twst/アズール 嫌よ嫌よが伝わらない
アズールと日本人監督生
「あ、アズールせんぱい」
上擦った声が溢れて、眼鏡の薄い硝子の向こうの瞳がきゅっと細くなった。
彼の色の白い肌がまさに薔薇色に染まったように見えて、この美しい男に抱かれるのだと実感して体温が上がる。
服の中をまさぐる手が下肢に伸びて、下着の中に触れた時、きゅんと心臓が苦しくなった。
「せんぱい、やだあ」
さらさらと触れる感触に焦れったくなってそう零した時、彼の火照った顔がざあっと青ざめた。
え?
「す、すすすみません…!急ぎすぎました!」
ベッドに横たわった私の身体が彼の腕によって起こされる。
気づけば、はだけたシャツのボタンがせかせかと閉じられていた。
「今日はもう止めましょう。ほんとうにすみません、寮までお送りします。ゆっくり休んでください」
そして、私は気づけば涼やかすぎる風が吹きすさぶ、オンボロ寮の入口にポツネンと立っていた。
「は?」
嫌でもわかった。
私は恋人との初夜に失敗したらしい。
不思議の国の男性は紳士的な男が多いようだった。
それにしてはオーバーブロットに巻き込まれたり、悪徳商法に巻き込まれたり、砂漠で行進するはめになったりしているが、それはそれ。
女性の扱いや、レディファーストの文化は祖国の日本より余程大事にされているし、当たり前のものとして根付いている。
机に頬杖を着いたまま重い息を漏らした。
目の前では相変わらずエースとデュースが昼ごはんをかきこみながら揉めている。
初夜を失敗した原因は確実に私の言葉のせいだ。
「嫌よ嫌よも好きのうち」とはよく言ったものだが、この言葉が通じるのも祖国だけ。
外国ではそうもいかない。そもそもいってはいけないのだが。
レディファースト云々の前に、嫌がっている相手に対して、無理やりことに及ぼうとするのはレイプと変わらない。それが分からない祖国の方がよほど問題がある。
当たり前だが、私自身祖国の国民性に染められているらしい。
それでも、はっきりと「抱いて欲しい」とか言うのには、抵抗があった。
成程、これがカルチャーショック。
脳裏に、最近やけに甲斐甲斐しくなった彼の姿を思い浮かべて、またため息をついた。
無視されていないだけまだマシだ。
「監督生さあ、さっきからため息ばっかで、こっちの方が気が滅入ってくるんだけど?」
エースが意地の悪そうな顔をして、右手に持ったフォークの先をこちらに向けてきた。
思わず顔を歪めて、しっしと手で払う。
「なんだよ、機嫌悪いな。彼氏と喧嘩でもした?」
「喧嘩はしてない」
エースとデュースの目がまん丸になった。
ああ、口が滑った。
「ほんとに彼氏居んのかよ!?ちょっと、誰!俺らの知ってる奴?」
「監督生に彼氏?!」
食堂で大きな声を上げたせいで、心做しか周りにも見られているような気がするし、好奇の眼差しが隠しきれていない。
私とアズール先輩が付き合いだした経緯は割愛するが、意識し合ったのはやはりアズール先輩と博物館で話したあとなのだと思う。
特に変わったことも無い。人魚と異世界の人間の恋路ではあるが、いい関係も築いているし、仲もいいつもりだ。
ただ、周りに「アズール・アーシェングロットと恋仲だ」などと知れれば、うるさく言われるのは必至なので黙っている。
エースやデュースなんて特にだ。ただし、あのウツボ兄弟には知られているだろうが。
「別に彼氏がいたっていいでしょ。絶対にエースたちには言わないから」
それにしても食堂に彼が居なくてよかった。
あれ以来、無視こそされないものの少し気まずいのに、拍車をかけてしまう。
ぎゃいぎゃいと喚く2人を後目に、いまだ昼食の鶏肉に食らいつくグリムのまあるい後頭部を眺めた。
結局1日彼とすれ違うことすらなかった。
学年も寮も違うから、そんなことはざらにあるのだが、何となく堪えている。食堂では彼が居なくてよかったと思ったものだが、会えないとそれはそれで辛い。
自分の気持ちと相反したように軽いタルトの生地を食む。今日のトレイ先輩のケーキは桃のタルトだった。
誘ってもらったハーツラビュル寮の先輩方とのお茶会でも、気分は晴れない。
「なあに監督生ちゃん、随分落ち込んでるね」
けーくん先輩が相談に乗るよ、なんて面白がって言うケイト先輩の顔を見て、到底男性には話せない悩みだなと思った。
「なんか彼氏と喧嘩したらしくて、1日ずーっとこんな感じなんすよ」
鬱陶しいったら、と舌を出すエースを睨んだ。
「だから、喧嘩はしてないってば」
「えっ、監督生ちゃん彼氏持ちなの?!」
まじか、それは一大ニュースなんて言いながらスマホをタッチするケイト先輩に嫌な予感しかしない。
ケイト先輩にこの情報が回ってしまった時点で負けだった。
「か、彼氏って…」
カタカタとリドル先輩の持ったティーカップが震えていた。
「こ、個人の交友関係に口を出すつもりは無いが、不純な交友は慎むことだよ、監督生。それから、勉学を疎かにしないように」
しきりに胸のリボンを正すリドル先輩を眺めて、心の中でその不純な交友で失敗したのですと呟いた。
「そうだデュース、忘れないうちに渡しておこう。先日君が分からないとボヤいていた分野のノートだ」
「!ありがとうございます、寮長!」
わたわたとデュースが受け取った、やけに太ったノートががさりと音を立てる。
「開いてごらん。基本事項の他に、授業で扱わない資料から引用した補足事項は付箋に書いてある。しっかり勉強することだ。次赤点を取ったら、お分かりだね?」
「は、はい!」
そんなデュースの横でにたにた笑っているエースにも、リドル先輩の鋭い眼力が飛んだ。
私もグリムには期待できない以上、勉強しなければ。
ちらりと白いノートの上に浮いた、黄色い付箋が目に入る。自分の席からは、そこに書かれた字は読めなかった。
ふいに、努力家な彼が「使い古しだから」と私に与えてくれた錬金術の参考書の存在が脳裏に浮かぶ。
「付箋、かあ」
おすまし顔で私を見下ろす、彼を思い出した。
彼女にベッドの中で拒絶の言葉を吐かれてから、ずっと胃がささくれだっていた。
上手くいっていたはずだ。
お互いの初夜に向けて、普段は読まないティーン向けの雑誌も読み漁った。勉学に向ける熱量と同じくらいのそれで勉強した。あのウツボ兄弟に見られた時は蛸壺にひきこもりたくなったが。
そもそも、ベッドの中の彼女も随分浮ついた表情で、頬もふわふわと上気していた。
彼女も乗り気だったはずだ。
それがどうしたことかと頭を抱える。学校で彼女と会った時は余裕のある態度を見せようとしているが、挙動不審を完全には隠せていない自覚がある。
ここ最近はずっとこんな調子で、相談者が居ないのをいい事にVIPルームでもんもんと唸り続けていた。
「アズール、入りますよ」
ジェイドの声がかかると同時に扉が開く。
薄らと笑みを浮かべた男の姿に口角が引き攣る。
「ジェイド、扉は返事が帰ってきてから開けるものです」
「おや、それは失礼しました。監督生さんからアズールへ預かりものがありましたから、いち早く貴方にお届けしなくてはと思いまして」
気がせいてしまいました、とにこりと綺麗に笑ったジェイドの顔の横で、角が丸まって萎びた錬金術の参考書が左右に振れた。
「は!?監督生さん!?」
しかもジェイドが持つ参考書は、自分が彼女にあげたものではないか?それが今更になって帰って来たのはどういうことか。もしや、もしやこれはもう貴方とは会えませんと、暗に示しているのか。
「そう怯えた顔をしないで。監督生さんが「必ず中身を見てくださいね」と仰っていましたよ」
手袋越しに、参考書が触れる。そんなに分厚いものでは無いのに、なんだか酷く重く感じた。
彼女の伝言通り、馴染んだそれを開こうとすると、丁度真ん中辺りでぱかりと開く。
錬金術による鉱石の生成法が書かれたページだった。
しかし、それらの情報を遮るように薄い青色をした正方形の付箋が貼られている。
そこに書かれたまるっこい字を辿ると、かっと顔に熱がのぼってきた。
「ち、ちくしょう」
「仲直りは出来ましたか?」
ああ、面白がりやがって。僕と彼女はお前たちの遊び道具では無いというのに。
「喧嘩はしていないと言っているでしょう!」
兎に角、ラウンジを閉めた後の用事が出来たらしかった。
嫌よ嫌よも好きのうち
口先では嫌がっても、実は好意がない訳では無いことを現す言葉。
またその参考書貸して下さいね、先輩
嫌よ嫌よが伝わらない
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