坂本さんは犬嫌い
※坂本が犬嫌いな話(捏造設定)
「誰にだって苦手なもんはある」っつーけど、そんなありきたりな言葉が嘘なんじゃねーかって、俺は目の前の友人を見て思う。
「…ん?どうした葛西」
呑気に眉を下げて笑っている目の前の男には、非の打ち所がなさすぎて嫉妬すら忘れる。勉強も運動もそつなくこなし、機転も利くし喧嘩も強い。こいつに苦手なものなんてあんのかな。
「別に。…坂本はすげーなと思ってよ」
「なんだよそれ」
意味わかんねーだろ、なんて笑う姿に嫌味ったらしいところなんて微塵もなくて、ホントにこいつは『好かれて当たり前』みたいなヤツなんだなぁとぼんやり考えた。
「苦手なこととかねーの」
「…なんだよ藪から棒に」
坂本は相変わらず呑気な顔で笑いながら歩いている。コイツから何か嫌いなものの話を聞いたことなんてねーよなぁ、と思う。食べ物の好き嫌いだとか、人間の好き嫌いだとか、そういう。
「…お、めずらしーな」
突然向かいから犬が歩いてきて、俺の意識はそいつに持っていかれる。種類は知らねーけどよくペットショップにいるような小型犬だった。野良犬にしちゃ小綺麗だな、と思いながらよく見れば首輪を付けている。飼い主は見当たらないから、迷い犬ってとこか。
コイツは「飼い主を探そう」なんて言い出しそうだな…と隣を見れば、坂本はそこにはいなかった。振り返ると数メートル後ろでぴたりと足を止めている。
「あ?どーしたんだよ急に」
「…いや、悪ィんだけど違う道にしねーか」
その視線は迷い犬に釘付けで、発した声は聞いたこともないくらいに怯えを含んでいた。固まった、って表現がぴったりの、今まで見たこともない坂本の姿に思わず吹き出す。
「なんだよ坂本、犬苦手なの!?」
「…うるせーな、そうだよ…」
「あんなちっせー犬なのに、お前オバQかよ」
なんだ、こいつにも苦手なもんはあるんだ、なんて安堵と、からかうネタができた喜びとで、涙が出るほど笑った。坂本はそんな俺を微塵にも気にしない。…っつーかできてねぇ。
タシタシタシ、なんて可愛らしい足音でアスファルトを蹴って歩く犬は、俺たちに気付くとこちらに寄って来た。
「かっ、葛西!!こっち来た!」
「…大丈夫だよ、ありゃ飼われてたやつだから噛んだりしねーぞ。…多分」
俺の背中に隠れるように制服に縋り付く坂本は、普段の飄々とした姿とはまるで別人で、こっちの調子が狂う。馬鹿にしたくったって取り合ってもらえないどころかこんなに怯えられたらからかい甲斐がないったらねーよ。
「葛西!」
「あーわかったよ。大丈夫だから。」
背中にしがみつく坂本を庇うように、近くにあった店のドアをくぐる。さすがに建物の中には入ってこられない犬は、ガラス越しに俺たちの前を歩き去って行った。
「ほれ、行ったぞ」
「……ありがとう」
背中に縋る手を離して、涙目の坂本は照れ臭そうに笑った。それがなんだか可愛く見えて、嘘だろ、なんて瞬きを繰り返す。
とりあえず出ようぜ、と店を出る。何にも買わなかったどころかドアの前にいただけだけど、この制服のお陰だろうか特に咎められることはなかった。
「…なぁ葛西…お前んち行っていいか?」
「?…別にいーけど、なんでだよ」
店を出ると、坂本は遠慮がちにそう告げた。
俺が疑問を返せば「…だって、犬が…」なんて言うから思わず吹き出す。俺んちの方が近いから、一人で歩きたくねーってことかよ。
「早く帰ろうぜ」
そわそわと落ち着かない様子で俺を急かす坂本は、本当に犬が苦手らしい。俺には全くもって理解できねーな、と思いつつコイツが慌てるなんてよっぽどだよなぁと、坂本に倣って歩くスピードを上げた。
*****
「お邪魔します」
「誰もいねーから気にすんなよ」
帰り着くと坂本は安堵の溜息をついて、カバンを床に置いて腰を下ろした。俺が放り投げたカバンまで律儀に並べているところがなんともコイツらしい。
二人並んで適当に座るのはいつものことだ。
「しっかしおめーにも怖いもんあったんだなぁ」
しかも犬とか。あんなちっせーのに、と笑えば、坂本は憮然とした顔で「うるせーよ」と呟いた。
「てめぇが犬みてーなクセして、何が怖いってんだよ」
普段坂本を馬鹿にできることなんてないから、ここぞとばかりに言葉を重ねる。坂本が恥ずかしそうに唇を噛むのが面白くてたまらない。喧嘩で相手を一方的に殴るときなんかとは、種類の違う高揚感。
「しっかしおかしーよなぁー…涙目んなって。犬だぞ?わんわん吠えるだけだろ?」
俯いてふるふると震える坂本が、突然俺に掴みかかった。まさかそんな反撃に出られるとは思わず、バランスを崩して後ろに手をつく。坂本は俺の胸倉を掴み、のしかかるようにして俺を押さえ込んだ。普段は優しく下げられた眉が、怒りの強さを物語るかのように吊り上がっている。
「ちょ、落ち着けって…」
見たこともない坂本の剣幕に、情けない声が出た。握られた首元が苦しい。まあ俺が悪いのはわかってるから、無理に振りほどくこともできない。
「…いい加減にしろよ葛西」
聞いたこともない低音が鼓膜を揺らして、背筋が戦慄いた。マジかよそんなに怒んなよ、なんて言い訳みたいな言葉すら出てこない。
普段なら「やりすぎだろ」なんて眉を優しく顰めながら溜息をつく坂本が、こんな、他人を射殺すような瞳をしていることに驚きを禁じ得ない。…犬ごときで。
「ちょ、待てって坂本……あっ、犬!」
俺がそう声を上げると、坂本は一瞬びくりと身体を固くして、それからハッとしたように「てめぇ葛西」と腕に力を込めた。
「…わーった悪かったよ!もう馬鹿にしねーから…」
「…くそ…ッ…」
坂本は恥ずかしそうに吐き捨てると、勢い良く手を離した。マジで怒んなよ…別にいーだろ誰だって苦手なもんくらいあんだから。
「…機嫌直せよ…帰り送ってやっから…」
犬怖ぇーんだろ?といらん一言を付けちまった俺は、また坂本に胸倉を掴まれる羽目になった。
20170708
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