『勝己くん』

彼女の声がした。ベッドに寝転びながら見えている景色は部屋の天井だから、この声は幻聴だということはわかっている。陽の光も届かないこの部屋は電気をつけなければ朝も昼も深夜と同じような暗闇に近く、まるで今の自分の心情を表しているのではないかと見間違えるほどだ。
何度考えても自分がどうすべきだったのか、何故あんなことになってしまったのかのもわからない。雄英高校を首席で卒業して歴代ではホークスに次いで二番目の早さでチャート上位に入り、今ではトップヒーローだと持て囃され自分では名実共にそうなったと思っていた。思い込んでいただけで結局は高校生の頃から何一つ変わりはしていないのだと痛感した。

「何で、俺は……」

憧れの人をも超えたヒーローになる。勝って救けるヒーローになる。子供の頃から変わらぬ目標を叶えたつもりでいた自分に乾いた笑みが溢れてしまう。何が救けるだ。何がオールマイトを超えるだ。
あの人が何と言おうが神野で平和の象徴である『オールマイト』を終わらせる原因を作ったのは俺でしかない。もっと俺が強ければ、変なプライドに拘らず敵に掴まりさえしなければ、平和の象徴はもっと長い時間立ち続けられていたはずなんだ。それを終わらせてしまったから、だから俺がと思って今までやってきたのに。その結果、昔と同じ過ちを犯した俺はまた人を終わらせてしまった。
思い出したくもない数日前の記憶が脳裏をよぎって、過去が目の前で再現されているわけでもないのに目を閉じてその上に腕を乗せた。そうすればこの苦しみから逃れられると思った。

「すまない、他にヒーローがつかまらないんだ!」
「ああ?!何しとんだ他のモブ共は!」

ある日の夕方、街に敵が出たとかで警察から出動要請が来た。出動要請そのものは多い時で日に何回もあるから何の不思議もなかったが、ただの一人も他にヒーローが出動していないとは一体どうなっているのだ。
敵連合、超常解放戦線などと名前を変えてはテロ活動を行なっていた組織もとうの昔に解体された今、再びヒーロー飽和社会が訪れている。それなのに一人も警察の要請に応えないなど、そんな事があり得るわけがない。
しかし現実にはヒーローと思わしき人間は自分しかいない。道にいるのは悲鳴を上げながら逃げ惑う人々だけ。おかしいと思った時点で自分の連絡先に登録されている級友にでも連絡すべきだった。地方に散らばっているとはいえここは東京、確か三、四人くらいはいたはずなのに。

「くそっ……情報は!」
「敵は一名で個性は不明、民間人からの通報で事件発覚、現時点で既に怪我人多数。救助と避難誘導は警察が対応する、君は敵の確保を頼む!」
「言われんでもそのつもりだ」

まあいい、他のヒーローがいなくともたった一人の敵くらい確保できずして何がトップヒーローだ。避難誘導と救助は警察がやると言うのなら尚のこと。敵一人に集中できるのだから、どんな個性を持っていようが俺の敵ではない。
籠手から出た爆風で空を飛び、大きな悲鳴が聞こえる方角へと急いだ。ちらりと地面を見ると怪我をして蹲っていたり、足を引きずりながら前に進んでいる民間人がいたけれど生き死にが関わる怪我ではないと判断してそのまま飛び続けた。

「ヒーローか。思っていたより遅かったな」
「こっから瞬殺なんだよ!」

ビルの屋上に立つ敵を見つけて空中から攻撃を繰り出した。爆風が消えるよりも早く屋上に降り立ったが敵には掠りもしていなかったようで爆破した場所よりも少し後ろから「瞬殺の意味は分かってるのか?」余裕が残る声が聞こえて頭に血が上った。
とはいえ、今出動できるヒーローはどうしてだか自分しかいない。確実に敵を捕まえるか、足止めをしてこれ以上の被害を出さないよう人がいない所で食い止めなければいけないのだ。つまり大きな攻撃をして敵に逃げる隙を与えてはならない。できる限り近接で敵の個性を喰らわぬよう注意をしながら細かな攻撃を続け、人気のない路地裏まで追い込むことに成功した。

「で?終わりか?」
「さあ、どうだろうね」

圧倒的に主導権はこちらが握っている。攻撃こそ当たっていないものの、それは敵とて同じことだ。まだ一度だって敵の攻撃は俺に当たることなく今に至っているのだから。
それ故に個性がわからないというデメリットはあるけれど、殺傷能力の高い個性であればこれまでの近接戦闘で使っているはずなのにその素振りは一切なかった。移動に長けた個性なのかとアタリをつけても、ビルの屋上から俺を出し抜いて移動しなかったことから見て違うのだろう。
考えていても埒があかない。個性がわかるまで待つ意味はないだろうと籠手を構えた。

「勝己くん」

場に相応しくない声がして、右の籠手を敵に向けたまま思わず振り向いた。外から差し込む逆光で翳ってはいたけれど、間違いなく後ろに立っているのはれみだった。同じ小学校に通い、高校では保健医と生徒として接し、高校を卒業した今は同じ家に住んでいるれみがいた。
何故こんな所にいるのか。今日彼女は仕事も休みで家にいるはずなのに、家から遠く離れたこんな路地裏にいるなんて不自然だ。そう感じても疑問を解消するために割く時間などはない。彼女の不安に揺れた目を見て叫んだ。

「来んな!」

まだ敵の個性はわかっていない。それだけの理由で自分が敵に負けるなど想像すらできないが、何かの拍子で怪我を負わせてしまう可能性はある。幸いにして敵はこいつ一人なのだからここで抑えていれば安全な場所に逃げられるはずだ。

「余所見か。余裕があって何よりだ」
「!」

充分な距離を取っていたはずの敵が一瞬にして数メートル先まで近づいていた。何の気配も音もなかった。ワープに類する個性かとも思ったが、そんな便利な移動手段があればこんな路地裏に追い詰められる前にさっさと逃げてしまうだろう。
悠長に考えている暇はなかった。敵の個性がなんであれ、もし倒れでもしたら次に攻撃されるのは間違いなく後ろにいる彼女だ。珍しい治癒の個性持ちとはいえそれを攻撃や防御に使うことはできない。彼女が逃げるだけの時間は稼がなくてはいけない。

「クソが……死ね!」

敵の攻撃が何かわからないなら全て爆風で吹き飛ばしてしまえばいいと決めて両腕を前に構えた。風だけなら後ろに飛んだところで彼女に怪我をさせるとしても擦り傷か切り傷程度で済むはずだ。勿論無傷で済めばそれが一番だが、もしそうなってしまったら後で一言謝って、ついでに彼女の好きなお菓子でも買って帰ればいつも通りの他愛もない会話をしながら同じベッドで眠りにつける。そんな未来が待っていると信じていた。

「……あ?」

目の前にいたのは敵ではない。俺の放った攻撃が貫いているのは空でも敵の身体でもなく、れみだった。

「私のことも……殺すの?」

自身の腹部に開いた穴を見て、そして倒れ際に彼女は俺を見た。彼女の身体から噴き出るように飛び出した血を全身に浴びた俺を。
『ヒーローらしくない』たまに聞く周囲の評価には必ずその言葉があって、他のヒーローのように子供に笑顔で接しないとかメディアへの対応が良くないとか、大体がそんなくだらない理由ではあったけれどもし今、この場に立つ俺を見ている人がいるならば間違いなく言うだろう。『ヒーローらしくない』と。

「なんでてめえが……」

間違いなく俺の放った攻撃が当たった。彼女の腹部を焼き、噴き飛ばし、肉塊へと変えたのは紛れもなく俺自身だ。思わず全身から力が抜けて地面に膝をついた。彼女だったモノとの距離が近くなって肉が焦げる嫌な匂いが喉の奥に入り込む。まだ近くに敵はいるとわかっていても身体が動かなかった。
俺が終わらせた。俺が殺した。この手で、この個性で。恐らく敵の個性で敵と彼女の場所を入れ替えたのだろうが、手を下したのは紛れもなくこの腕で。目を落とすと両腕には血だけではなく彼女の一部だった赤い塊がついていて、両腕についていたソレを払い落としたが耐えきれずに胃から逆流してきたものを真横にぶちまけた。

「どうしたヒーロー。だいぶ辛そうだが人の人生を終わらせるのは初めてだったか?」

上空から聞こえる敵の笑い声に顔を上げる力も湧いてこなかった。敵を確保してほしいという依頼も、こいつを放置すればさらに被害が拡大するだろうという事実も頭から抜けたわけではないが、ヒーローとしての行動に制限がかかったかのように動けなくなっていた。
未だに彼女の腹部からは血が流れ出ていたらしく、膝に生暖かい液体が当たる感触がして目をそちらに向けた。きっと即死だったのだろう。既に瞳から光は消え失せ、全身血だらだけだというのに絶命の瞬間苦悶の表情を浮かべる時間さえなかったのだと伝わってくる。瞼を閉じる時間すらもない死に方をしていい人じゃなかった。
雄英でも、それ以外でも俺とは違って多くの人に必要とされている存在だった。そんな人間がまだ二十代そこらで、こんな路地裏で一人無惨に死んでいいわけがない。

「……れみ」

彼女に触れようと伸ばした手を寸前で止めた。殺しておいて彼女に触れる資格などないと僅かに残っていた理性が判断したからだ。
俺が敵の個性を早くに割り出していたら、もっと違う攻撃ができたのではないか。いや、れみが後ろに来た時点で攻撃をやめて彼女を安全な場所まで避難させてから戦うべきではなかったのか。そもそも自分の力を過信して深追いするところから間違っていたのかもしれない。それ以外にも他に何か取るべき行動があったはずだ。

「れみ、俺は……」

胃の中にはもう何も残っていないのに気持ち悪さがおさまらない。自分の手で大切な存在を終わらせてしまったことが悲しくて、恐ろしくて、憎くて。口を抑えた手を涙が濡らした。俺に彼女の死を悲しむ資格など、彼女がこの世での生を終えたことを悼み嘆く権利などないのに、一人前に涙だけは出てくる自分に吐き気がする。
詫びの言葉を述べることすら自己保身的でおぞましく感じた。謝っても彼女は戻ってこない。どうすればよかったのか、どうしたら彼女の命を奪った罪を贖うことができるのか。

「……」

目の上に乗せていた腕をどけて天井を見上げた。思い出したくもない記憶ほどありありと鮮明に再生されるのは何故なのか。罪を忘れないようにという意味なら何の効果もないのに。この数日とて一瞬たりとも忘れたことはなく、これからの日々も自分の腕を見る度にこの咎を再認識することだろう。

「何がトップヒーローだ……」

あの日、彼女の命が突然に奪われた後のことはほとんど覚えていない。医者曰く俺は錯乱の上、自分で自分の両手を噴き飛ばしたのだと言っていた。焼け焦げた匂いが彼女からではなく、自分の腕から発生していることに安堵したことだけは覚えている。
天井に向けて伸ばした腕の先は包帯が巻かれたままだ。手首から先がなくなり丸まった腕であり、もう二度と個性が使えなくなった腕であり、トップヒーローになる前から今の今まで寄り添ってくれていた彼女を終わらせた腕でもある。腕を捨てた程度で贖罪になるとは思っていないが、彼女の身体を焼いた腕を持ち続けるのは死への冒涜だと感じた。

「何がヒーローだ」

オールマイトをも超えるヒーローどころか、勝つことも救けることもできない自分など一介のヒーローですらない。
このヒーロー飽和社会ならすぐに他の実力者がトップヒーローを名乗り、いつかは平和の象徴とされるだろう。最早全てがどうでもよかった。俺がトップなんて目指したから全てが終わった。ヒーローになりたいなど夢見たのが全てがの間違いだったのだ。




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