「私、切島くんと出会えて良かったよ。これからも仲良くしてね」

切島に友達で居続けたいのだと告げてから早三ヶ月。彼は私を完全に避けるでもなく、変に意識して距離を置くでもなく、友達であり続けようとしてくれている。仕事の合間にコスチューム姿のまま店へ手伝いに来てくれる上、ヒーロー業で顔が知られている事もあって店の話を周囲にしてくれているらしく客も増えた。
ここまでしてくれる彼に罪悪感を覚えぬわけもない。いっそ気持ちに応えてあげようかと考えなかったわけでもない。けれど、好きでもないのに付き合った後の辛さは誰よりも知っている。彼にはあんな想いをしてほしくはないのだ。

「切島くんお疲れ様。まだ運ぶ物ある?私も持とうか?」
「お疲れ様っす!これで最後なんで」

接客を終えて店の裏へと回ってみると彼の肩には土の袋が二つ三つと積まれていた。「俺そんな背高くないすけど力は結構あるんで心配しないでください」なんてカラッとした笑顔でいつだったか言われたことをふと思い出す。
力があろうが無かろうが土の重さは変わらないし、そもそも私から給料を出せているわけでもなく、ヒーローとしての仕事だって毎日のようにある。それでもこうして善意から彼は手伝ってくれている。私が友達でいたいと、仲良くしてほしいと言ったから。見返り一つ求めずに。急に熱くなった喉の奥に気づかないふりをして息を飲み込んだ。

「俺の高校にこう、物を無重力にできる奴がいたんすよ。こういうの全部浮かせられるような」
「へー、無重力?そういう個性もあるんだ」
「色々いましたよ、蛙っぽい事は大体できる奴とか、テープ出す奴とか、何でも創れちゃう奴とか──」

切島が土の袋を一つ一つゆっくりとおろしていくのを横目に、手持ち無沙汰な私は仕事を終えた彼に休憩してもらうべくティーポットにお湯を注ぐ。彼から高校時代の話を聞くのはこれが初めてではないし、聞いたとて高校に行きたかったとは思わないのだけど、そんな便利な個性があったのなら私にも違う生き方があったのかもしれないなと考えてしまう。

「他にも氷出したり炎出せたりどでかい爆発起こせたりとか。俺のは地味だからやっぱああいう派手な個性いいよなーって三年間思ってました」

何気なく言ったのだろう彼の言葉がまるで私の心を読み取ったかのようで紅茶を淹れる手が止まる。私の持つ彼への印象は太陽のように底抜けに明るい、優しい人だった。羨望だとか嫉妬だとか、それに近い濁った感情なんて持ち合わせていないとばかり。

「切島くんでもそういうこと考えるんだね」
「俺でもって?」

紅茶を注いだマグカップをテーブルに置くと「ありがとうございます」と一言お礼を告げてから席に座った。

「んー切島くんっていっつも真っ直ぐだし、優しいし、明るいし、なんかそういう……人を羨ましいって思うことなさそうだから」

キョトンと呆けた顔をしたのも一瞬に過ぎず、私の言葉を飲み込めたらしい彼はすぐに破顔していた。「そんな風に見えてんすね、俺」見えているも何も、彼を知る人であれば百人中百人が同じように答えると思うけどな。と返していいものかと悩んだ結果、何も言わずに首を縦へと振って紅茶に口をつけた。

「全然そんなことないすよ。……ってユリさんに言うのも男らしくねえしダサいっすけど」
「別にいいのにそんな事気にしなくても。友達なんだから」

なんの気無しに口から出た言葉。私達は友達だと。自分の声が改めて耳に届いた時、そしてそれを聞いた切島の表情──一秒にも満たなかったけれど、彼は確かにぎこちない笑顔を浮かべていた──を見た今この瞬間、胸の奥にさざ波が立つのを感じた。家の鍵を掛け忘れたかもしれないと感じた時のような焦りと不安、今は亡き両親を悪意なく傷つけてしまった時のような申し訳なさ。そして何故か、自分の言葉に自らが傷ついているという衝撃。

「……っすね!まあでも俺──」

自分のせいで私が傷つくのは別に構わない。文字通り自業自得でしかないのだから。けれど会話の一端で、あるいはただ一緒にいるだけでも、大切にしたいこの関係もその相手をも私は傷つけてしまう。
切島の話す高校時代の思い出に相槌を打ちながら彼とは距離をおくべきなのかもしれないとぼんやりとした考えが浮かび始めていた。二十五年生きてきてこんなにも他人を信頼できたのは初めてのことで、できることならこのまま彼とは良い友人でいたかった。しかしこの関係が彼を傷つけるというのなら。身体の内側だけでなく外側からもぴりつく痛みを感じてマグカップを持つ手に目を落とすと、親指の関節が割れて血がぷくりと浮き出ていた。

「どうしたんすか?」
「ひび割れしちゃってたみたい……絆創膏そこにあるから取ってくれる?」
「あー、もう冬っすもんね……」

切島が後ろの棚から取り出してくれた絆創膏をぺたりと貼る。花屋に手荒れは付き物で今更一つ二つ増えたところで気にはならないのだが、彼にとってはそうでもないらしく心配そうに眉を下げていた。

「やっぱ水使うから荒れちゃうんすかね?」
「だろうね。お湯使うわけもいかないし、まあ仕方ないよ」
「……あ」
「?」
「いや、俺なら別に水使っても個性で弾くだろうしひび割れとかしねえかもって。毎日は無理っすけど次からはそっちも手伝いますよ!」

多分、ここで素直にお礼を言えば切島は言った通り手伝ってくれるのだろう。少なからずまだ私に気持ちがあるらしい切島は私が頼めばきっと助けてくれる。毎週最低でも一度、ヒーローの仕事の合間に顔を出してくれるその時に。だけど、いやだからこそ、私はここで彼の優しさから自立すべきなのだ。

「ううん。大丈夫。してもらってばっかりで私は何も返せてないし、流石に悪いよ」
「そうっすか?うーん……俺別にユリさんに何かしてほしくてやってるわけじゃないんで、本当に大変な時は頼ってもらえた方が嬉しいっすね」
「……」

見返りは求めてない、なんて言葉信じられるわけがない。だって人間ってそういうものだ。私をうまく利用したいがために優しくする人ばっかりだった。

「……なんで?」

だけど切島の口から出た言葉だけは信じてしまう。信じたいと思わせてくれる。人を見抜く目なんて持ち合わせていないのに、彼のことだけは疑いたくない自分がいる。

「え?えーっと……俺ユリさんと友達だし……?」
「そうじゃなくて。なんでそんなに優しいの?友達でいたいって言ったのは私だけど……それだって別に、そうする義務なんてないのになんでそこまでしてくれるの?」

ずっと不思議だった。いくらあの時私に友達でいたいと言われたからとはいえ、ここまでできるものだろうかと。
好きになって、想いを告げて、付き合えたのならこんなに優しくしてくれるのもわかるのだが、現実は違う。下心があるようにも見えない。彼は常に適度な距離にいてくれて、必要以上に私へ干渉してくることもなかった。

「なんでって──」

こんな事を聞いたって何にもならないのに。一緒にいるだけで彼を傷つけている自覚があるのなら、適当に言い繕って会わないようにするべきなのに。手に力を入れたせいでじわりと絆創膏に血のシミが広がっていく。

「やっぱり好きな人には幸せでいてほしいじゃないっすか」
「……私、切島くんのことフったんだよ?」
「そのくらいで気持ちが変わるような奴は男じゃねえ。って、俺は思ってて。俺の自己満っすけど……ユリさんが怪我するのとか見たくねえし、笑顔でいてくれるならそれで十分っすね」

切島の笑顔は魔法のようだった。世界に『絶対』と言い切れる事柄はほとんどないというのに、どうしてだか、この笑顔で言われたことなら信じても絶対大丈夫だと思えるのだ。
「なんで、ユリさんがよかったらまた手伝いに来ます」照れ臭そうに笑う彼へ私が拒絶の言葉を紡げるわけもなく、伝染した笑顔を返す他なかった。

「えっこの注文切島くんのお知り合いの方だったの?」

結局あれから一年経った今でも彼は時間を作っては店の手伝いを買って出てくれている。そのお礼にと月に一回閉店後に食事をしたりするようになったし、街でヒーロー活動している所を見掛けたら立ち止まって手を振ったりだとか、テレビに出るのだと聞けばその時間にチャンネルを合わせるようにもなった。

「正確に言うとファットの彼女さんの店からなんで……俺ってわけじゃないっすけど」
「でも元は切島くんが話してくれたんでしょ?」
「まあ、はい」
「今月まだ半分も残ってるのにお陰で売り上げ黒字確定だよ、すっごく助かっちゃった。ありがと、切島くん」

笑顔を向ければ頬を染めるのも一年前と変わらない。男性とはいえ六歳も離れているのだ、可愛らしい人だと思ってしまうのは失礼にはあたらないと思う。

「あ、はは……じゃ、じゃあ行きますか」

変わったことと言えば、彼は車の免許を取った。多忙なヒーローの仕事に加えて花屋の手伝いもしてくれているのに一体どこにそんな時間があったのかと聞いても、頭に手をやって「ちょっと頑張りました」と笑うだけで実際のほどはよくわかっていない。
そして免許を取ってからというものの「俺の練習にもなるんで」と店の配達に車を出してくれるようになった。何を目的に免許を取ったのか、なんとなくわかってしまうけれど言うのも野暮だと思い口にはしていない。

「レッドライオットくんやん!いつ来てたん?なんで美優指名せんの?」

スタンド花でないものは今日から店に出すとのことでレジ周りのデコレーションを二人でしていたら奥から綺麗な女性が出てきた。二の腕も太腿も露出し、細長いヒールでモデルのようなスタイルを強調した浮世離れした人。彼はこんな人とも知り合いなのか。

「俺客じゃなくて花届けに来てるんす」
「美優の誕生日用の?さっき裏で見かけてんけどめっちゃ綺麗でびっくりしたわ」
「ですよね!ユリさんが作ってくれたんすよ。あ、ユリさん、こちら店のトップ張ってる美優さん。ファットの彼女さんっす」
「やからみたいな呼び方せんといてよ。えーとユリさん?うち美優って言います。明日誕生日で今日前祝いするんです。よかったらお花のお礼に一杯飲んで行かれません?」

店も閉めてきたしまあいいか、と思い美人の誘いに乗ったはいいものの、彼女は店で一番人気の名に相応しくほとんど席にいることはなかった。
特段彼女と話したかったわけではないのだが──隣を見ればまた別の綺麗な女の子と話している切島も目に入る。さっきの人はファットガムの彼女だと聞いていたから何も思わなかったけれど、今の子はどういう間柄なのかもわからないしただただ心がもやついていく。こんな感情もまた、一年前にはなかったものだ。

「明日どうします?美優さんはタダで来ていいって言ってましたけど」
「うーん、私はいいかな。美優さんのこと祝いたいお客さんがいっぱい来るんだろうし」
「あー、確かに」

家まで送ると車を出してくれた切島の横顔をちらりと見る。いつからだろう、彼のことを友人としてではなく異性として意識するようになったのは。一度告白を断っておきながら、友人としての関係を願っておきながら、なんて様だと気持ちに気づいた時には自嘲するしかなかった。
きっかけはわかっている。『笑顔でいてくれるならそれで十分っすね』彼が笑顔でそう言ったあの日からその優しさに触れるたび私の心は少しずつ、しかし確かに切島の方へと動き出していたのだ。土に植えた苗が日に日に育っていくように、太陽に向けて花を咲かせるように。

「明日うちの事務所一日休みなんすよ。ファットが『予定ないんやったら美優のこと祝いに来たってや!』って言ってたんで」
「へー、愛されてるね美優さん」
「なんで、俺明日は一日手伝えますよ。買い出しする日っすよね?何時に行けばいいですか?」

ゆっくりと車が減速していく。フロントガラス越しに私の住むマンションが見えた。「うーん……」携帯を取り出してカレンダーをチェックすると、確かに明日は買い出しと書いてある。土やら花やら他にも色々と買わねばならないものがある、けれど。

「明日、お出かけしたいな」
「花の競りにっすか?」
「ううん。大阪だと味気ないから……京都とか?」
「京都?」
「うん。……あのね、今更だけど、私切島くんのこと好きです。好きになりました。だから一緒にお出かけしたいなって」

言ってしまった。この一ヶ月いつ言葉にするかずっと悩んでいたというのに、今言おうと決めていたわけでもないのに、大体そんな雰囲気でもなかったのに、何故だか口が勝手に動いたのだ。
途端に赤くなっていく顔を隠そうと両手で抑えてみたけれど、いい大人なのだから最後まで言うべきではないかと脳内の私の進言に従って再び口を開き、彼の方を向いた。

「あと、あとっていうか、もしよかったら私と──」
「──……あのっ!」

彼も私と同じくらい頬も耳も赤く染まっていた。男の人のこんな姿を見るのは初めてだった。今まで私が好きになり付き合ってきた人達は皆、感情を見せてくれることはなかったから。

「俺、ユリさんのこと好きです。あの時からずっと」

この好きだという一言でさえ──彼らが私のことを好きだったのはただの演技だったとはいえ──ほとんど聞いたことはなかったけれど、外見がずば抜けて良く、女性の扱いにも慣れていて、どんな事をすれば私が喜ぶのかを知っているそんな人達に運命を感じていた。逆に、切島にはそれを一切感じなかった。出会った時も、好きになった今でさえも。
そんな人と付き合った経験はないし、今後一緒にいる内に傷つくこともあるかもしれない。私が彼を傷つけてしまう可能性だってある。

「俺の気持ちは変わってません。だから、だから……俺と付き合ってください」

だけど照れながらも大木のように真っ直ぐ目を見てくれる彼ならば、等身大で向き合い続けてくれる切島鋭児郎となら、たとえそんな時があろうとも乗り越えられるはずだと不思議なほどに強い確信がある。

「……はい、喜んで」

今までの恋愛は恋だったのだろう。私はあの人達に恋をしていた。相手に求めてばかりいた。
そして今私が彼に、切島鋭児郎に抱いている気持ちは恋ではなく、愛。彼を笑顔にしたい、幸せであってほしい、何かしてあげたいと思うこの気持ちこそが愛なのだと確証などなくともすぐにわかった。この気持ちがある限り、運命など感じられなくとも彼との未来がずっと続いていくに違いない。




back / top