03





人間達に襲われた私が意識を手放して、一体どれくらい経っていたのかは分からない。
苦手な日光がじりじりと肌を焼くのを感じて目を覚ますと、眩しすぎるくらいの太陽が目に入り顔を逸らした。と同時に目に入るのは全く知らない風景。血だまりの中のような惨状はどこにも見当たらず、その血を流したであろう私の相手した奴らもいない。ただ目の前に広がっているのは、人のいないのどかな公園。そのベンチに私は転がっていた。
わけがわからない。
あの出来事が嘘だったのかと思うけれど、体に浴びた返り血はそのまま酸化して赤黒くあちこちにこびりついている。つまり、あれは夢ではないことを示している。
ゆっくり考えたいけれど、うざいくらいの日差しが痛くてとりあえず屋内を探すことにした。
けれど、公園を出たらそこは人、人、人。
大人から子供まで、そして、普通の人間の形をしていないものも、何事もないかのように闊歩している。活気のある街の中に放り出された私の格好はあまりにも物騒で、人々の目が私に向く。遠のいていく。まあ、これだけ血だらけだもの、仕方ないけれど。
そそくさとその場から移動し、薄暗い路地裏へと入った。

「何なのよ、ここは」

全てではないけれど、あらゆるものが私のいた場所とは違う。
私のいた場所はこんなにも、近代的な建物ばかりではなかったし、どちらかというとレンガ造りの家とかばかりだったし。あんな大きな建物の画面に人間が映し出されているなんてこともなかった。あれどういう仕組みなわけ。きれいすぎるほど整備された建物や道や、最初の公園。目がチカチカしそうなくらい、カラフルな街。
何より、普通の見た目の人間の中に紛れる、異形のものたち。それが、許容されている。
私もいろんな場所を点々としたけれど、そもそもあんな、もろに頭がワニだったり、肌の色が青だったりする人種は見たことがないし、いたとして絶対的に忌み嫌われていた。
どうなってるの、とポツリと呟いた私の肩に、ぽん、と何かが置かれた。

「姉ちゃん、俺と遊ぼうぜ」

振り向くと、見るからに理性の飛んでそうな焦点の合わない目と、だらだらと口からよだれを垂らした気味の悪い男が立っていた。

「遊ぶって、何して遊ぶのよ」

肩に置かれた手を振りほどきながらそう聞くと、ニチャアとその汚らしい口角をつりあげる。嗚呼、こいつは宜しくない。

「オレ、綺麗な女の中身が好きなんだ」

そう言いながらどこからか取り出したナイフの刃をべろりと舐める。その舌はとても長くて、こいつはこいつで異形なのだと理解した。

「悪いけど、私そういう趣味はないの」
「嘘ばっか、そんな血だらけで何してたんだよ」

ねっとりとした声が鼓膜を刺激してきて、ひどく不愉快だ。答える筋合いはない、と一言言い放って歩き出すとその男もついてきた。どうしてやろうかと横目でちらりと見遣ると、後ろでナイフの刃を愛おしそうに撫でていたその手が止まり、その目がぎろりと他所を見ている。その方向を見ると、少し離れたところにいる赤ん坊がベビーカーの中でぐずり始めていて、母親があやそうと頑張っている様子だ。泣き声がこちらにも響いてきたところで、背後の男が「うるせえなあ」と呟いた。

「オレ、赤ん坊きらいなんだよなあ」

泣き声が、あたりに響く。

「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ泣きやがって。泣くしか能がないくせに、なんであんなに大事にされてんだ?」

男の視線が、赤ん坊から外れない。

「オレの方が、社会のためになるのになあ!」

赤ん坊に向かって、男が一直線に走り出す。
私は別に、あの赤ん坊を助ける義理などない。知ったやつでもなければ、そもそも私は人間ですらない。
人間が人間同士で殺し合おうと、正直、私の関するところではない。人間の世界だって結局弱肉強食なのだ。弱ければ死ぬ。それは私の責任ではない。
ただ、自分たちに向かって走ってくる男に気付いた母親の顔が、子供を守ろうとする母親の顔が、いつか、私に向けられたものと重なって、私は言葉通り跳び上がった。
トン、と軽やかに地を蹴ってそのまま宙を舞い、親子にもう少しで届いてしまう男の頭に勢いよく着地する。私の重みも加わり、勢いよく男が顔から地面に突っ伏した。痛そう。

「弱いわねえ、こんなんで伸びてるの?」
「あ、あの……」

見事に気を失った男に呆れていると、母親が恐る恐る声をかけてきた。

「何か?」
「あ、ありがとうございました! 私、びっくりして、動けなくて……! この子が怪我でもしたらと思うとぞっとします!助けていただいて、ありがとうございました!」

そう何度も頭を下げる母親に、そんな母親の心配などよそに先ほどまでぐずっていたのが嘘のようにきゃっきゃと笑っている赤ん坊。小さなもみじのような手を必死にこちらへ伸ばしていて、思わず手を伸ばしそうになったのを引っ込めた。

「別に、助けたわけではないわ」
「え?」
「何でもない。こいつは私が何とかしておくから、あなたはさっさと赤ん坊を連れていきなさい」
「あっ、はい! 本当にありがとうございました!」

ぺこぺこと頭を何度も下げて去っていく母親を見送り、足元で伸びている男を見遣る。
とりあえず目を覚ました時に逃げたりまた刃物を持って飛び出そうとしたりしたら、母親に何とかするといった手前、さすがによくないか。
ガリ、と人差し指を噛み、血がたらりと流れる。その血が、にゅるにゅるとひも状になり、男の体を縛りあげる。
縛り上げられた反動で、うっと声を漏らすもののまだ目覚めない。
どうしたものかしら、と呟いたところに、

「警察を呼ぼうか」

と背後から声がした。
振り返ると、ごつごつの筋肉のとてもガタイのいい金髪の男が立っている。なんだか、この世界に不釣り合いなくらい劇画な作画した顔してるわね。

「誰?」
「いや、通りすがりの者なんだけどね」

そう言うなり、男を見てポケットから小型の機械を取り出し耳に当て、それに向かって話し始めた。いくつかその機械と会話をすると、何かボタンを押して、会話は終わったようだった。

「なあに、それ」

首を傾げながらその小型の機械を指さすと、金髪の男がひどく驚いて声を上げる。

「携帯だよ、携帯電話!」
「電話? それが? じゃあ誰かと話していたの?」
「そうだよ! 警察を呼んだんだよ!」
「警察……?」

何よそれ、というと、唖然とした顔をして、頭を抱えた。なによ、失礼ね。
話を聞くと、私の世界で言う自警団のようなものらしい。それが正式に公的な力を持ったものだとか。
ふーん、と聞いておきながらさして興味はわかず、適当な相槌を打っている間に、その警察というものが来て男を連れて行った。私にも少し男について聞かれたけれど、名前すら知らないし「暴漢だと思ったから踏んだだけ」と答えておいた。

「なんか連れていかれたけど任せていいの?」
「いいよ、一部始終は私が見ていたからもう伝えている」
「あ、そ。それじゃ、ありがとう、金髪の人」

そういって、その場を去ろうとした私の背中に男が「けがをしているのか?」と問いかける。

「もうしてないわよ」
「もう? それは血じゃないのかい?」
「まあ、血といえば血だけれど」
「君の血?」
「いいえ」
「じゃあ、」
「襲われたから正当防衛よ。まあその襲ってきた奴らも、気付いたら消えてたから、よくわからないんだけれど」

もう行ってもいい? と言うと、男が自信なさそうに口を開いた。

「君は、外国人なのかい?」
「は?」
「いやだって、携帯も知らないし。でも、警察まで知らないのはさすがにびっくりだけど」

なんだか顔つきも、ニホンジンっぽくはないし。と続けた男のおかげで、ここがニホンという場所なのだと分かった。
分かったと同時に、予想していた事態が現実になってしまったようで、顔に手を当て息を吐く。

「どうしたんだ?」

どうもこうもせんわ。
ニホンなんて聞いたことがない。国でも、地名でも。ながーくながく生きている間に、知識ばっかりは増える一方だったから、まさか知らないことはそうそうないのだ。つまり、私の知らない国ということは、私の知らない世界ということ。まさかまさかと思っていたけれど、いや、内心少し、確信していたけれど!
ちらりと指の隙間から男を見る。
怪しくないと言ったら嘘になるけれど、なんとなく悪い人間では無さそうだし。というか、血塗れの女の方がどう足掻いても怪しいか。最悪、悪い人間だったとしても、どうにかできるし。
ふう、と、息を吐き、心を決めて男に向き直る。国がちがうくらいなら何とかできるけれど、世界がちがうとなるとさすがに動きづらい。これが一番、シンプルにいいだろう。

「私、吸血鬼なの」
「はい?」
「ちがう世界から飛んできちゃったみたいなんだけど、まあ見た通り血生臭いこともやってたっていうかやらざるを得なかったっていうか」
「……」
「あ、勘違いしないで、殺してはないわよ」
「ウ、ウン、よかった」
「それでね、何を言いたいかというと、あなたさっき警察? だっけ? 公的機関の人間と知り合いのようだし、いっそ要注意人物としてでもいいから──」

「──私を保護してくれるところ、紹介してくれない?」