「そうなんですよ、最近暖かくなってきたから──」

もうこれで三回目だ。赤髪のヒーローが店の扉を開けた時に他の客がいるのは。花の育て方について聞きたいのか、はたまた違う目的かはわからないけれど、彼が居心地の悪そうな花屋であちこちに視線を彷徨わせていることから私に話しかけるタイミングを伺っているのがひしひしと伝わってくる。
私も声を掛けてあげたい気持ちはある。個人的にも、勿論商売的にも。しかし先客且つ常連客がいる以上そうも言っていられない。何せこのご時世では花を買う層は限られているからだ。常連が離れていけばあっという間に店が傾いてもおかしくはない。

「ありがとうございました、また来てください」
「お世話様、また来るよ」

結局あの赤髪の彼は私の手があかないと判断して店を出て行ってしまっていた。何度も来てくれているのに悪いことをしたな。もし次来てくれたら何とかして時間を作ってあげよう。彼にはそう思わせる何かがあった。

「うー、さむ……」

春も近くなり昼間は暖かくなってきたけれど、閉店間際のこんな時間は空も暗くて空気も冷たい。水につけてばかりの指は随分と冷え切っている。
閉店まであと十分くらいはあるが外の花はもう閉まってしまおう。花屋に駆け込み入店なんてする客は滅多にいないのだから。
腰をかがめ、花を入れていた容器を持ち上げた時、ふと目に入った。私の好きな花のように真っ赤な色が。

「も、もしかしてもう閉店っすか?」
「……いえ」

慌てた表情はヒーローらしくないと思った。私の知っているヒーローとは全然似ていないからそう感じるのかも。余裕なんて無さそうで、女性が喜びそうな花のこともわからなくて。別におかしくも何ともないのに笑みが零れる。

「店先のは片付けようと思っただけで。まだやってますよ」
「!良かったー……」

私に人を見る目がないのは重々承知している。彼のこの振る舞いだって演技かもしれない。何か私にさせたい事があって取り入ろうとしている可能性だってなくはない──けれど、それは私の思い過ごしなのだろうと思ってしまうのは一介の花屋でしかない今の私に利用価値がないだけでなく、彼を信じたいと、信じさせようとしてくれるこの滲み出る人柄によるところが大きい。
二度あることは三度ある。また裏切られるかもしれないのに、学ばないな、私は。

「何回も来てくれてましたよね?他のお客さんいたから話せなくて……」
「俺のタイミングが悪かったんで。あ、っつーか片付けですよね?手伝います」

私が両手でやっと一つ抱えていた容器は彼の片手に収まり、地面に置かれていた他の容器も片手で二つ一気に持ち上げていた。ヒーローとはいえ彼は客なのに。

「えっ」
「俺割と力あるんで大丈夫っす」

行き場を失った手で彼から容器を受け取ろうとしたけれど、ギザギザの歯を見せて笑う彼の気持ちをありがたく受け取って店の扉を開けた。

「この前も今日もありがとうございます」
「全然大丈夫……っすけど、店一人でやってるってバイトとかもいないとか?」

店の中を見回しながら尋ねる彼に頷いてみせると「すごいっすね!」感情をそのまま表情に出すものだからなんだか拍子抜けしてしまう。もしこの彼でさえも何か裏があるとしたら、よくもまあここまで演じられるものだと逆に尊敬の念さえ抱いてしまいそうだ。

「あ、今日ってどんなご用件ですか?新しいお花見に来たとか、前渡したお花のこととか?」
「前もらったやつのことなんすけど──」

彼の差し出したスマートフォンの写真を見ると確かに元気がない。春先といってもそこまで気温が高くないからそんな頻繁に手入れが必要なものでもないのだが。
実際に手入れを見ているわけでもなく、実物を前にしているわけでもないから判断はつかないけれどと前置きした上でいくつか対処法を教えると彼はその瞳を輝かせていた。いくらか私よりも年下だとは思うけれど何というか、スレていない純粋な子なのだなと感じる。

「これ、こっちでいいっすか?」
「うん。ありがとう」

花の手入れについて相談しにきた後も赤髪の彼──本人が名乗るのを鵜呑みにするならば切島鋭児郎というらしい──は時折店に来てくれている。
最初の頃は花を買いに来たとか手入れについて相談したいとか理由をつけていたけれど、何もないのにやたらと顔を出すものだからどうしたのだと声をかけると顔を赤くして視線を漂わせるものだから、何となく分かってしまった。彼は私に気があるのだと。面と向かって言われたわけでもなく、確証はないのだが。
そして私はそんな彼の気持ちを知った上で優しさに甘えている。花を売るだけの仕事なら女一人でもやってやれない事はないのだが、売るための準備や片付けには水も土も絡んできて力仕事と言っても過言ではない。慣れた仕事とはいえ私よりも力のある彼の手助けはありがたかったのだ。

「十九歳……かあ」

仕事を終え、店を閉め、部屋でぼんやりニュースを見ているとファットガムと呼ばれている黄色くて大きな男のヒーローの隣に映るレッドライオットこと切島が映っていた。聞くところによると彼は十九歳だという。今の私から六つほど若く、ホークスに出会った頃の私と同じ年齢。
ここまでうまいこと条件が揃ってくると、そろそろ切島は私の過去を知っているのではと勘ぐりたくもなるのだがその度に彼の純粋な好意に触れ、疑念が霧散してしまう。

「……昔の私みたい」

好きな人ができて、その人の力になりたい一心で行動して。ホークスの目に映っていた私も今の切島のようだったのだろうか。それとも、それすら気にも留めてもらえてなかったのか。今となってはどちらでも構わないはずなのに胸が痛むのは、過去にされた事を今度は加害者となって切島にしているからなのかもしれない。
この花屋はそれなりに繁盛しているが、あくまでもそれなりだ。力仕事をするために人を雇うには足らず、かといって仕入れを抑えて種類を減らせば常連が離れていき売り上げが落ちるかもしれない。
だから切島の好意に甘えた。「空いてる時間しかできねえっすけど、俺もやりますよ!」彼が好意を持っているとわかっている上でその優しさを利用している私は、過去に私を傷つけた男達と変わらない。むしろ痛みを知っていながらやっている分、悪質だ。応える気がないのに利用するだけなんて。

「ねえ切島くん、よかったらこの後ご飯行かない?いつものお礼に。私の奢りで」

ヒーローとしての仕事の後、一月ぶりに花屋の手伝いへ来てくれた切島を誘った。パッと顔を明るくさせる彼にまたも心が痛む。これは手伝ってくれるお礼でもあるけれど、彼の好意を利用する事からの卒業でもあるのだから。

「いつもありがとう、切島くんには助けてもらってばっかりだよね」
「これでもヒーローっすから。っていってもあんまり最近来れてなかったっすけど……」

確かにここ最近は店に来る頻度が減っていたが、そもそも彼は善意で手伝ってくれているだけのいわばボランティアだ。自分に満足がいかないらしく申し訳なさげに眉を下げていたが、そんな気にすることはないのに。

「なんだっけ……ニュースで見たよ?だんじり祭出たんだってね」
「そうなんすよ!今年から再開ってことで、インターンの時の縁でどうかって誘われて」
「インターンの時もやってたんだ。だからかな、法被着なれてる感じしたもん」

たまたまつけたニュースで彼が法被を着て神輿を担いでいたものだから夢でも見ているのかと思ったけれど、『地域復興の願いを込めて』とテロップのついたニュースではこの地域に関わるヒーローがだんじりに参加しているのだと紹介していた。ニュースの内容は欠片も覚えてはいないが、法被をはためかせながら笑う切島が印象的だった。きっと祭を見ていた人達もそうだろう、彼の人柄を具現化したようなあの笑顔を見て好感を持たぬ人はそういないはず。

「ユリさんは祭見に行かなかったんすか?」
「うん。私ここが地元ってわけでもないし、知り合いも全然いないの。切島くんくらい……ヒーローを知り合いって言っていいのかな?」
「あ、は……はい!」

感情が顔に出るタイプとはよく言ったもので、彼の頬は付け合わせのトマトみたいに赤く染まっている。その様子が純情で可愛らしいと思う気持ちはあるけれど、彼が私に抱いているであろう恋心に応えられるものでは決してない。だからもう、やめないと。彼とは距離を置かないと。
膝の上で握りしめた両手はテーブルで彼には見えていない。見せたくもない。こんな汚い自分を。

「よかった。私にとって切島くんは大切な友達なんだ。だから……これからも友達として仲良くしてね」

お店には来ないでとか、もう手伝わなくていいとか、いくらだってストレートに伝える方法はあった。それを言葉にしなければいけなかったのに。信頼できる唯一の人を突き放せなかった。突き放して、彼が私のような傷を負わぬよう、私が彼の好意に甘えていたことすら気づかれない間に距離を置くべきだったのに。
今ならまだ間に合う。友達でいたいからお店に来てもらうのは申し訳ないとか、適当に言葉を並べ立ててしまえば、まだ。

「……」

泳がせていた視線を前に向け、切島を見た。彼はいつもと同じだった。打算などまるで感じさせないその表情。

「もうバレてるみたいなんで確認っつーか……」

私がいくら変化球で躱そうとしても無駄なのだと悟った。彼はいつだって直球勝負しかしてこないのだから。

「俺、ユリさんのことが好きです。初めて会った時から気になってました。でもダメってことっすよね?」
「……うん、ごめんね」

何故私が泣きそうになっているのだろう。どう考えたって告白する前からフラれている切島の方が辛いのに。逃げようとした私に悲しくなる権利なんてないのに。食事と一緒に頼んでおいたジャスミンティーで感情を流し込んだ。いつもはふわりと優しく香る茉莉花が私を責めているようにすら思えてしまう。

「えっ」
「え?」
「ユリさんが謝るところありました?」
「え、だってフったのは私だし……切島くんがどう思ってるかなんとなくわかってて店のこととかさせたりもしたし」

切島は特に顔を歪めもせず、切なそうだったり悲しそうな素振りも一切なかった。今まさにフラれたとは思えぬ変化のなさに大して私のことを好きでもなかったのかとフった私の方が考えてしまうほど。

「俺がユリさんを好きなだけで、ユリさんが謝る必要はないっすよ。謝られたくて言ったわけじゃねえし、店のことだってユリさんから俺を呼んだこと一回もないじゃないすか。俺がユリさんといたかったから行ってたんで」

目の奥が熱くなった。彼の想いを疑った自分の情けなさにか、あまりにも真っ直ぐすぎる彼の想いを感じてか。




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