「通形ミリオ、七月十五日が誕生日なんだよね」

いつも通り彼は元気にそう答えた。個性を失くしてもなお、恩師の言いつけを守り続けている彼の背中を見てきっといつかはあの女の子の力を借りて雄英に復学して──なんて想像は彼の気絶により終わりを告げた。

「通形くん?通形くん!」

咄嗟に彼の身体を抱きとめたけれど大きな身体を私一人で支えきれるわけもなく共に地面へ倒れ込んでしまった。一体どうしたのだと彼の顔を覗き込むと苦しそうに顔を歪めながら荒い息をしている。
ついさっきまでは間違いなく元気だった。見回りをしている私を見つけて駆け寄ってきてくれた彼は、久しぶりに会う友人と楽しく遊園地を回っているのだと頬を紅潮させながら話してくれていたのだ。一瞬にして倒れ込むほど具合が悪そうには見えなかった。

「何をしたの?占いじゃありませんね?」
「占いですよ。四人は未来を見に行っています」
「なら四人を戻してください。明らかに苦しんでます」
「そうですか?彼らの心の内を映した未来ですよ、苦しんでるだなんて人聞きの悪い」

占い師だとかいう女とプロヒーローらしきコスチュームを着た女性が目の前で探り合いをしていた。通形だけでなく他の三人も名前と誕生日を告げた瞬間意識を失ったのだからほぼ間違いなく女の個性によるところなのだろう。
こんな個性は初めて見た。手から炎が出せるだとか、肌を鋼鉄に変えられるだとか、数十年前のヒーロー映画では希少な特殊能力とされてきたそれらはこのご時世ありふれた物へと変化していて、私自身学生生活でも教育実習中にもたくさん見てきた。でもこれは、何だ。

「……ダメだよ……」
「通形くん……?」

少しでも楽になるようにと彼の上体を私の膝の上に乗せたけれど、全くと言っていいほど効果はない。彼は悪夢でも見ているかのように青い顔で口元も震えている。
先月恩師を目の前で亡くしたばかりだというのにまた彼に厄災が降りかかるなんて。目の前で苦しむ生徒をただ見ているしかないなんて。「大丈夫だよ、大丈夫だからね」覆い被さる形で彼の肩をぎゅっと抱きしめた。震えを止めてあげたかった。

「……これがどんな個性かがわからないと……」
「夏海先生なら──」
「ちょっと。これ以上会話するなら四人がどうなっても知りませんよ」

一年A組の生徒が私に話を向けた。プロヒーローの個性は知らないけれど確かに私ならうまくやれば敵の個性や四人を助ける方法がわかるかもしれない。
本来、プロヒーロー以外が公共の場で個性を使用することは禁じられている。だから個性を自由に使って暴れ回る敵はヒーローに捕らえられるのだ。私はまだ教師というわけでもないし、勿論ヒーロー免許も持っていない。本来ならこの場で個性を使用するなど許されざる行為だ。だけど、このまま苦しんでいる生徒を、通形を助けられるかもしれない可能性があるなら。

「……」

通形の身体から顔を上げた。この震えは彼のものかもしれないし、私のものかもしれない。暴力的なようには見えずとも敵は敵。怖くないと言ったら嘘になる。でももし何か使える情報があれば、きっとヒーローが何とかしてくれるはずだ。

「……ダサい服の愉快犯さん。あなたの個性は何?」

女と目を合わせて個性を使った。幸いにして女は私を不審に思ったらしく訝しげにこちらを見た。目を合わせてさえいれば、半径四メートル以内にさえいれば、たとえどんな人間が相手でも真実を引き出すことができる。

「個々にあった夢を見せられる。今その四人が見てるのは心の中にあるトラウマかそれに近いもの。……何これ」
「どうやって個性を解除するの?」
「夢だと気付いて本人が目を覚ますか私が解除するか……あなた教師じゃなくて刑事なの?」

あとは武力行使に出ても問題ないかを聞きたかったが私の個性ではこれ以上のことは確認できない。荒くなっていく通形の息遣いを聞きながら必死に思考を巡らせて個性が使えるような質問の方法を考えてみても何も思い浮かばない。あともう一つだけ情報を得られればヒーローが行動できるのに。苦しむ通形の姿に、不甲斐ない自分に思わず視界が滲む。どうしたら彼らを、彼を救うことができるのか。

「う……」

抱きしめていた肩がぴくりと動いた。もしかして。彼の体を膝に寝かせ、頬に手を添えるとゆっくりと瞼が開いた。敵が個性を解除したわけはないだろうから彼自身で幻覚だと見破って戻ってきたのだろう。

「ミリオ?ミリオ起きたの?!大丈夫だからね、もう大丈夫だよ」

頭を押さえながら上半身を起こす彼の背中をさすった。見せられていたのがトラウマなら先月のあの事件が影響しているに違いない。一年以上もの長い間インターンとして受け入れてくれた、彼を信じて愛して育ててくれた恩師の一件が。 

「……夏海ちゃん」
「うん、そうだよ。さっきまでのは幻覚だったの。ここはもう──」

勢いよく私を見た通形はその大きな目にいっぱいの涙を溜めていて、それを見た瞬間もう何も言えなくなっていた。実際に彼がどんな幻覚を見たのかはわからないし、どれだけの時間を体験したのかもわからない。そのせいでどんな感情になったかも私は彼じゃないから何一つわかってはあげられないけれど、彼の表情が物語っていた。

「よかった……夏海ちゃんが生きてる……生きてる……」

私の手を握る彼の手は震えていた。大粒の涙をポロポロと零して何度も私が生きていることへの安堵を口にしていた。
彼はまだ十八歳なのだ。雄英というヒーロー科がある高校ではトップクラスの学校で三本の指に入ると賛辞の声を受け、教師からもプロヒーローと何の遜色もないと一目置かれている存在ではあれど、彼は子供で、庇護されるべき対象でもあるのだ。 

「……うん、私は生きてるよ」

彼は私の返答など求めずに呟きを繰り返していたが、それでも彼の不安や恐怖や動揺を僅かでも減らしてあげたくて口を開いた。答える私の声もまた、震えていた。

「いなくなったりしないよ」

私まで泣いてはダメだ。彼を安心させてあげなければ。今見ていたものは全て幻覚で、悪夢だっただけで現実には起こり得ない空想の世界なのだと。もう二度と悲劇は起きないのだと。目に力を込めて涙が溢れてしまわないように努めながら泣き続ける彼の肩に腕を回して抱きしめる。小さい頃母親にそうされたように、彼の恐怖が少しでも減らせるように。

「お友達には言わなくていいの?」
「今頃楽しく遊んでるだろうからね、後でメールしておくよ」

そっか、と呟いて二人でタクシーに乗った。愉快犯とはいえ敵の攻撃を受けたということで生徒三人は早々に帰る許可が出て、居合わせた私も付き添いとして帰ることになった。
ヒーローの話によると私達がいる世界と幻覚で流れている時間はかなり差が開いていることが多いらしく、四人は十五分どころか数日は幻覚にいた感覚なのではないかと説明を受けた。タクシーに乗り込んですぐに通形も眠ってしまったところを見るにその仮説はどうやら正しかったようだ。トップヒーローとして長らく名を馳せているホークスですら体力が削られているようだったのだから、学生ともなればなおさらのことだ。

「……」

彼の輝く金色の髪を梳くようにしながら頭を撫でた。地面に倒れ込んだ時とは打って変わって穏やかな寝息が聞こえて自然と私の頬も緩む。
半年後にはプロヒーローのルミリオンとして様々なことを経験するだろう。危なかったところを救けられた人に感謝され、些細なことで手伝ってあげた人に好感を持たれ、その逆も味わうに違いない。現実はお伽噺ではないのだから。
だとしても、今この瞬間だけは彼が幸せな夢を見ているといい。恩師の死など思い出さぬ穏やかな時間を過ごしていると願いたい。教育実習生とはいえ教員という立場から一人の生徒に贔屓するなどはあってはならないことだけど、恩師を殺され個性を奪われた彼の幸せを願うくらいは許されるはずだ。

「あの、すみません」
「なんでしょう?」
「ゆっくりめに走ってもらうことはできますか?もう少し寝かせてあげたくて」
「わかりました」

タクシーの運転手は快く承諾してくれて徐々にスピードが落ちていき、私の瞼も徐々に降りてくる。文化祭の手配や遠足の引率の準備をしながら普段の業務をしていて最近はあまり眠る時間が確保できていなかったな、なんてぼんやりと思いながら睡魔に抗うこともせずに目を閉じた。

「──……」

車が曲がる感覚で目も覚めた。車窓の外はほぼ毎日見ている風景に戻りつつある。雄英もだいぶ近づいてきたのか。そろそろ通形も起こしてあげようと隣を見るとぱっちりと目を開けている彼と目が合った。まさか先に起きていたなんて、大人として教師として恥ずかしすぎやしないか。

「お……おはよう」
「先生疲れてるね。大丈夫?」
「うん。……通形くんいつから起きてたの?」
「いつから?うーん。結構前だよね」
「そ、そう」

情けない。幻覚を見て疲労困憊だろう彼よりも長いこと眠りこけてしまうなんて。彼の笑顔を見るのが何とも気まずくて前を向くとバックミラー越しに見える運転手も口元を手で隠しはしていたが笑っているようにも見える。
恥ずかしさと居心地の悪さを味わっていると程なくしてタクシーは雄英の敷地を目の前にして停止した。

「それじゃあ今日はゆっくり寝てね。リカバリーガールに話はしてあるから何かあったらすぐ行くんだよ」

三年の寮の入り口はとても静かだった。全員まだ遊園地にいるのだから当たり前ではあるのだけど。寮に入るところまで見届けたら私も校舎へ戻ろうとその背中を見ていたらドアの手前で彼の足が止まった。タクシーの中で目を覚ましてからはいつもの調子に戻っていたように思えたがやはりまだ具合が良くないのだろうか。

「夏海ちゃん」
「……先生、でしょ?」

私と彼は教師と生徒。さっきは幻覚から覚めた混乱でお互い我を忘れていたなんて安い言い訳ができた。でも今は違う。ここは雄英高校だ。一線を超えてはならない。「……そうだね、先生」通形が小さくそう呟いてこちらに振り向いた。

「俺、皆を救けられるヒーローになるよ。……先生のことも救けられる立派なヒーローに」

夕陽が彼を照らしていた。真っ直ぐに私を見る彼の目を見ていると彼への想いが溢れそうになる。彼の告白は遮っておきながら、今更彼に言える気持ちなどないのに。十八歳の高校生が持つ強さに私はこんなにも惹かれているのか。

「……うん、なれるよ絶対。ルミリオンは世界一のヒーローだもん」

彼はたとえ個性を失ったままでも自分にできることを探してヒーロー活動をするだろう。愚直に、ひたむきに、わき目も振らず一生懸命磨いた個性がたとえ今はなくとも、彼ならきっと世界一のヒーローになれる。私はそう信じてる。




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