サルビアの蜜吸い

「……この寝巻き用のTシャツ、先月買ったばっかだったのに…」



 珠綺の家に泊まった次の日。ソファでいじけるオレを無視して珠綺は洗濯やら掃除やらの家事に追われていた。何でいじけてるかって?起きてから今の今まで、珠綺が全然オレに構ってくんねーから。ちなみに、オレが何もしてねぇと思われるとムカつくから言っとくけど、朝メシ作ったのはオレ。……まぁ、パン焼いただけだけど。ベランダに洗濯物を干していた珠綺は、1枚のTシャツを広げて眉間に皺を寄せている。



「……はぁ、これで今年入って何枚目だよ…」

「んー…ウチにあるのも何枚かエマが捨ててたから…4枚目とか?」

「いやいや、多すぎだろ。何でワンシーズンでこんなに寝巻きを買い替えなきゃなんねーんだよ」



 冷凍庫から拝借したアイスを口に運ぶ。んー!頭痛ぇっ!やっぱ夏はサクレだよな。しゃくしゃく、とアイスをつついていると、珠綺はムッとした顔でオレに向かってくしゃくしゃに丸めたTシャツを投げつけてきた。ってか冷てぇ!濡れたままの投げるんじゃねえし!



「何すんだよ!」

「何すんだよはこっちのセリフだバカ!私のTシャツ何枚も何枚もダメにしやがって!」



 スプーンを口に咥えたまま、さっき珠綺がそうしてたみたいにTシャツを広げてみる。一見すると目立った汚れは見られないが、だからこそ目立つ。ある一点、丁度珠綺の左肩と襟元のトコだけがやけにヨレているのが。



「適当にTシャツ買ってくると気に食わねぇって暴れるし……万次郎、今日買い物付き合ってもらうからな」

「えー、だりぃー…」

「じゃあ今日は一緒に寝ねぇ」

「ぶー!」



 珠綺の寝巻きがすぐダメになる理由。それは簡単、オレが寝る時に咥えてるからだ。珠綺の身体をぎゅうっと抱きしめて、左の肩に顔を埋めて寝ると凄く落ち着く。ついでに、口元にあたる珠綺のTシャツの襟元を咥えると尚良。
 珠綺が一人暮らしを始めてから、オレはほぼ毎日珠綺と同じベッドで寝るようになった。そりゃ最初は少しだけトキメキもしたが、今となっちゃもう一緒に寝るのが当たり前で特に何も思わねぇ。……ウソ。やっぱ今でもちょっとだけドキドキする事はある。けど、それこそ最初はホントに大変だった。珠綺と寝る為に、それまでオレの安眠を守ってくれていたタオルを手放さなきゃならなくなったんだから。



「え、タオル握って寝んの?ダサっ!」

「1人で寝れねぇ珠綺よりマシだろ」

「うるせぇ。ってかいい勝負だろ。……ま、無理に離せとは言わねーよ。これからもそれ握って寝ればいーじゃん。ダセェけど」



 珠綺はそう言うが、それじゃ珠綺に抱きつけねぇ。せっかく一緒に寝るのに、背中合わせで寝るとか意味わかんねぇ。そんな時、珠綺が捨てようとしてた着古しの寝巻きが目に入った。何となく触ってみると、完全に一致までとはいかないがオレのタオルと手触りがよく似ている。そこでオレは閃いたわけだ。珠綺がコレ着て寝たら、オレは安眠出来るのではないかと。



「大体万次郎が気に入るTシャツじゃなきゃ着れねーんだから、お前がいねぇと決めらんねーだろ」



 黙々と洗濯物を干す珠綺。あ、その下着新しいな。オレの見た事ねぇやつ。



「オレとしては着古しの方がいいんだけどなー…」

「ぜってぇ嫌。襟元伸びきったTシャツなんて誰が着るか。そんなに着古しがいいならそれ握って寝ろよ」

「ぜってぇ嫌」



 珠綺はなんとも言えない顔でオレを見ている。前にエマに聞いた事があった。オレがタオルに執着してるのって、世間では何とかの毛布って言うんだってさ。眠たい時は不安な時に安心を求めてずっとそばに置いておきたくなる物の事を指すって。オレの大切なタオルは未だ捨てられずに部屋のソファにかかったまま。でも珠綺が隣で寝てくれるなら、そのうちオレの安眠を守るという役目から解放してやってもいいと思ってる。



「あっちぃー…洗濯物干すだけで汗が止まんねぇー…」

「珠綺、あーん」

「あー…」



 ぱくり、とスプーンを咥えて、珠綺はさっきのオレみたいに「んーっ!」と唸って頭を抑える。中身の無くなったカップをポイッとゴミ箱に放って、オレは珠綺の手を引っ張った。色気の無い声と共にオレの上に珠綺が降ってくる。



「んー…眠くなってきたー…」

「ちょっ、今汗かいたから嫌だ」

「オレ気にしねーもん」

「……はぁ…」



 向き合うようにオレの膝に乗っかった珠綺を抱き締めて、ふぁ、と欠伸をひとつ。呆れ顔だった珠綺も伝染したのか、ふぁあ、と大きく口を開けた。



「1時間だけだかんな」

「珠綺が起こせよ」

「何でそんな偉そうなんだよ、お前は」



 ぶつくさ文句を言いながらも、珠綺はこつんと頭をオレの左肩に預ける。オレはというと、少しだけ悩んだ。だって、今珠綺が着てるTシャツは俺好みの生地じゃねぇから。んー……ま、仕方ねぇな。妥協してやる。
 2時間後、オレは珠綺の悲鳴で目を覚ます。その後容赦なく頭をスパンっと叩かれ、小一時間正座で説教をウケる羽目になった。黒地にシンプルなワンポイントだけのTシャツが7万もするとは思わねぇよ、普通。



2021.07.23