お酒は20歳になってから
暖かくなってきたからとかなんとかって理由で誰かがビニール袋いっぱいにビールやら缶チューハイやらを持ってきて、その場にいた葛西さんとか坂本さんとか西島さんたちと酒盛りしよーぜってことになって。
学ランで居酒屋に行っても葛西さんがいりゃあ酒くらい飲めるだろーけど、高校生の財布なんていつだって極寒だ。
だから銘々大喜びでビニールを漁り、適当な缶を手にした。誰からともなく「カンパーイ!」なんて呑気な声が上がり、プルタブを開ける小気味良い音が響く。
「オメー桃なんてツラかよ!」
「うるせーよいいだろ何飲んだって!」
ガヤガヤと騒ぎながら缶を傾ける中で、坂本さんだけがなにも持っていなかった。
「…坂本さん、飲まねーんスか?」
「…あぁ」
言い澱む様子はアンニュイでひどくサマになっている。マジこの人どんだけイケメンだよ…と俺が溜息をつくと、その様子に気付いた葛西さんが割り込んできた。
「おう坂本、なんで飲んでねーんだよ」
「…いいだろ別に。苦手なんだよ」
「ガキみてーなコト言ってんじゃねーよ。俺の勧めが受け取れないっつーのか?」
俺はすっかり押し退けられ、二人の様子を眺める。坂本さんの隣にぴったりと葛西さんが陣取って、飲め飲めと騒いでいる。普段よりずっと楽しそうな顔の葛西さんは、もしかしてもう酔ってるんだろうか。
「…だからいらねーって」
「だから飲めって!」
二人の押し問答に気付いたみんなが口々に「坂本さんノリ悪ィーっスよ!」とか「なんで飲まねーんスか!」とか野次を入れ始め、それに気を良くした葛西さんが飲みかけの缶を坂本さんの唇に押し付けた。
「…わーったよ、飲みゃいいんだろ!」
知らねーからな!と坂本さんは缶をひったくると勢いよく煽り、ゴクゴクと喉を鳴らした。晒された首筋に飲み切れなかった液体が伝うのがひどく色っぽい。空になった缶を放り投げ、拳で唇を拭うと「…これで満足かよ、葛西」と艶かしく笑った。俺たちの半分くらいはその姿に思わず生唾を飲み、葛西さんはまったく興味がないのか、「んだよ、イケんじゃねーか」などとご機嫌で次の缶を渡した。
「…なんだ坂本さん飲めるんじゃないっスかー」
「つーか坂本さんと葛西さんホント仲良しっスよね」
先ほど息を飲んだ面々も調子を取り戻し、全員がわいわいと場を囲む。空の缶に誰ともなく灰を落とし、とりとめのない会話は途切れることなくあちこちで声が上がる。俺はちびちびと缶の中身を減らしながら、ぼんやりとその光景を眺めていた。視界の端で坂本さんはずっと俯いて静かだ。もしや本当に飲めなかったのかこの人、と声を掛けようとした矢先、坂本さんはゆっくりと顔を上げ、葛西さんに向けて言葉を放った。
「色んな奴ブッ倒してエラくなったつもりか、葛西」
「あ?…てめぇ坂本今なんつったぁ…?」
坂本さんは目が座っていて、対する葛西さんは呂律がちょっと怪しい。これ殴り合いになったら誰が止めんだよ、と辺りを見回したけれど、見事にみんな酔っていた。まぁ素面だったところで、誰も止められる気がしないけど。睨み合う二人の距離は、隣に座っているせいかひどく近い。
「…おい、なんつったんだ、…ッんむ…!?」
坂本さんの顔がゆっくりと近付いて、そのまま葛西さんにくっついた。俺が思わず声を上げると、何人かが気付いて視線の先を追う。
誰も状況を飲み込めないまま、ただ時間が過ぎる。喧騒の真ん中、葛西さんと坂本さんと俺たち数人のところだけ、切り取られたみたいに静かだった。
「っな、何すんだ…!てめ…ッ」
慌てて引き剥がそうとする葛西さんの声で、止まった時間が動き出すみたいにみんなが我に返る。坂本さんは葛西さんの首筋に腕を回して、なおも唇を押し付けている。
「ちょ、待っ…坂もと…ッ」
酔った頭で酸素を奪われ、葛西さんも普段の鋭さはないらしい。抵抗よりも呼吸、といった様子で、男同士なんて気持ち悪ィはずなのに酔いも手伝ってなんかこれはホントにヤバイ。
「…おっ、俺、用事思い出した!」
誰かが勢い良く立ち上がる。すぐに倣って二、三人、その場を逃げるように立ち去った。アレ帰って抜くのかな…なんて酔った頭で考えるくらいに、目の前の光景がヤバイ。
「…は、…ッ…葛西…」
「てめ、坂本…ッ、やめ…ッん…」
人違いとかそんなんじゃあなく、坂本さんは葛西さんを認識しているらしかった。時折唇を離して名前を呼ぶと、また絡みつくみたいに首筋にしがみつく。
抵抗の声を飲み込んだ吐息は耳を塞ぎたくなるほど色を含んで重く、誰か止めろよと見回してみてもみんなその光景に釘付けになるだけだった。
「…解散ッ!」
パァン!と手を叩く音がして、その場の全員がハッと我に返る。坂本さんだけがトロンとした瞳で葛西さんの首筋にぶら下がっていた。
「撤収!」
「…っス!」
声を上げたのは西島さんだった。わたわたと手元の缶を片付けて、カバンを引っ掴む。葛西さんと坂本さんを置き去りにするのはどうかと思ったけれど、西島さんから撤収の号令も掛かったし、邪魔するのも野暮だと思って俺もその場を後にした。
別に恋愛は自由だもんな。俺は別に、二人がどうしようと知ったこっちゃーない。
*****
後日、悲壮な顔をした坂本さんに声をかけられた。聞けばこの間のことを全く覚えていないらしい。
「…覚えてないんスか」
「あれから避けられてる気がするんだ…葛西は真っ赤になって逃げるし…」
教えた方がいいのか黙っていた方がいいのか判断が出来なくて、曖昧に笑うだけに留めておいた。
20170517
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