なんでさっき、


「…めっずらしーな…」

机に突っ伏してすやすやと眠る坂本以外、教室には誰もいなかった。きっと俺以外の人間もみんな、珍しさのあまり声をかけられなかったんだろうと思う。呼吸を確保するためか僅かに右に傾いた頭のせいで、普段は前髪に隠れた眉が覗いている。

「…そういや坂本の眉毛なんて見たことねーな」

誰に告げるでもなくそう言って、指先でそっと髪を掻き分けた。まるで何か秘密を覗き込むような気がして、人知れず息を潜める。別に悪いことをしてるわけじゃねーけど、無駄に心臓が鳴った。

コイツこんな顔だったっけ、と掻き分けた髪を見て思う。白い額は髪に触れているのにニキビ一つなく、まるで人形のように整った肌をしていた。起きろよ、と小さく声を掛けながら髪を撫でる。その感触は俺の髪とは全然違って、ふわふわと指先をくすぐった。

「坂本、」

耳元に唇を寄せても、相変わらず規則的な吐息が聞こえるばかりで、指先で持ち上げた髪の向こうの白い肌が、何か誘っているような気さえする。
ゆっくりと、まるでそうすることが当たり前だと言わんばかりに、そっと唇を押し当てた。細やかなキメを唇で確認して、そのままゆっくりと離れる。どうしてそうしたのか、理由なんて俺にもわからない。

ふわりとした髪がゆっくりと視界から遠ざかり、また普段の距離に戻る。そうしてふと我に返って、なんで唇を寄せたのか自問自答する。静かな空間には坂本の呼吸音以外、なんの返事もなく、いたたまれなくなった俺は、「オイ坂本、起きろよ」と声を掛けた。

「…ん…、あれ、…なんだよ葛西」

白い額の下、長い睫毛が重たげに持ち上がり、見慣れた瞳がゆっくりと俺を捉えた。
何寝てんだよ、と努めて普段通りに言おうとしたけれど、喉に引っかかったみたいな不自然な声が出た気がして、それきり口を噤む。気まずいのは、さっき自分がしたことを考えりゃ当然だ。

「あー…いつの間にか寝てたわ…」

ふわぁ、なんて呑気に欠伸なんかしながら坂本は腕を伸ばす。身体を起こしたせいでさっき俺が唇を押し付けた額はいつも通り前髪で隠れて見えなくなった。

「…なぁ、邪魔じゃねーのその髪」

「…なんだよ藪から棒に」

「別になんでもねーけどよー…」

「変な葛西」

坂本はそう言って笑った。確かに変だ、こいつにキスするなんて、そう思ったら急に心臓が騒がしい。そうだ、どうして俺は、

「…どうした?葛西?」

「…ーーッうっせーよ!帰んぞ!」

ガタガタと音を立てて机を押しのけ、一直線にドアに向かう。机の鳴る音に混じって坂本の声がした。

「なぁ、なんでさっき」


ーーーキスなんかしたの?