その耳元で揺れるお花のイヤリングは、ついこの前買ったばっかり。服もお気に入りのブラウスとフレアスカートを引っ張り出してきた。でも、ちょっと長袖では歩くと暑いかもしれない。そろそろ衣替えかなあ、なんて思いつつ、少女は机上のティーカップを口に運ぶ。一口飲んだ途端に、ふわりと優しい甘みが広がる。ここのアプリコットティーって美味しいんだな、と少女は顔を綻ばせた。
彼女の名前は
そんな彼女がショートケーキにフォークを入れた時。カフェの扉が開けられた。カランと小気味いいベルの音がして、店内に客が姿を見せる。新たなカフェの来客に、千波は思わず目を奪われていた。というのも。
(わあ、かわいい! すごい、アイドルみたい……!)
不意に姿を現した客人。彼女は、端的に言って整った顔立ちをしていた。しかもピンクメイクがよく似合っているし、肌も色白で足も細い。だからこそ、甘めのファッションがぴったりフィットしているのだろう。黒髪のポニーテールもかわいらしい。まさしく千波が憧れる「かわいさ」を持った女の子が、店員に席を案内されていた。もちろん、彼女と千波は知り合いでもない。全くの赤の他人だ。
それでも、千波の意識は見知らぬ少女から離れなかった。離せなかった、と言った方がいいかもしれない。少女が歩くたびに黒髪がはらりと揺れる。席に座ってから店員に向ける笑顔も、美少女ならではの華やかさがあった。……とまあ、こんな感じで、千波は客人を目で追っていた。側から見ればただの不審者だが、本人からすれば無意識なのだろう。
千波の視界の中で、少女がメニューに手を伸ばす。そのページをめくる寸前、ふと彼女が視線を上げた。赤い瞳が向いた先は、ちょうど千波のいる席で。
「あ」
一瞬、少女と千波の視線がかち合った。慌てて目線をショートケーキに戻す少女。まずい、めちゃくちゃ見てたのがバレたかも……! と、顔を青くしながら苺をかじる。気まずさと恥ずかしさと焦りが混ざって、苺の甘味は感じられなかったけれど。今はそれすらどうでも良かった。
*
結局、千波は少女の方を一度も見ることなく店を出た。無論、ショートケーキもアプリコットティーも美味しかったし、店の雰囲気もとても良かったのだが。リピートはちょっと怖いかも、と少女は歩きながら溜息をつく。100%自分が悪いけれど、またあの少女と鉢合わせる可能性があると思うと気まずい。明らかに凝視していたのもバレてただろうし。
若干苦い顔で、信号待ちに立ち止まる彼女。……その肩を、とんとんと叩く色白い手が一つ。
「? はい、って、えっ」
くるっと何気なく振り返った千波の口から、何かに驚くような声が落ちる。その顔には、ギョッとした表情がありありと浮かんでいて。信号が青になり雑踏が動き出したのにも気づかないほど、固まった彼女の前には。
「初めまして、いきなりごめんなさい。あの、さっき同じカフェに居ましたよね?」
なんて声とともに、あどけなく微笑む女の子が一人──黒髪が風に揺れる彼女は、紛れもなく先程のカフェの少女である。
え、いや待って。どうしてここに? まさか私を追って? いやいやそんなわけ。
肝心の千波の脳内はパニック状態だが、目の前の少女は知る由もない。かちんこちんにフリーズした彼女に対し、カフェの少女はにっこり笑ってこう続ける。
「さっき目が合ったなーと思って。人違いだったらごめんなさい」
「大丈夫です、人違いじゃないです。それ私です……あの、さっきはすみませ」
「あ、やっぱり! 話しかけて良かった〜! 勇気って出してみるものですね!」
「……へ?」
あまりに真っ直ぐで快活な言葉に、千波の後ろめたさはますます加速した。何ならばっちり認知されてたし。全然人違いじゃないです、と首を振るが、相手の顔は見られない。……だって反応が怖いんだもん。でも、とりあえず謝らなくちゃ……。恐る恐る謝罪を伝えようとした千波だったが。その声は少女の音吐で遮られた。むしろ謝罪を求めるどころか、何だか嬉しそうな声音が彼女の耳に入る。
あれ? てっきり、「じろじろ見てたの不快だったんで謝ってもらえます?」くらいは言われるかと思ってたのに。抱えていた気まずさも忘れて顔を上げた千波に、女の子は変わらず笑顔を見せた。謝らなくていいんですよ、全然気にしてません、なんて付け足して。予想だにしない返事だ。
呆気に取られる千波に対し、少女はことりと首を傾げた。そして一言、
「あの〜、この後ってお暇ですか? 良かったら──一緒に、コスメとか見に行きません?」
*
「あっ、あの服かわいい!
「ほんと? ありがとう、千波ちゃん。じゃあおそろコーデにしちゃう?」
「えっ⁉ いやいや、私には似合わないよ。雛妃ちゃんみたいにスタイルも良くないし」
「そう? 私からすれば、千波ちゃんって女の子らしくてかわいいと思うけど」
かれこれ数十分後。成り行きで一緒にショッピングモールへ入った二人だが、今やすっかり打ち解けたらしい。お互いの名前まで呼び合いながら、お喋り半分で施設内を巡る。最初はコスメ、次はフラペチーノ、途中でプリクラを挟んで今は服売り場だ。
と、プチプラブランドの店頭に並んでいたワンピースが目に入ったようで、ふと千波が声を上げた。雛妃というのは相手の名前である。それはそうと、当のワンピースは、実際彼女に似合いそうなガーリッシュテイストだ。これを彼女が着たらかわいいだろうなあ、いいなあ、なんて憧れ8割羨望2割の想像に浸る千波。一方、肝心の雛妃はといえば、お揃いにする提案を平然と打ち出していた。これには、流石の千波も相手を二度見する羽目になって。即座に遠慮の言葉が口をつく。
……だって、私は別にかわいくないし。
昔からかわいい物は好きだけど、私には似合わないよ。雛妃ちゃんみたいに、かわいければなあ。
そう考えて、無意識にマネキンから目を逸らす少女。そんな彼女に降ってきたのは、心底不思議そうな声色で。意図せず目を見開く千波に、美少女はくすりと微笑んだ。
「なあに、すっごい不思議そうな顔。言っとくけど、お世辞じゃないからね、これ」
「⁉ い、いやでも……っ!」
「でもじゃないよ。千波ちゃんに声かけたのだって『この子かわいいなー、仲良くなりたいなー』って思ったからだし」
「ええ⁉ 嘘!」
面白いなあと言わんばかりの顔で与えられた褒め言葉は、千波を困惑させるのに十分すぎるほどだった。だからこそ、相手が話を続けるにつれ、彼女の口はあんぐりと開いていった。次いで我に帰って否定する千波の様子に、雛妃はますます面白そうに目を細める。
彼女の言っていることに嘘はない。カフェでの千波の目線にもすぐ気づいたけれど、決して嫌ではなかったし。むしろ、喜ばしいと感じたのだ。目をパチクリさせて慌てる少女を横目に、雛妃はぽそりと呟いた。
「ほんとほんと。第一、千波ちゃんの髪がまずかわいいじゃん。お下げが似合う子とかそうそういないよ? それに、髪色もみかんみたいで……元気がでるというか」
「ひ、雛妃ちゃんって褒めるの上手だね……? そんなこと言われたら調子乗っちゃう」
「あは、いいじゃん。調子乗って行こう? だってぜーんぶ事実だし」
これも全てが本音なんだけど、と内心思いつつ、雛妃は隣の少女を見やる。自分より少しだけ背の低い彼女は、照れたようにまんまるな目を手で覆っていた。出会ったばかりだけれど、本当にかわいらしい子だな、と少女は思う。表情がころころ変わって、声も高くて、肌も柔らかくて、程よい体型で。ああ、これはまさしく。と、雛妃が考えていた矢先。
「あれ、千波じゃん。珍しいね、こんなところで」
不意に、前方から軽い声がした。つられて目線を上げる二人。雛妃はピンとこないようだったが、千波は相手に向けてすぐさま顔を明るくした。
「美奈ちゃん! びっくりした〜、でも私ここにはよく来るよ? 珍しくはないと思う」
「それは知ってるけど。でも、一人でいるのは初めて見るからさあ」
「え?」
美奈ちゃん、と呼ばれた別の少女。彼女はどうやら千波の友人のようだった。千波や雛妃とは対照的な、パンツスタイルがよく似合う同級生らしい。
若干二人よりも大人っぽく見える彼女は、千波の返事にも大して声色を変えずに続ける。が、千波からすれば、彼女は奇妙なことを言っていた。
だって、彼女は「一人」と言ったのだ。
隣には雛妃ちゃんがいるのに? まさかいなくなってるとか? なんてとっぴな考えから横に目を向けても、そこには変わらず美少女の姿があるだけで。きっと美奈ちゃんが気づいてないか、冗談を言ってるんだろうな。なんて捉えた千波は、「何言ってるの、私今日は二人だよ。雛妃ちゃんって言ってね、ほら、隣のリボンの子!」と。そう続けようと──
したのだが。
彼女の発言を聞いても、美奈は訝しげに首を捻るだけだった。むしろ、すこぶる怪訝そうに告げたのだ。「……何言ってんの? そんな子、どこにもいないけど」
瞬時に、千波は自分の背が冷える感覚がした。「え?」なんて声が漏れる。
「だって、え? 何言って……そ、そんなわけ……」
「マジで大丈夫? 千波。あたしが声かける前から、あんたずっと一人だったよ」
そんな。でも、カフェでは店員さんに案内されてたよね。──あれ? でも、それならこの子はどうやって私に追い付いたんだろう。私がお店を出た時、確か彼女のテーブルにはお冷やしかなかったのに。それも、二人分……え? そういえば、彼女が入店した時って、後ろに二人組のお客さんがいたような…………どういうこと?
美奈の発言をきっかけに、千波の脳内は見事に錯乱した。疑問符が脳裏をぐるぐる回る。どういうことだ。一体、何が事実で何が嘘なのだろう。今や隣の少女からは、一切声が聞こえないのも妙に思えてしまう。……仮に、友人の言うことが本当なら、隣の彼女は「何」だ?
強張った顔で、千波はふと目線を戻した。目に入るのは、同じく引きつったような美奈の顔。隣の少女は怖くて見たくない。見たくない、はずなのに。なぜだか体は、千波の意思に反して少女の方を振り向いた。
ごくりと固唾を飲む千波。もしかしたら、この二人が知り合いだったりするのだろうか。二人してドッキリとかで、私を怖がらせようとしてるんじゃ。一瞬、お気楽な考えが彼女のまぶたに浮かぶ。きっとそうだ。こんな訳の分からない話があるわけない、なんて。最早願望にも近い少女の考えだったが。
結論から言えば、それは見事に打ち砕かれることになってしまった。
ぎしぎしとぎこちなく振り向いた千波が見たのは、ものすごく嫌な笑みを浮かべた雛妃の姿。ぴしりと固まる彼女に向けて、美少女……いや、美少女「だったもの」は、にたりと笑って吐き捨てたのである。
「気づかんかったお前が悪い」と。
「ぎ、……ぎゃあああああああ‼」
*
と、まあこんな風に、散々な休日を過ごしてしまった千波だ。あれから、彼女は一目散に美奈の手を引いて逃走した。そりゃあだって、あんな表情で「気づかなかったお前が悪い」なんて言われてしまえば逃げたくもなる。即ちそれは、「その通りです私は化け物です」と答えているようなものなのだから。
(うう……昨日はほんと怖かった……)
結局あれから寝れなかったし、と千波は教室で目を擦る。何とか逃げ帰れたのは良かったが、昨晩は雛妃の笑みを思い出してしまって眠れなかったのだ。あの何とも嫌な表情が頭から離れない。しかも、いつの間にやら学生証も落としてしまったみたいで。もう散々だ、と少女は机に沈む。始業チャイムが鳴ったのはそれと同時だった。いつものように、がらりと戸が開いて担任が入ってくる。どうせこの時間は、いつも通りの朝礼だろう。そう考えて、千波は顔をあげなかったのだけれど。
「えー、いきなりだが、今日は転校生が来ていてな。これから皆と学校生活を送ることになるから、仲良くしてやれよ。おーい、入ってこい」
彼女の耳に入ったのは、聴き慣れない「転校生」という言葉。こういうのって普通、一か月前くらいに起きることじゃ……? と、教室にあるカレンダーを見た瞬間。
教室に入ってきた生徒が見え、彼女は言葉を失った。何なら顔色もなくしたかもしれない。
何せ、視界に映ったその顔は。
「初めまして、間宮雛妃です。××市から転校してきました。これから宜しくお願いします。…………ああ、それと」
名前が書かれた黒板を背に、にこりと笑う制服の少女。言わずもがな、その笑顔には見覚えがあった。赤い瞳が、愉快そうに細められる。千波の頬を冷や汗が伝う。
「な……ん、で」
誰に言うでもない驚愕が唇からこぼれた時、雛妃と名乗った少女が不意に足を動かした。室内の生徒たちの注目が集まる。しかし、幾十もの目が向けられるのが気にならない様子で、少女は一人の机の前で歩みを止めた。
他でもない、所出千波の目の前で。
「あ、あぁ、」
千波の喉で悲鳴が絡まる。だって、眼前には昨日の嫌な表情があるのだ。怯えを隠そうともしない少女に向けて、雛妃と名乗る少女──否。雛妃と名乗る化け物は、にやりと口を歪めてみせた。
「昨日ぶり、千波ちゃん。実はさー、私落とし物を拾ってて。はい、これ。学生証だよ。昨日落としたでしょ? ほんと、気をつけなきゃだめだよ。とはいえ…………」
今更手遅れやけどな。
そう宣う化け物。表情をなくしていく千波とは裏腹に、それの表情は心底楽しげな色が浮かんでいる。楽しそうなまま、千波の学生証を彼女の机に落として、それは一言だけ囁いた。
「ま、これからせいぜい仲良くしよねえ」
*
以上。これは、かわいいものが好きな「普通の女子高生」と、彼女に目をつけた「人食いの化け物」の奇譚である。
『彼女と“彼女”』 了