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悲しいのか、恐ろしいのかも分からない。
冷たい板の間に、ただ呆然と座り込んだ。


ぼりぼりぼりぼり。


滴る血の音も、筋張った肉を食む音も、次第に何か固いものを噛み砕く音に変わっていった。

養父は、息を吐くように隣人愛を説く人だった。

自分を愛するように他人も愛しなさい。

彼とその家族は敬虔な切支丹で、霞を食って生きるような貧しい暮らしをしていたにも関わらず、早くに親を亡くした私を引き取って育ててくれた。
貧しい暮らしでは、猫の子一匹だって食い扶持が増えるのは生命に関わる。だのに私を受け入れた彼らは、神の意志に生きる信徒の中でも手本のような人だった。

だった、と言うのは彼らの日々の慎ましい生活も、日々の祈りも虚しく、その身を人喰いの化け物に貪られてしまったからだ。

山際にひっそりと暮らすこの家へ人喰いの化け物がやって来たその時。
養父は妻と実の息子を部屋の奥に追いやって、私の背を化け物の方へ押し出した。

この子はどうなってもいいから、どうか私たち家族だけは見逃してください。

極限状態に追いやられた人間のとる行動なんてこんなものだろう。
例え、日々の祈りを怠らず、隣人愛を説いている人でも。


ばりばりばり。
養父とその家族は、ほんのちいさな骨片になって、その骨片も名残惜しそうに化け物が噛み砕いてしまった。
化け物が私をみてうっそりと笑う。

悲しかったかもしれない。恐ろしかったかもしれない。
ただそれ以上に、あれだけ真摯に祈って生きてきた彼等が、ほんの一瞬の欲によって、死からの復活の権利を剥奪されたことが不憫でならなかった。

…いや、そもそも死の淵から人間が蘇ることはないのだ。
そのことを、私はようやっと理解したらしかった。


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