#6-2


『スミルノフ君。勿論分かっちゃいると思うが、彼女達は娼婦である以前に人間だ。性格や癖は本当に様々といる。仕事柄、ストレスも多いんだろう。急激な体調悪化や、精神面においてのケアには常に気を配った方がいい――これには傾向もパターンもあれこれとあるが他人にその不満をぶつける者。これはまだいい、そのはけ口に率先して君達が名乗りを上げろ』
『どのように……ですか? 参考までにお聞かせ願えませんか』
『そうだな――まあ、君のように甘いマスクがあれば若い女であればすぐにでも心を開くだろうな。私が君ならそこをうまく利用するところだが』
『あはは、お世辞をありがとうございます』
『これは冗談じゃないぞ、スミルノフ。見た目は大事な問題だ、それも異性が相手なら尚の事。――ただしこれだけは言っておく、娼婦達と密通がばれたらどうなるか……その辺りは覚悟して頂きたい』
『……』
『女と言えども相手は商売女だ。それも単なる市民相手の女達ではない、どれも皆医者――弁護士――大企業の経営社長――芸能関係に有名ジャーナリスト、政治家や財界を動かす大物達で顧客は二千を軽く越える。これが表に出回ったらどうなるか……』

 カチャン――と、グラスに注がれていた氷が溶けた音が一つ響いた。

『君も想像がつくはずだろう。この情報を漏らす事は、すなわち死に等しい。――そんな危険な女共と火遊びなんかしてみろ、本当の意味でお前の首が飛ぶぞ。死神アンネがどこまでもお前を追いかけてその首を切りおとす!……ぶははは、うひひ……』
『そ、その、話を戻しても? ええと……娼婦達の行動パターンについて、です。彼女達のメンタルケアはどのように行えば? 人に当たるよりもっと最悪のケースとは何なんでしょう。自分は専門分野ではありませんし――』
『ああ、コホン……ふむ。もう一つは、自分を傷つける自傷型のタイプかな』
『いわゆるリストカットとか、煙草の火を押し当てたりとか……そういう感じですか?』
『まあそれも含められるけど、薬を多用していたり、時には飛び降りようとしたりな。専属のドクターが出している精神薬と睡眠薬は極めて弱いものを決まった数量しか投与しないから、飲みすぎによる自殺の可能性は――まあ、ないとも言い切れないが最近は起きていない』

(最近は、……って、つまり……)

 じゃあ過去には事実があったという事なのだろう。これを聞いて、高級娼婦というのが決して女達にとっての幸福というわけではない――そう、幻想を抱きすぎていた事に気付かされる。

『特にキティー様には要注意しろ』
『あ、ああ……はい。いつもお外を徘徊されているとお聞きしました』
『仕事が終わるといつもああだ。ああやってむしろ自分の精神を落ち着けているのかもしれないが、あれはもう相当病んじまってて手遅れってやつよ。普通になる見込みはほとんどないから、おかしな行動だけ起こさないかどうか見ててくれればいい』

(そんな……、まだあんなに小さな子じゃないか。そもそもこんな場所から離れさせてやれば回復もするんじゃないのか? 俺には口出しできる権限なんかないけど、さ……)

 本当に何もかもが罪深き街。世界の罪を全て背負っているのではないかというくらいに。何だか脳にコールタールでも流されたかのように鬱屈した足取りでキティーの部屋の前にまで向かうと、彼女は戻っているのかどうなのか――扉は閉まりきっていたが妙なものを見つけた。

「……水……?」

 彼女の部屋の扉の下から、チョロチョロチョロ――と水が流れ出てくるのを確認し、足を止めた。間違いなくキティーの部屋から漏れている。さっきの話からのコレだったから、余計に慌ててしまいスミルノフはその扉を力いっぱい殴ってしまった。

「おい! 何をしているんだ!」

 もしもの時の為に鍵は持ってた。慌てて開くと、ムワっとした熱気が部屋の中から飛び出してきた。部屋の中央、備え付けのバスタブに水を一杯に浸し、そこから水が流れ出ているのは分かった。問題はそちらよりもむしろ、水面に顔を突っ込んだまま微動だにしない少女の後ろ姿だった。

「キティー様!?」

 こちらに背を向け、床に座り込むようにし、キティーは顔面だけをバスタブの中に突っ込んでいるようだった。呼んでも、ずっと顔を上げない。どのくらいそうしていたのかは分からないが、ともかく生きているだろうか。それが先だ! 小柄な彼女はあっさりそこから降ろす事が出来た。水を大きく吸い込んでいるようで、気絶しているのが分かった。
 いつもは雪のように白い彼女の顔に、熱により血の色が差していた。
 目を閉じたままのキティーの頬を何度か叩いてやると、キティーはやがてうっすらをその目を開いたのだった。それから咳き込み、飲み込んでいた水を一つ吐き出した。

「い……生きていたか――」

 ひとまずほっと胸を撫で下ろす。

「おい、大丈夫なのか? 自分で立てる? 何か変な症状はない?」
「何、も――。ッ。げほっ! げほっ!」

 言いかけてからキティーはその場で激しく水を吐き出し始めた。むせ込みながら、キティーは両目に涙を浮かべて咳き込んでいる。

「ったく、何でそんな事しようとしたんだ? 自殺でもしようとしたのか」

 軽い冗談のつもりで問いかけたが、キティーは意にも介さず目も合わせず、しれっとして言うのだった。

「覚えてないわ」
「……?」
「何をしていたか覚えていないの。私、何をしていたの? 今」

 何とまあ、逆に尋ね返されてしまい。……ううむ、こちらが混乱してきてしまった。

「お気に入りの着物が濡れているわ。どうしましょう――お兄ちゃまの好きな和服でしたのに……ああ、ドレスに着替えなくちゃ……」
「あ、あ、あの……いや、このバスタブに君が顔を突っ込んでたんだよ。何でそんな真似を?」
「……。もしかしたら、キティー……またやっちゃったかしら」
「な、何が?」

 キティーが虚ろな目で指した先にあったのは、大量の薬の殻だった。拾い上げると『ゾルビデム』『デパス』『メイラックス』……確かどれも向精神薬のものだ。自分が一時期心療内科にかかった際にいくつかもらった薬があった。

「たくさん飲んじゃうと、記憶がなくなるのよ。覚えてないの。何を言ったか、何を書いたか、何をしたのか、何を食べたのか。その後の記憶がなくなってしまうの――ああ、そうだわ!」

 突然何かを思い出したように、キティーはズブ濡れの和服のまま立ち上がる。手を叩き、彼女は自分の机の上に戻ると、描きかけの日記帳のようなノートを開いたのだった。

「物語の続きを書きたかったの。お薬を飲むと、頭が冴えるから。それで、人が死ぬ場面があるから、どんな風になるのかなって思って。そうしたら体が勝手に動いて、キティー、死のうとしてたみたい」
「…………」

 何が何やら。壮絶なその説明に絶句していると、キティーはまたバスタブに近づいていき「何が悪かったかしら」と独自の見解を述べ始めた。嫌になったから死んだというわけではないようだ。小説のネタ探しに、死ぬとどうなるのか。それを彼女なりに知って見たかったのだと。つまりはそういう事だろうか。――……。

「いいか。死ぬにはもっと楽なやり方があるんだぜ」
「……、どんな?」
「……教えてやらないけど、考えておくんだな。俺からの宿題だ。とにかく今日はもう寝るんだ、いいな」
「――分かったわ。でも宿題の答え、明日必ず教えてね」
「ああ、勿論。とにかくもうおやすみ」

――まったく何て女だ、ぶっ飛んでるとは聞いちゃいたがここまでだとは……いやはや予想外だなんて思わない。この街に来た時から、覚悟はしていた筈だが。