずの彼が後ろで立ち止まっていることに気づいた。二段ほど下がった階段からは彼の顔がよく見える。真夏の太陽に照らされた彼は一切の感情を失っているかのようだった。

「どうしたの?」
「迅くん。こっち見てよ」

私の問いかけには答えずにホークスは開いた口を一度閉じて、私に背を向けた。どことなく私を背に庇うような動きが気になってしまった。一体どうしたというのだ。さっきから民間人がホークスがいることにざわついたり手を振ったりするのにはそれとなく返事をしていたのに。

「……なんでここに?」

ホークスが誰かに話しかけているのは背中を向けられていてもわかった。そしてその言葉に珍しく動揺の色が見えたことも。
だけど今ホークスに話しかけている人なんていなかったのに一体誰と話しているのだろう。ちょうど私の目の前には彼の大きな翼があって前を窺うことはできない。かといって覗き見るのもどうかと思って手すりを掴んだまま階段に立ち尽くした。どうしてだか背中から感じる太陽の熱がいつもより不快に感じる。

「仕事だよ。迅くんも仕事でしょ?同じだね」
「……わかってるならその名前で呼ぶのやめてもらえます?」
「あ、そっか。今はプロヒーローのホークスなんだもんね。ごめんねお仕事中に」

背後から燦々と輝く太陽が私の身体を熱しているはずなのに、胸の奥から指先に至るまで手すりの冷たさが伝播したのではないかと思うほどに急速に冷えていく。
先程から後ろで『迅くん』と声を掛ける女の子がいたのは分かっていた。だけど別にそれは私達に関係ないと思っていたから気にしていなかったのだ。しかし彼女は間違いなくホークスに対してその名を呼んで、ホークスもまた、それに応えている。つまり彼の本当の名前はそれであり、その名で呼ぶ女の子がすぐそこにいるということ。

「まどかさんごめん、買い出し一人でいける?」
「うん。じゃあ……また後で」

元々一人で行くつもりだった。だからホークスが謝ることじゃないし、私も別に気にしていない。そのはずなのに、振り向きもせずに言われたせいかこの場から私を遠ざけたいのではないかと邪推してしまう。
そうは言ってもこの場に残れるわけもない。手すりを持ってまたゆっくりと片足ずつ一段、また一段と踏みしめた。ギプスも付けているし痛み止めも飲んでいて何の問題もないはずの足が痛む。何の関係もないはずの胸も苦しい。どちらも理由はわかっているけれど、向き合いたくない。

「足悪いんですか?」

いつの間に降りてきたのか女の子は私の隣にやってきていた。「ユリ」ホークスが嗜めるように彼女の名を呼んだ。

「降りるの手伝いましょうか?」

太陽に負けじと煌めく金色の髪を揺らした彼女は深いグレーの瞳で私を見つめ、可愛らしい小さな手を差し出している。
彼女は誰なのだろう。名前や生年月日を知りたいわけではない。彼女がホークスの──本当の名前は迅と言うらしいけれど──どんな存在なのかが気になってしまい、手を取ることもせずに彼らを二度見比べて「大丈夫です」答えることしかできなかった。気を悪くしただろうかとすぐに「ありがとうございます」そう付け加えたら「いいえ」と返事はされたけれど、彼女の目は笑っていなかった。




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