ネオン街に消えたあの子
※死ネタ注意
※ドラエマ表現注意
「万次郎!」
オレの事をそう呼ぶヤツはそう多くない。じいちゃんと、シンイチローと、誰よりも大切なアイツだけ。
「万次郎!おい、起きろって!」
「……珠綺?」
ソファでウトウトしていたらいつの間にか本格的に寝ちまっていたらしい。うーん、ガキの頃から起きてすぐに何かをするのは苦手だ。中学の頃の記憶を辿ると珠綺やケンチン、エマにどやされていた覚えしかねぇ。
「風邪引くからソファで寝るなっていつも言ってるだろ?」
「んー……ゴメン…」
声色からして珠綺はきっと呆れてんだろうな。返事をしながらどうにか目を開けようと試みるが、オレの意志とは反対に目蓋は重く下瞼に張り付いたまま取れそうに無い。
「ハァ…新婦の兄貴がそんなんで良いのかよ?」
「……新婦…誰が……?」
「オイオイ…誰って、今日はエマとドラケンの結婚式だろ?」
エマと…ケンチンの……?そういえば、数ヶ月前にそんな報告を受けた気がする。エマもケンチンもずっと両想いだったのに中々進展しねーんだもん。そっか、ようやく結婚すんのか、オレらみたいに。
「………ん?オレら、みたい……?」
「いくら式が夕方からだからってゆっくりしすぎだろ……昼前には出ねぇと間に合わないんだからな?やべぇ、顔合わせ何時からだったっけ…」
「顔…合わせ……?」
パタパタと足音が遠ざかっていく。顔合わせって、新郎新婦の親族が対面するアレだろ?ケンチンは両親がいねーから、きっと育ての親の正道サンが代わりに来るんだろうな。ウチはじいちゃんとオレ、それからー……。
「………珠綺…?」
ようやく薄らと目が開いた。カーテンの隙間から差し込む光が眩しくて目が霞む。白くぼやけた光の中に、愛しい彼女の後ろ姿が見えた。珠綺が化粧して、髪を編み込んで、カラフルなドレスを着るなんて中学の時は想像もしなかったもんだ。
「ヒールで歩くの辛いし……タクシー予約しちまうか」
そう言って、珠綺はテーブルに置かれたスマホを手に取った。その時、彼女の左手の薬指でキラリと光る物がある事に気付く。
「……え?」
「スーツはそこに出してあるから着替えとけよ?私、持ってく物まとめとくから」
「ちょ、珠綺!待て……ッ!」
部屋の奥に消えていく珠綺。慌てて身体を起こして手を伸ばすが、珠綺には届かない。
「待てねぇ!今日は遅刻するワケにはいかねーだろ」
「そうじゃなくて……珠綺、頼むからこっち向いてくれ!」
オレ、珠綺と結婚したんだよな?だったら何で、オレの記憶の中の珠綺は14歳のままなんだ?どうして、27歳の珠綺の顔が出てこない?珠綺だけじゃねぇ。ケンチンも、エマも……頭に浮かぶのは中学の頃の顔ばかり。
「万次郎……もう、起きる時間だ」
耳元でポタッ、ポタッと水滴が垂れる音がした。一瞬雨漏れでもしたのかと疑ったが、滴が頬を伝って皮のソファに落ちていく感覚にいつもの事≠セと悟る。バカ珠綺。夢の中でくらい触れさせてくれよ。オレに向かって笑ってくれよ。……でも、珠綺はああ見えて道理の通らない事は大嫌いだから、今のオレを見たら笑いかけるどころか怒鳴り散らしてくるかもな。
ゆっくり目を開けると、温かい陽の光も珠綺の姿もどこにも無い。代わりと言わんばかりに、窓の外にはチカチカとした街のネオンが広がっていた。
2021.09.07