この恋、きみ色
私が所属している美術部は、それなりの人数が所属していて廃部の危機とは遠いところにある。
……と言うと平穏無事平和そのもの、に聞こえるけれど。その実態はほとんど部活として機能していない、と言っても過言ではないと思う。
部員の半数はいわゆる幽霊部員だし、ちゃんと来ている人だって私みたいに活動を行ってる人はそんなにいない。コンテストのようなものに部活単位で参加することは無いし、顧問の先生もまともに指導してくれることはほとんどない。……先生が忙しいのは知ってるから文句を言うつもりはないけれど、うん。
そういうわけで、廃部寸前なんてことではないけれど、この美術部は活気がある、とは言い難い状況だった。
顧問に何かを教えて貰えるわけでも、先輩が見てくれる訳でもないこの場所で絵を描き続けて、自分の中でちゃんと身に付くのかと聞かれると首をかしげてしまう。今のこの部はそういう状況にある。
それでも、私がずっとこの部活で絵を描き続けている理由は、たったひとつだけ。
(……綺麗な色)
この部屋から見える夕焼けが、私はたまらなく好きだった。
夕日を遮るものが少なくて、真っ赤に染まっていく空がよく見える。下に視線を移せば、授業から解放されて清々しい顔をした生徒や友達と楽しそうに歩く生徒が目に映る。たまに誰かと喧嘩したのか、落ち込んだ様子の生徒も。
夕焼けなんて見られる場所は確かにどこでもあるのだろう。だけれど何故か、私にとってこの部屋の夕焼けは普通よりも綺麗に見えるから、私はこの美術部でその夕焼け空を描き続けている。
……たったこれだけの理由で続けているのは、おかしいだろうか。そう悩んだ日があったにはあったけれど、悩んでる時間筆を動かした方が有意義だった。
(……あ、榊くんと柊さん)
窓の外を見ていると、同じクラスの榊くんと柊さんが目に入る。幼馴染らしい二人はいつも仲良しで、よくこの道を通っているのを目にする。そういうこともあって、彼らのことはよく覚えている。
接点が同じクラスってだけだから、お話したことはあんまりないけれど、それでも二人のことは好ましく思うくらいにいい人だった。私みたいな引っ込み思案にも明るく話を振ってくれる、陽だまりのような二人。
(……わ、わ)
榊くんがこちらに視線をよこして、目が合った。ずっと見てたことがバレたのかな、と不安に思う私を他所に、榊くんは笑顔で手を振ってくれる。
なんだか気恥ずかしくなって目を逸らしかけたけれど、手を振ってくれた榊くんにそれはどうなんだろ、と思いとどまって、控えめに右手を上げてみる。ひら、と手を振り返したら、榊くんはもっと笑顔になって大きく手を振ってくれた。
横にいた柊さんが不思議そうに榊くんを見て、その視線をなぞって、私の姿を認識する。柊さんもぱっと明るい笑顔を私に見せてくれた。
……本当に、陽だまりみたいな人。
†
「名字ー、帰らないの?」
「ん……もう少し、片付けしてから……」
「そう? じゃあ戸締り頼むね」
「はあい」
部員から声をかけられて、もう帰る時間か、と我に返った。日はだいぶ落ちて、空は橙と紫のグラデーションに染まっている。
……ちゃんと見ていたはずなのに、気づいていなかったのか。
部室に満ちていたざわめきは、あっという間に廊下へと飲み込まれて消えていった。残されたのは静寂と、私だけ。好き勝手に使われていた部屋は、その面影を携えて黙り込んでいる。
あちこちに散らばった椅子、乱雑に出しっぱなしにされた用具、片隅だけ落書きに使われた画用紙……。この部室は遊ぶためにあるんじゃないけどなぁ、と小さなため息が漏れてしまう。いいんだけどね、それも承知で入ったわけだから。
……片付けよう。
いつもこの荒れた部屋を掃除するのは私がやっていることだ。やれ、と命じられたわけでもなく、ただ私がいつも最後まで残るからそうしているだけのこと。だから不満を持つのはお門違いなことでは、あるんだけど。
「……もう少しだけ綺麗に使って欲しいなあ」
そんな私の独り言は虚空に消える。こんなの、誰にだって聞かせられないから、それでいい。
……自分でやることだから、不満を持つのはお門違いで。だからこんな私のもやもやも、きっと理不尽なものなのだろう。だから、聞かれるわけにはいかない。
こんなことを愚痴っている暇があったら、早く片付けてしまおう。使っていた色鉛筆を片付けて蓋を閉めた。……赤色、随分小さくなってるな。買い足さないと。
そんなことを思いながら顔を上げると、私の絵を覗き込んでる人影がひとつ。……え?
「これ、名字が書いたの?」
「……えっ!?」
その顔を認識して数秒、そこにいるのが誰なのか気づいて思わず椅子を引いてしまった。え、なんで君がこんな所に。
がっ、と背中が壁に着く。私の行動に驚いたらしい彼は目を丸くしていた。……うぅ、情けない。
「えーっと……ごめん、驚かせた……よな?」
「う、うん……こっちこそごめんね、榊くん」
私の絵を覗いていたのは榊くんだった。私が描いた夕日を移したような赤い色を携えた瞳は、間違いなく彼のものだ。見間違えるはずがない。
でも、どうして。さっき榊くんは、柊さんと一緒に帰ってたんじゃなかったっけ。あれは昨日の事だったのかな、と思い出してみても、どう考えても今日のことだ。……だったら、なんでこんなところに。
私が目をぱちくりとさせていることに気づいたらしい榊くんが、私の声にならない疑問に答える。
「忘れ物してさ。今日、塾が休みだから、取りに来ようって思って……そうしたら、この部屋の電気まだついてたから、もしかしたら名字がいるんじゃないかって思って」
「それで、来てくれたの?」
「あぁ。……そしたら、こんな綺麗な絵があって、思わず」
驚かせるつもりはなかったんだ、と付け足してから榊くんはぺこぺこと頭を下げた。
うん、分かってる。榊くんはお茶目というか、わざとお調子者らしく振舞っていることはあるけれど、人が嫌がったりすることを積極的に行う人ではないことを私は知っているから。デュエル中の彼はエンターテイナーとしてそういう振る舞いは行わざるを得ないこともあるみたいだけれど、今ここにいる彼はエンターテイナー榊 遊矢ではなくて、私のクラスメイトの榊くんだから。
……でも、えっと、綺麗って言った?
「綺麗、って、この絵?」
「うん。帰り道に夕焼けを見たりするのはよくあるけど、俺には夕焼けはこう見えてないから……名字の見てる世界って、こんな感じなんだな」
「ま、まだ途中で……赤色なくなっちゃったから、続きかけるのは、週明けかも」
「え、これだけ凄いのにまだ途中なのか?」
こくこく、と頷けば、凄いな、と返されて、そのまままた榊くんは私の絵を見つめた。……褒められてる、んだよね。悪い気はしないけど、なんだかこんなに真剣に見てもらえるのは初めてだから、少し気恥ずかしい。
そんなことを思っていると、そういえば、と榊くんが顔を上げた。今度はなんだろう、彼に視線を向ければ、彼はこの部室を見渡していた。
「一人、なのか?」
「みんなもう帰ったから……」
「こ、これだけ散らかってるのに?」
「うん……」
……やっぱり散らかってるよね。私以外の人が片付けしてるところを見たことないから、実は私が思うよりも散らかっていないのかと思ったけど、そんなことはないらしい。
私が散らかしたのではないけれど、やっぱり部室を使わせてもらってるのは私もだから。榊くんが来たから中断してしまったけれど、そうだ。片付けをしようとしてたんだ。椅子から立ち上がって──。
「名字、この画材ここでいい?」
「あ、うん、そこで……って、待って榊くん、なんで!?」
私が片付け始めるよりも先に榊くんが散らばった画材をまとめてくれていた。なんで、という言葉が自然に出てきたけれど、多分これは間違いのない感情だよね?
だって彼は、たまたまここに来てくれただけのクラスメイトで。部員でもなくて、この部室を恒常的に使う人でもない。そんな彼に片付けを手伝わせる訳には、と慌ててしまう。
そんな私の思いを知ってか知らずか、榊くんはさも当たり前かのように発言する。
「だって、俺がやらなかったら名字は一人でやるんだろ? 見過ごせないよ」
「で、でも……」
「ほら、いいって。な? 早く終わらせて、帰ろう?」
それに名字と帰りたいしさ、と太陽みたいな笑顔を向けられて、思わず私は顔を逸らした。
……逸らす必要なんてなかったはずなのに、逸らして、しまったから。頬が熱を持っていることに、気づいてしまった。
「名字?」
「な、なんでも、ないの……!」
今の私の顔、夕焼けよりも、榊くんの目の色よりも、赤くなってそうで。
外はもう夜の帳が落ち始めている。顔の熱は夕焼けのせいに出来ないから、恋に落ちたことを認めるしかなかった。
この恋、きみ色
(夕焼けの赤を、もっと好きになってしまった、きがする)
Title...確かに恋だった
2019.07.17