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煉獄杏寿郎は、その少女が家族の一員となった時のことをはっきりと覚えている。



煉獄家に連れてこられた少女の名は光子と言って、やけにやつれ細って、その身に合わぬ木製の十字架をぶら下げた子供だった。
なんでも彼女は、切支丹である養父の家で育てられたが、その家族は鬼に食われて、光子を残して死んでしまったという。
光子は、間一髪のところを父である槇寿郎の兄弟弟子が鬼の手から助け出したのだそうだ。
その後彼女は、鬼殺の剣士を志し、炎の呼吸を身に付けるために煉獄家へやって来た。

当時は弟の千寿郎が産まれる前の事であったから、杏寿郎は、はじめてできた"妹"という存在にたいそう喜んだ。

あくまで光子は内弟子として煉獄家へやってきたが、そんなことは杏寿郎にとって些末なことだった。
これから同じ釜の飯を食い、風呂に入り、同じ家で暮らす。しかもまだまだ幼げな光子が本格的な修行を付けられるのはまだ先の話であるから、彼女が家にやってくることは家族が一人増えるのと同じだった。

そして、煉獄家に来るまでに大変な苦労をしてきた妹を、兄である自分が守ってやるのだと、杏寿郎は幼いながらに固く決心したのであった。



しかし、杏寿郎の思いとは裏腹に、光子はあくまで内弟子としての様相を崩さなかった。


「杏寿郎さま、お夕飯の時間です」

「杏寿郎さま、槇寿郎さまがお稽古を始めると仰っていました」

「杏寿郎さま、瑠火さまがお呼びです」



杏寿郎さま、杏寿郎さま、杏寿郎さま。

面倒をみるのは自分の役割であったはずなのに、と杏寿郎は頬を膨らませる。
むしろ年下の少女に世話を焼かれている始末であった。
いくら杏寿郎が光子に"兄"と呼ぶように言い含めても、彼女は困った顔をして、なお煉獄家への堅苦しい態度を止めてはくれない。

しかし、こちらが折れるのも杏寿郎にとっては業腹であった。父の槇寿郎も、母の瑠火も他人行儀な光子の態度に少し寂しげな顔をしていたことを知っていた。

まだ光子は五つである。
内弟子ではあるが、煉獄家へ預けられたのは何も修行のためだけでは無い。
少しでも穏やかな日常を。
そう願われて、光子は煉獄家へ預けられた。

こうなったら兄と呼ばれなくともいい。良くはないが、しようがない。それよりも家族の一員であることを自覚してもらおう。
元来杏寿郎は気の長い性では無い。そして、今も昔も、大変前向きな少年である。




「光子!魚釣りに行こう!」

「魚釣り…ですか?」

「ああ!今日はもう稽古も終わったからな!一緒に遊びに行こう!」


戸惑った光子の表情も気にせず、とにかく杏寿郎は彼女の手を引いた。
魚釣りだけではない。他の遊びにも、稽古に行くにも、食事に行くにも、とにかく杏寿郎は行く先々に彼女の手を引いていった。

光子は戸惑いながらも、杏寿郎の手を振り払うことはしなかった。
元来彼女は穏やかな性なのだろう。日を経るごとに、彼女の態度は少しずつ軟化していった。


それでも、光子は家族という一線を超えなかった。




ある日の稽古の終わり、光子が手拭いを差し出しながら一つ問うてきた。

「杏寿郎さまは、何故鬼殺の剣士を志すのですか」

はて、不思議なことを聞くものだと杏寿郎は思った。
杏寿郎は煉獄家の嫡男である。
鬼殺の家系に産まれたものとして、長男として、それ以外の道はない。
しかし、光子の聞きたいことはそういうことでは無いらしい。

「杏寿郎さまが跡継ぎで、責任感に溢れる人だということも分かっています。でも、貴方は鬼に家族を食われた訳では無いでしょう」

何故わざわざ危険な道を選ぶのですか?

光子は、真に迫ったような顔をしていた。
巫山戯て答えるような真似は勿論しないが、それでも真剣に答えねばなるまい。
杏寿郎は眉間にしわを寄せながらうんうん唸った。

まだ十にもならない杏寿郎にとって、既に決められた道である、という以外の理由を見つけることは難しかった。だが、ひとえに妹分の疑問に真摯に答えたいと思った故に頭を捻り続けた。

「光子に問われるまで、そんなことは考えたこともなかった!けれど、そうだな」

弱き人を助ける、強き人間になりたい。
それは俺の心からの望みだ。

そう笑って言ってみせた杏寿郎に対して、光子は愕然とした顔をした。
そして、もごもごと口を動かしたかと思うと、すぐに彼女も同じように笑ってみせたのだ。

「貴方は、ほんとうにすごい人ですね」


その笑顔は、杏寿郎の覚えている限り光子が初めて笑った姿だった。













煉獄千寿郎にとって、その少女は母親のような存在だった。



勿論、千寿郎の母は紛れもなく瑠火である。しかし、瑠火は千寿郎の物心つく前に亡くなっており、千寿郎にとって身近な年上の女性は、光子という煉獄家の内弟子だった。

年上と言っても、光子と千寿郎の歳は五つ程しか変わらない。
それでも、煉獄家の中で特に世話を焼いてくれたのは彼女だった。

千寿郎にとって煉獄家は大切な家族であることに相違ないが、少しばかり彼にとって難しい環境であったことも否定できない。
母は千寿郎が幼くして亡くなり、父はそれによって酒に溺れるようになる。千寿郎は、兄が言うような稽古をつけてくれる父の姿を見たことは無かった。
もっぱら稽古を付けてくれるのは兄の杏寿郎であり、そして生活の面倒を見てくれるのは光子だった。



光子とのことでよく覚えているのは、兄が鬼殺隊に入るための最終選別を受けに行った時のことだ。

父からの稽古がなくなり、自分の力のみで炎の呼吸を習得した兄がいよいよ藤襲山に向かうと聞いた時、千寿郎は不安でたまらなかった。
兄が強いことはよく知っていた。それでも、もしもの事がないとは言いきれない。

兄が家をたって最初の夜、千寿郎は一人布団の中で震えていた。


「千寿郎さま?もうお休みになりましたか」

「っ、光子さん…?」

「…一人で寝るのが不安になってしまったのです。よかったら私と寝てくれませんか?」


嘘だ。
不安で堪らなくて震えているのは千寿郎の方だった。

光子にそんな嘘をつかせて申し訳ないと思った。しかし、それでも死を思わせる暗闇の恐怖が薄れるならと、千寿郎と光子は、杏寿郎が帰ってくるまでの七日間を同じ布団で過ごしたのだった。

「千寿郎さまは私が怖がっていないとお思いかもしれませんが、私も怖いのですよ。杏寿郎さまが二度と帰って来ないのではないかと」

「…本当ですか?」

「ええ。心臓が嫌な音をたてて落ち着きません」

確かに、光子の胸元に寄せた耳には、眠りに入るにしては早い鼓動の音が聞こえてくる。

「…本当に貴方のお兄さまは、優しくて、強いひとですね」

ぽつりと、独り言のように呟かれた言葉は物音のしない部屋に存外よく響いた。

「はい、ほんとうに、すごい方です。でも、光子さんも負けないくらい優しいひとです」

千寿郎は光子の寝巻きの袖をぎゅうと握ってそう言った。
きょとんと目をまあるくした光子と見つめ合う。

「強いとは言って貰えないのですね」

「え?!い、いえそんなつもりでは」

がばりと布団を跳ね除けて、あわあわと光子に弁解する。彼女は口元を手で押さえてころころ笑っていた。

「大丈夫、分かっていますよ」

ゆっくりとまた胸の辺りまで布団をかけられる。そして、静かに腹を撫でられた。



「おやすみなさい、千寿郎さま」



不思議と、彼女にそう言われると瞼が重くなった。
母親のようであり、姉のようである彼女。
血は繋がっていなくても、彼女との間に家族のような絆があることは間違いない。



でも決して彼女は、千寿郎に"姉"とは呼ばせてくれなかった。









光子は、煉獄杏寿郎を神さまの様に思っている。



煉獄家へ行く前、ほんの少しの期間だが、光子を鬼から助けてくれた男の元に身を寄せていた。
その人は煉獄槇寿郎の弟弟子で、剣士という割には優しすぎる男だった。

私が鬼殺の剣士になりたいと言った時、彼に聞かれたことがある。

「君は鬼が憎いか」と。

分からなかった。
ただ、「鬼が憎いかは分かりません。ただ、鬼も人も、どちらも恐ろしいと思います」と、そう言った。

そう答えた時の彼の顔といったらそれは酷いもので、いい歳をした男のくせに今にも泣きそうだった。
そして、「では何故鬼殺の剣士を志すのか」と聞かれた。

それにはこう答えた。
「私は養父たちをただ死なせることしか出来ませんでした。だからせめても、私のこれからの人生、無償の愛に身を尽くすべきだと思ったからです」

そう言うと、また男は酷い顔をした。
私はただ養父の説いた神の教えに習おうと思っただけなのだが、それを男は気に入らないらしかった。



煉獄家の人は皆優しい。愛に溢れていて、とっても人間らしい。

そんな人たちと線を引いたのは、ただ人が恐ろしかったからだ。
また、私はその枠の中へ入れて貰えないのではないか。万が一にも入れて貰えたとして、でも心の中ではどう思われているのか私には分からないから。

そんな私の考えを、まるでくだらないとでも言うように杏寿郎という少年は、来る日も来る日も、四六時中私に構い続けた。心の底から、眼をキラキラさせながら。

極めつけは、私の「何故鬼殺の剣士を志すのか」という問いへの杏寿郎の答えを聞いた時。これこそが無償の愛というやつなのだろうと、直感的に思った。まるで神さまのようだ。
ただ神の教えを習おうとした私の、なんと矮小なことか。

それと同時に、この煉獄杏寿郎という少年は人間として完成されすぎて、あっという間に死んでしまいそうだとも思った。



彼らの本当の"家族"にはなれっこない。
なれなくてもいい。

でも、うんと優しい彼らと、神さまのような煉獄杏寿郎という少年に降りかかる障害を、私が代わりに引き受けたいと、そう思っている。





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