僕は「私」と涙する

「────ッ!!」


 声にならない声をあげながら、『私』は持てる力の全てを使って壁を殴った。一回じゃ飽きたらず、何回も何回も、何回も。
 白いライダーグローブが赤く濡れ、拳が熱を持つ。そんなこともお構いなしに、『私』は壁を殴ることをやめない。

 やめて、だなんて、僕は言えない。だってわかってしまうんだ。『私』が何故ここまでしているか──。
 痛い、痛い。確かに壁を殴る手は痛いけれど、それ以上に痛いのは、『私』の心だった。







 ふつりと、意識が途絶える。次に起きたのは見慣れたはずの、だけど重苦しい雰囲気の食卓だった。そこに本来ならあるはずの名前の姿は、ない。わかっていたことだけれど、心の奥が焼けるように痛んだ。


「……」


 誰ひとりとして喋らなくて、ただ僕らがご飯を咀嚼する音と食器同士がぶつかる音だけが響く。
 『私』が叫んだからか喉がいたくて、うまく飲み込めない。


「……ぐ、」


 思わず声が漏れてしまった。それに気づいたのか、遊星がちらと僕を見る。
 すぐに驚いたような表情になって、僕をまっすぐと見据えた。


「大丈夫かブルーノ……!?」
「え、」
「ブルーノおま、何泣いて!?」


 立ち上がった遊星とクロウに言われて、初めて気づく。慌てて手でゴシゴシと目元を拭えば、手の甲に雫が。ああ、僕、泣いていたのか。


 名前が、やられた。それは『私』が遊星と一緒に、プラシドと戦っていた時のこと。
 チーム5D'sクルーの名前は、Dホイールに乗れない。だから、ゴーストが大量発生したときに、名前は会場で留守を任されていた。

 失態だった。

 そうだ、D-ホイールに乗れなくても、名前はチーム5D'sの一員で、デュエリスト。
 一人でいれば、狙われることは明白なのに。僕が、『私』がもっと早くに気づいていれば、狙われることはなかったのに──。


「……あはは、ごめんね」
「ブルーノ……」


 泣き止もうとしても出来ないのは、きっと心の中で『私』が泣いているから。力を持つ『私』は、きっと僕よりも悔やんでいる。
 どうしようもなくて、僕は思わず立ち上がる。


「お、おい?」
「……出掛けてくるね」


 三人に顔を見られないように、僕は駆け出した。手の包帯赤くなってるぞ、なんてジャックの呟きを背に受けながら。







 僕に代わって、『私』が走ってきたのは、病院で。面会謝絶じゃないことに僕は安堵しているけど、『私』はそんなこと微塵も思ってなくて。あのとき、矢面に立ってたのは僕じゃなくて『私』だったから。
 がらりと扉を開けて部屋の中を見る。ベッドに横たわる名前は青白くて、でも、綺麗だった。


「……名前」
「……」


 『私』が声をかければ、名前は小さく呻いて瞳を開けた。焦点の合わない目に僕は、否、『私』は写っているのだろうか。


「あん、ちのみー……?」
「無理をしなくていい」


 体を無理矢理に起こそうとする名前を『私』は諭して、小さく笑った。不服そうに口元を結ぶ名前に、『私』は苦虫を噛み潰したような顔。


「……すまない」
「え……?」
「君は私を、仲間だと言ってくれた。……だが、私は、仲間である君を、守れなかった」


 不要な犠牲。多分、名前の今の状況にはこの言葉が相応しいんだと思う。
 チーム5D'sにいる誰かが──否、僕が、『私』が気づければよかったんだと、頭をめぐるのはそればかりで。

 つう、と、『私』の頬が濡れる。それに気づいたらしい名前は無言で手を伸ばした。
 震える腕で、ゆっくりと。


「名前……?」
「ふ、ふ……それは、私も……同じ、だから……」
「……どういう……」


 震える手が、『私』の涙をぬぐった。ああ、ズルいなぁ。僕、そんなことしてもらったことなんて、ないのにさ。


「私が……Dホイールに乗れたら、遊星や…アンチノミーに……迷惑、かけなかっ……」
「君が気にやむ必要は何処にも……っ!」
「泣いてる、あなたが……何を、言ってるの」


 今までみせたことのない、綺麗な笑顔で名前は言う。その笑顔は、『私』だからみせた笑顔? 僕に見せることは、ないの?
 場違いな思考が僕を埋め尽くす。なんて自己中心的な考えなんだろう。だけど素直に悔しくて。


「……Dホイールに、乗れたら……みんなと一緒に……戦える?」
「そんな、君は……っ」
「仲間を……アンチノミーを、……ブルーノを……まもれる、かな……?」


 ──え? なんで、僕の名前を、今ここで。
 不思議に思ったのは『私』も同じらしくて、表情は驚愕に染まっていく。そんな、まさか、まさか──?


「君、もしかして気づいて──」
「……えへへ、正解、だぁ……」


 力なく笑う姿は見ていて痛々しい、けど。僕にはそれどころじゃなくて。
 バレてた? いつから、いつから? まさか、最初から? でも、そんなことって。


「やっぱり、ブルーノ……だったん、だね……」
「……っ、どうして」
「ずっ……と、見てたんだもん……わかる、よ……」


 ひんやりとした、いつもより血の気が少ない名前の手が、『私』の涙の跡をなぞる。

 ──『僕』は、名前の手を取って、額に当てた。私から見たそれは、何処か誓いのようにすら見えるもので。


「……騙してて、ごめん」
「……ぶるー、の?」
「守れなくて、ごめん」
「……うん」
「次は絶対に、守るから」


 『僕』から紡がれたのは、紛れもない誓いで。……ふふ。私には、到底真似できないな。


「信じてる、よ。……ブルーノ、アンチノミー」


 私と『僕』の名前を呼ばれて。ああ、勿論だよ、なんて呟いてみたら、『僕』はただ、うん、とだけ答えた。静かに流れる涙をそのままに。


「……愛して、る」


 その言葉は、果たしてどちらに? 答えは多分、『どちらにも』。『僕』は静かに、頷いた。



僕は「私」と涙する
(「僕」は約束を果たせないことも知らず)(「私」は幸せを願った)




title…Cock Ro:bin
2015.06.12 加筆修正
僕らが生きた世界。