福岡でヒーロー活動を始めて三ヶ月。知名度も関東に知れ渡るほどではない。とはいえプロヒーローが調査に来たことが知られれば彼女を、あるいは彼女の後ろにいる誰かを取り逃す可能性がある。そもそもこれは公安から直接回ってきた仕事で、十中八九ホークスというヒーローが表立って動いていいものではないのだと判断し、潜入の準備を整えた。

「いらっしゃいませ」

羽根を最小限だけ隠し持ち、努めて一般人に見えるよう振る舞いながら花屋に足を踏み入れると当然ながら芳しい花の香りが一気に飛び込んでくる。花は嫌いじゃないが好きでもない。これがプレゼントの定番というのもどうかと思う。散ったら無くなってしまうのに。

「いつも店にいますよね」

数回通ってそろそろ顔を覚えられただろう頃、大きな鋏で手入れをする少女へ話しかけた。公安で読んだ資料にあった写真と同じ顔立ち。間違いなく彼女が事件に関係している。

「え?まあ私の店なので……」
「俺と同い年くらいなのにすごいな」

これは本心だった。毎日毎日飽きもせず花の手入れをして、朝から晩まで店を開けて、客の対応をしたり注文をしたり一人で土だの鉢だのと大きな荷物の整理をしたり。半年後の冬にはもっとひどい手荒れになっているだろうことも想像できる。それを見届けるまでには事件を解決しなければならないが。

「そんな大変なことはないですよ。でも歳の近い人はあんまり来ないので嬉しいです」
「俺、赤羽根迅です。お姉さんは?」
「杉本ユリって言います」
「じゃあユリ……さん?よかったら部屋に飾る用に見繕ってもらえます?」
「もちろん。お花好きなんですか?」
「そうですね、綺麗だし。部屋にあると落ち着くっていうか」
「あ、わかります。じゃあもう夏も終わるし暖色系のお花にして──」

これは嘘だった──というよりもユリに掛けた言葉の九割以上は虚言でしかなかった。名前を褒め、気に入っているらしい映画と迅の境遇を重ね合わせて印象付け、求められれば会いに行く。彼女が望むタイミングで欲している行動を、言葉を与えていたのは全て、この赤羽根迅という架空の存在に好意を持たせるためであり、それを捜査に利用するという目的があったからこそだ。彼女の後ろにいるであろう犯罪者に辿り着くためにはそれが最短だと思ったし、今でも間違いだったとは思っていない。
仲を深めるにつれて可哀想だと感じなかったわけではない。子供の頃に親を亡くし、右も左もわからないままに店を継ぎ、勉強をする機会すら与えられなかった。それには同情する。しかし、どんな過去があろうと人を傷つける行為の一端を担っていることに変わりはない。被害者ならともかく加害者ならどう扱おうが構わないだろうと考えていた。

「はい、そうです。今から四時間後。薬を持ってくるらしいんで現行犯で捕まえてください」

ユリから聞き出した情報を公安に告げて電話を切る。離れた場所から見守っていると連行されていく組織の人間に混じってユリを見つけた。未成年であれば厳罰にはならないだろう。犯罪に繋がっている認識はなかったと証拠も渡している。罪を償って出所すれば今後は真っ当に生きられるのだ、今度は道を間違えないでほしい。
何かを探すように周りを見回しながら護送車に乗せられる彼女の背中を見ても、良心の呵責など微塵もなかった。どうせ自分のことなど一ヶ月もすれば気にも留めなくなるだろうと思っていたし、自分がした事はヒーローとして正当な行為だと信じていたからだ。
彼女を利用したことで事件は早期に解決できた。もしそうしていなかったら、被害者はもっと増えていたかもしれない。最短で、最速で自分の目に映る人々を救けることこそが最も重要であり──少なくとも当時の俺はそう思っていた──、そのためなら彼女一人の気持ちくらい利用したところで罪の意識など感じるはずもなかった。

「はじめまして。まどかです」
「ホークスです、よろしく」

そんな時、チームアップで出会ったのが久保まどかという女性だった。多くの事象に対応できそうな個性を持っているのにも関わらず、事務所に属すことなく各地域や事務所からの要請で動く派遣という形態で働いているヒーロー。
彼女と出会って、ヒーロー活動に対する意識は少しずつ変わっていった。最初こそ事務所に入って災害や事件へ迅速に対応することが重要なのだと思い込んでいたけれど、彼女の意見を聞いてそれは数ある選択肢の一つに過ぎないのだと考えを改めた。人救け一つ取っても彼女は救けられる側の気持ちを考えて動いていて、少なからず同業者として好感は持っていた。

「……」

ただそれだけだったはずなのに、好感はあっという間に好意へ変わり、何かと理由をつけて博多まで呼びつけるほどにまどかへ執着している自分がいた。
いつ、何がきっかけでこうなってしまったのかはわからない。そんなものを思い出せる冷静さが残っていたなら好意を持つ前に距離を置くなりしていたはずだ。それすらできないくらい、まるでこうなることが予め決められていたかのように、俺の中で彼女は好感の持てるヒーローから一人の女性になっていた。

「ご協力ありがとうございました!」

そして今、警察を伴って『仕事』をしているらしいユリを観察しながらため息を吐いた。施設に入って一ヶ月もすれば忘れるだろうとたかを括っていたのだ。まさかこんなにも年月が経っていようとユリが自分を探し求めるとは思いもしていなくて。
ユリのことが無くともまどかへ想いを伝えることなどできはしないのだが、好意を持っているだけで後ろめたさは感じてしまう。あの時は──ユリが自分のことを探している不安そうな表情を見ていた時は──何一つそんなもの、感じていなかったのに。もし今、まどかに同じことをされたら俺は耐えられるのだろうか。仮に好きだと伝えてもはぐらかされ、嘘で塗り固められた関係が続き、都合よく利用された現実を突きつけられたら。

「……どうかしてる」

まどかに利用されるならそれはそれでいいか、と思ってしまう自分が流石に愚か過ぎて笑ってしまった。彼女が俺を利用するならそれは誰かのためなのだと、そう思えるほどにヒーローとしての信頼も、彼女を想う気持ちも、この三年間で膨れ上がっていたらしい。
しかし実際に好意を利用されたのは俺ではなくユリであり、利用したのはまどかではなく俺自身。全てが仕事のためであったとユリに説明するわけにはいかないし、自分がした事をまどかに知られたくもない。ほんの少し顔を合わせたくらいでユリがまどかに、まどかがユリに辿り着くとも思えないけれど。

「……あれ」

いつものクセで事務所の屋上に戻ってくると奥の手すりに寄りかかるまどかがいた。今日は休みのはずだから何処ぞへ観光にでも行っているかと思っていたのだが。彼女の視線の先を辿ると暗い海があり、ようやく思い出した。

「花火見に来たんだ?」

確か今日は海上花火大会が開催されるはず。博多近辺にしては中規模な大会のために持ち回りで警備を担当しているが、今年は免除されていたからすっかり忘れてしまっていた。

「うん。皆が会場より屋上がいいよって教えてくれて。ホークスは?」
「……屋上から入ろうかと思って。まどかさんがいるとは思わなかったな」
「穴場らしいもんね、ここ」
「俺もっといい穴場知ってるけど。行く?」

自然と口をついて出ていた。ユリにしたことを後悔しているくせに、今更良心の呵責を覚えているというのに、いざ目の前にまどかが現れると関わりを持ちたいと欲望が顔を覗かせる。
勿論ここでも綺麗に見えるのだろうが、より良い場所があるなら連れていってあげたい。普段はヒーローとして人のためにと動いている彼女へ何かしてあげたい。ユリの時も同じようにできることは全て叶えていたつもりだが、その行動の源となっている感情は全くの別物だ。あの時は見返りのためだった。今は、彼女の笑顔が見れるならと。

「もっといい穴場?」

まどかの丸い目がこちらに向く。「そう。よく見えるところ」間髪入れずに返したこの言葉には間違いなく焦りが滲んでいただろう。それに気づかない彼女でもないが、取り繕う余裕などありはしなかった。

「ふーん……」

ビルの屋上にしては柔らかな風がまどかの長い髪を何度も揺らしていた。彼女の返事はどちらに傾くのか。
勘違いでなければ俺の気持ちは独りよがりなものではないと思っていた。程度は抜きにしても彼女も俺のことを少なからず想ってくれているのではと、確信は持てなくともそう感じることは一度や二度ではなかったからだ。しかし俺がユリにしたことを知れば、この関係も終わりを告げる可能性がある。仕事の依頼をして、スケジュール次第で受けてくれるただの同業者に戻ってしまうという可能性が。

「じゃあ行ってみようかな」

そう言って笑うまどかがユリとの事を知る未来はないかもしれない。むしろそうであってほしい。だけどもしそんな未来が訪れた時、そして二度とこんな表情を見ることができなくなった時のために、今この瞬間を目に焼き付けておかなければ。毎年打ち上げられる花火ではなく、彼女を。

「仕事じゃないしゆっくり飛ぶよ」

羽根を動かしてまどかの身体を持ち上げ、自分また空へと飛び立った。数日前のような事件現場に向かうそれとは違い、より丁寧に羽を動かすよう心がけた。花火の打ち上げが始まるまでに間に合わすつもりはあるのだが、可能な限り二人きりでいられる時間を長く取りたくて。

「高過ぎて夜景見えにくかったら少し降りても──」

程よく夜景が綺麗になりつつあるこの博多の街を覚えていてほしい気持ちもあったのだが、どうやら羽根数枚だけでこの高さまで上がっているのは心許なかったようだ。彼女はその長い髪を指で何度も梳きながら唇を真一文字に結んで夜景から目を背けていた。

「……はい」
「え?」

目的地が福岡タワーである以上、そこまで高度は下げられない。この高度を維持したまま彼女の恐怖を完璧に取り去る方法も思いつかない。ほんの少しでも安心感が生まれればという気持ちから手を差し出した。

「なんで?」
「俺が繋ぎたいから?」

怖いだろうから手でも繋ごうかと言って素直に頷くような人ではない。彼女の性格がそうであるとわかっていたから、わざと明るい調子で言ってみると緊張で強張っていた表情が徐々に和らいでいき、差し出した手に彼女のそれが重なった。

「……嘘ばっかり」
「本当なんだけどな」
「どうだか」

まどかと手を繋ぎたいという言葉は全くの嘘、というわけでもない。これに託けて彼女に触れたい欲があるのは事実だからだ。
これまでに彼女へ触れたのはたった一度、ヒーロー殺しに襲われてから目が覚めた際に見舞った時だけ。あの時は昏睡から覚めたばかりだったからかその手には最低限の筋肉すらなく、青ざめている上にひどく冷たくて今にも動かなくなってしまうかとも感じるほどだったが、今は違う。完治こそしていないものの間違いなく回復に向かっている。
夜景を眺めながら綺麗だと感想を呟く彼女の横顔を眺めながら手に力を入れると数秒空いた後に彼女もまた、あの時と同じようにゆっくりと握り返してきた。

「……」

手を握られたくらいでこんなにも心が騒ぐとは思わなかった。もう少しでタワーに着く。頼むからこっちを向いてくれるなよと思いつつ、花火が始まるまでもっと時間があればいいのにと願う自分もいる。彼女と二人きりになれるのも、触れることができるのも、これが最後かもしれないのだから。

「すっ……ごいね」

福岡タワーに着き、鉄塔に腰を下ろすやいなや始まった花火大会を見て夜景の時とはまた違う感嘆の声が聞こえた。

「でしょ。俺ここ好きなんだよね、誰にも邪魔されずに見れるから街を独り占めしてる気分で」
「花火は独り占めできなくてごめんね、私も楽しんでる」
「楽しんでもらえてるなら何より」

ちらりと目を横に動かしてまどかを覗き見るとその瞳には光り輝く花火が反射していた。もし公安所属のヒーローでなかったら、人の好意を無下に扱っていなければ、犯罪者の息子でなかったなら、来年もその次の年も隣で花火を見ることができただろうか。

「私、こんなゆっくり花火見るの初めてかも」
「俺も。警備の合間にちょっと見る程度だったかな」

もしも──なんて願ったところで奇跡が起きるわけはないのに、彼女の隣に居続けられる未来を欲してしまう。今こうして二人で花火を見られているだけでも有り難がるべきであり、次を望むような欲深さは消してしまわなければいけないと何度も自分自身に言い聞かせてはいるのだが。

「でも良かったの?」
「何が?」

足元に落ちていた視線をまどかへ戻したが、彼女は依然として花火を見つめていた。

「花火大会、あの子と行かなくて」
「あの子って……」
「ユリさん……だっけ?駅で会った子」

これはどういう意味の質問なのだろうか。大輪の花が開いては消える様を見続けている彼女の横顔からはその真意が読み取れなくて、すぐに答えることもできずに視線を前方の空へと向けた。
俺がユリとどういう関係なのかを気にしている、という理解であっているのか。駅であった時にユリは俺を『迅』と呼んでいたのだ、あれが俺の本名であり、親しい関係なのだと誤認されていてもおかしくはない。

「まどかさんが想像してるような感じではないよ」

彼女が今何を考えていたとて、俺とユリの関係には当てはまりはしない。犯罪組織壊滅のために別人物になりすまし、恋愛感情を持つよう仕向けた上でその気持ちを利用したされたの関係だなんてどんな想像力があったら辿り着くというのだ。恐らく俺とユリとを本名を知っているような友人知人か、あるいは恋人かと推測していることだろう。

「そっか」

納得したような、そうでないような彼女の声。
ユリにしたことも、いや、できる事ならユリという存在も知られたくはなかった。知られてしまったからには変な誤解を受けたくはないのだが、公安の仕事である以上まどかにも何一つ話すことはできない。仮に俺とまどかとが付き合っていたのならばユリに好意など一切ないだとかそんな話もしていたかもしれないが、俺達は現状、ただの仕事相手でしかなくて。
膝を抱えながら花火を見るまどかが気にしないでいてくれるよう願うことしかできなかった。




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