艶髪一笑

 最早隣に人ならざる者がいることにも慣れた。いや、今でも正直怖いとは思うけれど。それでも、こうも当たり前に日々が過ぎていくと、隣に彼がいないと逆に妙な気分になる。気がする。

 そんなことをぼんやり考えていた2時間目と3時間目の間。中休みとも呼ばれる10分間の休憩中。既に次の時間の教科書が置かれた私の机に、ふと色白い手が置かれた。反射的に顔を上げれば、件の“男子生徒”と目が合って。少年にしては華奢な体躯は、私と同じ女子用の制服を身につけている。同じくやけに長い黒髪を揺らして、相手は目を細めて微笑んだ。薄いリップが塗られた唇が動く。

 「千波ちゃん。これの髪、また結んでくれない?」

 そう尋ねるや否や、目の前の少年──いや、人外はリボンの髪飾りをちらつかせて見せた。これも最早いつものことだ。接しているうちに知ったが、彼は私なんざより余程ヘアアレンジやらメイクやら……お洒落が上手なはずで。わざわざ私に頼まなくても、髪くらいさらっと結えると思うのだが。なぜかここ最近、相手は私に髪を結ばせる。まあ、これもどうせ「友達が別の子のヘアアレンジをしてたから、これもやって貰いたくなった」みたいな気まぐれの一環なのだろう。

 別に断る理由もないし、素直に従えば何も危害は加えられない。だから私は、二つ返事で頼みを承諾した。いつものように、少年を隣の席に座らせて後ろを向いて貰えばいい。後は、携帯ブラシでちょっと髪を梳かして、ちょいっとアレンジすれば済む。さらりとした黒髪にブラシを通しつつそう思った。にしても、いつ触っても絹糸みたいな御髪だ。れっきとした異性のはずなのに、下手すれば私より綺麗で手触りがいいかもしれない。いくら人の身を外れているとはいえ、一体何をどうしたらこんなにさらさらな毛になるのだろう……と、気になっているのはここだけの話。

 そうこうしているうちに、休憩時間は残り5分ほどになっていた。これ以上時間をかけると授業に間に合わない。そう考えて、ふとブラシからヘアゴムへ持ち物を変える。ちなみに、どういうヘアアレンジにするかは決まって私の自由だった。今日はなんとなくハーフアップの気分だと思うので、迷うことなくその通りに手を動かす。そこそこ綺麗にまとめられたところで、手渡されたリボンを結び目を隠すようにつけておいた。恐らく、側から見てもおかしくない程度の仕上がりにはなっているだろう。できたよ、と声をかければ、今日はどんな風にしたの、なんて質問があって。ハーフアップにしてみたけど、と私は鏡を手渡した。ハンドミラーを見る相手の表情はよく分からない。しかもミラーを片手に持ったまま、一言も喋らないから余計だ。

 もしや何か気に入らなかったのだろうか。
 しばらくの沈黙。無意識のうちに不安になってくる。耐えきれずに口を開こうとした瞬間、余った彼の黒髪が私の右手に巻き付いた。意思を持った生き物のように、うねうねと。艶を持った髪の束が蠢く。いきなりのことに「ひっ」と息が詰まる私。それを知ってか知らずか、ようやく相手が一言、

 「相変わらず丁寧な仕事やこと。今日も可愛いわ、えらいおおきに」なんて。
 感謝されたのは良かったものの、わざわざ私の腕に髪を巻く必要はあったのか。それは良かったけど、あの、と思わず口ごもる私を振り向く男子生徒。くるりと向けられた顔には、愉快そうな表情がぴったり張り付いていた。

 「せやしその腕、これ以外には食わせなや」

 これの髪を梳かすために必要やからな。そう言ってにやりと口角を吊り上げられる。正直相手にもそれ以外にも腕は食べられたくないけれど、口にはしない。ただ曖昧に頷けば、満足げな笑顔が返ってきた。同時に本鈴のチャイムが鳴る。変わらず艶やかな髪と共に自席へ戻っていく少年。いつの間にやら、腕に巻きついていた黒髪は跡形すらない。

 今日もお昼は一緒に食べようね、との去り際の言葉にも「うん」と返事をして黒板へ向き直る。教室へ入ってきた先生も、周りの同級生も、皆少年のことを「普通の女子生徒」だとして疑っていない。今日だって相変わらずだ。

 だから、何で気づかないのかなあと疑問にも思ってしまう。だって、彼が人間でない証拠はいくらでもある。さっきだって、黒髪が腕に巻きついただけじゃなかったのにな、と思うのだ。

 (私が髪の毛梳いてる時、丸見えなんだよね)

 彼──雛妃と名乗る化け物には、後頭部に、ぽっかり開いた口が見える。今日もめちゃくちゃ舌動いてたな、なんて考えながら、窓の方へ視線を動かした。

 雛妃は私に髪を結ばせる。
 これは多分、彼の気まぐれなのだろうけど。
後ろの口を晒してまで、髪を梳いてほしいものなのかは、未だにあんまり分からない。

 「化け物の気持ちって、やっぱり難しいなあ……」

 ふと独り言を呟いた時。窓には数式の説明を聞き流したままの、ぼんやりとした私が映っていた。

『艶髪一笑』 了