3段飛ばしで駆ける階段

※最終回軸



「げっ……」



 その姿を目にした瞬間、場地はあからさまに怪訝な顔をした。
 大学の授業終わり、場地が待ち合わせ場所として選んだのは大学近くの某コーヒーショップだった。授業が終わって直ぐに立ち寄れるし、コーヒー1杯で2時間くらい粘れるのは学生の彼にとっては願ったり叶ったり。それを口にすると、彼女は「ウチでやればいいじゃん」と言って笑ったが、いくら昔馴染みとはいえ、彼氏持ちの女と家で2人っきりになるのは流石に抵抗がある。しかも、その彼氏というのが、それこそ自分の良く知るワガママな幼馴染であれば尚の事。



「課題を手伝って欲しい」



 数日前、なんの前触れもなく開口一番にそう言った場地に、珠綺は「この歳になってもお前の課題見る事になるとはな」なんて少しの皮肉を吐いて、「なんか奢れよ?」と快く(?)了承をしてくれた。昔から変わんねぇな、と場地の口元が少し緩む。中学3年の夏、宿題が終わらないと家に呼び出した彼女にハーゲンダッツを3つも奢らされたのは今となっては良い思い出だ。……うーん、良い思い出、か?



「何腰に引っつけてきてんだよ」

「悪い、引き剥がせなかった」



 彼女の腰元に引っ付いた黒がもぞり、と動く。そうしてゆっくりと、これまた真っ黒な瞳を場地に向けて、恨みがましそうに口を開いた。



「せっかくの休みなのに、場地が珠綺呼び出すのが悪い」



 じろり。マイキーの眉間に皺が寄る。



「コレ終わったら映画行くんだからいーじゃんか」

「よくねぇ!」

「ンな事言っても、別に何する約束してたワケじゃねーだろ?」

「オレは珠綺と一緒が良かったの!」



 これが期待のオートレーサーの姿かよ…。コイツも昔と何も変わってない……いや、むしろ酷くなってないか?呆れ顔のまま言葉を発さない場地の心中を悟ったのか、珠綺は「大人しくさせとくから」と苦笑いした。



「教える……とは言っても、大学の授業なんて覚えているかかなり危ういぞ?」

「一応教科書と参考書は持ってきた」

「ん。ちょっと見せて」



 そう言って左手を差し出した珠綺に、ちょっとだけ違和感を覚える。でもその違和感の正体に気づく前に、珠綺の手は参考書を受け取るなり引っ込んでしまった。



「で?分かんねぇのはどの辺?」

「あー…こっから、この辺」

「ふぅん………分かった。ちょっと読み込むから待ってて」



 珠綺は手首からヘアゴムを外して、その長い黒髪をギュッと1つに縛りあげた。ぺら、ぺら。参考書のページを捲るその姿に、そういや珠綺は昔から読書が好きだったな、とかどうでもいい事を思い出す。昔もたまに、みんなでファミレスに集まった時にマイキーの隣りで今日みたいの本の虫になってたっけ。それがすごく懐かしくてじっと珠綺の方を見ていたら、向かいから使用済みのおしぼりが飛んできた。



「何すんだよ!」

「場地、見すぎ」

「何が」

「オレの珠綺なんですけどー」



 マイキーは咥えたストローをピッ、と場地に向けて言う。ガキかよ。思わず口から溢れそうになった言葉を場地はなんとか飲み込んだ。言い返したところで、自分がマイキーに口で勝てる事は無いのだから。いつもなら珠綺加勢してマイキーを窘めてくれるのだが、彼女は現在参考書を捲るのに夢中で此方の声が全く聞こえていない様子。昔から一度本を読み始めると周りが見えなくなるとこがあったが、その癖は今も健在らしい。



「……悪かったな、邪魔して」



 素直に謝罪の言葉を述べた場地に、マイキーは目をキョトンとさせた。



「何だよ、急に」

「……別に。一応謝っただけだわ」



 マイキーが日々忙しそうにしている事は、珠綺や千冬を通して何となく聞いてはいた。休みを取れるのもまちまちで、恋人の珠綺とすれ違う事も少なくないとか。その気は無かったにしても、結局自分はせっかくの2人の休日を邪魔してしまったわけで、場地は込み上げてきた罪悪感に胸をモヤつかせる。マイキーはそんな幼馴染の姿を見て、視線をゆっくりと手元のスマホに移した。



「場地に心配される程、オレらの関係脆くねーから」

「心配してるなんて言ってねーだろ」

「昨日の夜もちゃんとイチャイチャしたし」

「っ!だから、ンな事聞いてねぇって!」



 何が悲しくて幼馴染と友人の性事情をカミングアウトされなければならないのか。ぼっ、と頬が熱くさせた自分が恨めしい。今度は場地が力強くマイキーの方に睨みをきかせると、マイキー溜息混じりに「本当は今度飲む時言おうと思ったんだけどなぁ」なん言いながらしれっと言葉を続ける。



「珠綺さ、今度苗字変わんだよ」

「…………は?」

「だから珠綺の苗字、佐野になんの」



 4月になったらだけど。そう言うマイキーの表情は至極落ち着いていて、場地の頭は益々混乱していく。珠綺の苗字が佐野になる。それは即ち、マイキーと珠綺が結婚するって事だ。2人の付き合いが長いのは知ってるし、マイキーは言わずもがな、珠綺もなんだかんだ言って心底マイキーに惚れ込んでる事も知ってる。いつかはそういう日が来るのだろうとも思ってはいたけど、それがまさか今日聞かされる事になるとは……。そういえば、と視線を珠綺の手元に向けてみると、参考書を持つ彼女の左手の薬指には銀色のリングがキラリと光っている。



「え……は、はぁ!?マジかよ!!」

「マジに決まってんだろ。元々珠綺はオレのなんだし」



 ようやく息を吹き返した場地の叫びに、マイキーは飄々とした態度で言い返す。なんたる唯我独尊っぷり。なんともあっさりとした報告に「早く言えよ」とか「何ですぐ言わねぇんだ」とか言いたい事は山ほどあったけど、場地はとりあえずわしわしと頭をかいて、それから深く長く息を吐いた。



「マイキー」

「ん?」

「おめでと」

「オウ」



 肝心の珠綺は相変わらず参考書に夢中で全く気づく素振りも見せないけど。言いながら肩肘をついて笑うマイキーがこの上なく幸せそうで、場地の口元も釣られて緩くなる。



「しっかし……コイツ、本当にオレらの会話聞こえてねぇんだな」

「ひっでぇよなぁ?家でもさ、1度本読み出すと止まらねーの。無理矢理邪魔したらすっげぇ怒るし」

「ンな面倒な事すんのオマエくらいじゃね?」

「そーかなぁー?………あ、場地!オレ苺ショート食いてぇ!」

「はぁ?勝手に食えばいーだろうが」

「場地、珠綺に奢るって約束したんだろ?珠綺は佐野になるんだし、佐野はオレの苗字。だから珠綺に奢るってのはオレにも奢るって事になるわけだ」

「いやならねーよ」



 何をどう解釈してそうなった?ていうか、いくらタメとはいえ社会人が学生に奢らせるか?場地は目の前で意気揚々と店員を呼びつける男に頭を抱える。



「苺ショート2つと………場地は?なんか頼む?」



 2つ……。それはきっと隣りの彼女の分も含んでるのだろう。気持ち恋人の方に体を倒し、友人は尚も参考書から視線を上げようとしない。



「あー………あと、バニラアイス1つ」



 それと、アイスコーヒーお代わり。注文を終えて店の奥へ引っ込んでいく店員を目で見送り、場地はずず、っと残っていたコーヒーを啜りあげる。



「アイスって、珠綺に?」

「あ?そーだよ」

「珠綺分けてくれっかなぁ?」

「どーだろうな。コイツ、オマエと似て食い意地張ってるし」

「ハハ、違いねぇわ」



 数分後、一通り参考書に目を通し終えて視線を上げた珠綺は、目の前に並んでいる見覚えのないショートケーキとバニラアイスに首を傾げる。そんな彼女に向かって、場地が「おめでと」と祝福の言葉を吐くと、珠綺は最初はポカンとマヌケな顔をしていたけど、次第に場地の言葉の意図を理解してポッと顔を赤らめた。いつもは決して見せないその動揺っぷりがなんとも面白い。ここは一つからかってやろうとも思ったが、流石にそれはやめておく事にした。



「ありがと、な」 



 照れながらもそう言って控えめに笑った彼女は、今まで付き合ってきた中で1番良い顔をしていた。



2023.03.20Twitterにて書き下ろし