最近、所出さんの様子が変だと思う。
あくまで僕の主観だし、思い込みだったら申し訳ないし、何よりそんなことを本人に聞けるはずがない。しかも彼女と僕はただのクラスメイトだ。それでも、最近の彼女にはなんだか元気がないような気がした。
彼女とはある程度席が近いから、ちょっとした時間に雑談くらいはする。元々所出さんは大人しいながらも優しいから、会話にも笑顔を見せてくれていた。たまに彼女の友達も雑談に加わったりするけど、今みたいな引きつった表情を浮かべたりはしていなかったはずだ。我ながら一方的で気持ち悪いとは思うものの、どうにも心配だった。
そんな放課後、僕は思い切って本人に尋ねたのである。最近何かあった? なんて、軽い質問を投げた時、当の彼女は少しだけ肩を揺らした。妙だと思った。密かに怪訝に感じる僕に対し、所出さんは「何で?」とだけ答えてみせる。その問いには、最近元気がなさそうだったからと正直に言うしかなかった。気持ち悪いと思われたことだろう。
変なことを聞いてごめん。何かできることがあれば、手伝いたいんだけど。慌てて、素直な気持ちを一言二言付け足すが、相手は俯いたまま。ああ、困らせちゃったんだ。ごめん。そんなつもりじゃなくて。とは、口に出せない。申し訳ない気持ちが渦巻いて、「やっぱり何でもない」と取り消しかけた時。所出さんがふと顔を上げた。眉を下げて笑っている。ありがとう、と遠慮がちな声がした。いやいや、むしろごめん、という僕の返事は、彼女の続言に捻り潰される。
「でも、水瀬くんじゃどうにもならないよ」
「……え?」
聞こえてきた言葉に、思わず耳を疑った。意味が分からず彼女の方を見れば、相手はまっすぐ僕を見つめている。その顔には、諦めたような笑みが張り付いていた。どういう意味、と口から疑問が溢れる。彼女は答えてくれなかった。代わりに、中身のない謝罪があった。
ごめんね。せっかく言ってくれたのに。でも、どうにもならないことだから。だから忘れて。ごめんね。全部私が悪いの、なんて。何から何まで意味が分からない。待って、何に謝っているの? そんな混乱が声に出た矢先。
がらりと教室のドアが開けられる。所出さんが「あ」と小さく呟く。振り返ってみれば、最近彼女と一緒にいる同級生の姿が映った。間宮雛妃と名乗る彼女は、先月うちのクラスにきた転校生だ。……あれ?
そういえば、所出さんがびくびくし出したのって、この間宮さんが転校してきた頃だったような。まさか、と所出さんの方を仰げば、どこかぎこちない表情が目に入る。嫌な予感がした。まさか、彼女が元気をなくした原因って……。そう疑ったと同時に、転校生が言った。
「千波ちゃんと、水瀬くん? 何してるの?」
きょとんとした声音と、崩れない微笑。普段なら気にならないような間宮さんの態度が、今はどうにも不気味に感じる。えっと、と言葉に詰まる僕。しかし、沈黙は一瞬で破られた。
「何でもないよ。帰ろう、雛妃」という優しい声。他でもない所出さんの声だ。振り返れば、彼女はいつの間にかカバンをきちんと手にしている。前方からは、「そっか。じゃあ行こう」なんて間宮さんの返事。なんとなく、このまま二人を帰らせたらダメだと思った。
僕の横を過ぎる所出さんの背を視界に、「待って!」と叫びが口をつく。二人がくるりと僕の方に目をやった。四つの目に見つめられる感覚の中、僕は一言だけ尋ねた。
「所出さんと、間宮さんは、本当に友達なの?」
重苦しいしじまが牛耳る教室。相手の反応がなぜだかすごく怖くて、言い出しっぺのくせに顔が上げられない。俯いたまま答えを待つ僕に、しばらくしてから返事があった。
「……うん」
恐る恐る視線を上げる。小さく頷いたのは、所出さんの方だった。次いで、間宮さんが茶化すように続けた。ああ良かった。私だけが友達だと思ってるのかと思った。あはは、水瀬くんも変なこと聞くんだね。もういい? 何かを誤魔化すように微笑む所出さんと反対に、間宮さんの表情や声色はどこまでも自然だ。でも、なぜかまだ違和感は胸に残って消えない。なんでだろう、と二人の背中を見送りながら考える。
しばらくして、ぽつりと一人で結論が出た。ああそうだ、と呟く声は、誰にも届いてはくれない。それでも、わだかまった違和感は、独り言として排出されてしまった。
「そうだ。間宮さん、所出さんが頷くまで、一言も話さなかった……」
僕が最後にした質問は、二人に向けたものだ。だから、間宮さんが答えることだってできたはずだ。あれだけ饒舌に話すことができたのなら、なおさら、なぜ即座に答えなかったのだろう。「そうだよ」と言えばいいだけだったのに。あんなに間を開けてまで、所出さんに答えさせないといけなかった? なんで? まるで、所出さんに頷かせるために黙っていたような気までしてくるけど──。
そこまで考えて、やめた。なんだか今頃になって、ひどく不気味に思えてきたのだ。間宮さんの崩れない笑顔と、所出さんの意味深な返事がフラッシュバックする。勝手に尋ねておいて何だが、あの二人には、なんとなく……。
どうしようもなく、嫌な秘密があるような。
荒唐無稽な可能性だ。でも、頭に浮かんだその可能性は、なぜだかずっと拭いきれずに僕に残った。
後日、僕の机の中に「余計な詮索をするな」と書かれたかわいいメモが入っていたけど、僕はもう聞く気はなかった。変わらず登校してきた所出さんを、あれこれ気にするのもやめた。ただ、普通に挨拶したり、以前みたいな雑談をしているだけ。それだけだ。
知りたくもないと思っている。
だって、あの時、彼女は帰り際にこちらを振り向いて言ったのだ。
「私も水瀬くんも、死にたくないでしょ」と。だから放っておいてって。
あの時の所出さんの笑顔が、ずっと頭から離れてくれない。その日一番の満面の笑みだった。
正直、二度と見たくない。
『歪』 了