残念ながらべた惚れ
今日という今日は、文句を言ってやろうと意気込んだ。そう思いながら、彼がいる「ここ」まで来た。
分かっている。私の彼――所謂恋人、赤馬 零児は大企業の社長で、私なんかにかけていられる時間がそう多くないのは理解している。それを承知で付き合ったのは紛れもなく私だ。
だから多分、今私が彼に抱いている怒りは彼にとっては理不尽なものだろう。デート、というほど大層なものではないが、ほんの少し会話をしたいからと前もって予約していた二人の時間、という予定を反故にされたから怒っている、など。
私だって、頭では理解している。レオコーポレーションなんていう大きな会社の社長をしている以上、急な会議やトラブルの対応に追われることになるということくらい、理解はしている。
だけれども、その理解に心がついていくか、というのはまた別問題だ。そんな簡単に様々なことを割り切れる人間ばかりがこの世にいたとすれば、多分この世から戦争はなくなるだろう。とても喜ばしいことだ。残念ながら机上の空論だけれども。
だからといってこの私の理不尽な怒りを正当化するつもりはない。
零児にとって私のこれはただの我儘で、謂れのない酷い言いがかりだということは理解しているし、そういわれることも納得している。
そのうえで、私は。零児と話をするためだけに、零児が仕事として確実に現れる「ここ」に来たのだ。
――正当な手段で。
「……驚いた。デュエルの『デ』の字すら知らなかった君が、この舞台に立っているとは」
「でしょうねえ」
目の前にいる零児は眼鏡のブリッジを指で押し上げながらつぶやいた。
そりゃ知らないでしょうね、私との時間なんてなかったし?
……なんていう嫌味を口にしなかったのは、私の中の良心がそうさせたのか、或いは常識はずれな行動を己の自制心が止めたのか、よくわからない。
いずれにせよ言わなくてよかった、と思った。きっと言えば言ったで零児に倍返しされるだろうから。
……それに。
(……こんな大人数の前で、そんなことを言えるわけがない)
ちらりと視線を観客席の方に移せば、その圧倒的な物量の『人間』にめまいを覚えた。
……元々観客がすごいいる、ということは知っていたけれども、実際こうして「見られる側」に立つと、観客の量に抱く想いも変わってくる。具体的に言うと少し怖い。
今私が立っているのは舞網デュエル大会の、決勝という舞台だ。
舞網チャンピオンシップ。LDSが主催する世界的なアクションデュエル大会の名前をそう言った。その実態は零児が父である零王さんとの戦いに備えて「ランサーズ」のメンバーを選抜するための実力テスト、のようなもの。つまり、次元戦争が終わった以上、その中身は意味のないものになった。
とはいえ、舞網チャンピオンシップが世間に与えていた影響は大きい。当然だ、舞網チャンピオンシップの実態を世間が知らなかった頃、その大会はデュエリストたちの登竜門となっていたのだから。
そんな大事なものを、零児――というよりはLDSが「必要なくなったから」という理由だけで無くしてしまうわけにはいかない。故にその大会は、名前とルールを少しずつ変えて現在まで存続している。
そういうわけで、私はそのデュエル大会に出場して見事ここまで登って来た。このデュエル大会、最後に戦うのはジュニアユースの優勝者とレオコーポレーションの社長、赤馬 零児だということを私は知っていたから。
だから私は安直にも、愚直にも。この大会で優勝すれば、観衆の目があるとは言え、零児と面と向かい合うことが出来る、というただそれだけで、この大会に出たのだ。
……ためらわなかったわけではない。こんな不純な動機で出場しているのなんて私くらいなものだろうし、本気でユース昇格を目指している人に対してすごく失礼なことだと分かっているから。
故にせめても、と本気で取り組んだ。基本的なルールもほとんど理解していなかったところから始めるのだから、本気にならなければそもそもここまで辿りつけなかったのだろうけれど。
出場条件を満たすための公式戦六連勝も不正無し――当然といえば当然だが――、出場してからも目的を忘れるくらいにがむしゃらに戦って、そうしてようやくここまで――優勝者という立場に来た。目の前に零児が出てきて、ようやく目的を思い出したくらいで。
我ながらびっくりするほどの行動力だと思う。零児も零児で同じようなことを思っていたらしく、呆れとも感嘆ともつかないような息を吐き出された。
……いや、感嘆ではないな、あれ。十中八九呆れられている。
「何か?」
「いいや……、……君のその行動力、少しは我が社に役立ててほしいものだ、と思っただけだ」
「なによ、まだ私高校生なんですけど。働かせる気?」
「私の前でそう言える度胸があるのなら、いくらでもやっていけそうなだな」
ああ言えばこういう!
確かに既に働いている零児の前でこんな発言したって笑われるだけだ。でも私はそういうことを言っているわけではない。そもそも基本スペックが違いすぎるのだから、比べないでいただきたい。
……悲しくなってきた。
「ほんと……久しぶりに交わす会話がこれって……」
「もっと甘いものがよかったか?」
「公衆の面前でそういうのは求めてません」
零児なりのジョークだろう。真顔で言われたから傍から見ればジョークには全く見えないのだろうけれど。
だから私は逆に至って真面目に返した。……返した、けれども。本当は少し、そういうのがあってもいいかもしれないと思っていた。いや、零児は仕事中だし、そもそもこれ中継されているし、そんなもの公共の電波に流れたら周知で死ねる。求めてなくはないけれど、実際無くてよかったものではある。
「──とにかく! 私は貴方に挑みます、赤馬 零児!」
「ほう。……仕事だ、加減はしないぞ、名字 名前?」
「そんなものは要りません、ただ──」
デュエルディスクを構えながら、きっと零児を睨みつける。彼は余裕綽々と言った様子で、私を見下ろしていた。……これは確かに仕事の目だ。いつもプライベートで向けてくれる瞳とは違う。
それでいい。動機は不純だったけれど、ここに立った以上は私だってデュエリストだ。手加減なんてされたくない、私が戦った人達に失礼だもの。……でも、それでも、ただ。
「──私が勝った時には、私の文句、聞いてもらうから!」
「やれるものなら、な」
目的だけは、きっちり果たすけれど。
†
とはいえ、だ。
「く、ぅ……っ! うぅ……」
所詮は付け焼き刃、と言ったところだろう。最年少でプロ入りを果たし、次元戦争も前線で動いていた零児に簡単に勝てるはずがなく、あっけなく負けてしまった。
ソリッドヴィジョンの衝撃で沈んだ体を起こす気にもなれなくて、しばらく青空を見続けた。遠くで零児を称えるコールが聞こえてくるけれど、まるで夢心地のように浮ついて聞こえる。
負けた。負けて、しまった。零児に文句を言いに来るために始めたことだけど、やっぱり悔しい。
それと同時に、零児が本当にすごい人だということを思い知らされた気分だ。……到底、自分の手が届かないような場所にいる人。そんな気が、してしまう。
そうだ、レオコーポレーションの社長、という時点ですごい人なのだ。
ただ幼馴染だった、という事実が彼と私を近づけてくれて、恋人にまでなれたけれど。あまりにも生きる次元が違う。
だから、やはり私のこの怒りは理不尽なものだ。低次元に生きる私が、理不尽に怒っていただけの話なのだ。惨めにも程がある。
「……大丈夫か?」
ふと、視界いっぱいに零児の顔が映った。どうやら零児が私のことを覗き込んでいるらしい。……長く起き上がらなかったから不審に思ったのだろうか。
「だぁいじょうぶ。負けたなぁ、とか思ってただけ」
「戦術自体は悪くなかったがな。名前、君が考えることを、私がわからないとでも思ったか?」
「……いいえ、幼馴染だもの、こっちの手なんてお見通しよね」
くすり、と微笑んで言われた。ああ、あの笑顔やっぱ好きだなぁ。
テレビの向こう側で見る零児はいつも顰めっ面だけれど、こうやって笑顔を見せてくれるだけで私は絆されてしまう。特別なままなんじゃないかと思ってしまう。ちょろいやつだ。
手を指し伸ばされる。きっと早く立ち上がれ、ということだろう。その手を取っていいものか少し悩んだけれど、デュエリスト同士が互いを讃え合うことは自然なことだ。
手を取って立ち上がれば、ようやく周りの音が鮮明に聞こえてきた。零児コールの中に、私の名前も混ざっている。……ちゃんと応援してもらえていたんだ、と今になって気づいた。
「……すごいね、零児。ずっとこんな歓声の中にいるのね」
「名前も、今日からはその仲間入りだろう」
「そう……なのかな」
ユースに昇格した以上、それは当然のことなんだけれど、やはりいまいち実感が湧かない。それを自然に受け入れ、己の中に昇華している零児はやっぱり凄い。
今まで、想像もしなかったんだもの。こんな歓声の中に、私が入ることになるなんて。
思わずぼう、っと周りを見る。興奮冷めやらぬ、と言った様子の声や音で会場が満たされている。きっと私たちの行動はこの会場の人達皆に見られている。
だから下手なことをしてしまう前に、負けた悔しさで泣いてしまう前に立ち去るべきだ。そう思って零児の手を離し、踵を返そうと──。
「ところで」
「んぇ」
返そうとしたところで、零児が口を開いた。今までの低い調子とは少しトーンが違う気がして、つい変な声が漏れてしまう。
どうしたの、と零児を見返せば、零児は少し居心地が悪そうな──というよりも少し言い淀むような顔をしている。
「文句、というのは」
「あー」
そう、それ。本来の目的はそれだ。零児に文句を言いに来たんだ。寂しい、って。少しでいいから構ってくれ、って。
でもなんだか、零児が遠い人に思えてしまって、そういうのもお門違いかなと思いはじめている。私の手が少しでも触れていられるだけで、それはきっと奇跡なのだろう。
「もう大丈夫だから、気にしないで」
「──……」
「ん?」
俯きがちな零児の口の中で言葉が転がったように見えた。周りが騒がしいものだから、ぼそぼそと喋ると聞こえない。
耳を寄せるように一歩近づくと、彼は少し顔を上げる。少し眉を下げているように見えたけれど、きっと私以外は気づいていない、そんな表情をしていた。
「別れ話、ではないのか」
「……ぇ、なんで」
零児の声が少し震えているような気がして、私はばっと彼の顔を見つめ直す。
少し赤らんだ耳と、揺れる紫の目。決して他人にわかるような表情にはなっていないのだけれど、絞り出すような声音が相まって、不安そうにすら思えてしまう。
「最近、話せていなかったからな。……違うなら、いい」
私のなんで、を「別れ話ではない」と受け取ったのか、少しだけ息を吐き出して顔を背けられた。
事実別れ話ではなかったからいいのだけれど、零児?
回り込んで彼の顔を見ようとする。また背けられた。
なんでさ、と何度か回り込んでもやはり背けられて、ようやく見れた、と思えば彼は口に手を当てて表情を隠してしまう。なんなのさ。
「ちょっと、零児……なんなの、分かんないよ言わないと」
「あまり、見てくれるな。……口元が締まらない。惚れた弱みだ、わかってくれ」
……もしかして別れ話じゃないと知って、安心してにやけてんのか。そんな風に小さく聞けば、やはり小さく頷かれた。
「零児、公共の電波に流れてるけどいいの、その顔」
「よくない、よくはないが、……残念ながら、もう遅い。顔も、名前から抜け出すのも」
「……そういう殺し文句、ずるいと思うの」
残念ながらべた惚れ
(別れ話を聞きたくなくて、負けないように努めたなど)
(……死んでも言えないな)
Title...確かに恋だった
2018.01.12 執筆