09

学校に行きたいのと、行きたくないのと、真反対な感情がぐるぐると身体中を駆け回って訳が分からない。
彼がいると確信を得てしまった私はあの後、その場に立ち尽くしたままぽろぽろと泣いてしまった。大好きな背中が小さく遠くなり消えた頃、漸く我に返り、ばたばたと帰路を駆け抜けた。
分からない、分からない。今までで一番理解が追いつかない。適用もできない。
これは、トリップということなのだろうか。

学校に行きたくなくても、おばさん達に心配と迷惑をかける訳にはいかなくて、何でもない振りをして学校へと続く道を歩く。足取りが重い。どうしてだろう。会いたいと思っていたのに、想っていたのに。
いざ目の前にすると、言葉にもならない。
嬉し涙でないそれが何なのか、その時は分からなかったけれど、一晩経った今なら分かる。あの涙もまた、私にとって、絶望なのだ。

なるべく学校に早く行くようにしている私は、朝から登校する生徒とはあまり合わない。校門で挨拶運動や服装点検がなされる時間よりも前に登校する。だから、風紀委員とも遭遇しなかったということなのだろうか。──と、トリップを前提で考えていた思考を一旦止める。
いや、やっぱり昨日のあれは見間違いではないのか?まさかそんな、夢小説みたいなこと、実際にあるわけがない。朝から1人、悶々とした表情で校門をくぐり、靴箱で靴を履き替える。そのまま教室へ行こうとして、はたと動きを止めた。
そのまま、他のクラスの下駄箱に回り込む。下駄箱は、転入生は後ろに随時追加という形のようだが基本あいうえお順と決まっているので、探せばすぐ見つかる。ひょっとしたら同じ苗字なだけかもしれない。そうだとしても。他に、確認する術はない。
1組から順に見て回り、ある下駄箱の前で、私は眉根を寄せた。

──あった。

沢田≠ニ書かれた靴箱が、ある。もしかしてと思い、そのままそのクラスの後半へ目をやると、山本≠ニいう靴箱もあった。最後の方には獄寺≠ェ追加されている。同姓の可能性はどれくらいだろう、3人が、同姓の可能性はどれくらいだろう。獄寺なんて、そうそうある訳が無い苗字なのは理解しているけれど、受け止めきれない。
同姓である確率を求めるために頭の中で得意の数学を展開しようとして、でも湧き出る感情がそれを邪魔する。
うれしい。
かなしい。
会いたい。
会いたくない。
私は、会ってはならない。

「っ、ふ……」

声が出ないように必死に歯を食いしばる。泣くなんて、殆ど無かったのに、やはり彼のこととなると涙腺がゆるゆるになってしまう。
暫くぼんやりと涙を止めることだけを考えて立ち尽くしていたけれど、このままいると登校してきた生徒に見られてしまうかもと思い校舎の中へ足を踏み入れた。途中持っていた鏡を取り出し見ると、鼻と目は赤く、涙でぐちゃぐちゃになってしまった顔が映る。うう、これこの子の顔が整ってるから見れるけど元の私の顔じゃただ汚いだけだ……。水道に駆け寄り、冷水で思いっきり顔を洗う。ひんやりとした水は春先にはまだ少し寒くて、濡れてしまった襟元もまた寒い。それでも頭を冷やすのにはちょうど良くて、洗い終えた私は「よし」と一言だけ声を出す。
彼とは会わない、関わらない。クラスも違うし、隣のクラスというわけでもない。合同の授業もないし、多分、大丈夫。大丈夫だ。そう、自分に言い聞かせ続ける。

ピンポンパンポーン

朝のホームルーム中、突然鳴り響いたチャイムにびくりと身体を震わせた。私は単に驚いただけだったけれど、クラスの何人かも身体を震わせていて、どうやらそれを驚きからではない様子だった。あれ、なんか大事なことを忘れてるなと思っていると「2年の編入生」と低い声がスピーカーから響く。あ、待って。

『今すぐ応接室まで来て』

ぶつり。終わりのチャイムはなく、終わった放送。あの自由奔放な放送と、色気のある低い声、そして応接室。ここがリボーンの世界であれば、一番敵に回してはいけないあの人のことを私はすっかり忘れていた。

「蕪木、早く、行ってこい」
「え、あ、はい」

先生に言われ、カタンと椅子を引いて立ち上がった私をクラスメイトの何人かが気の毒そうな面持ちで見上げてくる。やめて、まだそんな死刑決まったわけじゃないから。確かに編入の挨拶くらい行くべきだったんだろうけど、知らなかったんだもの。
決まったわけではないと思いながら死刑宣告に似たものを感じ、とぼとぼと廊下を歩く。あー、行きたくない。行きたくない。単に風紀委員長である彼が怖いのもあるし、彼に関わると下手したらいずれあの赤ん坊がやって来るんではないかと思ってしまうから──なんて、それは私に特殊な能力やら戦闘力やらあればの話か。そんなものは全く持ってない普通に普通を掛けたような女子だ。入れ替わりトリップをしたという点は特異かもしれないけど、そんなの話さなければバレるもんでもない。うん、大丈夫。
応接室につき、コンコンとノックをする。どうぞ、と響いた声に一呼吸してゆっくりと重たい扉を開けた。
扉の真正面、窓に近い奥に置かれた立派なデスクとそこに座る黒髪の美少年。切れ長の目は殺さんばかりの目力を秘めていて、明らかに私の知る風紀委員長そのものだった。
はい、トリップ確定しました。

「遅いよ」
「迷って、しまいまして」
「ふぅん、昨日校舎の中見て回ってたのに?」
「えっ」

うそ、見られてた!

「まぁいいけど」
「あの、すみません、挨拶に来るのが遅れて。来たばかりでよく分からないままになってました」

ごめんなさい、と頭を下げる。許さないよとでも言われると思っていた私は、その後の沈黙に首を傾げながら顔を上げた。腕を組んでじっとこちらを探るように見つめてくる風紀委員長様に、私はひたすら首を傾げることしかできない。

「君、」

やっとそう口を開いたと思ったら、また彼は口を閉じた。あの、雲雀恭弥が、言い淀んでいる……!?
内心、ビックリマークとクエスチョンマークの連打という感じだけれど、煩くすれば機嫌を損ねるだろうことは分かっていたので静かに彼の言葉を待つ。待った結果、

「もういいよ、戻って」

どういうことでしょうか。
何も無いなら、一番ではあるけれど。何度目か分からない首を傾げながら、失礼しましたと応接室を出た。教室に戻ってきた私を見て、先生と他の子達が「無傷……!」と言っていたことには、最早突っ込まない。