「補習組」

背中から低い声がかかった。まだ合宿は始まって三日目の昼だというのに私の身体には既に疲労も倦怠感も蓄積している。初日で自身の個性のデメリットを把握し二日目では上限値を高めるために個性を使い続け、三日目も同じように訓練をしているわけだけど、二日目と三日目の間に行われた夜間の補習が何よりも私の瞼への重石となっているのだ。

「動き止まってるぞ」
「はい……」

アンプの音量を示すメーターは上にも下にも振れていない。つまり私は個性を今使えてすらいないということ。抹消されているのではないのだから使えないわけがない、もう一度アンプに触れている手に力を込めるとメーターが上に振れた。もっと頑張らなきゃ。プルスウルトラの精神は私の背中を押してくれる。アンプから手を離してブートキャンプに戻ろうと足を向けた時、担任から呼び止められた。

「午後はクラスの全員と組んでこい」
「えっ?」
「機械の性能と人の個性との調整は別物だ。半減するタイミングはわかってきただろう。次は対人だと何回、どのくらいできるのかを把握しろ。お前らも秦野の個性で自分の力がどう変わるのか理解しておけ、後期の授業で参考になるはずだ」

確かに皆の個性を増幅するのとアンプの音量を上げるだけとでは勝手も違えば私の疲労も異なる。合宿は今日を含めても残り五日しかないのだから、しっかりやり遂げて新学期までに皆に追いつかなくては。「はい!」先生に返事をすると昨夜同じように補習を受け、今も近くにいた上鳴から「元気分けてくれ……」と小さな声と共に手を差し出されてつい笑ってしまった。

「上鳴くんは普通にやってていいからね、私は放電のタイミングで合わせる」
「オッケー、一応前に飛ばすようにするけど秦野も気をつけろよ」
「うん、ありがとう」

上鳴と手を繋ぐ。つまりかなり至近距離にいるというのに全くと言っていいほど何も感じない。新幹線で彼とこの距離で顔を合わせた時は死にそうなくらい心拍数が上がってしまったのに個性のためとはいえ上鳴とでは、何一つ。
放電のタイミングで個性を使うと「うおっ」上鳴から声が上がる。余計なことを考えていたから増幅し過ぎたのだろう。「ごめんね」と謝りつつ個性を抑えた。

「秦野ー……俺もー」
「私皆の体力回復役じゃないよ?」

上鳴から離れて瀬呂と手を繋いだ。上鳴は放電の上限値を増幅すればいいけれど瀬呂のテープという個性ではやることが多い。先程の担任による瀬呂の個性分析はテープを出せる上限とテープの強度と射出速度の強化だったか。

「お!すげえ!」
「何が?」
「俺秦野の個性借りるの初めてなんだよ。いつもよりテープ出んのも速いしすげえ楽」
「ほんと?よかった」

私は目に見える個性ではないし、私の有無が他人の個性にどう影響を与えるかもアンプと違ってわかるわけではないから、瀬呂に言ってもらえたことが嬉しくて頬が緩む。「また頼むな」という言葉に頷くと離れたところでドラム缶に入っている焦凍──昨日聞いたところによると熱湯に浸かり温度調節をしながら氷結を使うという複雑な使い分けをしているらしい──と目が合った。

「?」
「おいノロマあ!手空いてんならさっさと来いや!てめえだけの都合じゃねんだぞ!」
「あっうんごめん」

彼の隣で同じように熱湯へ手を浸している爆豪に呼びつけられながらも肩をびくつかせることなく返事をできたことにここ数ヶ月での成長を実感する。むしろ聞き逃すことがなくて逆にいいかもしれないな、なんて呑気なことを考えたまま爆豪のよく温められた手を取り個性を発動すると信じられないほど大きな爆音がした。

「まあまあだな」
「こ……これで?」
「てめえと手繋ぐのに片方使えねんだから当然だろうが」
「あ、そっか」
「……ジロジロ見てんじゃねえぞ半分野郎!」
「悪い、すげえ音だったから」

ドラム缶に入ったままの彼とまた目が合う。熱湯に全身浸かって個性を同時に二つ使いながら爆豪のことも見ているとは器用にもほどがあるな。私と彼とに生じている距離は縮まることなく広がり続けているように思えてしまう。

「沙耶」
「?使わない方の手出してくれたら──」
「……必ずしも手を繋ぐ必要はないんじゃねえか?」

彼は熱湯のせいか額にも頬にもたくさんの汗をかいていて、その目もどこか熱を帯びているかのようだった。確かに爆豪のように手から個性を出すタイプではむしろ私が邪魔をしてしまうし、切島のように身体の形や質が変わってしまう人とでは手を繋いだままでいることは難しいし。上鳴の放電や緑谷の超パワーには私自身が巻き込まれる可能性だってある。
五歳で初めて個性を発現させたあの日、彼と手を繋ぐことによって増幅させることができたからそうしないといけない──という固定概念に囚われ過ぎていたのかも。「麗日みたいに一回触れるだけってのはどうだ?」轟焦凍という人はあの頃も、雄英に入ってからも、いつだって私を救けてくれるヒーローなのだ。

「どうかな?」
「いいんじゃねえか?でも手繋いでる時よりは少し威力が弱い気もする」
「そっか……じゃあ次、手じゃなくても触ったままとかやってみてもいい?」
「ああ。今日色々試しといた方が明日以降楽だろ」
「うん、ありがとう」

彼の協力のおかげで個性の使い方による力加減の調整も、半減してしまうタイミングや回復に至るまでの時間なんかも理解することができた。しかしその分他の人よりも接する時間が長くなり、上鳴や瀬呂には手を繋いだって生じなかった感情の昂りを抑えるのは訓練と同じくらい体力を使うこととなった。
個性の制御と感情の制御、それらを並行するのは今の私には難し過ぎる。昨夜だって『そういう風には思ってないんと違うかな』『轟ちゃんもよく目で追ってるわ、沙耶ちゃんのこと』お茶子や梅雨にそう言われただけで望みを抱いてしまったし、今だって私の訓練に付き合ってくれる優しさに胸が高鳴っていた。こんなことで私は本当に彼への気持ちを諦めることができるのだろうか。

「沙耶、おかわりいるか?」
「あ、うん!お願いしていい?」

大量に肉じゃがが盛られている器は焦凍の目の前にあり私の手では届かない。ほとんど取り皿を空にしていた私に気づいてくれた彼にお礼を伝え、お茶を一口飲んだ。
本来ならもう食事を終えてもいいくらいには食べているのだけど、今日も補習はある上に明日からはもっと試していかなければいけない。とにかく今は体力をつける必要がある。「食もトレーニングの一つだ」と先生も言っていたし、食べられるなら食べておこう。そう思いながら彼から皿を受け取った後もなお彼は私を見ていた。

「これくらい食えるか?」
「全然大丈夫!」
「……沙耶って」
「ん?」
「いつもうまそうに飯食うよな。結構大盛りでも残さねえし」
「お、お恥ずかしい限りです……」

彼の顔を見て、盛られた肉じゃがの量を見て、今まで自分が食べた量を思い出して、顔に熱が集まっていく。確かに平均的な女子高生の食事量とは似ても似つかぬものだろう。雄英に入る前から友人達には帰宅途中の買い食いで「まだ食べるの?!」と言われたことも一度ではない。
疲れているとはいえ好きな人の前でこうも食べ続けるのは女子としてあまりよろしいことではないのに、残すのは勿体ないし食べたい気持ちは抑えられるわけもないのでお箸で摘んでいたじゃがいもを口に放り込んで彼から目を逸らした。

「恥ずかしいことねえだろ、俺は沙耶が幸せそうな顔で食ってるとこ好きだぞ。かわいいし」

ガチン、と箸のぶつかる音がした。私だ。彼の発言に動揺し、柔らかくなっていた人参を持とうとして勢いよく割ってしまったのだ。「あっ、ごめん」礼儀のなさに慌てて謝りながらも頭の中では彼の言葉が何度も何度も繰り返し再生されていた。

「し、幸せそうな顔?私そんなのしてた?」
「ああ。博多で焼き鳥食ってた時もしてたし……学食でハンバーグ食ってる時も大体その顔してる」
「してたかあ……」

自分が食事をしている時の顔など見たことはないのだが、彼がそう言うのならそうなのだろう。恥ずかしいけれど。今もまだ顔は熱いけれど。私のその顔を彼が好きだと言うのなら、何も気にすることなく食べ続けよう。
肉と玉ねぎとを白米と一緒に食べた。ランチラッシュの作るハンバーグ定食には程遠い美味しさだけれども、少しずつ力が身に付いている充実感だとか彼が肯定してくれた嬉しさだとかが食事の味を底上げしてくれているように感じる。

「ほら、轟ちゃんはよく見てるわ」

食事を終えた彼が洗い物を運ぶのに席を立った時、逆隣に座っていた梅雨がお茶碗を持ったまま笑いかけてきた。

「つ、梅雨ちゃん聞いてたんだ……?」
「ごめんなさいね、聞こえちゃったのよ」

ケロケロと笑う梅雨を見て、彼との会話を聞かれていたことに対して先ほどとは違う熱が身体を巡っていく。
「私も好きよ、沙耶ちゃんが幸せそうに笑っているの」梅雨の言う好きと彼のそれは同じ言葉なのに何故こうも違って聞こえるのか。無論、考えるまでもない。私が卑しくも未だに心の奥底で願っているからだ。いつか私のこの想いが成就して、彼に好きだと言われるそんな未来が訪れることを。

「補習組に肝試しは無しだ。行くぞ」

食事の後片付けが終わってすぐ、捕縛布により身体の自由がないままに宿舎へと戻ってきた。日中の訓練が疎かになっていたという先生の言葉は少なくとも私には刺さるものだったし、肝試しに参加したい気持ちはあれど補習の方が大事というのも理解できる。

「私達も肝試ししたかったあ……沙耶もそう思うでしょ?」
「うーん……」

補習組と一まとめにされている六人の中でも私は一番遅れをとっている。三奈には主体性があるし行動力もある。砂糖や切島はゴリ押しで行けばそうそう倒れることはない。上鳴の電気系個性は外れがないと言われているほど万能なもので、試験の時に私がサポートできていたらここにはいなかった可能性の方が高い。私に足りないものは一つや二つでは済まない。もっともっと、身につけるべきものがある。
夏がこれで終わるわけではないのだし、今日は補習できちんと学ぶことを優先すべきだろう。ただでさえ今日の午後は彼に触れている時間が長く、個性の制御というよりも感情を制御することに神経を使っていたのだから。

「またやろうよ、夏休みあと一ヶ月あるし」
「絶対やりたーい!夏祭り行ったり花火したり……やりたいよう……」

そういえば彼と買ってきた花火もまだできていない。この調子では合宿中にできないかもしれないけれど、残り一ヶ月の夏休みでどこか公園に行くなり学校の皆で集まるなりして楽しい時間を過ごせるように。「今は補習頑張ろ!」項垂れる三奈の背中を押して補習組に用意された部屋へ入った。




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