大阪に戻るために、私たちは駅へやってきた。
代表して白石部長が全員分の切符を買うことになったのだが、窓口に並ぶ前に私の前に手を差し出す。なんのことか分からずに、私は首をかしげる。

「紗江。金貸して」
「は?」
「帰りの新幹線の分。貸してや。俺らの持ち金やったら全然足らんねん」

さも当然のように、お金が出てくると信じて部長はそう言ったに違いない。けれども、私はその期待に応えることができないのだった。なぜなら、

「持ってませんよ?」
「は? なんでや!」
「……何でって言われても……」

そもそも私は戻るつもりはなかったのだから、片道分のお金しか持ってきていなかった。今私の手元に残っているのは、ペットボトルのお茶と菓子パンを買うのがやっとのお金くらいだった。
財布を取り出し「ほら」と見せると、部長は目を見開いた。

「……どないすんねん……」

絞り出すような声で部長が言った。その顔は気の毒なくらいに青ざめている。さあ、と血の気の引く音まで聞こえそうだった。

「……すみませんでした……」
「や、ええねん。こっちが勝手に思いこんでただけや」
「あの、他の手段はどうですか。高速バスを使うとか……」
「バスは出るのが新宿からやねん。この人数で移動したらバス代もなくなるわ」

私はここでやっと、自分のしでかした事の重大さを認識した。
財前は今月のおこづかいがなくなったと言っていた。それは他の皆も同じだろう。けれど、家に戻ればいくらか貯金がある。お金は返せばいいだけだ。けれど、それ以上に大切な練習時間を奪ってしまった。時間だけはどう努力しても元には戻せない。練習ができなかったばかりに結果が残せず、最悪の場合推薦取り消しなんてこともあり得るかもしれない。それはまずい。

一刻も早く、みんなだけは返さなければ。
私は思いついた一つの提案をする。

「私っ、家に行ってきます!」
「何しに?」
「父にお金借りてきます!」

急いでそれだけ言って、走り出そうとする私を部長が止めた。

「でもおらんかったやん。ずっと待っとる気か?」
「じゃあ職場に行きます。場所も知ってるし」
「いや、あかんやろ! もう暗いし、それに……」

そこで部長が言い淀む。そして気まずそうに目を逸らした。本当は私も気付いていた。会ってくれるわけがないこと。ましてやお金なんて貸してもらえない。けれど他に方法が見つからない。
焦っていると、頭上から能天気な声が降って来る。

「あれ? 白石に似た人がおるばい。何ばしよると?」

顔を上げるとそこにいたのは、

「あっ! エリカ!」
「うん?」

失礼ながらも指をさす。エリカは自分のことだと思っていないようで、後ろを振り返った。

「いやいや、あんたよ! エリカ!」
「ん?」

エリカは今度は自分を指差す。私はうんうんと何度も首を縦に振る。

「いつからエリカになったんや千歳」
「知らん」
「いや、上履きに名前書いてあったでしょ。エリカって」
「また他人の上履き履いて、てか、ようあったな! しかも女ものやろ!」

どうやらこの人は他人の上履きを勝手に履いて回る常習犯らしい。そしてエリカはこの人の名前ではないらしい。それもそうだ。キラキラネームにもほどがある。

「てか何してんこんなとこで……て、ああっ!」

白石部長が声を上げ、気付いたようにエリカに詰め寄る。

「千歳金貸して」
「金? どがしこ?」
「俺らが大阪戻れるくらい」

エリカは私を見て、それから少し離れたところにいる部員を見た。そして、

「無理」

と、バッサリ吐き捨てた。

「俺の分しかなか」
「はー……協調性ないな〜」

白石部長はがっくりと肩をおとした。
こういうのは協調性というのだろうか。
とにかくまた私たちは振り出しに戻ってしまった。そろそろ最終の新幹線が出てしまうというのに。どうしようと考えていると、いつの間にか忍足先輩が後ろに立っていた。

「なんか様子がおかしい思ったら、金ないんか」
「謙也か。悪いな。みんな待っとるやろ」

申し訳なさそうに白石部長が言う。すると忍足先輩は勝ち誇ったように宣言する。

「俺がいて良かったな。ユーシに借りてくるわ」

その言葉を聞いた白石部長は、無言で忍足先輩に抱きついた。



「……うん。ごめんね、心配かけました」

安心したのか、電話の向こうの母の声は震えていた。それにつられて泣いてしまいそうで、他人行儀な話し方になる。電話を切ると、乗り場で待っている集団に加わった。

「これでまっすぐ帰れるん?」
「大垣で乗り換えなあかんな。そのあと米原でも乗り換えて……あ、新快速乗ったら早いわ」
「何時間かかんねん……あかん、気ぃ失いそうやわ……」
「ほんなら気絶しといたほうがええんちゃいます? 静かになるし」
「財前お前なぁ……!」

そのまま食ってかかりそうになる忍足先輩を、白石部長が「まあまあ」となだめる。線路に落ちてしまうのではないかと、はらはらしながらその様子を見ていると、忍足先輩がこちらに気づいた。

「お、紗江。電話終わったか?」
「はい。電源入れたらものすごい着信残ってました」
「そらそうやろ! 大事な嫁入り前の娘がいなくなったんやから」

深い意味はないだろうに、「大事な」という言葉にふと恥ずかしさを覚える。多分、そういう恥ずかしい言葉もさらりと言えてしまうのがこの先輩のいいところなのだろう。

忍足先輩だけじゃあない。みんな「いいところ」がある。誰のどんなところがいいところなのかはまだ分からない。多分これから見つけていけるはずだ。

ようやく来た電車は、来たときの新幹線に比べると随分とレトロなものだった。けれど、大所帯で乗ると遠足みたいでわくわくするし、乗り心地は悪くなかった。発車すると「ようやく帰れる」とホッと胸をなでおろす。

長い一日だった。ムカつくだとか悲しいだとかつらいだとか嬉しいだとか楽しみだとか、様々な感情が私の中に現れた。これからもたくさん現れるだろうし、もしかしたらもっと複雑でこじれることもあるだろうけど、きっと乗り越えていける。

「……私、帰ったら入部届け書きます」

電車の揺れが心地良い。このまま目を閉じたら眠ってしまいそうだ。独り言に近いそれを、部長が拾ってくれた。

「なんや。まだ書いてなかったんか」
「はい。あのときは入るつもりなかったから」
「ようやっとその気なったんやな」
「……私、ずっと、羨ましかったんです。でも、素直にそう言えなくて、意地はって、仲間に入れてもらえるのを待ってただけ」

不思議と素直な気持ちでいられた。部長がとなりで小さく笑うのが分かる。馬鹿にするような笑い方ではなくて、優しく見守るような感じの。一つしか違わないのに、こういう所で先輩なんだなと感じる。

「あー……、眠いなぁ……。ほんとは、もっと……たくさん話したいことがあるのに……」

たくさん話をして、もっと私のことを知ってほしい。もっとみんなのことを知りたい。そう思っていたのに。いろいろあったせいか今の私はとても疲れていて、安心した途端に眠気がどっと押し寄せる。

「ええよ。帰ったら、なんぼでも話聞いたる」

部長の声はかすれている。多分この人も眠いんだ。乗り過ごしたらどうしようと一瞬考えたけど、それもいいかなと思う。いろんなことがどうでもよくなるくらい眠い。
次第に電車のガタゴト音も聞こえなくなり、夜と朝の間で、眠りの世界へ落ちていった。

2016.07.16. end.


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