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『第九話』


「お嬢さん。俺達は何もアンタに危害を加えようってわけじゃねぇんだ。そこんとこわかってもらえないかね」
「何言われたって答えは変わらない。私は足手纏いだから置いていかれた。彼らが何処に行くかなんて聞かされてない」

あなた達の欲しているような情報は持っていない。
そう真っ直ぐ男を見据えてなるべく丁寧な言葉で言い切ったナマエを殴り付けたのは小樽の兵舎で縁の出来てしまった二階堂と言う男だ。

「おい二階堂」
「言え!!杉元佐一は何処だ女!!」
「知らないって言ってる!!なんなの!?こんなか弱い女子捕まえて山に連れてくるとか...信じらんない!」
「か弱い女子は刀なんて持ってんのか、勉強になるな」
「こんなの杖よ!杖!!足が不自由なの」

二階堂と共にいる男、尾形は銃を突き付けながらも気丈に振る舞うナマエになかなか肝の据わったお嬢さんだと少し感心していた。
アイヌの村で二階堂が杉元と共にいた女だと指を指した先に居たのは随分窶れて世間知らずそうな少女だったので銃を突き付けて多少脅せば簡単に情報を吐いてくれるだろうと楽観していた尾形は未だに生意気を言うナマエの顔を殴る二階堂を止める。

「あんまり殴るな。喋れなくなったら何にも聞けなくなるぞ」
「チッ!」
「ぺっ!」

血の混じった唾を吐き捨てて睨みつける目の前の少女はどう見てもか弱くはないのだが、と尾形は思う。
しかし、今現在谷垣を追いかけている途中であるため、ナマエにだけかまけている訳にもいかない。

「...強情なお嬢さんだな。まあいい、谷垣を殺した後にじっくり聞き出せばいいだろう。
二階堂。お嬢さんを担いでやれ。谷垣を追うぞ」
「なんで俺が」
「置いていって良いんですよ。どうせこの足じゃコタンに辿り着くまでに熊か狼に襲われて死ぬ。どっちにしろ死ぬならそっちがマシだ」
「お望み道理ここで殺してやろうか?お前の顔を見てると杉元を思い出して仕方がねぇ!!」
「二階堂」
「わかってる!!」

乱暴に俵のように担ぎ上げられたナマエは息が詰まるのか苦しそうな息を漏らすが、それすら負けているようで気に食わないのか口を一文字に引結んで一言も喋らなくなった。

「笹藪から出た足跡を見つけました。ほんとに手負か?
...あの野郎」
「手負だが奴はマタギだ。
山でどう逃げられると追手が困るか知り尽くしている」
「......」

一方谷垣はコタンを出る前にアイヌの男に慌てた様子で伝えられた事を反芻していた。

『アシㇼパが連れてきたシサムを二人組の男が連れ去った!』

きっと谷垣がアマッポにかかった際、一緒にコタンへ連れてこられたあの少女の事だろう。
あの杉元が情けない顔で名前を呼んでいたのが印象に残っている。

「...助け出さなければ...しかし、俺一人では難しいぞ」

谷垣はジクジクと痛む脚でどれだけ尾形達との距離を保てるかと考える。
自分も追われている身だ。助けようとして殺されて仕舞えば何もかもが終わりになってしまう。どうにか二人を倒して少女を助け出さなければ。
...本音を言って仕舞えば杉元に恨まれたくないだけで少女には義理も何もないのだが、谷垣の中の良心はとっくに少女を助けると決めてしまったらしい。

「助けてやるからな!死ぬなよ!」



夜の帳が落ちた山は一気に気温が下がる。
外套に身を包んだ尾形と二階堂は寒さに震えながらも耐えていたが、二階堂はどうやら寒さに弱いらしく弱音の入り混じった鬱憤を垂れ流す。

「うんざりだ。
クソ寒い北海道も屯田兵も何もかも...。
故郷の...静岡に帰りたい」
「...口で呼吸をすると体温を持っていかれます。鼻呼吸をしてください」

二人の視線がナマエに向けられる。
その視線がやけに詳しいなと言わんばかりだったのでナマエは煩わしそうに眉を潜めると、雪国出身なのでと呟いた。
そう言い終わるとおぼつかない足取りで二階堂の側に寄ると彼に体をくっつけるようにして座り込んだ。

「これで少しは暖かいでしょう」
「...なんのつもりだよ」
「別に、私も寒かっただけです」

これが俗に言うストックホルム症候群かとナマエは一人で寒さに震える尾形の視線を無視して二階堂にもたれ掛かる。
筋肉量が多いためか二階堂にくっ付けば少し暖かかった。暖かかったが朝になるまで何が言いたげな尾形の視線がうるさかった。

翌朝。

「焚き火のケムリだ」

尾形が天に登っていく煙を見つけると二階堂が他の猟師では?と問いかける。追われる立場の谷垣が呑気に焚き火などするはずが無いと。

「身を隠して近づくぞ」

笹藪と木陰に隠れながら目測100メートル先に雪に埋もれている何かとまだ燃えている焚き火を発見した尾形は二階堂に直接行って調べてこいと言う。

「谷垣の足跡であれば合図しろ」
「エサですか俺は」
「双眼鏡をよこせ」

尾形に言われて双眼鏡を手渡した二階堂は心なしか丁寧にナマエを地面に下ろすと焚き火に向かって慎重に歩いて行く。

「隠れて援護する。
せいぜい100メートルだ。誰が近付いても外さん」

二階堂の背中にそう声をかけた尾形をナマエは黙って見つめた。遠目からでもわかったがあの雪饅頭は間違いなくヒグマの物だ。アシㇼパや杉元から話を聞いていたナマエは実物を見るのは初めてだがなんとなく理解したのだった。
しかし、それを二人に伝える事はしない。何故ならば二人とも杉元の敵だからだ。たとえ昨晩寒さに震え弱音を吐いた二階堂に多少の同情を抱いたとはいえ、殴られたりしたのだ。好き好んでいる訳ではない。

「うーむ...」

どうやら二階堂は谷垣の足跡だと判断したようで合図を出すが、尾形は訝しむように唸り声を上げる。
山を知り尽くしている谷垣に限って焚き火はあり得ないと言うのは尾形も同意見だった。だからこそ罠だとわかる。...わかるのだが、谷垣が何を狙い焚き火の方へ誘き寄せたのか尾形には想像がつかなかった。

「ふうううう、あったけ〜」

尾形が谷垣の企みを看破しようと頭を回している最中、焚き火に当たって冷えた手を温める二階堂は空腹感を感じて谷垣が獲ったと思い込んでいる鹿を見る。銃痕も何もない雪に埋もれた鹿は、猟を知らぬ二階堂にとって何も不審に思う所がない。
自分達が寒さや空腹に耐えているその側で谷垣が焚き火に当たり鹿を食べていたと思うと腸が煮え繰り返るような感情を覚えた二階堂が自分も食べてしまおうか、と考えた時だった。

「そういや谷垣はこの鹿をどうやって仕留めたんだ?」

瞬間。
二階堂の視界は酷く揺れて思考が止まった。頭部に違和感を感じたと思ったら続いて猛烈な痛みが二階堂を襲う。

「ブオオオオオオオッ!!」

襲いかかるヒグマに二階堂はなす術なく押し倒され、引き剥がそうともがくが、人間より遥かに力を持ったヒグマにはなんの効果もない。

「ヒグマだと!?」

双眼鏡で二階堂や谷垣が潜んでいそうな場所を覗いていた尾形は死角から現れたヒグマに驚きの声を上げる。それと同時に後ろで息を飲むような声を聞きながら、このヒグマこそが谷垣の狙いだったのだと悟り、冷や汗をかきながらも冷静さを取り戻した。
谷垣は尾形が二階堂を助ける為にヒグマに発砲した際に出る発泡炎で尾形の居場所を探ろうとしているのだ。
二階堂の悲鳴を聞きながら尾形は熊に狙を定めたまま思案した。尾形の戦場で培った経験と予感が囁いている。今撃ってはまずいと。

「早く撃てクソ尾形ぁぁ!!!」
「おがたああああああ!!!」

ダンッ!
銃弾がヒグマの脇腹に当たって、驚いたヒグマは鳴き声を上げて藪の中へ走っていった。
尾形は立ち上がって両手を広げてうっそりと笑う。

「さあ俺は此処だぜ谷垣!!
銃無しでどう戦う?石でも投げるか?」

そう言い終わった尾形は前方にチカッと光る発泡炎を目に入れた瞬間胸を撃ち抜かれて後ろ向きに倒れた。
 
「...しんだ?」

一部始終を見ていたナマエは四つん這いで尾形に近付き口元に手を近づけるが胸を打たれた際に息が詰まったのか呼吸が止まっていた。
逃げるなら今しかない!そう思い引こうとしたナマエの手を強い力で尾形が掴んだ。

「...勝手に殺すな」
「生きて、たんだ」

ゴホゴホと咳き込みながら息を吹き返した尾形に苦虫を噛み潰したような顔をしながらもどこか安堵しているナマエを見て尾形は髪を撫でつけながらニヒルな笑みを浮かべて見上げる。

「お前、逃げようとしただろ」

馬鹿だな。生死の確認なんかせず逃げりゃよかったのに...甘ちゃんが。
そう嗤いながらナマエの手を放して立ち上がると、尾形は銃を構えて間髪を入れずに引き金を引く。

「三島かな?
尾行には気を付けていたのに...」

どうやら尾形が胸を撃ち抜かれても無事だったのは二階堂から借りていた双眼鏡が弾を受けたからだったようだ。
鶴見中尉が追ってくる前に谷垣を殺さなければと再び銃を構えた尾形の側にあった木が銃弾によって破裂したような音をたてる。

「......!」

尾形の視線の先には不気味な迄に尾形を見上げる鶴見の姿があった。
咄嗟に地に伏せた尾形は匍匐前進しながら座り込んでいるナマエに声をかける。

「おい、死にたくなかったら死ぬ気でついて来い」

俺は銃で両手が塞がっているから抱えてやれんぞ。
そう言った尾形を睨みつけながらナマエは言う。

「言われなくともそのつもりだ」

谷垣と言う男を知らないナマエにとって、彼は信用に値しない人物だ。例え今尾形から逃れてコタンへ辿り着いたとしても、谷垣が鶴見にコタンに杉元と共にいた女がいると伝えて仕舞えばナマエに逃げ場はない。
この場でナマエにとって一番の生存ルートはこの尾形という男について行く事の他無いのだ。

「足が不自由じゃなかったのか?」
「今治った!」

藪を抜けると尾形とナマエは起き上がり全速力で駆け出した。後ろから進め!という声が聞こえてきて、銃撃戦なんて経験のないナマエは脚が縺れそうになるが死に物狂いで尾形の背を追い、銃弾を木の影に隠れてやり過ごす。
尾形が振り向きざまに追ってくる軍人たちの脇腹や太腿を撃ち抜くのを間近で見てとんでもない射手だと身震いした。きっと尾形について行かず単独で逃げていれば自分も尾形の弾丸の餌食になっていたと剣を抱えて改めて尾形を警戒する。

「そう怖い顔で見つめてくれるな。アンタの命は今や俺の掌の中だぜお嬢さん。逃げ出そうもんなら...」

尾形はナマエに指先を向けてバーン!と言いながら銃を撃つような仕草をして見せる。

「...言っとくけど、私刺青人皮の事なんて何も知らないから」
「俺は一言も刺青人皮なんて言っちゃいないぜお嬢さん。
なあ、俺に着いてきた時点で既にアンタは裏切り者扱いだろうよ。金塊が欲しいんだろ?協力しようぜ」
 
首に腕を回して引き寄せてくる尾形に墓穴を掘ったとナマエは苦々しい表情を浮かべた。確かに尾形と二階堂は杉元を探っていると言っていただけてで一言もナマエに刺青人皮など言っていないのだ。これは杉元=刺青人皮と連想した自分の失態だとナマエは睫毛を伏せて反省する。

「私は佐一さん達に命を救われたから恩返しに探し物を手伝っていただけで、まだ一つも見つけられていない」

嘘は何一つ付いていない。杉元達が既に刺青人皮を持っているのは知っているがナマエ自身はまだ一度も役に立てたことなどないし、囚人を見つけたこともない。
じっと、顔を近づけて嘘がないか探ろうとしてくる尾形を近いと一蹴して手で尾形の顔を押し除ける。

「それに、私はお嬢さんなんて名前じゃなくて、杉本ナマエ。
因みに佐一さんとは血の繋がりとかないから。他人だから」
「ふぅん、スギモトね」
「あなたは尾形...さん」

一応歳上だしさん付けしとこう感が滲み出るナマエに尾形はスンとした表情で髪を手でなでつけた。





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