「久しぶりだというのにすまないな、急な依頼で」
「いえ。別件で近くにいましたし」

プロヒーローの中でも指折りの知名度を誇るベストジーニストを見上げた。私も女としては高身長の部類に入るが、彼は私がヒールを履いてもなお目を上に向けねば視線が噛み合わない。コスチューム姿で会うよりは目線が近いのだけれども、ずっとこんな調子では疲れるのが経験上わかっていたから「食事を取りながらでいいか?」と提案を受けた時はありがたかった。
私も彼もいい大人だ。数年前に所謂元カレ元カノとなり多少気まずくなったとはいえ、仕事にはそんなもの持ち込まずに必要だと判断すれば呼んでくれる。こういうプロ意識のしっかりした所は昔から好感を持っていた。

「ここまでで何か質問や要望は?」
「大丈夫です」

私が呼ばれた理由と対応すべき事件の詳細情報、管轄区域の地図を片手に考えられ得る流れをシミュレーションをした。これが私の普段通りの仕事だ。呼ばれる時は大概理由がある。
ベストジーニストからの説明を受けながらふと博多での仕事を思い出した。いつだって人一倍速く行動するホークスは私とこんな事前打ち合わせをしたことなんて一度もない。その分サイドキックがフォローしてくれているから問題はないのだけど、やはり次は指定された日時よりも早く行って打ち合わせの時間を確保しよう。その方がより彼の力になれるかもしれないし。

『申し訳ない。私の注意不足で君まで撮られていたらしい。迷惑を掛けてしまうな』

打ち合わせの甲斐あって滞りなく仕事を終え、報告書も出し終えたある昼下がりにベストジーニストからもらった電話は、まさにその打ち合わせについての謝罪だった。
プロヒーロー同士で食事をしながら仕事についての打ち合わせなど珍しいことではないのだが、あの日の私はコスチューム姿ではなかったし顔も知られていない。民間人と間違えられたせいで週刊誌に撮られてしまったのだろう。短期間とはいえ、付き合っている間は一度として撮られなかったのに、完全な仕事仲間に落ち着いた今そうなるとは、何とも皮肉なものだ。

「ジーニストさんのせいじゃないですよ」

明日発売の雑誌に盗撮が載るとの知らせには流石に驚いたが、相手は全国でもトップクラスの人気を誇るプロヒーロー、仕方ないと割り切る他ない。

「私、雑誌に載るなんて初めてですしいい経験になったと思っておきます。気にしないでください」

わざわざ本屋で買う気にはなれなかったが、どんな風に撮られているのかは少しだけ興味が湧いた。仕事上の打ち合わせをどのように書き立てているのか。電子書籍で購入した雑誌をタップし、ベストジーニストの名が出てくるまでページを繰った。

『ベストジーニスト、謎のスタイリッシュ美女とお忍びフレンチ』

想定していたよりもしっかりと顔が映っている。とはいえ名前も住んでいるところも書かれていないし、道行く人にこれが私だと気付かれる心配はなさそうだ。確かに二人で食事はしたが忍んでなどいないのにな、と思いながら次のページに進んだ。それが間違いだった。

『博多が誇るトップヒーロー、地元女子アナと仕事中の束の間デートか』

思わずページを繰る手が止まる。『仲睦まじく休憩を共にし談笑する二人はこれまでにも度々その姿を目撃されており──』私とベストジーニストは完全に仕事中だったわけだけど、ホークスはどうやら違うらしい。この雑誌は初めて読んだが、きっと今までにも噂されていたのだ。だからこんな書き方をされているわけで。

「……可愛い」

ホークスの隣でジュースを片手に笑う中堀アナウンサーとやらはとても可愛かった。高過ぎない身長と小さな顔と自然な笑顔、不意打ちで撮られたはずなのに非の打ち所がない容姿だ。女子アナウンサーなんて可愛い人ばかりなのは承知しているがそれでも別格の部類に入るのだろう。地方局にいるのが勿体ないくらい。
博多は美人が多い街と聞くけれど、ホークスの周りにはこんな人が当然のようにいることに何故か胸がしくりと痛んだ。美男美女の写真を見てこんな気持ちになるなんて。

『番組の休憩中に。ご馳走になっちゃいました!』

彼女のSNSを覗きにいくとそんな短文と共にジュースが入ったカップとの自撮りが載っていた。コメント欄にはその容姿を褒め称える声に仕事を労うもの、そしてそれ以上に、誰に奢られたのかと質問する人達で溢れかえっていた。皆雑誌を読んで好奇心からSNSを見に来たということか。

「……何やってんだか」

コメントこそしないものの私もその一人になっていると気づきSNSも電子書籍のアプリも閉じた。
ホークスが週刊誌に撮られようが、誰と一緒に過ごしていようが、私が気にする理由などないはずだ。仕事の垣根を超えて彼のことが気になっているからといってそれ以上の感情などない。彼とどうなりたいとかそんな期待をしたつもりはないのだから、どんな女性とどのように過ごしたかなんていう記事で気持ちが揺さぶられるなどあってはならない。

「どうせなら……二週間前に撮ってくれればよかったのに」

誰もいないリビングで独り言がこぼれた。撮られたのが博多でホークスと食事をしていた時だったなら、むしろ喜んで雑誌を買っていたかもしれない。少なくともこんな気持ちにはならなかったに違いない。
しかし真っ暗な携帯の画面を見て気付いた。あの時ホークスは騒ぎになると困るからと空から先導してくれていた。そんな風に考えられる人が、この可愛らしい女子アナウンサーとは笑顔で会話している所を撮影されている。彼女とは撮られてもいいと、そう思ったんじゃないだろうか。私とはダメで、女子アナウンサーとならいい。どちらかを選ぶならそうなることに不思議はない。ないのに、なんで私は落ち込んでいるのだろう。

「……」

もう何度目になるかわからないため息を吐いて、仕事の報告書や免許更新に必要な書類の記入を進めた。

「更新手続きは以上で終了です。ありがとうございました」

ヒーロー飽和社会とはよく言ったもので、何百人ものヒーローがチャートに名を連ねる豪華さがある一方で、免許更新には丸一日掛けて待ち時間を潰さなければいけない程だ。しかし皆チャートに呼ばれたり、その結果へ夢中になっている日を選ぶとヒーロー免許更新はこんなにもスムーズになる。ここの所とんと上がらなかった気分がほんの少しだけマシになった。
誰もいない免許センターでエレベーターのボタンを押して到着を待っている間も受付の近くでついていたテレビの音が聞こえる。『以上、上半期ヒーロービルボードチャートJPでした!』ちょうど今終わったのか。となるとこの後は混むだろうからさっさと退散しなければ。

「あ、こんにちは。お久しぶりです……ってほどでもないですけど」

途中で止まったエレベーターが迎え入れたのはベストジーニストとホークスだった。私が知る限りこの二人が十位以内から落ちたことはないしきっと今回も入ったんだろうな。
流石のホークスとて疲れたのだろう、私に軽く頭を下げただけでエレベーターでは壁際に寄り、話しかけてこようとはしなかった。

「君も来てたのか?」
「ええ、ヒーロー免許の更新で」

私は一階に、二人は途中の階に用があるらしくベストジーニストがパネルを押し、他愛のない会話を続けていると程なくしてエレベーターが止まる。

「じゃあ私はこれで。記事の件はすまなかった」
「いえ、美味しいフレンチをご馳走になりましたから。貸し借りなしです」

あれは仕事の打ち合わせついでの食事とは思えぬ店だった。昔よく連れて行ってもらった店とは違ったけれど、本来の意味であるベストジーニストを何度も受賞する程のセンスを持ち合わせている人はやはり普段から行く店すらも違うらしいと改めて感じた。ホークスに連れて行ってもらったあのお店だって方向性こそ違うものの趣のあるいい所だったわけだし、チャートにランクインするような人達はヒーローどころか人間として見習うべき部分がいくつあることか。

「……」

エレベーターが再度音を立てて開く。階数表示は一階。ベストジーニストと違いホークスは帰路につくらしく、私と同様に公安本部のビルを後にした。
私、二週間前は彼とどんな話していたんだっけ。チャートが終わったことで周りにはヒーローが溢れていて幸いにも民間人がホークスを見て色めき立つこともない。話をするなら今しかないのに、どんな話題を切り出すべきか思いつきもしない。あの雑誌の記事以外は。どうせ頻繁に顔を合わせるわけでもないのだし、軽く聞いてみてもいいだろうか。『束の間デート』とやらが事実だったのかどうかを。

「……記事見たよ。ジーニストさんに教えてもらったら隣にホークスがいて流石にびっくりしちゃった」
「あー、あれ。まどかさんは何だっけ、謎のスタイリッシュ美女?」

今現在は私とそういった関係ではないのに変な想像で記事を書かれたベストジーニストには悪いけれど、私はそこまで悪い気がしなかった。訴訟回避の手段なのだろうがあそこまで大袈裟に褒められれば一度くらい許してやろうという気にもなる。

「フレンチで打ち合わせか。流石だなジーニストさん」
「……私がお店指定した可能性は考えてないの?」
「まどかさんがフレンチ行きたいって指定したならデニムは履いてこないでしょ」
「……」
「はは、悔しそう」

隣を歩くホークスはなんだか楽しそうに笑っているけど私は面白くなくて軽く睨みつけた。確かに彼の言う通りお店はジーニストの行きつけであったわけだし、私はそれについて行っただけだけど。
こんなくだらないことを本気で気にしているわけではないと自分でもわかっている。『仲睦まじく談笑する二人は──』お似合いだなんだと評されていたあの記事が気に食わないのだ。彼にとってその他大勢の一部である私と、特別な彼女とを見せつけられてしまったことが。まったく、自分から話題に出しておいて面倒な人間だ。

「ホークスだって可愛い女子アナと一緒だったのに撮られたのはドリンクスタンドじゃない」
「俺のは五分の休憩中だったからね。あの人はただついてきただけだし」
「ふうん」

ただついてきただけ、とは思えないけれど彼が嘘をつく理由もない。本当ならいいな。そう思った次の瞬間、本当であったからといって中堀という女子アナウンサーとは何でもないとは限らないし、そもそも私は彼のプライベートに立ち入る権利はないと再び言い聞かせた。

「どうせ撮られるならまどかさんとが良かったな」
「……なんで?」

横断歩道の信号が赤く染まって足を止めた。まさか同じことを考えているだなんて思いもよらなかった。表情に感情が出てしまわないように喉の奥に力を入れる。
隣にいる彼とサングラス越しに目が合う。何を考えているのだろう。何故こんなことを言うのか理由が知りたい。もし──もしも、私と同じ理由で同じ気持ちだったなら。そんなわけないのに自然に止まっていた呼吸のせいで心拍音がいつもより大きく聞こえた。

「あの水炊きのお店ならセンス良いって思われそう」
「……あっそう」

止まっていた呼吸のせいか、彼の答えに対して落胆したせいか、自分でも驚くほどに大きなため息が出てしまった。一人で期待して一人で落胆して、空回りとはこういうことを言い表す表現に違いない。人に期待を持たせるようなことをしているのは彼だけど。なんて、こんなことを考えるのも八つ当たりが過ぎるだろうか。

「怒った?」
「怒ってない」
「怒ってるよね?」
「怒られたいの?」
「やっぱりもう怒ってる」
「怒ってません。期待した私がバカでした」
「……期待?」

失言したことに気づいて横断歩道を進む足が止まる。私は間抜けで、底抜けに愚か者だ。思っていることをこうも簡単に口にしてしまうなんて。
胸の奥から指先まで瞬時に熱が広がっていく。私の発言の意図がわからぬ彼ではないだろうが、次に会う時には忘れてくれることを祈ろう。

「俺に何て言ってほしかったの?」
「とりあえず今は口を閉じててくれる?」
「了解」




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