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『第一話』
 
いつもと変わらぬ日々、代わり映えのない日常。そんな平穏な時間がいつまでも続くのかと思っていた。
平穏と言っても幼い頃に両親と兄を亡くして一時期ふさぎ込んでいたが、周りに助けられて今はとても平穏に暮らしているのだ。優しい友人は心の拠り所でもあった。道場の厳しい師範は人としてあるべき姿勢を教えてくれた。
学校に通って、道場で稽古して、食べて眠る。そのルーチンワークをずっとこなしていくのだと疑いもしなかったのだ。今、この瞬間。稽古用の真剣一つ抱きしめて広大な雪原にポツンと突っ立っている羽目になるまでは。



その日、杉元という兵隊崩れの男とアイヌの少女であるアシリパは新たな獲物を得るために雪原へと狩りに赴いていた。今回の獲物は兎だと狙いを定めたアシリパは視線の先に呆然と立ち尽くす人影に気がつくと、杉本の服を引っ張って雪原に伏せさせた。

「アシリパさん?どうしたんだい?」
「人影がある。一人だけのようだが、どうにもあやしい」

アシリパの視線の先に目を向けた杉元はその人物をよく見ようと目を凝らした。
雪原に呆然と突っ立っているその人物の頭や肩には雪が降り積もっていて、足跡もないことから長い間同じ場所に居ただろうと推測出来た。体のラインにそった黒い羽織と洋袴に身を包んだその人物はひどく浮いて見える。
髪の毛を結って馬の尾のようにしてはいるが五尺一寸ほどはあろう身長は目の前の人物を男か女かの判別を鈍らせる。しかし、骨格を見る限り女の物であるので杉元は女性にしては背が高いという印象を抱いた。(当時の男性の平均身長が155cm=五尺一寸である。)

「杉元、あのシサム立ったまま死んでいるのかもしれない。ちょっと見てこい!」
「ちょっ、アシリパさん!?押さないで!」
「うるさい!!男なら覚悟を決めろ!!」

アシリパがきつい口調で杉元に言い募ると筋肉のついたカチカチの尻をスパンと叩いた。叩かれた杉元は「ひんっ」と情けない声をあげて飛び上がり、渋々死体疑惑のある人物へと歩み寄る。

「っ、」

足音に反応したのか件の人物が唐突に杉元の方を振り返った。その顔をみた杉元は呼吸を忘れて固まる。
寒さのせいか血の気の失せた顔と青くなった口唇、意識が朦朧としているのか瞳には鈍い光しかない。その顔は最後に看取った妹の顔に瓜二つだったのだ。思わずその頬に手を伸ばした杉元は指先に触れた氷のような冷たさに驚いて咄嗟に両手で頬を包んで体温を分けてやると青い唇からかすかに白い息が吐き出されたことに杉元は我に帰った。妹に瓜二つの少女を横抱きにしてアシリパを振りかえる。

「アシリパさん!!この子!生きてる!!」



暖かい何かに包まれる様な感覚に少女、杉本ナマエは緩慢な動きで瞼を押し上げた。そこは最後に見た一面の白い景色ではなく、どこか薄暗いが暖かな場所であると感じた。ふと暖かい懐を覗き込めばそこには見知らぬ女の子が体温を分け与える様に己にしがみついていて、ナマエは少しばかり動揺して身じろいだ。

「目が覚めたのか」

背後から掛けられた男性の声に弾かれた様に振り向いたナマエは驚きに息を飲む。火の粉を散らす焚き火に照らされた顔は傷が多くあり恐ろしい印象を与えるが、その切れ長の瞳には暖かな光が宿っている。見知らぬ人間に身を硬くしたナマエに男、杉元佐一は少し慌てた様にしどろもどろ両手を振って怖がらないでと諭す。

「俺らは雪の中突っ立ってたまま意識を失っていた君を放って置けなくてクチャ・・・小屋に連れてきたんだ。体の調子は?どっか悪いところはないか?」

お前は直ぐに体調を崩すから温かくするんだと自分も寒いだろうに襟巻きを優しく掛けてひたいに触れる男にナマエは戸惑い、釈然としない視線を向けた。それに気がついた杉元はしまったと言わんばかりに顔を歪めてナマエから少し距離を置いたその顔には少しだけの落胆が混ざっている。
ナマエはそんな杉元にお礼を言うべく、懐に張り付いた少女を優しく剥がすと床に横たえてやり、起き上がって杉元に向かって頭を下げた。

「一緒に寝ていた女の子もそうですが、見ず知らずの自分を助けていただいて有難うございます」

貴方の名はなんとおっしゃるんですか?
そう問われた杉元は眉尻を下げるとナマエに向き直って意外にもその強面に人好きする様な笑みを浮かべて名乗った。

「俺は杉元佐一。君と一緒に寝ていた子がアシリパさん。アイヌの子で訳あって一緒に行動してる。・・・君は?」
「自分はナマエです。杉本ナマエ。苗字が同じなんて偶然ですね。どんな字ですか?自分は杉に本と書いて杉本です」
「俺は杉に元で杉元だ。・・・字は違うけど名前は一緒なんだな」

何処か遠い目で呟いた杉元にナマエは思わず何といったか聞き返したが何でもないとはぐらかされてしまった。

「杉元さんは、」
「佐一でいいよ。えっと、ナマエちゃん」

食い気味に被せられた杉元の言葉にナマエがたじろぐと、杉元はややこしいでしょと曖昧にわらう。

「ナマエちゃんもスギモトなのに、俺のこと苗字で呼ぶとややこしいし、俺は名前で呼んで貰えると嬉しいよ」
「そうですか、じゃあ、自分のことも呼び捨てで構いませんよ。どうにもちゃん付やさん付けは慣れてなくて」
「うん。ナマエ」

杉元はナマエのすっかり血色の良くなった頬と口唇を眺めて満足そうに微笑んだ。

「体調が回復したみたいで良かった。お前の元気な姿を見れるだけで俺は、」
「佐一さん?」
「いや、何でもない。・・・もう少し横になれよ。夜はまだまだ明けないんだから。しっかり寝てもっと元気な姿を見せてくれ。その方がアシリパさんも喜ぶ」
「あ、うん」

眠いのか砕けた返事を返して横になったナマエを杉元は眼を細めて焼き付ける様に見つめた。
最後に見たあの子は苦しそうに咳をして泣きそうな顔で逝ってしまった。

「今度こそ、守ってやるからな。にいちゃんがお前を守ってやるから。」

そうこぼした杉元の瞳は静かに燃えていた。





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