第一印象は、正直言ってあまり良くなかった。

「ホークスです、よろしく」

差し出された手を握っているのに何か一枚隔てているような感じ。一般市民ではなく同業相手であってもイメージを崩さぬためにとヒーローを演じているプロは多いが、彼はプロだからというよりも彼自身の性格がそうさせている気がした。根拠などはなく、ただの印象だけれども。
私自身人懐こいというわけではないし、誰彼構わず距離を詰める性格ではないから人のこと言えた義理ではないのだが、彼のそのわざとらしい笑顔は『あまり仲良くなれなさそうな人』に分類する大きな要因となった。

「お久しぶりです」
「来てくださったんですね、ありがとうございます!」

あれから約三年。使い勝手の良い個性を持った私は全国津々浦々に存在するプロヒーロー事務所からその個性を求められ、もしくは人手が不足している過疎地域に短期で雇われながら過ごしている。福岡のこの事務所は前者だ。
基本的にはホークスが敵を倒してサイドキックがその確保をするのだが、前情報で敵の個性が強いとわかっており確保が危うい場合、もしくは所属ヒーロー達の休日を調整するためだったり他にも様々な理由で私が呼ばれる──と言っても、いつだってその張本人であり事務所の長は出払っている。今日も出迎えてくれたのはサイドキックの一人。

「ホークスはもう出てますか?」
「はい、先にパトロールしとくって。オレらはまどかさんと一緒に来る手筈ですね」
「わかりました。すぐに出ましょう」

速すぎる男という呼び名の通り、指定された時間に来ても彼がいることはほとんどない。大捕物があるからといって困っている人を見捨てられないというのは街を大事にしている彼らしい行動だとも思うけれど、ただの一度も彼との事前打ち合わせを行えないまま今に至っているのは少し問題なような気もする。

「ホークス!」
「遅かったね」
「言われた時間通りに来てるんだから文句は過去のご自分にどうぞ」

飄々とした彼は相変わらず空を背に街を見ていた。九州で一番栄えていると言っても過言ではないこの地域では大小問わずよく事件が起きる。私はあまり都会の事務所に呼ばれることはないから何とも言えないけれど、彼が熱心に見回る時間を増やすのも無理はない。

「五分前行動って知らない?」
「その時間に来たらまた遅いとか言うくせに」

ハハ、と彼の小さく笑う声が聞こえた。チームアップで最初に顔を合わせた三年前とは全く違う、人間らしさを持った笑みだった。いつからだろう、彼のこんな表情を見るようになったのは。

「じゃ、行きますか」

空中と地上とでそれなりに距離はあるのに彼の纏う空気が変わったのが伝わってくる。ピンと張り詰めた雰囲気は嫌いじゃない。サイドキックの二人も談笑を止めてホークスに向き直り、姿勢を正した。

「はい終わり」

結果から言うと大変なことは一つもなかった。
いつも通りホークスが敵を捕まえ、サイドキックと私で確保。「見回りして帰るから後はよろしく」ホークスは言うやいなや飛び去ってしまった。
遠路遥々呼んでおいて何もなしか。別に期待していたわけでもないのについ口からため息が出る。それが聞こえてしまったらしいサイドキック二人が頭を下げた。

「すみません、これならオレらだけでよかったい……」
「あ、そういうことじゃなくて。念を入れるのはいいことですし。じゃあちょっと失礼」

捕縛された敵の腕に触れる。私の個性である空気操作を使って空気の中に存在する窒素だけを送り込めば窒素酔いの完成だ。歩ける程度に無害化しておけば警察に引き渡しても何の害もないだろう。へらへらと笑い始めた敵を見て先程とは違った意味で息を吐いた。一応私の仕事はしたし、戻ったらホークスとお金の話をしなくては。

「へー、窒素がアルコールと同じとです?」

警察に敵を引き渡し、夕焼けを眺めながら道中に起きる揉め事に仲裁や交通整理をはじめ、諸々の活動をしながら三人で事務所へ戻っていった。
事務所に近づけば近づくほど人出が増え、賑やかになっていく。博多の中心地に事務所を構えているのは恐らく事件発生率の高さを鑑み、何か問題が起きたらすぐに駆け付けられるようにという目的のためだろう。
事務所は確かプロデビューと同時に立ち上げたはずだからその当時のホークスは十八歳。そんな若さで事務所をあそこに構えたことも、事件対応への迅速さも、年下だというのに尊敬せざるを得ない。今もきっとどこかで誰かの助けになっているはずだ。

「ほろ酔いと酩酊の間って感じの酔わせ方ですね。気絶させたら支えなきゃいけなくて面倒ですし」
「ああ……よくやります……ここはいい街ですけど酒が美味過ぎるのが欠点ばい」
「福岡はご飯もお酒も美味しいですもんね……」

通りには所狭しと立て看板も出ていて、その殆どに美味しそうな料理やお酒の写真が飾ってある。サイドキックの彼と同じ看板を見ながら話していることに気づき、顔を見合わせて笑った。帰るにはまだ時間があるし、ホークスとの話が終わったら何か食べて少しゆっくりしてから帰ろう。

「そうだ、この辺で美味しいお店ありますか?」
「何?俺抜きでご飯行くの?」
「ホークス早かったですね」
「ああ、他のヒーローが出てきてたから任せてきました。で、行くの?」

サイドキックの二人はいきなり現れたホークスに身じろぎもしなかったが私は違う。三年の付き合いがあるとはいえ毎日会っているわけでもない。事務所の扉を開けようとした私達の後ろから突然いないはずの人間の声がすれば驚くのも当然というものだ。それ以外の理由はない。

「まあ、私はせっかくだから博多でご飯して帰ろうかなって思ってるけど」
「じゃあ俺も。何がいい?水炊き、焼き鳥、もつ鍋──はまだ早いか」
「ならオレら警察に出す書類まとめたら帰るんで」

サイドキック二人が事務所に入ってすぐに扉を閉めたおかげで、入るタイミングを逃してしまった。事務所の前であるエレベーターホールに残されたのは私とホークス、二人のみ。

「はーい、お疲れ様でした。どこ行く?俺が決めていいならやっぱり水炊きかな」
「私まだホークスと行くなんて言ってない」
「今日の支払いの話もしなくていいってこと?」
「……」

サングラスを取ってわざとらしい笑顔を向けてきたこの男は素晴らしく有能なプロヒーローであるが、その一方で事務所の長として財布を握っているのもまた、この男だ。まさかタダ働きさせるとは思えないけれどこう言われては行くしかない。そう、行くしかない。お金の話をしなければいけないのだから。私の個人的感情は関係ない。選択肢などないのだ。

「そんな見られると照れるな」
「はあ……」

じっと彼を見ると「何か?」とでも言いたげに少し首を傾げていた。
この誘いには何も意味もない。私と二人で食事に行くことなんて何の他意もなく、お腹が空いているけれど一人で店に入れば人気者が故に囲まれてしまうから、誰かと行きたいだとかそのくらいの気持ち。

「水炊き嫌いだったっけ?」

別にここにいるのが私でなくとも彼は同じことをしていただろうと頭ではわかっているくせに、こうやって仕事に関係なく誘われただけで感情が忙しなく動き回ってしまう。彼と二人で食事など初めてなのだから、仕方ないといえば仕方ない。期待するだけ無駄とわかっているくせに、彼と時間を共にできることを嬉しいと感じてしまう自分がいるのも、仕方のないことなのだ。

「……好き」

博多の人はどうだか知らないが、私を含む本州の人間は普段からよく食べるものではなく、好きか嫌いか判断できるわけもない。私が好きなのは水炊きなんかじゃなくて。

「そりゃよかった。じゃあ行こっか」

三年前に見せたような演技じみた笑顔ではなく、とても自然に笑っているように感じた。



ホークスと二人で食事。仕事の打ち合わせなどでもない、ただの食事。それだけのことなのに事務所から離れるほどに緊張が増していく。騒ぎになるのも困るし空から先導すると彼が言い出してくれたことには心から感謝を送りたいくらいだ。

「あ、ここここ」

幸いなことに今は夕食どき、皆それぞれに用があるらしく突如現れたホークスに干渉することもなかった。
ガラリと引き戸を開けた彼は「どーも。個室空いてます?」とくだけた敬語で仲居に話しかけていた。

「いらっしゃい。奥ばお使いください」

仲居に手で示されたのは奥の方というだけでどこを指されているのかはわからなかった。しかし彼は勝手知ったる様子で進んでいく。店員も彼を見たところで顔色一つ変えるわけでもなし、ここが行きつけの店ということなのだろうか。どことなく入り口からして高級な雰囲気が漂っているけれど、年下とはいえ彼はデビュー当時からヒーローランキング上位常連。そう不思議なことでもないか。
遅れないように彼の後ろをついて行かなければと一瞬焦った時、仲居から「ご案内します」と声をかけられた。

「お姉さんどこから来たと?」
「静岡です。こっちには仕事で」
「ホークスと仕事ならヒーローばいね?」
「まあ……はい、一応」
「いつもありがとうねえ。ヒーローさん達には頭ば上がらんたい」

こうやって何もしていないのにヒーローだからとお礼を言われるのはこれが初めてではない。日々街の人達を助けているヒーロー──彼女にとってはホークスがその代表だろう──に向けられたお礼を私が受け取るのもおかしな話だ。
階段を昇ってお手洗いの場所など案内を受けながら個室に近づいていくと彼が扉の前で待ってくれていた。

「まどかさん水炊きと……あとどうする?」

落ち着いたお座敷の個室。もっと騒がしい大衆向けのお店だったらここまで緊張しなかったかもしれないのに。まるで──そう、接待で使うような部屋だと気づき、そういえば私も仕事の話があるからホークスと食事になったのだと思い出した。打ち合わせでなかろうが、私がどんな感情を抱いていようが、彼は仕事相手。改めて自分に言い聞かせながらメニューを開いた。

「よく来るんでしょ?ホークスの好きなものがいいな。地元の人が美味しいっていうなら間違いなさそうだし」
「じゃあ鳥の生ハムは?どうせなら静岡にはないものがいいよな」

メニューも見ずに彼はてきぱきと注文を済ませていた。
その間にちらりと周りに目をやれば窓の外には大きな川が流れていたり、調度品も見るからに高そうなものが並んでいる。彼は奥と示されただけでこの部屋に辿り着いていたのだ、きっと何度も来ているんだろう。しかしこんな店に一人で何回も来るものだろうか。

「どうかした?」

仲居が注文を聞き終えて部屋の扉を閉めるとホークスが口を開いた。

「え?」
「考え事してたように見えた」

その質問に対する答えはあなたが今までここに誰と来ていたかが気になっている、だ。仲居さんも対応に慣れていたということは誰かを複数回連れてきていたのではないだろうか。
福岡にはたくさんのプロヒーロー事務所がある。有能なホークスは各所から応援に呼ばれることもあるだろうからそういう付き合いで来たのかもしれないし、全く関係ない私的な関係の人かもしれない。そんなことが気になった、なんて口が裂けても言えやしない。私はたかだか一年に多くても五回程度、彼に呼ばれるくらいの仕事相手なのだから。

「あー……そういえば、ホークスって私には敬語使わなくなったなって。どうして?」

サイドキックにも仲居にもそこまで畏まってないとはいえ敬語で話しているし、今のところ彼が私相手のように話しかけるところを見たことがない。彼は私より二つとはいえ年下なのに。まあ別にこんなこと気にしてないからどうでもいいのだが、今までここに誰と来たのかなんてことを聞けるわけもなく。

「……そっちの方が良かった?」

ホークスと視線が交わる。彼にどんな意図があるのかはわからない。じっとこちらを見ているその目はどことなく私を試しているような、品定めしているかのようにも感じられる。勿論それは私の勝手な思い込みだけれども。どくんと波打つ胸を落ち着けるべく静かに息を吸った。

「どっちでもいいけど」

これも嘘だ。彼が皆に敬語で接するのなら、私にはそうじゃない方が嬉しい。たとえ彼が私に気を許してるわけじゃないとしても、その他大勢と一緒ではない部分があるのならそれだけで。
「じゃあ遠慮なくこのままで」と微笑んだ彼はヒーローのホークスではない一人の男性に見えた。いよいよ重症かもしれない。

「まどかさん今日帰るんだっけ?」
「うん、従姉妹が雄英受かったからそのお祝い買ってあげるって話になってて」
「雄英。結構離れた従姉妹いるんだ」
「敬語は使わなくていいけど年齢の話はやめてくれる?」

仲居がいい塩梅に作ってくれた水炊きを食べながら睨むと軽く笑われた。さっきの微笑みとも、初対面の時との作り笑顔ともまた違う笑い方。この三年でそう多くはない時間しか過ごしていないけれど、会う度に彼の表情が増えていくような気がして、そしてそれを嬉しく思う自分がいることに気づいて急に恥ずかしくなった。
まったく、と自分の気持ちを隠すために嘯きながら口に入れたキャベツは鳥の味がしっかりと染み込んでいて旨味が広がっていく。こちらに集中していれば余計なことは考えなくて済むかもしれない。

「雄英ってことはやっぱりヒーロー科?」
「みたい。珍しい個性だからうまくいけばプロヒーローとして就職は難しくないしいいんじゃないかな。……でも、その頃までにヒーローがいらない社会になっててほしいけど」

もう十五歳で高校に入学するのだと言われても私の記憶にいるあの子は小さくて、危なかしくて、守られるべき存在のまま。ヒーローなんて危ない仕事にはついてほしくないが、あの子の将来に私が口出しできるわけもない。
であれば、もっと世間が平和になってほしい。それこそチームアップが不要になる程度には。ただ悲しいかな、万が一そうなってしまえば私はもうホークスに会う術がなくなってしまうのだが。

「懐かしいな。三年前もそう言ってた」
「あれ、私ホークスに話したっけ?」
「チームアップで会った時ね。もしかして俺と会った時のこと忘れてる?」
「覚えてる覚えてる。ホークスの胡散臭い笑顔で信用できないなって思ったもん」
「まどかさんも俺の扱い大概雑だよね」

そんなつもりはないが初対面のあの時は信用ならないと思ったのも本当のことだ。コピーアンドペーストで出来上がっていたようなあの笑顔は少し怖かった。今はあの時みたいな表情を見ることは一度もないけれど。
水炊きの具の大半が消えたらしく「まだいけそうなら水炊きの唐揚げも頼もう」とホークスが仲居を呼んで注文していた。
同じプロヒーロー同士、要請が来れば一緒に働くこともあるだろうがまさか二人で食事をするような関係を築くとは、ましてや一個人として彼に想いを寄せるようになるとは思いもしていてなかった。




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