02
生まれ持った自身の林檎のように赤い髪は、良いこともあれば悪いこともあった。どちらかというと、悪いことの方が多かったように思うから、あまりこの人と違う点を私は好きではなかった。好きではなかった、と過去形なのは、今はさして嫌いではないし、寧ろ好きだからである。「郁ー!」
「あ、おはようエリオ」
「なあなあどうだった!? ジーナ嬢と行ったんだろパーティー」
「よく知ってるね……」
「ジーナ嬢が朝から郁探してたんだ、昨日いつの間にか帰っちゃって放置してるの怒ってるのかもって涙目だった」
「ジーナ……」
あの子の不安症というか、心配性もなかなかのものだ。そのくらい最初からそうなるだろうと思っていたし、そんなことで怒るわけもないのに。
「それで? ジーナは?」
「今日はまだ見てないから怒ってどっか行ったのかもなって言ったら、真っ青な顔して郁んちに向かっていったぜ!」
「こらエリオ!」
「へへへ!」
へへへじゃないってば。イタリアっ子は元から女性に甘いのかと思っていたけれど、どうやらそうでもなくてやっぱり人によるらしい。エリオはジーナの事好きなくせにいじめてしまうから、好きな子ほどいじめたいっていうのはどの国でもありがちなことのようだ。私と同い年のジーナに対して、先日10歳になったばかりのエリオの恋はまだまだ発展途中で先は長いようである。
「今出勤してきたばかりなのに、一旦帰ったがいいかな」
「ジーナに会いに?」
「なに? エリオも来る?」
「いっ行くわけないだろ!」
「泣いてるところを慰める男はかっこいいよ」
「えっ」
「やっぱりそうですよね郁さん! 逆に泣かせる男は最低ですよね!」
「うっ」
「ロレンツォ……」
「おはようございます郁さん。ああ今日もお美しい。その輝く赤い髪は僕の目を惹きつけてやまないよ。いやもちろん、郁さんの髪が真っ黒だったとしても、ブロンドだったとしても、珍しい緑だったとしても、僕の心はいつだって郁さんにくぎつけなんだけれどもね!」
「あ、ありがとう、ロレンツォ。今日も元気そうで」
「うん、とても元気だよ、郁さんに会えたからね」
「相変わらず騒がしいクセー奴」
「うるさいなガキンチョ、紳士だと言ってくれ」
「紳士はそんなにペラペラペラペラ喋んないよ」
ああうん、それは同感だ。
こちらに移り住んですぐ仲良くなったエリオと、私の赤い髪を物珍しがって近づいてきた末に好意を寄せてくれているらしいロレンツォ。私の職場である花屋《フェリチータ》に出勤してくるとまず見る顔がこの二つ。店主より先に店先で会うので、出勤時間より少し早く家を出ないと毎日遅刻することになりかねないというわけである。
「ロレンツォ、今日はどんなのがいいの?」
「うーんと、昨日は爽やかな緑が多めだったから、今日は元気がでるような赤と黄色が多いのがいいな」
「溌溂としてるのか」
「ハツラツ?」
「ああうん、こちらの言葉だよ」
「どんな意味なの?」
「元気とか、生き生きしてるとか、確かそんな感じ」
「ハツラツ、溌溂か。うん、覚えておくよ」
「じゃあパパっと準備するからエリオと待ってて」
「えーっ! 俺こいつといるくらいならジーナ探しに行く!」
「なんだと!?」
「じゃあ行って来なさい」
「ほーい、じゃあな郁!」
「はいはい、ジーナをよろしくね」
「任せとけって!」
ばたばたと駆け出した背中は小さいけれど、どこか少しだけ大きく見える。こういうとこが日本とイタリアっ子の違いなのかもしれないな、なんて考えながら店頭の花々を見ながらこれだというものを抜いていく。
エリオが去ると少しだけ落ち着いたらしいロレンツォは、本日入ってきたばかりの花の匂いを嗅いで満足そうにうなずいている。
ロレンツォは郵便の仕事をしていて、そんな彼のお母様は今病床に伏せっている。そんな彼女のために彼は毎日お見舞いの花を買いにうちの店に来てくれるのだ。
「お母さん、どう?」
「気持ちはとても元気なんだけどね。あまり長くはないだろうと医者に言われたよ。本人もやっぱり悟っているんだろうなあ、もうきつい治療はしなくていいからやりたいことしたい!って駄々をこねるんだ。昨日は一日本を読むって言って、好きな作家の本を片っ端から借りてこいって図書館まで走らされたよ」
「そう……」
「今日は絵を描くって言ってたから、きっと郁さんの作った花束の絵も描いてくれると思う。完成したら持ってくるね」
「うん、……待ってる」
シリアスな話題は苦手なくせに聞かずにはいられなくて、聞いて、何も返せない私に対してロレンツォははとても気を利かせてくれる。そんなとこは本当に紳士で、素敵だなと思う。2つ上なだけなのに、彼はとても大人で、私は子供で、後先考えずに行動してしまって、それを助けられて、見習わなければとおもうのだ。
「はい、お待たせしました」
「わあ! いいね、ハツラツだ! ありがとう郁さん、きっと母も喜ぶよ!」
まだまだ未熟な私の花束をいつも絶賛してお母さんに贈っている彼は、とても素敵な人だ。
「マウロさーん! おはようございます」
「あぁおはよう郁ちゃん。ロレンツォは帰った?」
「はい」
「あーほんと、お得意さんなんだけどね、苦手でダメだね」
「昔のマウロさんそっくりだから嫌なんですよね」
「本当に。あのすっごいアタックしまくってるとことか、うるさいところとか、そっくりすぎて鳥肌が立つね。俺あんなにバカだったんだなあって思う」
「でもその甲斐あって、今素敵な奥さんがいらっしゃるんですから、あんまり悪く言うもんじゃないですよ。罰があたります」
「そうね、そうだね。そこは、そこだけは感謝してるね」
やんわりと本当にうれしそうな顔をして笑うマウロさんとアメリアさんはもう結婚して12年になるという。それだけの年月を経ていながらまだまだラブラブぶりは健在らしくて、熟年離婚が多い日本を考えるとイタリアのこういうところはとても憧れる。
一度、マウロさんにどうしてそんなにずっとラブラブでいられるんですか?という質問をしたことがある。倦怠期とかないんですか、と。そんな質問をした私に対して、彼は笑っていった。
「倦怠期もあるし、喧嘩もする。もう別れる!なんて叫ぶこともあるよ、大体別れるっていうのはアメリアのほうだけれどね。でも仲直りは2日以内にする。それは俺とアメリアの約束なんだ。別に自分が悪いと思ってなくてもいいから、2日以内に熱を持たない状態で会って思ってることを言って、話し合う。すると大体解決する。まあでもまず喧嘩事態をあんまりしないんだけどね。なんだろうね、全部を知りきれてないからなのかな。毎日毎日ちょっとだけ今まで知らなかった面が知れたりして、毎日恋をしている感じなのかな。毎日惚れ直してしまってるんだね、べた惚れだね」
――なんて、なんて素敵な夫婦だろうと思った。
マウロさんがアメリアさんに毎日惚れ直しているというなら、私はマウロさんからそういう話を聞くたびにこの夫婦に惚れ直してしまう感覚。
車とぶつかってけがをして入院する羽目になったマウロさんに担当でついた看護師さんがアメリアさんだったという出会いはなかなかに運命的で、私もそんな出会いができればと思うけれど、まだよく恋を知らない私には全然先の事にしか思えない。
「郁ちゃんはいい人とかいないのかい?」
「いないですね、残念ながら。ジーナも昨日いい感じの人ができたみたいで、焦りそう」
「ジーナが? それはエリオが泣くな」
「個人的にはエリオもなかなかいい男になると思うんですけど、大器晩成型だと先を越されますよーって感じですね」
「まあ、人間どうなるかわからないからね。いつか、どこかで、誰かと出会って、変わるんだ。焦ることはない、いつか必ず素敵な人に出会える。もしかしたらもう出会っているかもしれないよ」
「……そうですね」
「うん。さて、仕事に戻ろうか」
「はい!」
素敵な人、というマウロさんの言葉に、昨日出会ったあの彼が脳裏をよぎったのはきっと気のせいだ。