「どうぞ――」

 ベストジーニストの家に繋がるドアが開く。ドア越しに聞こえてくる声は多少くぐもっていたけれど明らかに女性のもので、来客中だったのかと心の中で舌打ちをしようとしたところだった。

「……え?」
「ホークス……」

 玄関ポーチに立つ俺の目の前には彼女がいた。こんな時に、こんな場所で会いたくなかったその人が。

「あー……まどかさん久しぶり。この前はありがと、助かったよ。ジーニストさん中にいる?」
「――……うん」

 何故彼女がこの家に。しかも来客を受け入れるような役割で。二人はそういう関係だったのか、とやけに早く動く思考回路のせいで一つの仮説が出来上がる中、それでもまともに挨拶できた自分はやはり潜入捜査に向いているのだと確信を持てた。
 そう、自分は今『長期目標』に向けて最短最速で進まなければいけない。そのためには生じる被害さえも無視するのだ、自身の感情の起伏など瑣末なことに構う必要はない。

「ホークス、時間はあるのか?少しゆっくりしていくといい」

 部屋の主はいつも通りで、それが無性に気に食わなかった。彼女がこの部屋にいることをさも当たり前のような顔でやり過ごしているその余裕が。

「すみませんジーニストさん。まどかさんといるって知ってたら来なかったんですけど」

 つい口から出てしまった。挑発するような、子供じみた嫉妬から生まれた言葉。この中で一番年下ではあるが成人している男の軽口にしては何と情けないことか。

「どこぞの雑誌記者みたいだな。想像しているような事はない」
「そうですか」

 はあ、とため息を吐いて呆れたような視線をよこしたベストジーニストに作り笑顔を返した。返すしかなかった。そんな自分が情けなくて、恥ずかしくて、苛立たしい。彼女が誰の家にいようと誰とどんな関係にあろうと、気にできる資格などないくせに。

「そこにかけてくれ」

 部屋の主の指示に従いソファへと腰を落ち着ける。彼が言うには自身の復活記念グッズの検品を手伝ってもらうために部屋まで呼んだのだとか。
 確かに筋は通っているが、そんなことで普通呼びつけるだろうか。ベストジーニスト事務所といえばかなりの都内有数の大手でサイドキックも多数所属している。検品作業なんて彼らに頼むのが筋というものだろう。そこであえて彼女を呼ぶ、というのは――

「……」

 ふと、異質なものが目に止まって棚を注視した。ヒーロー活動を表彰する際に授与される盾や記念品に混じり、一枚のメッセージカードが立てかけられている。始まりに書かれている『袴田さんへ』、そして結びの『まどかより』。それ以外は無難な見舞いの言葉だった。

「紅茶でいいか?」

 反射的に「ありがとうございます」と口から出る。
プロヒーローとしての交流があるのだろうことは承知していた。仕事のために会っていたところを面白おかしく雑誌に取り上げられていたのもつい半年くらい前の話だ。
 けれど、このメッセージカードの書き方は明らかにそれ以上の何かを感じさせる。
 仕事だけの付き合いだったなら、サイドキックに頼めば済むことをわざわざ頼んだりはしない。プロヒーローとしての関係性だけだったのなら、カードの宛名に本名を書きはしない。特別な感情がなければ、メッセージカードなんて大事に飾ったりはしない。

「ホークス、砂糖を使うなら」

 差し出された砂糖入れから一粒、二粒とカップへ沈めていく。彼女には砂糖が必要かどうか聞きもしなかった。何らかの個人的な関係があるのだ、という仮説がより強固になる。

「博多は落ち着いたのか?」
「おかげさまで。エンデヴァーさんには大怪我させちゃいましたけど……一般市民への被害は少なく済んでよかったです」
「だそうだ。よかったな」

 何もかもが癇に障る。彼女のことをわかっているかのようなその口振りも、仕草も。彼女がこの部屋にいることすら。
 とはいえ、彼も彼女も悪くない。至って普通の会話だ。それを気にしている自分が悪い。仕事に支障をきたすかもしれない感情を未だに捨てきれない自分が。

「私そろそろおいとましますね。ホークスもジーニストさんに何か用があるんだろうし」

 互いの近況なんかを当たり障りのないように話しているとまどかが区切りをつけるように立ち上がった。

「ごめんまどかさん、追い出す形になって」

 口ではそう言いつつも気が楽になる自分がいた。彼女がここにいてはベストジーニストへ話が切り出せないと言うのもあるが、何より自分自身が耐えられそうになくて。

「ううん。それじゃあ二人とも、また」

 玄関まで送ってくると言い残して立ち上がったベストジーニストの背を見送った。これでようやく話ができる。世間を欺き、人々に不安を抱かせ、敵と繋がりを保ち更に深みへ入るための相談を。

「さて……待たせたな、私に用事だろう」
「すみません、間が悪くて」
「何度も言わせるな。彼女とはもう何もない」

 先程よりも数段強く言い切るベストジーニストの声には、この話はこれで終わりだという意味が含まれているように感じた。
 きっと彼もわかっているのだ。わざわざ復興中の博多から東京に来てまで会いに来たのは週刊誌記者の真似事をするわけではなく、プロヒーローとして昨今の情勢をふまえた厄介な話があるのだということに。

「じゃ、早速本題で――」

 ベストジーニストに全てを打ち明け、その命を自分に預けてくれないかと頭を下げてから一ヶ月も経ったのか。彼はまだ敵連合の施設で深い眠りから目覚めてはいない。しかるべき時が来たら蘇生させるが、今はまだその時ではないからだ。

「はー、さむ」

 口から出る息は白く濁り、冬の訪れを告げていた。暑いのが好きというわけではないが寒いのも好きではない。全く、年末も目前に迫ったこんな日くらい面倒な仕事を増やさないでほしいものだとついさっき捕まえたばかりの敵に再度ため息を吐いた。

「……おっと」

 視界に入った新たな事件を手早く片付け、サイドキックに片付けを指示した。やはりオールマイトが引退してからというものの、事件発生率は右肩上がり、つい先日脳無に襲撃を受けた博多は他所よりも更に高い割合で上昇している。
 早くこの状況を何とかしなくてはと思うものの、次にやらねばならぬことはプロヒーローのホークスに届いた誕生日プレゼントの仕分け。

『ホークス、すみません警察の到着が遅れていてまだ倉庫向かえてません』
「ああ、いいよいいよ。俺先行っとくから」

 サイドキックからの通信に返事をして時間を確認する。日付が変わるまであと二時間と少しといったところか。一人でどれくらい進められることやら。
 敵の捕獲より面倒な仕事だと思ってしまうものの、今年ばかりはテロ対策も含めて例年よりも本格的に検査しなければならない。これはこれで大事な仕事か。そう思い直した時だった。

『一応まどかさんに派遣頼んどいたんで、もう来てると思います』
「……りょーかい」

 倉庫に向かって飛んでいた翼の動きが少しだけ乱れた気がした。

「こんばんは、先に作業やってます」

 倉庫のドアを開けるとプレゼントの山の中からまどかが顔を出す。
 こんな日に会うとは思ってもみなかった。自分の誕生日に彼女に会いたいだなんてまさかこんな状況の中で望むわけがない。
 だというのに、彼女が視界に入った途端嬉しいと思ってしまった。神なんて一度も信じたことがないくせに感謝したくなった。

「あれ……ホークス?」
「久しぶり、まどかさん」
「久しぶり?まあ久しぶり……かな?」

 軽く挨拶を交わしてプレゼントの仕分け作業に取り掛かる。敵もいなければ困っている人がいるわけでもない、事務作業の延長のような仕事。
 数ヶ月前なら雑談でもしながら取り組んでいただろうがなにせ二十個ものマイクロデバイスによる監視付きだ。個人的な繋がりがあるのか、なんて考えを持たれでもしたら厄介でしかない。
 彼女がヒーローである以上いつかは力を借りるとしても、極力巻き込みたくはない。安全な場所にいてほしい。ベストジーニストに命を賭けさせておきながら祈る権利などないというのに。

『ホークス』
「どうした?」

 しばらく続いた沈黙はサイドキックからの通信で一旦途絶えた。交通整理に時間がかかっておりまだまだこちらに来れそうもないとのこと。

「了解。もうこんな時間だしそれが終わったら解散で。こっちは気にしなくていいから」

 ありがとうございますというサイドキックからの返事を聞いて通信を切る。大量のプレゼント仕分け作業は見たところ七割方終わっており、現在の時刻は十一時を過ぎたところ。この分ならもうまどかをも帰してしまい、一人でやってもいいくらいだ。

「事件?」
「いや、交通整理が大変らしい。もうあと少しだから俺たちだけで足りるって思ったけど、どう?」
「うん。問題ないと思う。日付変わる前に終わらせたいね」

 プレゼントの箱を開けながら横目で同じ作業に取り掛かる彼女を見て、派遣業務で必要な書類を渡された時の記憶が脳内で再生される。生年月日の欄に書かれている数字は俺の二つ前の年で、俺の翌日なのだとその偶然に少し驚いた日の記憶が。

「……これで最後かな?流石の人気だね、こんなにたくさんのプレゼントなんて」
「ありがたいことにね。今年は特に多い気もするけど」
「そっか。……じゃあ更に増やして悪いけど、これ」

 全ての仕分けを終えたまどかが俺に差し出したのは小さな白い包みだった。この二時間で何百と見た様々な包みとは違って高そうな包装紙でもなければ刺繍が施されているリボンがついているわけでもない。

「ギリギリになっちゃったけど、お誕生日おめでとうホークス」

 それなのに白い包みは今までに見たどのプレゼントよりも光り輝いて見えた。理由なんて考えなくてもわかる、彼女がくれたからだ。彼女が俺を想って用意してくれたプレゼントだからだ。




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