「あら、お茶子ちゃん、荷物少ないのね」
「うん。なるべくコンパクトにと思って。梅雨ちゃんのバッグ大きいね!」
「家にある一番大きなヤツよ。私も入れちゃうわ」

友人二人の会話を聞きつつ今更ながらに忘れ物はないだろうかとバスの中に持って入るつもりの肩掛けバッグを開けた。酔い止めと、ペットボトルと、皆に配る用の博多のお土産と、お財布と、それと──

「あっ」
「どうしたの沙耶ちゃん」
「いや、えっと、なんでもない」
「?」
「皆にお土産買ってきたんだけど先生のこと数に入れてなかったなって」

慌てて適当な嘘をついたけれど二人とも納得してくれたようで「じゃあ相澤先生にバレんよう食べよ」と笑っていた。
しかし私も不注意だった。昨日までの博多旅行と同じバッグだったし大して中身は入れ替えなくていいかと思ったのが仇となり、ほぼ昨日と同じ物が多々入っている。その内の一つが、彼に選んでもらい従姉妹に買ってもらった誕生日プレゼント。帰る直前まで付けていたくせに、家につけて帰るのは気恥ずかしくて外してしまったのだ。そしてバッグにしまわれたそれは今日もそのままに林間合宿へともにやってきている。

「数足りてなかったか?」
「あ、先生のこと計算にいれてなかっただけで皆のはあるよ」

ボストンバッグを肩にかけた彼は私達の会話を聞いていたらしい。二人であれこれ言いながらお菓子を購入した土産屋で、彼が鳥の形を模した福岡銘菓を東京の土産じゃないのかと言い切ってホークスの笑顔を固まらせていたのがもう随分と昔のことのように思える。そして新幹線でのやり取りも、家に帰ってから何度も何度も思い起こしたせいで大分時間が経っているように感じるものの、まだ二十四時間も経過していない。
彼への気持ちに区切りをつけるはずだったのに、この二日間で断ち切ることはできなかった。『近くにいていいのか?』その言葉に頷くことしかできなかった。彼と距離を置くことはもうできない。今まで通りに接しながら、私は私の気持ちを制御するしかないのだ。

「いただきます!」

魔獣の森とやらを抜け、辿り着いた合宿所で出された食事は何もかもが美味しく感じられた。白米の甘味、味噌汁の暖かさ、唐揚げの油が疲れ切った身体に染み渡る。「はあ……」思わず味噌汁を飲み終えて息を吐くと「疲れてるな」隣に座る焦凍がもっと食えと言わんばかりに肉団子を皿によそってくれた。

「個性どうこうも含めて体力が……足りてなかったなって。おかげで皆に迷惑かけちゃったし」
「確かに疲れてくると増幅が逆に半減されるとは思わなかった。まあ合宿始まる直前に改善点わかって良かったんじゃねえか」

森の中では長距離且つ長時間個性を使い続ける必要があると判断して八百万や砂糖、緑谷やお茶子など上限を超えたら動くことすらできなくなるタイプの人を『増幅』でサポートしていた。けれど、立て続けにこんなにも多く個性を発動したのは初めてで中盤あたりには人の個性を増幅どころか『半減』させる羽目になった。
恐らくこれは私の個性のデメリット。きっと私自身も個性の使用には上限があり、それを超えると増幅ではなく半減させてしまう。半減は半減で使いようがあるのだろうが、どのタイミングで半減に切り替わるのかをわかっていなければただのデメリットでしかない。

「うん、明日から頑張る!あ、一緒に頑張ろうね!」
「……おお」

合宿ではその辺りを身につけ、上限も高めていかなければ。どういうヒーローになるのか、なりたいのか、明確に将来の夢は決まっていないけれど自分のできることを増やして、把握して、有事の際にすぐ動けるようになるのが当面の目標だ。ニュースで見た従姉妹のように。
明日からまた気持ちを新たに頑張ろうと決意しながら、焦凍が皿に盛ってくれた肉団子を口に入れた。

「秦野、お前はこっちだ」

翌日の午前五時過ぎ、指示を受けたのはプッシーキャッツの虎によるブートキャンプ。ここでひたすらに身体を動かしてアンプの音量を『増幅』させ、またブートキャンプに戻って増幅させての繰り返し。相澤先生曰く「体力と許容上限の底上げと増幅の上限把握をまとめて行える」そうだ。

「プルスウルトラだろお?!」

虎の低い声を背中に感じながらアンプに触れる手へ集中した。いつ半減に転じるかわからないままでは実戦に活用することなどできない。個性の許容上限が低ければ短時間でお荷物になってしまう。彼を支えるという小さな頃からの夢は閉ざされてしまったけれど、だからってこのままでいていいわけはない。限界を超えて成長するのだ。
「しろよ!ウルトラ!」虎の声をかき消すほどにアンプから流れる音楽のボリュームが上がる。まだやれる。アンプから手を離してブートキャンプに戻った。

「じゃあ轟くんと沙耶ちゃんはじゃがいもの処理お願いね!包丁とピーラーそこにあるから!」

お茶子の言葉に了解と返事をして二人で大量に積まれたじゃがいもを持ち、空いているテーブルへ移動した。
二十人いる中で私と彼とで作業をと言われたのはお茶子には以前相談したことが関係しているのだろうか。彼女は私の気持ちも彼を避けていた経緯も既に知っているから、考慮してくれていてもおかしくはない。ありがたいような、そうでないような。

「じゃあ焦凍くんはじゃがいも洗ってくれる?私ピーラーで剥いてくから」
「わかった。……沙耶はカレー作ったことあんのか?」
「え?うん。中学の調理実習でやったよね?」
「……そうだったか?」

首を傾げる彼には笑うしかなかった。中学時代は──勿論今も継続しているが──ひたすらにヒーローへの道を歩んできていた彼だったから、家庭科という授業などとんと記憶に残っていないのだろう。

「喋ってねえでさっさとそっちの仕事終わらせろ!てめえらに任せてたら夕飯が朝飯になるわ!」

隣の机では爆豪が涙一つ流すことなくいつものようにキレながら玉ねぎを切り続けていた。言い方はともかく爆豪は正しい。
じゃがいもを洗う彼の隣で洗い終わったそれの皮をただただ剥き続ける。いつか私の想いが叶って将来こんな風に料理をして、なんて望んだ時もあった。結局その願いは未来永劫叶うことはないのだろうけど。どこか他人事のように考えながら手元を見ると、ある程度剥き終わったじゃがいもが溜まってきていた。

「私芽取ったり切り始めるから、焦凍くん洗うの終わったらピーラーの続きやってもらっていい?」
「ピーラー……わかった」

白いピーラーを見て考える素振りを見せ、私の目を見て頷いた彼を信用した。してしまった。カレーを作った記憶が残っていなかろうと、じゃがいもの皮を剥くことなどわけないだろうと思ったのだ。結論から言うと、その予測は少々甘い物であった。

「え?」
「ん?」
「焦凍くん……じゃがいもは?」
「?」

まるで私の方がおかしな事を言っているかのように彼は首を傾げながらじゃがいもらしき物体を手渡した。皮を剥き終わり、それどころか黄色い身すらどこまでもピーラーによって薄切りにされた石ころのように小さくなったじゃがいもを。そして用意してあったボウルの中にもたくさんそれらは鎮座していた。

「ど、どうしよう……こんなの煮たらなくなっちゃうよね流石に」
「なくなんのか?」
「え?た、多分……?」
「そうか……」

同意されても時間が元に戻るわけではなく、貴重な食材を無駄にしてしまったことは変わりなく。それぞれ包丁とピーラー、そしてじゃがいものような何かを持ったままどうしたものかと二人で目を見合わせた。こういう時にどうしたらいいのか、なんて家庭科の授業では習っていない。

「あ?何やっとんだ」

最も見つかりたくなかった人物の声が横から聞こえる。私達がまた手を止めていたから注意しようと思ったのだろうか。いや、強ち間違いではないのだが。

「え、えっと……じゃがいもの下処理……」
「で?どこにあんだよそのじゃがいもは」
「ここだ」
「ここだじゃねえわ!どうしたらカレー用の芋がこうなんだあ?!」
「俺がやった」
「そういうことを聞いてんじゃねえんだよ……!」

個性の底上げ訓練で疲労がない人などいない。今までの演習授業では確かに個性を使っていたけれど、それとこれとは全くの別次元だったからだ。爆豪も勿論その一人であるはずなのだが、クラスで過ごす時と変わらないように見えて流石体育祭一位は違うなと感じる。

「爆豪くん、これどうしたらいいかな……」
「素揚げして塩でも振りゃ食えんだろうが……ちったあ自分で考えろノロマ!」
「はい……あっありがとう……」

口は悪い。とても悪い。悪いけれど爆豪のアドバイスは的確で正しくてためになる。私達に一言、二言、三言くらいを告げると別のボウルに残っていたじゃがいもを持って自分の机へと移動していった。私達に任せていてはまた失敗するだろうと思っているのだろう。そして私達もそれを強く否定できるほど自信はない。

「俺のせいで沙耶まで怒られちまったな、悪い」
「ううん、私のせいでもあるし……じゃがいもの続きは爆豪くんがやってくれるみたいだし、私達はこっちの処理しよっか!」

言われた通り鍋に油を注ぎ、炭に火をつけて油が適温になるのを待っている間にちらりと彼の横顔を覗くと鍋の下で燃え盛る火を見つめている。父親から継いだ個性は極力使うのを避けていた彼は体育祭辺りから少し変わった。勿論、いい意味で。それを嬉しいと思う反面、前に進んでいく彼に寂しさを覚える。
『近くにいてもいいのか?』彼はあの日そう言ったけれど、私という存在を求めたわけではないのだろうことはわかっている。十年も母親と引き離され、兄や姉と関わることも禁じられていた記憶を幼馴染という関係性の私が刺激してしまっただけだ。今後も彼は歩みを止めず、成長をし、周りにいるたくさんの人と関係性を築くようになれば幼馴染なんていなくともそこまで気には止めなくなるはず。私はそれが寂しいのだ。

「女子会しよー!女子会!せっかくだし」

夕食を終え、温泉にも入った後にB組の女子が部屋にやってきたことから三奈の提案で始まったクラス合同女子会。B組女子が持ってきた菓子では足りないだろうとA組側も全員で菓子を出し合うべぬバッグを開けた。

「沙耶それかわいいー!買ったの?」

三奈の声につられて手元をよく見ると菓子を入れた袋にイヤリングを入れた巾着が引っかかって出てきていた。

「従姉妹がくれたの。誕生日プレゼントにって」
「この間体育祭でお世話になったまどかさんだよね?でもなんかちょっとイメージ違うかも、かわいいんだけど」
「あ、選んでくれたのは焦凍くんなんだ」
「そういえば最近轟と微妙な感じだったから心配してたんだよ、沙耶がフラれたんじゃないかって!仲直りしたの?付き合ってるとか?」

透の言葉にどきりと胸が鳴った。フラれてはないが、フラれたと同義とも言える。イヤリングを選んでもらったし、可愛いイヤリングを似合うと言われたけれど、ただそれだけだ。私がどんな気持ちを持ち続けようとも彼がどんな言動を取ろうとも、今後どうなることもないのだから。

「ちょ、ちょちょ透ちゃん!」
「えー何?皆心配してたでしょ?気にしてたじゃん」
「沙耶ちゃんもほら言いたくないことはあるやろし……」
「いいよお茶子ありがとう。言いたくないってわけではないんだ。別に秘密でもないし」

先月お茶子に話したことをまた繰り返す。然程付き合いのないB組の女子に初っ端からこんなことを聞かせるのもどうかと思いつつ、私と彼との関係性を説明した。五歳からの知り合いであるということ、親同士が決めた許嫁であり私は彼に想いを寄せているものの彼にその気は一切ないということを。

「私がずっと好きなだけで……でも焦凍くんの負担にはなりたくないから、もう諦めようと思ってるんだ。皆にバレてる時点で全然そう振る舞えてないのが情けないんだけど……」
「でも前も言ったけどさ、轟くんは沙耶ちゃんのこと、そういう風には思ってないんと違うかな」
「焦凍くんは優しいから、突き放さないだけだよ」
「そうかしら? 轟ちゃんもよく目で追ってるわ、沙耶ちゃんのこと」

梅雨の言葉がほんのりと胸を暖かくする。
けれど、やはり事実としてそんな事はない。たとえそうであっても家族関係のトラウマから私を気にしているだけだ。頭ではわかっているのにそうであったらいいな、なんて微かな望みが消えてくれない。二日前までは好きでいるのをやめなきゃなんて考えを持っていたくせに今の私は随分と様変わりしてしまったようだ。




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