俺が死ぬ時、きっとお前の頚も切ってやろう

主人公が花街で師匠に出会わなかったもしもの話





「あ…、ころして…さびとくん、ころして」





ひどい話だと思った。


しかし同時に、これでこいつは俺のそばを生涯離れるような真似をしないのではないかと、下劣な考えを抱いたのも事実であった。













花街に現れる鬼の討伐。
今回俺が任務で花街に赴いたのは、女郎や客の男が次々と消えていくという噂によるものだった。
夜の楽園である花街は、その性質柄鬼が居着きやすい。
俺よりも年高でひとつ階級の高い隊士とともに花街の座敷にあがった。

十七ともなると、付き合いで花街に連れていかれることもあったがどうにも身に馴染まない場所で、いつも少し酒を煽ったあとは女郎たちが擦り寄ってくる前に帰るのが常であった。
そのため、今回もあくまで自分は任務中で、話しかけてくる女に適当に返事をくれるだけだった。
しかし、やはり男にとっては夢の都であるのだろう。
共に任務にあたる”先輩の隊士”は、それは上機嫌で座敷遊びまで始める始末だった。
ひとつ溜息をこぼして、俺の隣で所在なさげにしている新造のひとりに声をかけた。


「なあ、君」

「なんでござりましょう」

「最近この店で見なくなった奴はいないか?」


その女は思考を巡らせるようにうろうろと目線をさ迷わせた。


「急にいなくなってしまうのも、早々珍しくもありませんからねえ。ううん…、そういえば最近月の兎がいなくなったとかなんとか…」

月の兎つきのと?」

「ええ。明里姉さん付きのまだ幼い新造です。」


幼いと言うくらいだからまだ子供なのだろう。
ふむ、と頷いてみせてから同じ「兎」という字が入る、顔も知らぬ少女に思考を走らせた。

それにしても、と座敷全体に目をやる。
夜は深まるもののなにも変化は起きない。挙句にほんのり酒に酔い上機嫌になっていく先輩の隊士に密かに舌を打った時、ふと糸が切れたようにその男がばったりと倒れ伏した。

急に酒でも回ったのだろう、と女郎についていた新造が別の座敷にそれを連れていく。


さて、にわかに怪しい。
少々酒は入っていたし、いささか調子に乗っていたが、それでも急に意識を失うほどではないはずだ。
女郎が酒を注ごうとするのを断り、厠に行くと嘘をついて座敷を出た。

新造に連れられた昏倒した隊士を追うように座敷を出たが、それが見つからない。
いよいよもっておかしい。
女の身で大の男を、それもある程度鍛えられている者を遠くまで運ぶのはそれは大変であろうし、何より他の座敷に連れていくにしても連れがいる以上はそう遠くない所に運ぶのが普通だろう。
よもやすでに鬼の手にかかったか。

座敷を離れ、どんどんと人気のない方に入っていく。
この店はたいそう広い。
もし本当にこの店に鬼がいたとして、食事をするならば下手に店を出るより、店の中でも人間の来ないような隅の部屋を使う方が建設的だろう。

店の者の生活空間にまで来てしまったようだが、もし見咎められても酔っぱらいのフリをすればよい。

そう考えながら耳をすませていると、かすかに女の声が届いてくる。


「ねえ、月の兎。食べておくれよ、辛いだろ?ちょいと筋肉質だから硬そうだけど、さっき締めたばかりだし、きっとおいしいよ」


月の兎。
その名前を聞いて咄嗟に壁際に身を寄せた。
ぎりぎり部屋の中が覗ける位置をとる。

壁に身を寄せ、がたがたと震える女がひとりと、こちらに背を向けるようにしてしゃがむ女が対峙している。
こちらに背を向け、月の兎と思しき女に語りかけるのは先程隊士を座敷から連れ出した新造だ。
そして、にわかに血なまぐさい香りがする。
目を凝らせば、ふたりの間に肉塊のようなものが転がっているのが目に入る。
…共に任務に赴いたあの隊士の羽織が血に濡れて落ちていた。

やはり隊士だからといって別の行動をとる羽目になったのは良くなかった。
胸に後悔の念が残る。


「わたし、あんたのこと気にいってるからさ。わたしと同じく鬼になれば、もっともっと仲良くなれると、そう思ってあんたのこと鬼にしてもらったんだよ?」


なるほど、行方知れずになっていた月の兎はあの新造の手引きで鬼にされたらしい。
月の兎は気の毒だが、鬼である以上は頚を切らねばなるまい。

左の腰に差さった日輪刀に手をかけた時、ひたすら震えていた月の兎がゆっくりと顔を上げる。





その顔を見た時、ひどい悪寒が脊椎をかけのぼった。

嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

でも、その顔は、その髪は、寂しさと諦めを滲ませたその瞳は。








『錆兎くんは、きっとわたしを捨てて置いて行くよ』








俺の知る弥生子より大きくなっていた。当然だ、俺があの村を出て六年の月日が経ったということは、あいつはもう十一の齢になったはず。
それでもまだ幼げな顔に不似合いな真っ赤な紅を引いて、およそあの頃は着ることのなかった派手な着物は、あまりあいつに似合っていない。

何故弥生子が花街にいるのか。
そうだ、鬼殺隊に入隊して一度あの村を尋ねたが弥生子は既に居なくなっていた。
村人が言うには俺が消えてすぐ、あいつも出ていったのだという。
捨て子で、奉公に行ってもどこか虚ろに生きていた弥生子が人攫いにあって花街に売り飛ばされてもおかしくない。
その事実が、酷く胸にのしかかった。

そして何より、月の兎が弥生子であるならば。あいつはあの女に、いや鬼舞辻無惨に鬼にされたということか。



「ね?お食べよ。鬼になって七日もたつのに何も食べてないじゃないか。意地を張るのはお良しよ」


ぶつりと何かが切れる音と共に、目の前が真っ暗になり暗転した。
















怒りで意識が無くなるというのは初めての経験だった。

気づいた時には、あの新造の鬼の頚を切り離すばかりか、その手足身体に至るまでぐちゃぐちゃに切り刻んでいた。
怨嗟の声と共に塵になって空気に溶けていく。

荒い息を吐く自分の前に、弥生子が首を差し出すかのように項垂れていた。
自分の知る弥生子より、目の瞳孔は縦長で、爪も牙も鋭い。それは、はっきりと彼女が鬼という化物であることを告げていた。



「さびとくん」



か細く、舌っ足らずに俺の名前を呼ぶ。


「ころして」


俺を、捨てて置いてなどいかせるものか。


















産屋敷耀哉様

突然のお手紙となり、まことに申し訳なく思います。加えて、いち鬼殺隊士が貴方様にお手紙を差し上げることをお許しください。
この度、貴殿にお手紙を差し上げたのは他でもなく、私 鱗滝錆兎が鬼の少女弥生子を連れるお許しを頂きたいことに他なりません。

弥生子は、私の同郷であり、その後売られた花街にて鬼になりました。
しかし、鬼になってから今日に至るまで私の血を舐める以外で人間を口にしたことはありません。
また、通常鬼になれば生前の記憶が薄れるものですが、彼女は私のことをはっきりと記憶しております。
私は弥生子が、鬼という存在を紐解くきっかけになるのではないかと、そう確信しております。

万が一にも、弥生子が人間を襲うようなことがあれば、彼女の頚を切った後、私 鱗滝錆兎が腹を切ってお詫びいたします。

これが手前勝手な事情であることは十二分に理解しておりますが、何卒、御館様にお慈悲を頂戴したく思います。

御館様におかれましては、ご自愛専一にてご精励くださいますよう、お願い申し上げます。




鱗滝錆兎





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