狙われたのは


間違い、ってもんが誰にでもあるもんだとしたら、あれもきっと「間違い」ってヤツだったんだと思う。
たしか、珍しく坂本が喧嘩なんてしたんだ。なんでかは知らねーけど、俺が呼ばれて行ったときにはもう相手は死んじまったんじゃねーかって状態で。

「オイ……オイ坂本!」

呼んでも振り向きもしねーから、もういいだろ、と肩を叩いた。それでやっと我に返ったのか、坂本はハッとして勢い良く振り向く。
その瞬間の、射殺されそうなほど鋭い視線に、思わず背筋が戦慄いた。

「…やりすぎだろ」
「……かさい、」

坂本は安心したような笑顔とも泣き出しそうな顔ともつかない、なんともおかしな表情で俺を見た。殴られでもしたのか、唇の端に血が滲んでいる。

「…お前に言われたくないよ」

ひどく冷たい声でそう告げると、坂本はぶっ倒れた相手を一瞥して歩き出した。普段とは様子の違うコイツに戸惑いながらも、その背を追う。

「…大丈夫かよ」

「…大丈夫だよ」

フラついた坂本を抱き留めるように支えれば、やめろとでもいいたげに振り払われた。俺を押し飛ばしながら、僅かに呻く坂本は、どこかに怪我でもしているらしい。

「…ウチ寄ってけよ。怪我してんだろ」

「……いいよ別に。」

溜息と共に返される言葉は、やっぱり普段とは違う。だからってほっとけるはずもなく、俺は「遠慮するよーな仲じゃねーだろ、」と坂本の腕を引いた。

「…痛え」

「うるせーよ、いいから来い」

お前このままじゃ帰れねーだろ、と言えば坂本は諦めたような顔で溜息をついた。腕を引いたまましばらく無言で歩いていると、随分と棘が落ちた「…ありがとな」なんて声がした。

「あ? んだよ今頃。」

いいから行くぞ、とまた腕を引く。家に帰ると坂本は俺に続いて靴を脱いだ。普段なら靴を並べて「おじゃまします」なんて言うはずなのに、何も言わずにまっすぐ部屋に向かう。無造作に脱ぎ捨てられた靴が、コイツがなんかおかしいって証拠のような気がした。

「おら、そこ座れ」

ベッドに放り投げるように腕を離すと、坂本は言われるままに腰を下ろした。向かいにしゃがみ込んで制服のボタンを外す。上着を剥がすとなかなか派手にやられているようだった。

「…珍しいな、お前がこんなに喧嘩なんて」

「…うるせーよ」

これじゃあまるで普段とは逆だ。いつも坂本はこんな気持ちで俺を見ていたんだろうか。殴られた跡やら切れた唇やら、なんだかこっちまで痛いような気がする。

「…あー…唇切れてんぞ…」

指先で滲んだ血をそっと拭う。口、濯いだ方がいいんじゃねーの、と視線を上げると、めちゃくちゃ近くに坂本の顔があった。

「…は? …ッ、ん…!?」

舌先に血の味が広がる。それは坂本に口付けられたせいだと気付いたのは、唇が合わさって随分してからだった。

「…てめ、…っ、なにす…ッ」

痛々しい身体に拳を当てる訳にもいかず、ろくに抵抗もできないまま坂本の舌が俺の唇を割って入ってきた。ぬるつく感触は、唾液が血液か。いずれにしても俺のもんじゃない。

「ん、ッ…ぅ…」

やめろ、と言いたいのに、舌を絡め取られて言葉にならない。そのままぐいと身体を引かれて、坂本に向かって倒れこむ。
バランスを崩してわけがわからないうちに、気付けば組み敷かれるみたいな体勢になっていた。

「…っオイ、…てめぇ何すんだよ」

「…葛西」

坂本は俺の声なんて無視して、制服のボタンに手を掛けた。そのまま俺がさっきしたみたいにボタンを外していく。

「…ッ、オイ坂本!」

「うるせーよ、ちっと黙ってろ」

いやこれが黙っていられるか、と声を上げるつもりが、また唇を塞がれた。行き場を失った言葉はどちらともつかない唾液と共に唇から零れ落ちる。

「…ッ、」

坂本は半ば強引に俺のシャツを引き剥がし、露わになった首筋に顔を埋めた。ひやりとした舌が這い、思わず息を呑む。

「…っな、…てめ…!」

何すんだよ、と声を上げれば、黙れと言わんばかりに首筋に噛み付かれた。痛みに呻くと、坂本は俺を一瞥して暗い笑みを零す。

「…葛西、」

その表情とは裏腹にひどく優しい声で俺を呼んで、シャツの裾から手を差し込む。冷えた指先が肌をなぞる感覚に身体が震えた。

「…どうしたんだよ」

まるで何かを探すように、坂本の指先が俺の肌を撫でる。なんでこんな、とか俺なんか触ってどーすんだよ、とか色々言いたいことはあるけれど、吐息しか出てこない。

「…っうぁ、」

不意に胸の先端を摘まみ上げられて、聞いたこともない声が出た。坂本は奇妙に口元を歪めると、反対側の胸にその唇を落とす。
ちゅ、とまるで赤子が吸い付くみたいに音を立てて、肌が吸い上げられる。痛みにも似たむず痒さが背筋を走り抜け、思わず背を逸らした。

「てめェ、なにして…ッぐ…」

ギリ、と音がしそうな程に歯を立てられ、痛みに呻くと、坂本は自嘲にも似た吐息を零し、指先を脇腹から下肢へと滑らせる。
そのまま器用にベルトとボタンを外し、するりと指先を下着の中へ潜り込ませた。

「お前ッ、…おかしーぞ!」

「……そうだよ、」

おかしいんだ、と、坂本は確かに言った。
俺がその言葉の意図をはかるよりも早く、坂本は俺の股間を掴み上げる。

「うぁ、さ、かもと…っ、」

ゆるゆると扱き上げられて、俺の戸惑いとは裏腹に身体は簡単に反応を返す。蹴り出すのは簡単だろうけれど、それじゃあなんにも解決しないのは明白だ。けれどだからって、こんなの意味がわかんねー。

「…葛西」

かさい、と縋るような声が脳味噌を揺らす。
俺を呼んだ唇はまた肌の上を這い回り、そこから広がる甘い痺れが、普段からたいして働いていない思考をより鈍いものへと変えていく。

「ッく、…やめ、」

喧嘩の後の暴力的な気分だったり、攻撃性だったり、そういったものが単に俺に向けられているだけなんだろうか。それにしたってこれはおかしい。唇を噛み締めて吐息を噛み殺してみても、坂本は指で舌で柔らかく容赦無く俺を追い立てる。

「…は…ッ、…!?」

思いもよらない場所を指先で押され、身体がびくりと震えた。ぐい、とまるで抉じ開けようとでもするみたいに、力を込められる。

「てめ、なにしてんだよ…!」

「うるせーよ、黙ってろって言ってんだろ」

「いやケツに指突っ込まれそーになって黙ってられるかよ!」

黙ってねーと怪我すんぞ、と無理矢理指先を捻じ込まれる。痛みより異物感より、恐怖が先に立って、思わず間抜けな悲鳴をあげた。

「…ッ……マジ、かよ…」

いやなんだよこれ。意味わかんねーよ。
坂本は怯える俺に優しく微笑みかけ、いつも俺の無茶振りに答えるときのように溜息を吐いた。

「…なに怯えてんだよ葛西…らしくねーな…」

「…らしくねーのは…ッ、どっちだよ…」

埋め込まれた指先はそのままに、坂本は俺の下腹部に顔を埋めた。あろうことかその唇に、聳り立つモノを咥え込む。

「っ、は…、な、ッ、坂本…」

「…なぁ葛西、気持ちいい?」

「うぁ、ッ」

そのままぐちゅぐちゅと音を立てながら頭を上下に動かされる。唇と指先で、前後から挟み込まれるような感触は今まで感じたことなんかなくて、気持ちいいのか悪いのかさえわからない。ただ視界に入る坂本の姿が、頭がおかしくなりそうなほどに卑猥で、

「や、め……ッく…ぅっ!」

突っ込まれた指先をぎゅうぎゅう締め付けるみたいに腰を震わせ、坂本の口の中に飛沫を叩きつけた。

「…ッは、…ぁ…、」

わけがわからないまま頭だけが冷えていくのを荒い呼吸と共に感じていると、坂本はちゅ、と音を立てて唇を離し、俺の放った残滓をゆっくりと吐き出した。本来唇から零れるべきではないそれは、粘り気を含むことを主張するようにゆっくりと垂れ下がっていく。
それと同時に尻に突っ込まれた指先がゆっくりと蠢く。やっと解放されるのかと安堵すれば、ギリギリまで抜かれた指先は、あろうことか俺の放った残滓を纏って再び侵入を開始する。

「…っうぁ、」

中を探る指に合わせて、萎えた自身に坂本の舌が這う。一度達したとはいえ、慣れない刺激に反応しないなんてはずはなく。再び硬度を取り戻した俺を坂本はまた追い立てる。
身を捩って逃げ出そうとすると、坂本は唇を離し、俺の足を割り開くように身体を押し込んだ。

「…ねぇ葛西。俺のことも気持ちよくして」

ギラついたその視線は、俺の知っている坂本じゃないような気さえする。ほんとどうしちまったんだよ、なんて絶望にも似た気持ちを、俺はどうすればいいんだろうか。
カチャカチャとベルトを外す音は、さながら時限爆弾の秒針の音だ。わかっているのに止められないところまで、似ている。

「…なんで、こんな、」

「…なんでだろうな?」

指先がゆっくりと引き抜かれ、そんなのよりもずっと質量のある熱が押し付けられた。そのまま、まるで身体を裂かれるように、熱い塊がゆっくりと押し入ってくる。まるで侵入を許せと訴えるように坂本はその指先で俺の下肢を何度も撫で、痛みを誤魔化したい俺の身体は都合良くそれを快楽に変換した。

「…ッうぐ、…っ、」

痛みにぎゅうと瞳を閉じれば、目尻に涙が滲んだ。坂本はべたつく唇を俺の目尻に寄せ、「かさい」と俺を呼んだ。

「…ッふざけんな…クソが…っ、」

肌蹴た胸倉を掴んだけれど、まるで縋っているようにしか見えない。坂本は俺の腰を捕まえて、ゆっくりと腰を進める。その度に悲鳴にも似た声を上げながら、掴んだ腕に力を込めることしかできない。坂本を引き寄せるみたいになっちまうのが、非常に不本意ではあったけれど。

「…葛西、大丈夫か?」

どうにかすべてを納めきったらしい坂本は心配そうな視線をこちらに向けた。俺はと言えば、痛いやら苦しいやらで呼吸もままならない。

「…う、るせッ……いッ、てー…んだよバカ…」

途切れ途切れにどうにかそう零せば、 坂本は「泣くなよ、」と俺を抱き締めた。泣いてねーよ。泣きそうな顔してんのはおめーの方じゃねーか。

「…泣いてねー、…バカ…」

「…葛西、」

俺の何にコーフンしてんのか知らねーけど、突っ込まれたモノがぐっと質量を増して、思わず呻いた。俺の声を合図にするように、ゆっくりと内臓が引き摺り出されていく。

「ぅぐ、ッ、…さ、かも…とッ…」

「ッ、葛西っ…」

「…ッあ、っ、や…ッ、うぁ」

逃さないとばかりに抱き締められながら、引き摺り出されては押し込まれ、苦しいのか気持ちいいのか、そもそもなんでこんなことになっているのか、何もわからなかった。
涙で歪む視界の真ん中に、見たこともない顔をした坂本がいて、俺はただ坂本の名前を呼びながら目の前の身体に縋り付くしかできない。

「…葛西、かさい、ッ、」

「うぁ、さ、かもと…ッ…」

何度も何度も腰を打ち付け、その度に名前を呼ばれる。抱きしめる腕が痛いほどに胸を締め付け、必死で呼吸を紡ぎながら坂本の名前を呼んだ。

「…ッか、さい…っ、く…ぅっ…!」

坂本は、一際深く俺を穿つと、そのまま腰を震わせた。短い吐息と共に断続的にヒクつく背をそっと撫でる。ホント、なにしてんだよお前は。

「っは、…ぁっ、葛西…」

「…ちったぁ落ち着いたかよ、バカ」

溜息と共にそう零せば、坂本はハッと我に返ったみたいに俺を見て、申し訳なさそうに指先で俺の目尻に残った涙を拭った。

「……ごめん、」

ぽつりとそうこぼすと、坂本はゆっくりと俺から身体を離した。あんまり悲壮な顔をするもんだから、なんつーか怒れない。

「…今更謝られたってなぁ…、ッ痛…」

重苦しい身体をどうにか起こす。足の間が冷たくて気持ち悪ィ。坂本は「大丈夫か?」なんて俺の膝に手を掛ける。

「ヤメろって…大丈夫だから!」

思わずその手を蹴飛ばした。いくら心配だとはいえ、流石に尻を眺められるのは勘弁願いたい。逃げ出すようにベッドを降りると、不快感の残る内股にドロリと液体の伝う感触。

「…ごめん、」

「うるせーよ…ほっとけ」

ぎこちない動作で浴室に向かう。坂本は追ってこない。ホントになんなんだよ、と溜息を吐きつつ熱いシャワーを浴びた。
悶々とする気持ちを洗い流して部屋に戻ると、そこにはもう誰もいなかった。ヤリ逃げかよサイテーだな坂本、なんて溜息を吐く。怒らせろよ。てめぇなにすんだよ、って、理由くらい聞かせろよ。

*****

翌日からも、まぁ見事に避けられていた。「葛西さん、坂本さんどーしたんスか」なんて言われるたびに腹が立つ。俺はあの後たいへんだったっつーのに、怒りたくてもいねーんじゃあどうしようもない。

「…俺が聞きてーよ。」

「なんか喧嘩したらしーっスね。…相手、なんかソッチで有名な奴だって」

ソッチってどっちだよ、と言えば、そいつは指先を逸らした手を口元に当て、「ゲイってやつらしースよ」とシナを作った。坂本さん美人だし狙われたんスかね、なんて余計な一言が、俺の胸をざわつかせた。

「それ、下手したら坂本が襲われてたってことかよ…」

「それは知らねーっスけど。」

まぁ勝ったんだからよかったじゃねースか、なんて返されたけれど、冗談じゃない。
状況が僅かばかり飲み込めたような気がする。例えば「襲われる側」と認識されていたと知ったら、もしかして手近な奴を組み敷いて、自分が男だと確認したくなるのかもしれない。そこで俺を選んだのはどうかと思うけれど、そう考えれば坂本も被害者だったのだろう。

「…んで、坂本はどこにいんだよ」

盛大な溜息と共に言えば、屋上にいたっス!なんて声が飛んで来て、俺は屋上へと向かう。

「…オイ坂本」

俺が声を掛けると坂本はびくりと身体を跳ねさせ、怯えた瞳を向けた。ツカツカと近付いてその胸倉を掴み上げる。

「…葛西」

「てめぇヤリ逃げたぁ随分じゃねーか」

「ヤリ逃…ッ、っ!そんなつもりじゃねーよ!」

いやどう考えてもそうだろ、と言えば坂本は俯いて「そ…うだな、ごめん…」と呟いた。

「…腹立つから一発殴らせろ」

俺が言い捨てると坂本はぎゅっと目を閉じ歯を食いしばった。殴られても仕方ねーとは思ってんだなコイツ。…まぁそんじゃなきゃ避けたりしねーのか。

「……かさい?」

「…冗談だよ。…殴ったってなんにもなんねーし」

お前アレだろ、ホモに狙われたんだろ? なんて哀れみの視線を向ければ、坂本は「はぁ!?」なんて驚きの声を上げた。

「こないだ半殺しにしたヤツ。お前のこと狙ってたんだろ?」

怪我だけで済んで良かったな、と言えば坂本は苦虫を噛み潰したみたいな顔で何か言いかけ、唇を閉じた。

「…アイツが狙ってたのは俺じゃなくて、」

「あ? なんか言ったか?」

「…なんでもねーよ。」

「しっかし災難だったなー…ホモにケツ狙われるとかどんなだよ」

まぁ美人だし仕方ねーな、気をつけろよ、なんて笑いかければ、坂本は困ったような笑顔で「どっちがだよ」と返した。
その言葉の意味がわからなくて首を傾げていると、いつの間にか調子を取り戻したらしい坂本が、間延びした声で俺の名前を呼んだ。

「なぁかさいー、アイス食いに行かねー?」

「お、奢ってくれんの?」

詫びにゃあ足りねーけど、奢られてやんよ、とその背を叩けば、坂本は安心したように笑った。


20170722