胎動するとき



苦い煙草の匂いがした。

それを辿るように後方を振り向くと、見知った姿が歩いてくるのが見えた。

「スモーカー。」
「あ?あァ…お前か。」
「珍しいな、あんたが本部にいるなんて。」

ローグタウンに左遷されたんだろう。
そう言うと、予想通りその強面がますます鬼のように歪む。分かってるなら言うなと、重く吐き出された溜息が物語っていた。長い付き合いが生む応酬だ。
どちらからとも無しに、二人並んで歩き始める。

「あの部下の眼鏡の子はどうした。」
「知らねェ。あいつのトロさにはついていけねえよ。」
「…あぁ、後ろから声がするな。」

スモーカーさーん!と今にも泣き出しそうな声が聞こえたのに、目線だけそちらに寄越す。近くにはいるが、どこか角を曲がった辺りからはぐれたのだろう。歩きながらバインダーに留められた手配書の束を眺めていると、隣からスモーカーが覗き込んできた。

「骨のあるやつはいそうか。」
「どうだろうなぁ……どいつも無駄に懸賞金が高いだけの能無しにしか見えんが…。」
「ハッ、言うじゃねえか。」

長く海兵をやっていると、人目見ただけでどれが本物の強者か、いずれ我々の脅威になるだろう人間が分かるようになる。パラパラと手配書を流し目で捲っていると、ふとスモーカーが眉間の皺を深めた。麦わら帽子を被り、とても海賊とは思えないような明るい笑顔を浮かべた少年の写真を見て。ギリ、と銜えた葉巻を噛み千切らん勢いの彼に、ふうんと思い足を止める。

「なるほどな。」
「……今日来たのも、そいつについてだ。」
「また異動するのか?無茶するのも大概にしておけよ。」

やがて、ようやく後ろから追いついたたしぎが息を整えながら敬礼をした。

「クラウディア大佐!お疲れ様です!」
「あぁ、お疲れ。スモーカーの下について大変だとは思うが、あんたも頑張れよ。」
「はっ、はい!ありがとうございます!」

そこでたしぎが、開かれた手配書に写った麦わら帽の彼を見てあっという顔をしたのに、クラウディアは素早くそれを閉じた。
目の前を燻る白い煙を振り払うと、その上からまた塗り潰すようにして、スモーカーが呼出煙を吐き出す。
そして、腹の底に響くような低い音で、ふ、と笑った。

「おれより後に入ったくせに、もう同じ階級か。立派なもんだな。」
「あんたが長く留まり過ぎなんだ。つくづく組織に属するのが向いてないなぁ。まぁ、お互いに励むとしよう。私は今暫くここ勤務になりそうだがな。」

そう言い、ふと自分より頭一つ分ほど上にある目を見ると、そこには無感情な色があった。この男は、時に唐突にこういう顔をすることがある。軍人に似合わぬ実直さを持ちながら、何を考えているのか読めない顔をすることがある。かと思うと、突然突拍子もない言動を起こすこともあるのだ。上層部でさえ飼い慣らせない野犬のような男。


二人と別れた後すぐ、道の向こうからクラウディアの部下の一人が走ってきた。

すまない、あんた。これを連絡部まで届けてくれないか。
は、はい!了解しました!

通りすがった三等兵にバインダーを任せ、部下に歩み寄る。彼はクラウディアの元に辿り着くと、しゃきりと背筋を伸ばし敬礼をした。

「本部より南に300km程の海域で海賊の目撃情報が!我々の部隊が討伐の出動命令を受けました!」
「了解した。直ちに向かおう。」