「ホークス!?」

彼が地面に崩れ落ちる姿を見るのは初めてのことだった。今まで何度も一緒に仕事をしてきたけれどいつだって彼は迅速に事件を解決していたし、どんな敵の攻撃さえもその速度でかわし、いなし、圧倒してきたというのに。
倒れ込んだ彼の隣に駆け寄ると彼は眉根を寄せて小さな呻き声を漏らしていた。「ホークス、どうしたの」呼びかけても反応はない。手首の脈を確認すると異常なほどに早かった。彼の平均的な脈拍など知る由もないけれど明らかに尋常ではない事態だと断言できる。

「焦凍くん!」

隣では沙耶がベンチから落ちたらしい轟焦凍の肩を揺すっているが返答はない。そして他の二人もまた同様に連れの意識がなくなったようでその身体を支えながら何度も声を掛けていた。

「何をしたの?占いじゃありませんね?」
「占いですよ。四人は未来を見に行っています」

ホークスを背に庇い女を睨みつけたが女はどこ吹く風とでも言いたげに口元に弧を描いている。
占いなんて朝のニュース番組で終わりに放送されるようなものしか知らないとはいえこれが本当の占いだとも思えない。恐らく何某かの個性。ホークスが避けれもしなかったところを見るに条件達成で自動的に発動するようなもの。

「なら四人を戻してください。明らかに苦しんでます」
「そうですか?彼らの心の内を映した未来ですよ、苦しんでるだなんて人聞きの悪い」

『では名前と誕生日を』この占い師らしき女はそう言った。最後の一人がその二つを告げて女の手が鳴った瞬間、四人は意識を失った。
身体の自由を奪う個性か、精神に干渉する個性か。そのどちらかともわからないまま迂闊には動けないけれど女は『占いは最大四人まで』と言っていた。つまり個性の適用範囲は最大四人ということだ。女と会話すれば個性にかかる危険性が完全にないわけではないが、恐らく四人の意識が戻らない限りは皮肉にもこちらの無事は保証されているはず。

「……」

まずは女を逃がさぬよう呼吸を整えた後に息を止めて女の四方に空気の壁を作った。私が無呼吸で個性を発動し続けられるのは最大でも二十分。その間に女と会話して情報を引き出さなければいけないことを差し引きすると十5分あるかないか。女が他に武器を持っていないとも限らないのだ、それに備えるなら十分くらいがタイムリミット。

「それじゃ私は……何?壁?」

こうも早くに気づかれるとは。後退りした女に空気の壁が触れたのだろう。

「生徒はそちらの子だけ……あとは先生とヒーローですか?私を攻撃すれば気を失っている四人にもダメージがいきますよ、それでもよければどうぞ」

いいわけがないだろう。もしも精神干渉をする個性なら彼らに精神的なダメージが加わるということだ。身体は治癒することもできるけれど、多少のことならまだしも深い心傷は治癒することが難しいとされている。女への攻撃がどのように彼らへ伝わるかがわからない以上、こちらから手を出すことはできない。それがたとえハッタリだとしても、今現在そう断定できる証拠はないのだ。

「……何が目的?雄英への恨みでも?」
「雄英に恨みなんて別にありませんよ。最近流行りのヒーロー殺しだとか敵連合だとかに感化されたわけでもない。ただの面白半分な愉快犯です」

もしこの世に神様がいるのならただの愉快犯になんて個性を与えたのだと罵詈雑言を浴びせてやりたいくらいだ。

「最初の四人で遊んだら帰ろうと思ってたのに……余計なのが来るから目撃者ができちゃいましたね」
「……」

しかし、目的がないとなるとやはり女自体を制圧しなければ個性を解く方法はないのか。確か雄英の体育祭では洗脳の個性を自傷したことで破った生徒がいたけれど全ての精神攻撃がそれで解除されるわけではない。女は四人が『未来を見ている』と言っていたから、もしそれが事実なら四人は精神干渉されていることにすら気づいていない可能性がある。

「私を逃してくれるなら四人の意識を戻してあげてもいいですけど。このままじゃ他のヒーローが来てしまいそうですし」
「……四人の意識を先に戻して」
「そんなことするくらいなら最初から個性使ったりしません」

はあ、と女がため息を吐いた。何か活路はないものか。この女をむざむざ逃したところで四人が解放される保証はどこにもないのだが、こうして留めておくことで女が四人に更なる傷を負わせられる可能性だってある。せめてこの女の個性だけでも把握できたら。

「まどかちゃん、私何か……できることある?」
「……これがどんな個性かがわからないと……」

私の個性では女の意識を奪うことはできるが尋問することはできないし、沙耶も同様にこの状況を打破できる力ではない。私はどう動くべきか。魘されているらしいホークスは秋だというのに額に汗をかいていた。様子から見て精神干渉をされているのだろうが、となると時間をかけてはいられないし個性の解除方法が重要になってくる。
ならば今このテーマパークにいるヒーローで役に立ちそうな個性がいないかを思い出すべきだ。女の一挙一動を見ながら記憶を思い起こそうとした時、沙耶が「あの」と声を上げた。

「夏海先生、先生なら……」
「ちょっと。これ以上会話するなら四人がどうなっても知りませんよ」

女の舌打ちが聞こえた直後、最後にこの場へやってきた教師らしき女性が何かを呟いて占い師を見据えて口を開いた。

「……ダサい服の愉快犯さん。あなたの個性は何?」
「個々にあった夢を見せられる。今その四人が見てるのは心の中にあるトラウマかそれに近いもの。……何これ」
「どうやって個性を解除するの?」
「夢だと気付いて本人が目を覚ますか私が解除するか……あなた教師じゃなくて刑事なの?」

驚いた。私も彼女は教師とばかり思っていたが強制的に答えさせる個性は刑事向きだ。雄英は有名なプロヒーロー達が教師になっていると聞いているが、なんと教師陣の厚いことか。
しかしただ目を丸くしているだけではいられない。あとは彼女に物理的攻撃を加えて四人に問題が起きないかどうかを知りたいのだが、教師は「私が聞けるのはこれだけです」と首を横に振った。女の意識を奪って済むなら今すぐ窒息させるのにそれは解除条件ではないし、一か八かで攻撃をするのもあまりに危険過ぎる。
どうしたらいい。どうすれば四人が無事に幻覚から目を覚ますことができるのか。刻一刻と時間だけが過ぎていくのに突破口が見つからない。地面に押し付けた拳が焦りで揺れた。

「……まどかさん」
「!」

拳に何かが触れた。目を下に向けるとホークスの指が動いている。苦しそうに薄らと開いた唇が「確保」と呟いたように見えた。残りの三人もそれぞれの連れが名前を呼んでいる、きっと目が覚めたのだ。女が個性を解除したとは思えないしきっと四人が幻覚だと見抜いたのだろう。
女に向けた掌を握りしめて壁で囲んだ中の空気を圧縮し、身体の自由を完全に奪ったところで地面に引き倒す。そして腕から女の身体の中に窒素を送り込んで事なきを得た。

「ホークス、これ雄英の保健の先生から」
「……どーも」

紙コップにはなみなみとココアが注がれている。心が落ち着いたり元気になる作用があると聞いた。どこまで効果が得られるのかはわからないけれど、ほんの少しでも彼が楽になるといい。そう願わずにはいられないほどに幻覚を見ていた彼は苦しそうだったし、今も尚、ベンチに腰掛けたまま口元に手を当てて辛そうにしている。

「……大丈夫?」
「まあ……最後に幻覚だって気づけたからね、まだ」

あの女は四人にトラウマを見せていると言っていた。生徒の三人は青い顔をして泣いたり抱き締めたり、現実に戻った安堵感を示していたけれどホークスは違った。誰の顔を見るでもなく地面を見つめている。相当なものを見せられたのだろうか。
プロヒーローとして活動している分、救けることができた人ばかりでもないはずだ。救助が間に合わなかった人、気づかれずに息を引き取った人、被害に遭って心に傷を負った人。それらを見てきた彼は人一倍トラウマを抱えていたとしてもなんら不思議はない。何と言葉をかけたらいいのかわからなくて、少し距離をあけて彼の隣に座った。居てほしくないと言われればすぐに立ち上がる準備はしたまま。

「ごめんね」
「……なんでまどかさんが謝るの」
「外からじゃ幻覚を止められなくて。時間かかっちゃって」

あの場にいた唯一のプロヒーローであるはずの私は四人が苦しんでいるのをただ見ていることしかできなかった。今振り返ってもどうしたら四人をひどい幻覚から起こせたのかはわからないままというのもあって自責の念は消えない。こういうできなかったことや救けられなかったことの積み重ねが彼のトラウマになっているのかも。ココアに一口飲んだ後、天を仰いだホークスが目を細めているのを見て心が痛くなった。

「今まどかさんに謝られるのは……ちょっとしんどいな」
「……?」
「……さっきさ」

ゆっくりと息を吐いたホークスが話し始めた。つい先程まで見せられたという幻覚の話を。ヒーローとして捜査をしている途中、大切な人が拐われてしまい、その上彼が捜査を続けたせいでその人は敵に殺されたのだとか。自分がヒーローとして行動したために結果として大切な人が死ぬのを見るなんてどれほど苦しかっただろう。

「……そっか」

ホークスとは目が覚めてから一度も目が合わない。話している間もずっと地面の一点を見ていた。

「俺が悪いって、俺のせいでその人が死ぬって敵に言われたのは幻覚の中だけどさ、俺は……その言葉を正しいと思ったんだ」

そう呟くホークスの横顔は寂しそうで、悲しそうだった。対照的にテーマパークで遊ぶ子供達の歓声が一際大きく聞こえる。
過去のトラウマを見るのと、起こり得るかもしれない未来を見せられるのはどちらがより辛いのだろう。人の悲しみも辛さも計量できるものではないけれど、私達ヒーローにはいつそれが現実になるかもしれないという恐怖がついて回る。ホークスほどのヒーローなら尚のこと。

「私はそうじゃないと思うけど」
「……」
「ホークスはヒーローで、ホークスが正しい事をした。もし私がその人だったら『俺のせいで』なんて思ってほしくないかな」

しかし、話を聞く限り彼の行動に非などない。捜査協力の要請に応え、敵にホークスの大切な人を探り当てられ危害を加えられてしまった。それ自体はひどく悲しく辛い幻覚で、起きるかもしれない現実でありこそすれ、その人が死んでしまったのはホークスのせいなんかじゃない。悪いのは敵で、それ以外の誰でもない。少なからず私ならそう思う。
ああ、私がホークスの大切な人なら良かったのにな。もしそうなら彼のせいだなんて言わないからこんな風に苦しむ必要もなくなるのに。なんて、辛そうにしている彼を見て思ってしまうのは不謹慎過ぎるか。

「……まどかさんもヒーローだからね」
「うん。知ってたんだ?」 

やっと笑った。ようやく目が合った。口の端をほんの少しだけ上げただけでいつも通りというわけではないけれど、彼が笑顔を見せたことで私も少しばかり救われた気持ちになる。
こんなに苦しむ姿を見るくらいなら私が占いを受けると手を挙げれば良かった。私とて思い出したくない記憶があるとはいえ、幻覚に傷つけられた彼を見ているよりはマシだろう。好きな人が苦しんでいるところを、よりにもよって大切に想う誰かの死で傷ついているところを見なければいけないなんて。

「ココアのおかわりいる?コップ貸して、私もらってくるよ」
「じゃあお願いしようかな」

ホークスの手から紙コップを受け取って立ち上がった時、空いていた方の手が軽く引かれて振り返ると彼の手が私を掴んでいた。

「どうしたの?何か他にいるものあった?」
「……いや……」

私を見上げるベンチに座ったままの彼を見た。サングラスがないからその瞳がよく見える。切なげに歪んだ表情は何かを言いたげではあったけれどそれを飲み込んで、ほんの少し間を置いてから口を開いた。

「もう少し……隣にいてほしい」
「……うん」

さっきよりも僅かに距離を詰めて座った。その大切な人とやらに弱っている姿は見せたくないだろうし、きっと私は今、その誰かの代わりなのだ。彼が落ち着くまでは隣にいよう。
触れた肌から僅かに感じ取れる脈拍は三十分前より随分と落ち着いている。彼が望んでくれる間だけは隣にいられるという口実を手に入れた私は右手から伝わる彼の体温を感じていた。




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