デビューして間もない頃チームアップの要請が届いた。徒党を組んでいる敵を一度に叩くため、ある程度機動力や戦闘および拘束能力に長けた複数のヒーローが必要とのことだった。

「はじめまして。まどかです」
「ホークスです、よろしく」

彼女はヒーロー名を名乗らなかった。確かにこのご時世ヒーロー名をつけて活動していたところで本名が知られてしまう人は多い。プロになる過程で報道されることもあるし、同じ学校だった人達が安易に卒業アルバムを公開するような時代も関係しているだろう。とはいえ本名で活動しているプロヒーローは片手で数える程度だ。ましてや女性で名前をそのまま使う人はいないし、そもそも彼女の名前はこれまでニュースでもヒーロー同士の会話でも聞いたことがない。

「あの人新人なんです?」
「あー、そっかホークスは初めて会うのか」

チームアップ要請をしたまとめ役に聞いたところ彼女は事務所に入っているわけでも、事務所を立ち上げているわけでもなく、全国の事務所や地域から要請があるところに出向く派遣のような立ち位置で仕事をしているらしい。聞いたことのない働き方だ。
「火災でも水難でも彼女の能力は役に立つから連絡先は聞いといた方がいいぞ」とは言われたものの、彼女の能力はまだ聞いても見てもいないわけで。どうしたものかと思う間も無く振り分けられたツーマンセルで組むことになったのはまさにその彼女だった。


「あ、お疲れ様」
「どうも。敵の相手もさせた上に消火までさせてすみません」

敵との戦闘も終わり、飛び火した建物も無事彼女のおかげで鎮火した。羽根を多数飛ばして戦っていても燃やされさえしなければすぐに元に戻る自分と違って、普通の個性は使い過ぎると自分に跳ね返ってくる。彼女も例に漏れずそちら側の人間だった。唇は青紫に染まり、ゆっくりと呼吸している割にどこか苦しそうに見える。空気操作の反動として考えられるとしたら酸欠だろうか。
水の入ったペットボトルを手渡しながらベンチに座る彼女へ頭を下げたが、彼女は首を横に振る。

「個性の相性ってあるしね。私には救助の方があんまりできないからそっちやってくれて助かったよ、ありがとう」
「空気操作でしたっけ?意外でした。後方支援系かと」

戦闘に入る前、自分の呼吸を止めている間だけ空気や空気中に存在する酸素や窒素を操作できる個性だと説明を受けた。個性を使うことだけに集中していれば少なくとも十分、敵との戦闘で動きながらだと五分程度の間は個性を使い続けられるそうだ。確かにこの個性ならば火災にも水難救助にも大変有用なことだろう、酸素がなければ火は消えるし溺れている人に酸素を供給すれば水中であっても助けが来るまでの時間を稼げるのだから。
その上、空気を固めて敵の拘束も意識を奪うこともできるらしい。災害救助も迎撃性も兼ね備えているとなると、これだけ個性が世に溢れても尚、珍しい力だと言える。メインとしてもサポートとしても独り立ちできる個性の使い方だった。

「うん、メインはそっち。でも敵確保にも結構役に立つと思う。聞いてるかもしれないけど私派遣みたいなものだから、何かあれば電話して」

一昔前ならいざ知らず、コンビニ並みに立ち並ぶヒーロー事務所ではある意味『客』の取り合いが起きている。国から給料が出ているとはいえ他を押し退けて活躍しなければならないことを思うと、珍しい自分の能力を売り込んでヒーロー事務所相手に給料を取りにいくのは確かに理にかなっている。渡された名刺にはフルネームと個性と電話番号が書いてあった。

「なんで事務所入らないんすか?」
「え?」
「まどかさんの個性なら欲しがる事務所も多いでしょ。現にこうやって呼ばれてるわけだし」

ただ、人を救けるという点では間違っていると思った。事務所に入っていれば事件発生時にはすぐ警察から連絡も来るし、自分自身で見回って被害拡大を抑えることもできる。彼女の個性なら尚更そうするべきだと思った。ヒーローという職業を金を稼ぐ手段として使っているのだろうか。最近ではそういう人も少なくないのは知っているし、それが間違いだとは言わないけれど。
サングラス越しに横目でちらりと彼女を見ると、どう話そうかと考えているのか空を見上げて「うーん」と唸っていた。

「最初はね、入ってたんだ」

座る?と彼女が隣を手でさしたからその言葉に従って腰を下ろした。

「でもそこが私のチームアップ要請の時他の事務所からお金を取ってるって知ってね。国から出るお金とは別で。私を使ってお金儲けをしてたのが許せなくて辞めちゃった」
「……そんなとこばっかじゃないですよ」

彼女が金儲けのために派遣という形式を取っているのかと思っていたとは言い出せず、誤魔化すように出した言葉に「わかってるよ、それは流石に」彼女が笑って返してくれたから少しホッとした。

「でも事務所を出て、たまたまヒーローネットワークから要請が来てその地域に行って、困ってた人の力になれた時、やりたいことはこれだなって思ったんだ」
「……」

柔らかく吹いた風が彼女の髪を揺らしていた。

「ヒーロー飽和社会なんて言うけど、地方はやっぱり少なくて……ヒーローがいなかったり少ない地域って意外と多いの。他の事務所から呼ばれてない時は自治体の要請次第だけどそういう所に行きたいから、そうなるとこのやり方かなって」

恥ずかしかった。自分の視野の狭さも、認識の甘さも、自分の考えだけが正しいと思い込んでいた幼稚さも。
管轄外の人に目を向けたことがなかったわけじゃない。東京に呼ばれた時に困っている人がいたら救けたし、犯罪者がいれば確保した。しかしそんなものは氷山の一角であり、俺の目が届かぬ所で困っている人は大勢いる。事務所に所属して管轄内の治安維持に努めることが間違っているわけではないのだが彼女のよう考えもまた、ヒーローの在り方として正しいものなのだと自省した。
きまりが悪くて目を逸らそうとした時、覗き込むように首を傾げながらこちらを見る彼女と視線がかち合う。

「けど、ホークスは視野広いし私の手伝いなんていらなさそう。事務所も都会でしょ?まあ都会は都会で揉め事多いから大変か」

視野が広いというのは個性で行った先程の救助活動を指しているのだろうが、何も知らないまま心の中であったとしても彼女の在り方を非難した身としては大変に居心地が悪い言葉で。どきりと動いた胸の奥の感情を隠すように笑ってみせた。

「交通費も出すんで来てくださいね。九州ですけど」
「知ってるよ、最年少でチャートの十傑入り……年下なのにすごいなってニュースで見てた」
「あー、あれ、俺はもう少し下にいたいんですよ」
「それは無理でしょ。さっきもすごかったもん」

そう褒められるようなことはしていない。そもそも人的被害がゼロだったのは何も自分の功績だけによるところでもない。かと言って謙遜するのもどうかと思って「どーも」と適当に相槌を打った。

「そういえばまどかさんのやり方だとあのランキングには載りませんよね。それもいいんですか?」
「全然。むしろあんなの成り立たなくなるくらい、もっとヒーローがいらない世の中になればいいのに。チャートがある日はヒーロー免許更新しやすくていいんだけどね」
「事務所に入ってたら言えないセリフですね、それ」
「でしょ?無所属でよかった!」

良くも悪くも彼女は俺の想像していた人とは違った。金のために派遣形態を取っているのかと思えばその逆だったし、ヒーローという立場ながら職に困る未来を望んでいる。タオルで汗を拭いながら笑う彼女にどことなく親近感を覚えた。



チームアップで初めて会ってから然程経っていない頃、俺から連絡をして九州へ呼んだ。今のところ他の事務所との予定はしばらくないとのことでとりあえず三日間ほど。

「……まさか本当に呼ばれるとは思ってなかったな」

来たばかりのまどかは物珍しそうに事務所を見回しているが、他所とそんなに変わりはないはずだ。

「俺が言ったこと冗談だと思ってました?」
「それは、まあ」
「正直っすね」

自分の事務所にはそれなりに経験のあるサイドキックがいる。手が足りなくて逼迫していたわけではないのだが彼女がどの程度動けるのか、そして自分やサイドキックとの連携がスムーズにいくのかを見定めておきたかった。有事の際にぶっつけ本番は避けたかったからだ。
「それで、私は何をすればいいですか?」サイドキックが用意したコーヒーカップをテーブルに置いて俺の方を見た。先程までの表情はなりを顰め、スイッチを切り替えたかのような雰囲気に面を食らった。

「……なんで今日は敬語?」
「今はホークスが雇い主ですし」
「いいですよそういうの、気にしなくて」

「自分は敬語なのに?」という独り言とも質問ともとれる呟きは聞こえたがこちらのこれは彼女に敬意を払っているから、というわけでもないのだ。無論、払っていないわけでもないが。
用意してもらっていた地図を示しながら大体の見回りの流れを説明し、基本的には後処理に回ってもらうことも伝えた。ヒーローというのは中々どうして『個性』が強い人間の集まりで──目立ってなんぼの給料形態がその一因ではあるが──裏方に徹することができるタイプは少ない。しかし彼女はそういった役回りに慣れているようで、何の感情も顔に出すことなく受け入れていた。

「大丈夫ですよ、私が警察来るまで引き受けます」
「じゃあ俺らは先にホークス追います!」

結論から言うと彼女は予想していたよりも早く事務所の面々と打ち解けていた。自分が先導してトラブルを片付けその後処理を任せたらすぐ次へ、という流れの合間に見ているだけだから細かいところはわからないけれどこれなら問題はないかもしれない。
とはいえ、サイドキックが急に全員辞めたりしない限りはそうそう彼女の力を借りることはないとも思う。空から見下ろすこの街は相変わらず色々なことが起きるが、手に負えない事態が起きたことはないし多少のことならば自分の力で乗り切れる自信はある。それだけの訓練を積んできたし、経験だって。

「まどかさん大阪出身かあ。関西弁喋るんです?」
「いえ、関西弁って怖いって思われること多いし標準語になおしました。九州の言葉は男の人が使ってても可愛くていいですよね」

犯罪者の確保や引き渡しの間によくここまで仲良くなれるものだなと思いながら会話を小耳に挟み早三日。これといって大きな騒ぎも起きなかったが、暴れだしそうな犯罪者の鎮圧もサイドキックとの連携も彼女が無難にこなしていたのは確認した。
さて、他に何かないかと街の様子を電柱に立ちながら探っていると風船が目線上に現れて動きを止めた。普通なら上昇し続けるだろうに、何故目の前で止まるのかと手を伸ばすと風船には触れられず、指はコツンと硬い何かに当たる。

「ホークス!」
「これその子の?」
「そう。取ってくれる?」

真下ではなく、少し離れた道の先から呼びかけられた。彼女は子供の隣にしゃがみこみ俺の方を指さしながら話しかけている。なるほど、空気の壁で風船の四方を覆っていたのか。しかし風向きを考えてもあそこからこちらへ飛んでくるとは考え難い。何せここは風上だ。僅かに風船が上昇した瞬間に紐を掴み、地上で待っている子供のもとへと降り立った。

「はい、お待たせしました」
「ホークスありがとう!」
「どういたしまして。帰り道気をつけなよ」

目を輝かせている子供の頭を軽く撫でた。「お姉ちゃんもまたね!」今度はしっかりと風船の紐を掴みながら逆の手を大きく振って走り去っていく。その姿が小さくなり、下を見るとしゃがんだままの彼女も手を振って子供を見送っていた。

「まどかさんなら自分で取れたでしょ」

事務所に戻り、国に提出する書類を作っているらしいまどかに声をかけた。空気で四方を囲めるだけの細かい制御ができるのなら風船を割らずに圧力をかけて下すこともそう難しくはないだろう。それどころか、わざわざ自分の方へ風船を飛ばす必要すらない。
「多分ね」と前置きしてからペンを置いてこちらを見上げた彼女と目が合う。

「でも私なら通りすがりの人より地元のスーパーマンに取ってもらいたいなって」

そう思わないかと言いたげに首を傾げた。ヒーローという職業柄似たようなことは言われるがスーパーマンとは。淹れてもらったまま放置していたせいで冷めかけたコーヒーを飲み込んだ。

「……なんですかスーパーマンって」
「知らない?クラークケントの──」
「いやそれは知ってますけどね」
「颯くんがホークスは僕のスーパーマンたい!って言ってたの」
「颯くん?」
「そう、さっきの子。あの子の個性も飛べるものらしいの。ホークスみたいになりたくて風船使って飛ぶ練習してたら手放しちゃったんだって」

「泣きそうになってたのにホークスが見えた途端大興奮だもん、流石スーパーマン」なんてまどかは笑ってみせるくせに書類を進める手が止まらないのが、あからさまに軽くあしらわれているのが何となく面白くなくて「あんな速く飛べませんけどね」頬杖をつきながら呟いた。

「速すぎる男がそんなこと言ってたら皆の夢壊すよ?」

まるで教師が子供を諭すような言い方だった。長い髪を耳にかけて書類の不備がないか指で確認しながら目で追う様子がそう思わせたのかもしれない。年上とはいえヒーローとしての実績は──彼女がそれを求めていないのを差し引いたとしても──間違いなく自分の方が上だと言えるのに、特に嫌な気分にはならないのが自分でも少し不思議だ。

「皆の前じゃ言いませんよ」
「ちょっと。私の夢は壊れてもいいの?」
「どう見てもまどかさんは俺に夢見てないでしょ」
「夢は見てないけど……若いのにすごいヒーローだな、とは思ってる。皆に慕われてるしね」

はい、と三日間分の報告書を手渡された。

「それじゃあまた何かあれば。呼んでくれてありがとう、ホークス」
「こちらこそ。遠いところまでありがとうございました」

あとは事務所から彼女に三日分の支払いをしてそれで終わり。一気に事務所のサイドキックがいなくなるか、他所からのチームアップ要請がない限りはもう彼女と会うことはないだろう。

「……と、思ってたんだけどな」
「え?何?」

目の前には水炊きの唐揚げを食べようとしているまどか。あれから三年が経った。チームアップの要請どころか、結局サイドキックの休暇をはじめとした色々な理由で九州くんだりまで呼びつけているのは紛れもなく自分の個人的な感情によるものだ。仕事にかこつけて少しでも彼女といられるなら、なんて子供じみた欲のために静岡から博多までの移動を何度させたことか。

「帰りの新幹線何時だっけ?」
「え?あっ、あと三十分ちょっと……ここから駅ってどれくらいかかる?今すぐ出たら間に合う?」

店から駅まで多少の距離はあるものの飛ばせば三分もあれば問題なく改札に辿り着けるだろう。幸い雨も降っていないし、三十分後には無事新幹線の席に座っているに違いない。

「今すぐじゃなくても俺が送るから間に合うよ」
「……スーパーマンみたいに速く飛べるもんね?」

てっきり覚えているのは自分だけだと思っていた。三年も前に事務所で交わした他愛もない会話の一端なんて彼女は少しも覚えてやいやしないだろうと。
「そこまで速くないよ」と軽快に笑ってみせたがよく内心を隠せたものだと自分を褒めてやりたくなる。変に緩みそうになる口元を隠すために緑茶の入ったグラスを手に取った。




back / top