闇にひびくしずかな歌声
「ただいまぁ」
「おかえり」
間延びした声で帰宅を告げる。返ってきたのは遊星の低い声だけだった。ジャックはちらりとこちらを見ただけで、返答を寄越しはしない。
ブルーノの姿はここにない。彼は最近徹夜していたらしいし、当然と言えば当然か。
そしてもう一つ。あるはずの姿が見えなくて、クロウはキョロキョロと辺りを見渡す。やがてそこにあの姿がないとわかって、小さくため息をついた。
(……いねーよなぁ)
やはりあの夜と同じように名前の姿はない。毎晩毎晩この様子なのでさすがに諦めがついてきたが、心配なものは心配なのだ。
おそらく、またガレージの裏で舞を踊っているのだろう。そう遠くない場所とはいえ、見えない場所にいるとなると不安になってしまう。
結局、あの夜は名前に声をかけることはなく終わってしまった。声をかけてしまっては何かが崩れる気がしたからだ。
前の主人に想いを馳せている少女──精霊である彼女を少女と定義していいのかはまた別問題だ──であり、涙を流していた彼女に声をかけようなんて思えなかった。きっと彼女はそれを望まない。
はぁ、ともう一つため息。それに気づいたように遊星が顔を上げて、クロウを見つめた。
「探しに行かなくていいのか?」
「ん? あぁー……まぁ大丈夫だろ」
精霊だし。
付け足してから虚しくなってしまった。
クロウがあの夜に感じた違和感。抱えてしまった感情。それに気づくのに時間はかからなかった。
恋である。
精霊の名前に、だ。
クロウ自身可笑しく思ったし何度もその考えを振り払おうとしたものの、抱いてしまった想いを消すことはできない。
むしろ、振り払おうとすればするほど苦しくなる。恋がそういうものだということを、クロウはこの時初めて知った。
それに、おそらくその恋は叶わないだろう。少なくとも、彼女の心に前の主人がすんでいる間は。
そんなことは、控えめに言っても頭があまり良くないクロウにだって手に取るように分かった。分かったからこそ苦しい、というものではあるが。
「ふん、女々しい奴だ」
「……うっせぇよ」
お前はモテるからいいだろうけど、と心で悪態をついた。届くはずはないが、事実だ。虚しい。
女々しいなんて言われる謂れはないはずだ。と、苦い顔をした。そんな視線を投げかけてみてもジャックは涼しい顔のまま。
……おそらく、クロウの感情はジャックには筒抜けだったのだろう。だからこその余裕な態度だったのだろうが、残念ながらクロウはそれに気づかない。
(……しっかし、まぁ)
これからはもっと冷え込むだろう。風邪なんてひかれてしまうのは少し困る。精霊が風邪を引くかどうかは置いておくにしても、寒い中名前を放置しておくわけにもいかない、と考えが頭をかすめた。
自分たちはWRGPの出場前だし、名前の苦しむ姿なんてものも見たくない。
仕方ない、いやでも別にこれは疚しい意味じゃなく。と、誰にいっているかも分からない言い訳を心の中で呟きながらクロウは立ち上がる。
上着を漁って、遊星、ついでにジャックに一言。彼らと目線を合わせることはない。
「風邪引かれたら困るし、渡してくる」
「あぁ」
冷えきっているであろう名前の体。普段彼女が纏ってるローブだけではきっと寒いだろう。
そう思って分厚目のコートを手に引っ掛けて、クロウはガレージを飛び出した。
†
やはり予想通り外は寒い。仕事中は着込んでいるし、集中しているからか寒さはあまり感じなかったが、確実にあの夜よりも寒くなっている。
しかしあの夜とは違い、聞こえてくる歌がひとつ。その声の主を聞き間違えるはずがどこにあろうか。
「名前……」
暗闇の中静かに聞こえるメロディはひどく悲しげで、それでいてひどく美しかった。誰が言ったかは知らないが、鬱くしい、なんて言葉が似合うのかもしれない。
歌を辿る。何の言語かも分からない言葉で紡がれる旋律は、手向けのようでもあった。
辿り辿り、声の主にたどり着く。そこにいたのはやはり名前で、妖月女王の名に相応しい姿をしていた。その瞳は、月へ向けられていて。
そうしてクロウは察した。この歌は、主人に捧げる鎮魂歌なのだろう、と。
「……」
姿は、確かにあった。だがそこに浮かぶ表情は、クロウが今まで見たこともないような顔。
憂いとでもいうのか、それとも想いとでもいうものなのか。クロウはその表情を形容する言葉を持っていなかった。
居た堪れなくなって、クロウは踵を返した。その瞳を見るのが、ひどく辛かった。
突然、歌が止まる。
「クロウさん、いるの?」
「……隠れるのには自信があったんだけどなぁ」
苦笑いを浮かべながら、クロウは顔を名前の方へと向けた。
最近は義賊活動をしてないから隠れることが下手になったのか、それとも名前の察知能力が高いのか、それともあるいはその両方か。
どれにせよ名前はクロウにきづいてしまったのだ。もはや隠れる必要もない。
「いつからいたの?」
「今さっき来たばっかだ。これ、上着だから着とけ」
コートを差し出してみれば名前はありがと、と紡ぎながらその上着に顔を埋めた。心底幸せそうな表情は見ているだけでこちらも幸せになりそうである。
ただ、なぜそんな顔をするのか、クロウには理解できなかった。
しばし無言。どちらが声を発するのだろうか、とそんなくだらないことを考えていた。
「……今日」
ぽつり、と溢れるように流れ出た言葉。それは間違いなく名前から紡がれたものだ。
ハッとしたように名前に目線を移す。そこにいた彼女は儚く笑みながら続けた。
「マスターの、命日なの。3周忌、かなぁ」
「……」
あぁ、だから鎮魂歌のようだったのかと妙に納得する。
鎮魂歌(レクイエム)──死者の魂を鎮め慰める曲だ、といつかアキに聞いた。
それが事実であるとすれば、名前はきっと主人に捧げるためのものだったのだろうか?
──違う。
「……死ぬんじゃねーぞ?」
「え?」
名前が驚いたように双眸をクロウへと向ける。三日月の光を宿した瞳は、小さく揺れた。
クロウはその瞳を見つめ、やっぱりなぁ、と零した。ああ、気づきたくなかった。否、気付けて良かったのかも知れないけれど。
「このクロウ様が、お前を幸せにしてやるよ。だから、マスター追いかけて死のうなんてバカなこと考えんじゃねえ」
「嘘、クロウさん、なんで知って」
知ってるわけじゃなかった。ただ、そう思えただけだった。
先ほどの鎮魂歌は、確かに主人に向けられたものだろう。だが同時に、彼女自身にも向けられていたのだ。
彼女は、主人の元に行くことを──そして逝くことを心の底から願っていた。自ら命を絶とうと思うほどに。
──そんなのって、ないだろう。せっかく知り合えたのに、こんなところで終わるなんて。
それだけが理由ではないが、その思いがクロウの胸中を支配して。思わずクロウは、半ば叫ぶように。
「んなことはどーでもいいだろ、前の主人とか、そんなんじゃなくてよ、今の名前を、……俺が幸せにしてやるから!!」
「クロウ、さん」
少しだけ泣きそうになりながら、彼女は笑う。今までで、一番きれいな笑顔だった。
あれ、告白してしまったんじゃないのか。気づいた時には既に遅し。少し赤らんだ顔をして、名前はクロウの上着を握りしめる。そのままクロウの側へと。
彼女のカラスの様な真っ黒な羽が、はためいた。
「ありがと、……今は、マスターよりも、貴方を……」
闇にひびくしずかな歌声
……この先このクロウ・ホーガンと妖月女王-名前がどうなったのかは、おそらく俺しか知らないだろう。
本当は全てを語りたいんだけどな、生憎もうすぐ時間だ。どうやら子供が俺のことを呼んでるらしくてな。
ここまで呼んでくれてありがとうよ。
最後に、……天国の"マスター"へ。
俺を彼女と俺達の子供に会わせてくれて、ありがとう。……なんてな。
title…王さまとヤクザのワルツ
2015.04.17 加筆修正