行く当てのない私が辿り着くのはいつだって人気のない見知らぬどこかで、手入れをされることのない草木が好き放題に生い茂っているその場所に私は一人蹲っていた。そこに現れたのは私の世界を埋め尽くし、覆い尽くしているただ一人の人だった。行き先も告げずに出てきたのに、どうして私のいる場所が解るのだろう。

 切れ長の瞳はどことなく怒りを携えているようにも見えて、立ち上がりかけた脚の動きが止まる。その瞬間、太ももの付け根よりもさらに最奥が、爛れたように痛んだ。

 朝方まで続けられた行為は熱に浮かされる仄かな快楽と、引き裂かれる痛みを私に刻み付けた。ヒリヒリとした痛みは昨日の記憶を否が応にも甦らせて、居た堪れない気持ちになる。全身を滑る熱い手のひらと、私を見下ろす濡羽が脳裏に浮かび、どのように目を合わせれば良いのかわからない。情を交わしたことによって掴みかねていた距離と困惑は、俯くという逃避に昇華した。

 きっと、外の世界は煤けた電灯と虫の鳴き声が奏でる不協和音に支配されている。それでも私の世界は今日も静寂を保っていて、俯いて目を覆って仕舞えば何者にも侵されることはない。

 真っ暗な静寂にどれくらいの間身を委ねていただろうか。僅かな怒りを携えていた兄の動向が気になって、俯いていた顔を上げる。そこにはこちらに背を向けた兄の姿があって、この場を去らんとしていることを察せられた。──また、間違えてしまったらしい。

 兄と距離を置きたかったわけじゃない。ただ、距離を測りかねていた。縋るように手を伸ばしても、その背は私の手が届く場所にはない。これまではいつだって私の手が届く場所にいたのに、今はどれだけ手を伸ばしても兄に届く気がしない。

 どうすれば、兄と一つになれたのだろう。大好きな兄と離れたくなくて、ずっと一緒にいたくて、私という存在が兄に同化することを願っていた。寸分もなく同化できれば、母親の胎内で元々は一つであったように、兄と二人で一つの個体に戻ることができると信じていた。どうして私はそんなことを信じ、願っていたのか。理由は単純だ。物心ついた頃から共にあった存在がただただ大好きで、独り占めする理由が欲しかったのだ。

 詰まるところ、私は兄に甘えていたのだ。兄と共にある事ばかりを望んで、兄が何を望んでいるかを知ろうとしていなかった。自分の夢物語ばかりを押し付けて、私の望みが兄の望みであると疑う事なく信じていた。

 兄と私は生まれ落ちた瞬間から別個体の存在でしかなかったのに、心地よい夢から覚めないようにずっと目を逸らし続けていた。

 昨晩の行為は、私の望みを叶え続けていた兄が自身の望みを漸く表面化させただけだったのに。私は一人逃げて、目を逸らした。そんなの愛想を尽かされて当然だ。終わりはいつだって脆く崩れ落ちてしまう。そうならないよう大切に目を逸らし続けてきたのに。結局こうなってしまうのなら、あの日願えばよかった。世界なんて大層なことを願うんじゃなくて、兄と二人で生きてゆけますようにって。

 水分を含んだ瞳の焦点が歪んで視界が覚束なくなり、吐き出す息が浅くなって喉が詰まる。身体と頭が沸騰しているかのように熱くて、歪んだ焦点がチカチカと点灯する。意識を塗りつぶそうとする黒に抗えなくて、目蓋を落とす。遠いどこかへ飛ばされないように、どうにかこの場に止まろうとして、自分の身体を掻き抱く。──この感覚を、私は知っている。

 昨晩の燻るような熱さとは違い、激しく身を焼くような熱さを感じる。まるで本当に燃えているかのような身体を自分ではない腕が掻き抱いた感覚で目蓋を開くと、白と黒に点滅し続けている視界に兄の焦った表情が映る。

「ごめん、ごめんね。勝手に家を出てごめんね。わからなくて、……どうしたらいいのか。でも、私はフェイがいたらそれで、いい。それでいいの。フェイの声だけを聞いて、フェイだけを見て生きていたい。私にはそれがあれば十分だと、気づいた……思い出したの。ううん。ずー……と、思、てたの。子供の頃から、私にはフェイタンがあればそれでいい、て」

 焦げ臭さが辺りを充満し始めて、不快感に鼻を啜る。その臭いは兄と私から発せられていることに気がついて、驚きで目を見張る。それと同時に私を驚かせたのは、念を使っていない状態では久しく聞いていなかった兄の声だった。

「お前はワタシだけ見てればいい。ワタシの声だけ、聞いてたらいい」

 音を失ったあの日から不明瞭で、どこか霞んでいた私の世界がひどく明瞭になる。起きているのか、眠っているのか。どちらなのかよくわからない世界でずっと生きていた。それなのに、どうして兄の声が聞こえるんだろう。

 音を拾わないはずの私の耳が澄んでいる。そして、パチパチと嫌な破裂音を奏でる兄と私の身体は不可思議な状況に陥っている。その奇妙な現象を理解しようと思考を働かせながらも、自分の手中に落ちてきてくれた兄に安堵する。

 兄の服が燃えている。灰となったその切れ端が、まるで鴉の羽根のように宙を舞う。ひどく既視感があるその光景は、私の世界から音が消えたあの日に見たものと同じだった。空を舞い飛ぶ黒い煤のようにふわりふわりと兄と飛び立つのも悪くない。その思いはあの時も同じだったはずなのに、どうして気がつかなかったんだろう。

 世界が消えてくれないのなら、兄と私の二人が消えればよかったということに。

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