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4月が過ぎると体育祭の時期となった。盛り上がる人もいれば気怠げな人もいて、どうでもいいと言う人もいる。私はどうでもいい人で、蓮巳くんは気怠い人そのものだった。

「競技何かしら出ないといけないんだね」
「めんどくさい」
「蓮巳くんイベントごととか競技とか本当苦手そう」
「訂正するけど、イベントは大嫌いだけど運動音痴ではないから」
「そうなの?」
「そうなの」

黒板に書かれた競技一覧を見ながらどれなら出れるだろうかと考える。

「蕪木さんは運動ダメそう」
「ダメじゃないよ、人並み」
「……」
「より少し低いくらい」
「ダメじゃん」

くくっと笑う蓮巳くんに、笑うことないじゃないと頬を膨らませた。
身体を動かすのが嫌いな訳では無いけれど、好きでもない。増して得意ということはまずない。50m走はいつも9秒台だったし、跳び箱もあまり飛べない。球技なんて以ての外。

「借り物競争にしようかな」
「意外にやる気?」
「本当は玉入れとか綱引きがいいんだけど、団体競技だと責任が重くて」
「普通逆じゃない?」
「私が個人で負けてしまった分は、蓮巳くんに取り返してもらうからいいの」
「なんだそれ」

俺が勝つのは前提なんだ、と言った蓮巳くんに頼りにしてるからねと笑った。
体育祭なんてもう何年前のことか知れない。並中特有の競技、黒板に書かれた棒倒しの文字に色々と現実を思い出してしまって、少しだけ目を伏せた。







「嘘でしょ」

体育祭当日はあっという間に来た。クラス対抗リレーの人達は練習したりしていたようだけど、特別私は練習に参加することもなく当日を迎えて、そして借り物競争にしゅつじょしているわけだけれど。引き当てた紙に書かれた文字に頭を抱える。誰だこんな借り物入れたの。
風紀委員長の腕章≠ニ書かれた紙を本当なら今すぐ破り捨てて何事も無かったかのように次の紙を引きたい。でも、放送部の実況が繰り広げられる中そんなことは出来ない。かと言って、このまま立ち止まっていればあまりにもやる気がないと評価されるだろうし、何事かと寄ってきた人に面白くバラされてしまうのだろう。いやいや、それこそ絶対やりにくい。借りてくるまで終わらないというルールらしく、時間オーバーもあまり狙えたものじゃない。どうしよう、とクラスのテント席を見ると蓮巳くんが心配そうな面持ちで見てた。あ、なんかその顔は新鮮です。同時に、やるっきゃないという気持ちになって、紙を握りしめたまま走り出した。おそらく彼は応接室に居るはずだ。
応接室に来たのは、編入の挨拶以来だ。元から校則を破ったりする方でもないし、わいわいと群れる方でもない。呼び出されることなんて無いように努めていたのにまさかこんな形でまたご対面しなければいけなくなるなんて、予想だにしていなかった。競技と、自分の運の悪さだ、仕方がない。コンコンとノックをすると「誰?」とぶっきらぼうな返事が返ってきた。

「2年の蕪木です。お忙しい所にすみません、雲雀さん」

扉を開けることなく名乗ると、入って、と一言言われた。
最悪のタイミングであれば、あの赤ん坊と鉢合わせてしまうのではと思ったけれど、そういうこともなかったようだ。失礼します、と頭を軽く下げ、デスクに腰掛けている彼の元へ歩いていく。鋭い眼光が何の用だと尋ねていて、苦笑しながら理由を話した。

「──というわけでして」
「ふぅん」
「腕章、お借りできませんか」
「風紀委員の腕章でなくて、風紀委員長の腕章≠チて書いてあったんだろう。腕章だけ持って行って、僕のだって分かるの?」
「え、あ、確かに……」

言われてみれば草壁さんも腕章つけているし、他の風紀委員もつけていたはず。ここで腕章を持っていったところで、風紀委員長雲雀恭弥のものだという証明は難しいのは確かだけれど、だからといって他にどうしろと。顎に手を当てて考えてみて、あ、と思い立つ。

「じゃあ学ランごと貸してください」
「ワォ、嫌だよ」
「嫌なんですか……」

ええ、このままじゃもうドベ確定だ。こんな応酬ずっとはしてられないのに。悶々と考えて、これしかないかと、つかつかとデスクに近寄る。がしっとその人の腕を掴んでやった。

「風紀委員長さんごとお連れします」
「……は?」
「体育祭ですよ学校のイベントですよここは風紀委員長自ら出ていって盛り上げるというのはありでは」
「僕がいって盛り上がると思ってるの?」
「(そういう自覚はあるんだ)」
「大体あんな群ればかりのところに行ったら咬み殺すよ」
「行って帰ってくるだけです。お願いします、私ここでの初めての体育祭で唯一出る競技なんです。1位になれるとは思ってないけど、最下位になるのだけは避けたい」

トンファーが飛んできてもおかしくないと思う。馴れ馴れしくあの雲雀恭弥の腕を掴んで引っ張ろうとしているのだから。それでも、あの、隣の席の淡白な彼が見せた期待と心配を混ぜ込んだような表情を見ると、やれるだけのことはやりたいという思いがむくむくと湧き上がってしまった。少しだけ、目の前の彼の綺麗な瞳との見つめ合いが続いて、ふっと彼が目を閉じた。

「僕が行くんだ、最下位になると思うの?」
「へっ」
「行くよ」

そう言うと、私が掴んでいた筈の腕は逆に掴まれ、ぐいっとすごい勢いで引っ張られたかと思うと、その肩に米俵のように担がれた。そしてそのままデスクの後ろの窓を開ける彼。えっうそ。

「あああのもしや」
「黙ってないと舌噛むよ」
「っ!」

何でもないことのように窓から外に飛び出した雲雀さん。彼1人なら窓から飛び降りるなんてどうってことないのだろうけど、担がれた方の身にもなってほしい。重くないかとか振り落とされやしないかとか声にならない声で訴えているうちに地面に着地していて、そのまま駆け出した風紀委員長様。

『あっあれはーーー!!???なんと風紀委員長の雲雀さんだーーー!!!!雲雀さんが参戦ーーー!!???肩に担がれているのは美少女編入生と専ら噂の蕪木さんではないかーーー!!???』

校庭に突如現れた私たちにここぞとばかりに盛り上げにかかる実況係。ただでさえ目立つのに更に目立つし、なんだ美少女編入生って!!
担がれたまま呆気なくゴールした雲雀さんに容赦なく落とされて、どすんと尻餅をついた。痛い。容赦なさすぎる。涙目になりながら、借り物の紙を見せるとゴールが認められた。なんと1位だった。ゴール係の人が雲雀さんを前にぶるぶると青ざめていてほんとにごめんなさいって感じだった。

「あ、あの、雲雀さん」
「何」
「助かりました、ありがとうございました!」

無理だと思っていた順位とそれに応じて加点された赤組の点数板を見て、へにゃりと頬が緩む。

「本当に1位とっちゃうなんて、さすが雲雀さんですね!」

あまりの嬉しさに緩ませっぱなしの頬のまま、雲雀さんにそう言った。と、少しだけ目を丸くさせた彼が踵を返す。

「一つ貸しだからね」
「えっそうなんですか!?」

ちらりと見えた口元が笑っていたような気がした。
競技が終わり、クラス席に戻るとクラスの子達がわっと集まってくる。みんな口々に褒めたり感心したりしてくれて、年甲斐もなく「頑張って良かった」などと思った。次の競技が始まり、みんなの関心がそちらに向いたのを見計らって蓮巳くんの元へ向かうと、普通なら見逃しそうなほんの少しだけ目元を緩めた彼がこっちを見てた。

「やるじゃん」
「雲雀様々だよ」
「そんな雲雀様々の所によく逃げずに行ったなって俺は思ったけど」
「ふふ、負けてられないって思っちゃったから」

精神年齢は20代半ばの私が体育祭に興奮しているなんて、少し馬鹿げているだろうか。現役中学生だった頃も少し離れてみていた人間だったのに。
にこにこと笑っている私に、蓮巳くんが大きな手をぽんぽんと私の頭に乗せた。

「俺も、負けてられない」

そう言ってテントから出ていった蓮巳くんに、首を傾げる。はて。彼は既に出る種目は終わっていてしっかり2位をとっていたはずだけれど。不思議に思っていると、最後の大トリ種目棒倒しの直前のクラス対抗リレーの選手の中に蓮巳くんの姿を見つけた。

「えっ、あれ、蓮巳くん!?」
「あ、そうそう。蕪木さんが借り物競争頑張ってる間にアンカーの立石が怪我しちゃってさ。代わりにお願いしたんだよね」

なんてこった。私の知らぬ間にそんなことが。しかもアンカーで入るの?責任重大すぎる。
呆気にとられてるうちにパンッとスタートの音が響く。うちのクラスの人たちも練習は気合い入っていたけれど、残念ながら他のクラスに比べて陸上部の少ないうちは不利で、頑張って食らいついてはいるものの厳しい競走に違いはない。クラスのみんなの声援に応えようと選手の表情は必死だけれどなかなかその差は埋まらず、そのままアンカーの蓮巳くんへとバトンが渡った。

「がんばれ!蓮巳くん!」

自然と声が出る。届いたのか分からないけど、その瞬間蓮巳くんの口元がまた弧を描いた気がした。そしてそのままグングンと前を走る選手に追いついて、追い越していく。

『おおっとこれは大穴!!!急遽アンカーで入った選手が抜いていく抜いていく!!ごぼう抜きだ!!!!』

その勢いは止まることを知らずいよいよあと1人抜けば1位に躍り出る、というところだけれど、その1位を走るのは野球部のエースの山本くんだった。食らいついてはいたけれど、あと少しという僅差で、蓮巳くんは2位でゴールした。それでも、最下位かもしれないという感覚の後のその追い上げにクラスみんなで大興奮。

『1位はやはり野球部のエース山本武!惜しくも1位にはなれませんでしたが、2位の蓮巳選手、素晴らしい走りを見せてくれました!』

その後に続く3位以下の人たちの説明なんて耳に入らず、疲れきった様子でテントに向かって歩いてくる蓮巳くんへと駆け寄った。

「蓮巳くんすごいね!?運動音痴じゃないどころか抜群じゃん!!」
「明日は筋肉痛決定です」
「でもすごいよ!すごい!惚れるかと思った!」
「それは……遠慮しとくわ」
「待ってそんなに嫌がること!?」

いつもの下らない応酬にふふっと笑って、まだ少し息が上がっている蓮巳くんとゆっくりとテントへ戻った。