花にまつわる個性を持って生まれ、先祖は代々花を生業としていて親は花屋を営み、苗字は杉本、与えられた名前はユリ。なんて安直なのだと思わなかった時がないわけではないが、まあそんなものかと受け入れていた。
ありきたりな名前、何かに使えるわけでもない個性、秀でた学力もなければ容姿とて突出しているわけでもなく。唯一平凡でなかったと言えるのは高校生になろうかという時に親が亡くなり、一人で花屋を切り盛りするようになったことくらいだろうか。

「いらっしゃいませ」

チリン、というベルの音に顔を上げて客に頭を下げた。他の花屋はどうだか知らないけれど私の店はそれなりに繁盛している。とはいえ、花の種類が多いだとか両親を好いていた常連が通ってくれるだとかそんな理由ではない。法律で禁じられている個性を使っているからだ。
私が手渡した花の香りを嗅いだ人のことを一定の時間操ることができる個性。操るといっても意にそぐわぬ事はさせられないし、渡した人数に反比例して操る時間も短くなる。しかし花屋の店主としてはそれで問題などなかった。一度でも花屋に来たということは少なからず花が好きということ。店に来させさえすれば大抵の客は私が指示するまでもなく何かしら買って行ってくれることがほとんどだった。十代で頼れる大人もいない、そんな私が人を傷つけるわけでもない個性を仕事に使うことくらい別にいいだろう。そのくらいの感覚で。

「素敵な個性だね」

こう言ってくれたのは十八歳になってすぐ出会った神山という男性だった。私より一回りか、恐らくそれ以上は歳が離れていてスーツのよく似合う人だった。何故か私が個性を使って営業していることを知っていて、それを咎めるわけでもなく肯定してくれて。
「言わないだけで皆やってるから気にしなくていい」そう言って笑う彼とはいつの間にか客と店主という関係から男女の仲になり、そしてある日、自分の研究にも協力してくれないかと頼まれた。

「研究って?」
「個性の研究をしてるんだ。どんな種類があって、能力の強弱や持続時間、それらを遺伝学的な側面として──」

高校にも通っていない私には彼の言っていることは半分も理解できなかった。私の表情から察したらしい彼は要するに、と前置きして「君の個性で人を集めてほしい。場所や時間は毎回連絡するから」私がすべきことだけをまとめてくれた。このお願いをされた時には既に私以外の女がいることも知っていたけれど、いやだからこそ断ることなどできなくて。彼に必要とされた事実が嬉しくて。彼に言われるがまま、指定された場所と時間に花屋の客を行かせていた。

「……」

何となく、おかしいなとは思っていた。花屋は相変わらずそれなりに繁盛しているけれど、彼の研究に『協力』した人達が一割くらい店に帰ってこないのだ。彼との距離も日に日に開いていっている気がする。もしかしてあの女のところだろうか、それとも最近よく家に入り浸っているらしいあっちの女だろうか、いや、この前私に指示を伝えに来た方か。そんな事ばかりを考えている十九歳の夏の終わり、運命が訪れた。

「いつも店にいますよね」
「え?まあ私の店なので……」
「俺と同い年くらいなのにすごいな」

金髪とはいかないまでも明るい茶色の髪が目立つ整った外見の彼。他愛のない会話を繰り返す内に同い年ということを知り、迅という名前も教えてもらった。私が個性で呼び出す日時には来ないから買い上げた花は誰かにあげているか、買った花と近くにいる生活を送っていないのかもしれない。なのに彼は何度も店にやってきては花を買って帰る。正直、迅は私に会うために店にやってきているのだと思っていたし、それは間違いではなかった。

「他に女がいるやつなんかやめなよ。辛いだけでしょ」
「私もそう思ってるけど……神山さんは私のこと必要って言ってくれるし」
「それ、どういう意味で必要とされてるか本当にわかってる?」

迅は私の人間関係や恋愛模様をとても気にかけてくれた。こんなことただの客はしない。迅は私に気があるのだと言葉にされなくてもわかっていて、私自身、ほとんど気持ちは彼に向いていた。
何せ神山とはもう一月に一度会うくらいでその時間のほとんどは私の家。昔のように二人で出かけることもなければ私の話などろくに聞いてもくれもしない。そんな私が隣にいてくれる迅に惹かれていくのは自然の摂理だろう。

「その神山さんってのと俺は会ったことないけど……ユリが傷つくだけじゃないかな」

迅が私の手を握り「俺んとこおいで」そう言ってくれた。一言一句全てが合っているわけではないけれど確かそんなようなことを言っていたし、付き合おうと明確に言わないだけでそう言う意味なのだと受け取った。
それから神山と同じように迅が私の家に来るようになり、神山と同じように迅との関係性も変わっていった。神山と違うのは何度身体を許そうが私から離れていくことはなかったという点。ああ、私は本当に彼に愛されているんだ。個性ではなく私自身を必要としてくれるんだ。事実、いつだって迅は私のことを気にかけてくれていた。

「あれから神山と会ったりしてない?」
「まあ仕事ではたまに会うけど……でもやっぱりあの人私には何の未練もないみたい。腹立つ」
「仕事って花屋の?」
「あ、ううん。言ってなかったっけ、あの人研究者でね。私が少し協力してるからそれでたまに会ったり電話したり」
「そっか。次会うのいつ?心配だし俺も行くよ」

別にいいのに。口ではそう言いながら彼の気遣いが嬉しかった。神山からの連絡はいつだって急で迅の都合がつくのか不安ではあったけれど、日時と場所を伝えれば「絶対行くよ」と返事が届く。心配してくれてるんだろうな。私を想ってくれているんだな。そう感じて口元の緩みを抑えようとも思わなかった。

「全員動くな!」

そして神山に呼び出されたその日、騒がしい物音と共にヒーローや警察が部屋に雪崩れ込んできて考える間もなく拘束された。
神山は個性で抵抗していたけれど私は自分のことよりも迅が心配で。私はともかく迅は何も悪いことをしていないのに。部屋にもいないし連行されている間も彼を見ることはなかったけれど、もし巻き込まれでもしていたら。とばっちりを受けていたら。

「赤羽根迅?」
「そうです。私と同い年の男の人。捕まってませんか?」
「仲間ってことですか?」
「ち、違います!私があそこに来るよう言ったから巻き込まれてないかと思って……」

神山の研究は私が思っていたようなものではなく、人の個性を暴走させる危険な薬を作るものであったらしいけれど未成年の私は幸いにして刑務所送りにはならなかった。施設に収容され、週に二回のカウンセリングが義務なのが面倒だけど。実際私は違法行為をしていたのだから仕方のないことなのだと受け入れていた。

「そんな人いませんでしたよ。施設にも来てません。そもそもあなた以外に未成年はいませんでしたから」
「そう……」

安心はできた。やはり急な呼び出しだったから彼はあの時まだ来てはいなかったのだ。彼に会えない日々は何にも変え難い苦痛であったし、携帯を取り上げられているから彼に連絡を取る手段もない。あの日あの場所にいなかった彼が私のいる施設を見つけられるわけもなく、ただただ無駄に長い時間が流れていった。
早く彼に会いたい。彼も私のことを心配してくれているはず。そう信じて施設で二年という対価を支払い、やっと外に出ることができた。当時所持していた荷物は携帯を含め全て返され、次の仕事先も紹介され「もう戻ってきてはダメですよ」にこりと笑った私のカウンセリングを担当した女性に別れを告げる。

『お掛けになった電話番号は現在使われておりません』
「……?」

施設の外で最初に聞いた声は機械的な女性のものだった。履歴の一番上にあった『迅くん』と書いてあるところをタップして電話をかけたはずなのに、繋がらない。二年も経っているのだから携帯くらい変えるだろう。そう思いながらもじわりと胸の中に不安が滲んだ。電話を変えたって普通番号まで変えたりしない。だけど実際、彼に繋がりもしなければ、彼が私に連絡をしてきた形跡すらない。
迅は私のいる施設がわからなかったから会いに来ることはなかった。きっとこんな事件に加担していたことさえ知らないはず。でもそれなら何故、一度も電話やメッセージが送られてきていないのか。恋人がいなくなったら心配するのが当然なのに。

「……いない……」

地元に戻り、迅の家に行くと住んでいたのは全くの別人。二年ほど前から住み始めたのだというその人は前に住んでいたのは三十代半ばくらいの女性で綺麗な部屋を譲ってくれたことを感謝していると言っていた。
合鍵を渡していたからもしかしてと思いはしたが彼の姿形など微塵も見受けられない。いた痕跡すらない。ほんの二、三ヶ月とはいえ彼にはとても大切にされていたし、二年を待てないだけならともかくただの一度として家に入った形跡もないなんて。

「迅くん……」

何故、どうして。そればかりがぐるぐると頭の中を駆け巡り何日かが経った頃、流石に空腹に耐えかねて入ったカフェで一冊の雑誌を見つけた。

『下半期もチャート上位確実!プロヒーロー・ホークスの恋愛観とは?』

恐らくそれ以外にも雑誌としては見どころがあったのだろうが、私には右下に小さく書かれたその文字と表紙の中央を飾る彼の姿しか情報を得ることができなかった。
見間違うわけがない、彼の姿を。二年見ていないとはいえ、一緒に過ごした時間は微々たるものだったとはいえ、運命だと感じた彼のことを。しかし表紙を務めているのは迅自身なのだが、彼は迅ではなく『プロヒーロー・ホークス』と書かれている。

「……ヒーローになったんだ」

いや、もしかしたら私と出会った時にはもうヒーローだったのかも。そういえばヒーローは多忙な職業と聞いていたし、雑誌の表紙になるくらいなら他の人よりも更に。それなら私への連絡がないのも仕方ないか。もしくは事件に間接的に関わっていた私に彼から連絡をしたことが嗅ぎつけられでもしたら大変なことになるから連絡もなかったのか、とか。
なんだ、そんなことだったのか。ほっと息を吐いて雑誌を片手に席へと戻り、注文していたアイスキャラメルラテを一口、二口と飲み込んだ。生クリームとキャラメルソースの甘い味が口の中に広がる。二年経っても私の想いは変わっていないと彼に伝えに行こう。きっと彼も同じ想いに違いない。いつまでも見ていたい気持ちを抑えて雑誌のページを繰った。

『初恋はいつ?』

あ、知ってるこの質問の答え。彼は中学の頃に部活の先輩に微かな恋心を抱いていたのだと、二人で見た恋愛映画と同じ体験をしたのだと昔話してくれた。こんな事も皆知らないのだなと思いながら文字を追うと『少し前ですね』と書かれていて、読み違えでもしたかと三回瞬きをしてみる。しかし答えは変わらない。

『告白は自分からする?したことはある?』

そういえば私達は──というよりも変に恥ずかしがり屋な彼に私が一方的に──あれこれ言いはしたけれど、付き合おうと明確に言葉にしたことはなかった。いつの間にか彼と家を行き来するようになり、仕事や昔の恋愛の話をしたり、合鍵を渡すようにもなって。だけど二人で見た映画では大体どれもそうだった。何となく相手と想いが通じていることを理解して、何となく一緒にいるようになって。それが運命かのように。だから私達もそれと同じことだ。
アイスキャラメルラテをストローで吸い上げるとキャラメルソースが多いところに当たったのか、先ほどよりも苦い味がした。

『好きだと言葉にする方は少ないそうですがホークスはどうですか?』

そう、私が知る男性は好きだとか愛してるだとかを口にすることはなかった。神山も迅も例外ではない。男性はそういう生き物なのだと思っていた。すぐには言葉にしてくれないのだと。

『いや、好きなら好きって言いたいですね』

彼の答えを何度も読み返した。彼と過ごした三ヶ月、恋人になってからの二ヶ月を振り返っても、ただの一度だってそんなこと、言われたことはないのに。好きなら好きと言う、つまり好きではないなら軽々しく言ったりしないということだ。生クリームを食べすぎたのだろうか、胸の底が、胃に近いどこかがムカムカとして吐き気がする。
雑誌から一旦離れ、携帯でプロヒーローのホークスと検索をかければたくさんの情報と写真が出てきた。背格好も髪も顔も彼そのもの。迅本人であることは疑いようのない事実なのに、このインタビューは何なのだ。私の知っている迅ではない。氷を食べたわけでもないのに指先が冷たくなっていく。もう夏もやってくるというのに。

「博多……」

博多の空を見上げれば彼を見ない日はないとまで書かれていた。彼は、博多にいるのだ。




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